おもしろ波乱万丈(目標全く達せず)ー自叙伝ー


   
波乱万丈(今だ目標全く達せず)ー自叙伝ー

はじめに
この自叙伝は私が創価学会に入信して今に至るまでを書いたものです。

第一章誕生
昭和34年8月26日、横浜の病院、帝王切開にて十数時間の末、誕生名h君
3600グラム誕生。戦後、最も好景気の時期の誕生。ある意味恵まれている。
一番いいとき生まれたのではないか。

第2章しろとおく
幼少期は暇さえあれば虫を追いかけていた。イトトンボしかいない都会。
なぜかイトトンボだけはいた。アパートで下の子おくと呼んでた。自分はしろだ。
幼稚園ではいじめっ子のかっちゃんとけいちゃんに泣かされていた弱虫だ。


第3章幼稚園
幼稚園へ入学。一日泣いていた。2年次、友達ができ、毎日カニを取って遊んでいた。
友達とは人にとって絶対必要なもので、人は一人では生きていけないのです。
独りで生きている人、まして年を取っている方の心中お察しします。

第4章小学校への入学
絵を描く時間になる。何でもよいから書くのだ。幼稚園でもあったが独りだけ白紙
だった。脳が動かないのだ。まだそうだ。どうしよう。
しかし、小学生になって羞恥心がでたせいか。知恵がついた。
「隣の子の絵を写すことにした」
そしてさらに知恵がついた。次の絵を描く授業では図鑑を写す。
魚の絵を描く。
「なんとそれが銀行に貼りだされ表彰」
そして、2年には学級委員になる。

第5章才能なしの小学生時代
一日中虫のことを考え、本は読む気力なし。
おばちゃんが言う。しろは将来何になりたいんだ。
「虫取りしか考えつかず。何にもないよ」

第6章強情
小学校で一番ヤなこと。給食だ。マヨネーズ、きゅーり、玉ねぎが嫌いだ。
口に入れるとおえとなる。それを無理やり食えと先生たちは言う。
考えてみると嫌な勉強やこういうことって、今でいうセクハラ、虐待か。
子供のしつけは厳しいのと愛情は必要だが。厳しいのはそのこのためなら良いガ、
難しい。どこまでが厳しいか、教育とは人間にとって何を意味するか。
極端に言うと、自由主義なら、自己のおもむくママが良いのでは、
いわゆる放任主義だ。
自分は給食でマヨネーズ、きゅーりを一回も口にしなかった。それで良しとしよう。
どんなに立たされても、なぐられても屈しなかった。

第7章団体生活できず
なぜかみな中に溶け込めず。いまだにそうだが。皆の話が聞こえないのだ。
いまでいう心の病か。また性格も人嫌いときている。社会性もない。
最悪な自分であった。
でもそういう自分も嫌いではなかったのだ。


第8章親の転勤
父が郵便配達から電電公社へ変わり茨城に引っ越す。
毎日型楽しい。給食はうまい。昆虫はいっぱいだ。田んぼに行けば
カエルやメダカのオンパレードだ。トンボやセミ。
野兎もいた。ある時、友達とクヌギの林へ。クワガタ取りだ。
友達は気に上りガサガサ揺さぶった。
「ボト」
何か異様な大きな音。普通のクワガタの2倍はあるクワガタだ。
小学5年学校内でキャンプファイヤーを8月おこなった。
教室で友達とごろ寝するのだ。
田舎の学校は最高だ。おかげで太って、人からちびデブと言われた。
ご飯がうまくて夕飯は4杯も食べた。


第9章大阪万博
小学校6年次、大阪で万博が行われ、家族三人で行く。
写真機を購入。パビリオン、そして初めて宿に泊まる。
ご飯は、味噌汁ご飯のひどいものだったが、夢のようなひと時だった。
相変わらず、夜は外のキリギリスを捕まえることで無我夢中だった。
両親との思い出の大きな一つであった。

第10章おにい
「ターンターンターンタンタラタタタタ」長屋に住んでいた時、
いつもこの三味線の音が鳴り響いていた。隣のおばちゃんは三味線の先生だった。
そして、おにいと呼んでいたおじさんと二人で住んでいた。
おにいはいつも自分を肩車して、プールや海、縁日に連れて行ってくれた。
小三まではこの二人に育てられていたみたいだった。

第11章孤独な少年
私は一人っ子であり友達も少なく、一人が好きだった。なぜか、勉強はできなかったが
嫌いではないのではないかと思う。ただ頭は悪く記憶力、頭の回転も悪い。
ある意味いいところがなかった。いとこが一人いた。同じように一人っ子で
内気、よく小さい頃はいとこの家に行っていた。猫がいた。猫とは長い付き合いがあった。家の路地には猫が10匹はいた。野良犬もいた。

第11章人間的差別
父は祖父は印刷工場をやっていたが、関東大震災で崩壊。父をはじめ3人の兄弟は小学校で就職。
父は旋盤工、炭鉱、大工、消防士、郵便局、電電公社と職を転々とする。
そして小学校三年、水戸の電電公社へ転勤となった。そこのアパートは署長だけが立派な1建やで
ほかの社員は小さなアパートであった。たまたまその所長の息子と同じ学年同じクラスとなり、
母が一緒に学校へ行けとゆうので仕方なく一緒に行った。1年ぐらい1回も口を利かずただ学校へ
一緒に行った。特に差別はなっかたが、なんか差別感を感じた。

第12章人の命は崖プチ
小学校の時、二回死にはぐる。一回目は小一のとき、母と夜歩いていると、前から
黒い車がスート止まり「僕乗っていかない」と男から声をかけられた。あとで母に
言うとばかにして取り合ってくれなかった。二回目は小二の時、近所の人大勢で
海に行った。多分、鎌倉あたりかと思う。大きいゴムの板うきわに皆のった。
最高の気分で、波を超えた。とすると前からちょっとこれは尋常でない波が来た。
ゴムの板うきわはひっくり返り自分はちょうどゴムの板うきわの真下へ。
急いでもがいて難を逃れた。皆で行くと、適当になる。いつも思うことだ。

第13章桑さんとやっちゃん
小5年の時、やたら元気で頭のいい子がいた。桑さんとやっちゃんである。
桑さんは体の弱い子の友達になり、助けてあげ、やっちゃんはやたら親切であった。
やたら弱いこの見方で親切な2人だった。
2人ともs学会員であった。

第14章シーモンキー
やっちゃんが言う「シーモンキー買わない」
サルなんか嫌いだよ。しつこくいう。
今になってシーモンキーて微生物だということを知る。
ちゃんと言ってくれればいいのに何でおもむろに言ってきたか
今もって謎である

第15章おにい
小学2年の時までアパートの曲がりに住んでいた。
隣に子供好きのお兄さんがいておにいと呼んでいた。
いつも子供に刀、虫かご、アリかごをつくりお世話になった。
水戸に引っ越す際も、一緒に来てくれた。プールに行けば、
自分を上に乗せ平泳ぎし、外では肩車。本当にいい人だった。

第17章桑さん、s学会員
小5の時桑さんちに行った。今考えると仏壇の大きい
のがあった。彼は部屋に入るとすぐ算数のドリルを。
すごい気合のはいいた子だなと思った。3人兄弟で、きりっとしていた
お父さんが大工だった。ある時、彼が弱いものいじめをしたため、
父親からぶんなぐられ、次の日から、やわいものを守るほうになった。
まるで別人だ。😉🍊🐰


第18章家庭環境の差
小6の時、小4の近くの同じアパートの子と遊んだ。クワガタ取りを2人で行った。
ノコギリクワガタが目の前にいた。年上なので譲った。彼はいつの間にか箱いっぱいに
虫を集めた。これは上には上がいるなと思った。ある時、テレビ見るの?と聞いてみた。
テレビ見ないよという。なぜ、うちnhkしか見ないからという。宿題はやったと聞いた。
僕、7時から12時までいつも勉強してるという。なんでそんなに自分と違うのか。
兄は東大医学部だという。お父さんも東大らしい。そのアパートの棟8世帯お父さん、
皆研究員で東大、京大、東北大だった。環境がその子に完全影響している。
世間て、だいたいそうだよね。自分の父は小卒だったから、自分も勉強できなかった。
無理もないことだ。🌄🐹⏰

第19章母
母は大正14年生まれ、戦前生まれである。横浜に生まれ、戦後は進駐軍の下で事務のしごとを
し、洋裁の内職をしていた。勉強はしたことなくともクラスで2番で、頭のいい人だった。
小さいときから勉強にはうるさかった。そのかいあってか、頭が悪いのに、ちゅうの上
にはいつもいた。趣味はテレビと旅行だった。今はもういないが、いまだに夢の中でよく登場して
くる。👸🐐🐄

第20章父
父は横浜で生まれ、4人兄弟の一番下、祖父は印刷工場を経営していたが、関東大震災で崩壊。
よって皆小学校で卒業後、父は東京機械で旋盤工、その後徴兵、戦後は炭鉱、家具大工、消防署
郵便局、ここで結婚、不憫な青春だった。でも陽気な性格で、飲めばやすきぶしを踊り、うたもうまかった。
しゃべりも、旅行など行っても隣の人と仲良くなっていた。会社の人気者だ。ただ、こわかった。
小さい頃は、なぐられいつも自分は泣いていた。それがトラウマになって、社会人になるまで、
口をきいたことがなっかた。👳👲🐰🌜

第21章小3の担任
小2で学級委員になった。特に勉強ができるというわけでもなく、絵で賞をもらったぐらいであった。
小3になり急に勉強が嫌いになり、宿題もせず、給食も残したせいか、一日中立たされていた。
口内炎ができて口が貼れていたところを指でつままれた。いいところ全くない自分であった。
担任が残虐に見えた。正直今でも嫌いである。ところがいいことに夏休み父親の転勤で水戸に
行くことになった。運がいいと今でも思う。水戸では給食は残しても何とも云われなかった。
先生も優しい先生だった。👦🏀🍅

第22章オタマジャクシ取り
小3の時、ウラのたいちゃんが田んぼに連れってくれた。
オタマジャクシ、ヒキガエルだろう。
しかし、取ってきた100匹のオタマジャクシ1か月ぐらい
ほっておいた。気がつぃたらドロドロに腐っていた。無残。
タイちゃん家へ行ったらオタマジャクシはりっぱにカエルになっていた。
ほんと面倒見るのが苦手な自分は今もそうである🐟🍁

第23章オニヤンマ
オニヤンマはよく見かける、何回か捕まえたことがある。
まるで工芸品のような美しさ。昆虫の傑作なんではないか。
まず人間が作ることはできないし、考えが及ばないでしょう。🐕🐌

第24章猫
叔母のうちへよく行った。猫がいてよく遊んだが、ひっかくから
あまり好きでなかった。おまけに猫アレルギーになった。
ある時、猫の子供が生まれたとのこと。
10匹ぐらいいた。しばらくしていってみると、
数匹になっていた。どうしたかと思ったら、踏んじゃったたのこと。
歌に「猫ふんじゃった」とあるけど、本当のことだった。
でも、最近近くの知り合いのいえに猫が3匹いるが。年老いた
黒い猫が自分の膝の上で震えてた。もういっぴいの白い猫の
しっぽをつかんだら、軽くかまれた。なんとも家の人がいい人なのか
猫もみなおとなしい。心がわかる様だ。🐱🐱🐈🐋

第25章鳥
鳥はかわいい。小さいとき小2の時、隣の花じいというおじいちゃんの家へ
いった。十姉妹がかごの中に10匹ぐらいいた。止まり木にはまさに目白押し状態。
なんでもふぇちゃったとのこと。十姉妹は子育て上手なんだ。自分も一度買った。
しかし、おやじが逃がしてしまった。自分がいじめるとか思ったのか。
なんでもオウムは50歳ぐらい生きるとか。友達の倉さんの家へ行ったとき
手乗りいんこがいた。えさを与えるとよく食べるが、手が痛かった。
🐦🐧🍅🍏

第26章本、漫画嫌い
なぜか漫画、本が読めなっかった、小学2年漫画を古本屋で買う。
全然面白くなかった。外でとんぼとったり、テレビ見たほうが100倍
面白かった。母は本ばかり子供のころは読んでいたというが、テレビが
なかったからだ。いちにテレビができてからは、まったく本は読まず、一日中
テレビを見ている。本が好きな子は、親がテレびを見ないのでなないか。
友達でテレビを見ない子がいた。親もnhkしか見ないという。夜はずっと勉強を
しているという。兄は東大医学部という、親も東大らしい。
環境が人を変えているのだ。自分もばかでもそういう環境にいれば
それなりに勉強ができたと思う。👨😺🏆

第27章父
父は小学校卒で職を転々、たまたま牛の母と出会えて、まっとうな人生を送れた。
運のいい人だ、そんな父でもいいところはあった。小学校から年3回ゴジラの映画や
海に連れっていってくれた。家では自分をプロレスの相手にしていた。よく釣りにもつれていいてくれた
。千葉の鋸山に、会社の仲間のキャンプに連れっていってくれた。アマガエルを20匹ぐらい捕まえた、
家族旅行は生涯忘れない思い出となる。🐼🐸😉

第28章母の内職での出来事
母は洋裁の内職をしていた。近くのデパートの洋裁の下請けだ。
そこの洋裁の担当の先生から洋裁の仕事をもらってきていた。
そしてある時母があすこの先生すごいのよという。なんでもものすごいスピードで
あっという間に服を縫ってらしい。一度呼ばれていったら、すごい家で仏壇があるといっていた。
s学会員らしい。いまでもそのことが頭に蘇る。👦🍃🐹


第29章自転車
小2の時、父に自転車かりて教えてもらった。全然乗れず、すごい怒られ
泣きまっくた。地獄の1日だった。最も全然乗る意志なかったことが
大きな問題だ。母は自転車乗れない。乗れなくて普通なんだ。😔👮

第30章母も父も気が強い
ある時母に口答えをした。往復びんたされた。わたしもなぐりかえした。
父は自分をおもちゃ代わりに良く殴った。殴られると一回転した。👨

第31章創価学会へ入信する
なぜか馬鹿な私でしたが、国立大学大学院まで入学。
友人のn君が創価学会の会合に行かないと誘われた。特に宗教に偏見もなく、
お経は精神によさそうなので、直に入信することにした。
なぜか体が電気が充電されたがごとく、高速になり、生命力がみなぎってきた。👲

第32章中学時代
中学は水戸一中というところだった。テニス部に入り、毎日先輩のしごきがあった。
夜はつかれて宿題もできず、ダメな人間になった、そんなとき、どうやったら
勉強ができるようになるか、完全あきらめていたら、隣の医者の子供が、
なにやらまとめを別のノートに書いているではないか。もしやこれでうまくいくかも。
小さめのノートを5冊買って全部ノートへまとめた。そうしたら次のテストで
平均80点取れた。若いからかノートにまとめるだけで覚えてしまったらしい。
今はだめだ。そんなことしても、何も覚えていない。鉄は赤いうち打てだ。👨👀

第33章テニス部
テニス部は一見楽そうだがそうでもない。先輩と顧問のしごきだ。
前衛のボールが怖いのが嫌だった。どうもサッカー、野球、バレイボールのボール
がこわかった。一度クラスでバレーボールをやって女子のボールがとんできて、帽子だけ飛んで
ボールが抜けて、馬鹿にされたのがどうもくやしい。👦😃

第34章勉強はつらい
とにかく頭が悪いから、授業もよくわからない。手も上げたことはない。しかし大学は行きたかった。
なぜか?皆そうでしょうね。とりあえず机の前に座り、テレビは一日15分と決めた。
それでも眠気と嫌気で集中できるのはわずかだった。頭が悪いと勉強はできないというより、
脳が拒否するみたいです。👲😉🐇

第35章高校受験
しかしいまいち大学へ入れそうな高校に受かりそうもない。しかし、塾の先生が、高専はどうおと
勧められた。高専の過去問を見た。とんでもなく難しかった。落ちて元々と受けてみた。
意外と簡単だった。自分は一番落ちた時に受けたみたいだ。合格した。入学してびっくりしたのは
落第があることだ。先輩が5回落第した人が学生会長をしていた。必死で勉強したといっても
授業中は大体居眠りしていた。最初の中間試験で数学が10点だった。1クラス34人いて5年間で
7人いなくなった。上から2人落ちてきた。髪の毛はリーゼントしていた。高専は大学進学する人は
誰もいなかった。一生が見えていた。👦🙀

第36章機械工学科
機械工学科は実習として旋盤、フライス盤、鋳造、溶接がある。いずれもにがてなもの。
フライス盤実習でフライス盤のテーブルをレバーで左右に動かす。しかし、壊れている機械で
レバーをいったん上にあげ右なら右へ動かさないといけない。しかし、どうもレバーを上にあげ
ずに左右へ動かしてしまう。そうするとポーンとねじが飛んでしまう。いくら真剣にやっても
余計焦ってねじがとぶ。また、このとき凹凸のものを削る練習だったが、がたがたまったく
失敗だった。次は旋盤、物をつけて削る。一回物をつけてねじを締めず削ってしまったことがあった。
  👳😖🍊

第37章どじの続き
鍛造実習は最悪だった。火鉢の棒を焼いてたたくのだが、火鉢の棒の
熱したほうを手で持ってしまった。ジュ―と音立てて皮膚が焼けた。
それも何度も焼いて、手はやけどだらけきょうはここまで
👨🙌😱

第38章コンピュータ授業
当時は紙テープパンチであった。しかし今と違って、1行打つのに訂正できない。
途中で打ち間違えれば、またかみを変えてうつ。よって間違えてばっかりいれば
紙はなくなれば、作業進展なし。自分は何度やっても間違えて、パンチ出来なかった。
😐🙀

第39章仕事が恐怖
仕事に入って現場監督みたいなことやるといわれていたが、そんなことできるか
と将来不安となっていた。ただ高専もなぜか自分がはいいていたときは、
皆強敵だったが5年もたつとみな学力が落ちていった。
👻👲

第40章釣りばか
毎週、釣りに出掛けた。最初は海刷り。夏はさば冬はカレイだった。
家に帰ると母が煮つけにしてくれた。さばは油臭かった。カレイは
身が小さくて食べるところがなかった。しまいに海は遠いいので川にした。
鯉フナは食べられないのであまり面白くない。👨

第41章大学
高専から大学へ行く人はいない。高専へ入学したとき、もう皆そう思っていた。
しかし自分は運が良かった。なぜかみな勉強はそこそこにしてしまった。
なぜか長岡と豊橋に高専から推薦のようにして入れる大学ができたのだ。
それもみな、あきらめていた時に自分が浮上したのだ。見事大学に合格した。

第42章大学入学
大学は高専からだと3年次編入額になる。
長岡技大は、雪深い地だった。全国から学生は集まっていた。沖縄から北海道まで
2人ぐらいずつ50県からきていた。下宿に住むが、友達がいっぱいできた。
勉強は難しくて量が多く、遊んでられなかった、夏休みもずっと勉強だ。
かといって、遊ぶほうもやった。海に良くいった。きれいな海で貝がうまかった。
釣りとバトミントン部に入った。👨

第43章北海道旅行
友達と2人で北海道へ1週間行った。日本でもこんなに雄大なところがあったのだ。
阿寒湖、釧路平原は圧巻だ。阿寒湖のまりもも見た。旅行もここが最後にも思われ
るぐらいよかった。😉

第44章大学の国語の授業
国語の授業は読書ノートを書くことである。課題図書はチボー家の人々、一年間
通して読む、書く、今まで本をろくに読んできたことがないので、苦痛で一向に
本が進まない。しかしある時プつと切れて、文が読めるようになってきた。
ななめ読みということができなかった、それができるようになってきた。おもしろ
いように読破していった。大学の授業での成果はこれだけのように気がした。💂

第45章変わった授業
機械設計の授業だ。1冊の本を先生が読み、学生はそれを書くという授業だ。
書くのが下手ということからみたいだが、何も学ぶところがなかった。ある材
料力学の先生は授業はせず問題から自分で説いて、次の授業までに提出という。
これはよかった。いまだによく覚えてる。👌
👆
第46章友達というもの
大学で友達が大勢できた。次から次へと友が変わった。自分が気に入ったのか
そしてi君と会う。iくんは学会員だ。仏法の話を聞かされた。理解はできないが
経を読むことは自分にとって良いことに感じ、そのまま入信した。

第47章毎日が有意義になる
私は大学院生だった、先生からは箸にも棒にも引っかからないといわれた。
本当にそうだった。やる気がなく、集中力もなく、何かすれば間違え、人の話が
理解できず、せいぜい簡単な製造業の行員程度しかできなかった。
この先真っ暗闇だった。しかし、信心してから180度変わった。頭は回転し
集中力も出て、元気も半端でなかった。題目さえあれば、なんとか一生できると
思った。👲

第48章先生が変わった
いつも怒られていた自分に対して。研究室のみんなに自分を見習えといった。
こんなことってあるか。まさに自分は変わった。人の模範になることばかり
考えるようになった。😉

第49章研究がすんなりできた
なぜかなんだかわからない問題にぶつかった。しかし、題目をあげていくと
ひらっとひらめいた。そして論文完成。先生に持っていくと、この論文は
2つ分くらいあるなっとといっていた。

第50章天才と秀才の違い
天才は一人で考え、小説、発明をする、秀才は人のまねをして仕事をするので
はないか。会社でプログラム開発を25ねんやった。同僚はほとんど天才肌で
1からプログラムを作っていた。自分は人まねしかできなかった。👦

第51章佐渡へ行く
佐渡へ行った。普通の島だ。海で3段円筒を作った、また相撲をやった。
泳ぎまくった。日蓮大聖人の流罪されたところだ。「夏草や兵どもの夢のあと」
何もなかった👨。

第52章ペット
ペットは十姉妹、熱帯魚、かめ、金魚、めだか、カブトムシと色々飼ったが
一番は十姉妹かと思う。隣の家に1つのかごに10匹飼っているおじいさんがいた。
十姉妹は子育て上手でいつのまにかかごいっぱいになったとのこと。自分も買っていたが、父が逃がしてしまった。それ以来飼っていない。👷

第53章海
海は最高だ。
こんな自然の宝庫はないでしょう。釣りに良く出かけた。何が釣れるかわからない
醍醐味。磯のにおい。磯にはカニや小魚。そしてあさり。一日中あさりをとって顔が
真っ赤になったことがあった。👂

第54章3人以上で旅行へ行くときは注意
2人だとお互いを注意するのでよいガ、3人以上になると、2人が暴走すると一人
取り残されいい加減になる。海では2回死にはぐり、スキーでは置いてきぼりをくい
崖から落ちそうになった。とにかく海山は怖い。😆

第55章新潟で5年過ごす
大学は長岡にあり5年間も雪深い中で過ごす、冬は3メートル積もる、寝るときは
蒲団こおり寝れなく、こたつに皆ねていた。朝起きると、水道はこおり、水がでな
かった。仕方なく学校へ行った。一度下宿に帰ってガラスがわれ雪が入ってきた。
仕方なく雪の中で寝た。また風邪をひいて薬がなく、病院も近くになく、産婦人
科だけあったのでそこへ行った。東京へ就職したとき、まるで天国へ来たようだった。
冬でもそとで過ごせる、雪がないということの喜びは、雪国で過ごしたことのない人
にはわからないことです。😞

第56章スキーというもの
高専でスキー教室へ合津へ行った。猪苗代湖と合津磐梯山は絶景である。
スキーで初ゲレンデで滑る。恐怖であった。しかしなれるとどうということはない
ただ30度傾斜でも人間からすると大分傾斜がプラスされこわいものだ、横から見て
ると大した傾斜でなくても本人は崖のように見えるのだ。😖

第57章バトミントン部へ入部
バトミントンはダブルスは楽しいガ、シングルスは動きがハードである。
前行ったり後行ったり、テニスよりは距離が短いガきつい。ただ色々技があって
みにつけるとおもしろい、自分はそこまでいかなかった。👃

第58章大学院というもの
高専から編入して長岡の大学に入る。高専でほとんど授業は終わって、先生方
もそれプラスの授業があったがなぜか楽な授業をとってしまったようだ。
大学院は自分の器でないと思ったが、皆行くので付和雷同してしまった、
ただその時の論文が機械学会論文集となり、自分にとっての勲章のように
なったことでよかった。👭

第59章高専から大学編入
高専から大学編入は入りやすいといわれる。確かに今ではクラスの半分近くが
国立大学へ編入している、どうしてこんなに入っているかわからない。
穴場としか思えない。一流高校でも国立は1人も受かってない学校も多いい
👦✋

第60章方言
大学に入り、友が大勢できた。それも沖縄から北海道までそれぞれ方言を
聞いた、九州の重いもの、新潟の優し気のもの関西の陽気なもの様々だ。
特に長岡の方言は好きだった。なんとも優しい😅😏😐😑😒

第61章バイク
バイクほど怖いものはない。一度交差点で事故った。
右折したら目の前にバイク、自転車のようにバイクを運転してしまったのだ、
必ず右左折するときは左右を見ること、😔😕😖😗😘😞😟😢

第62章野菜
長岡で下宿していた。朝、夜やサイ炒め、来る日も来る日もやさいいため
だった、文句も言わず、ひたすら食べなかった。また近く数キロにわたり
スーパー店が何もなかった。しかし、みなさんご長寿だった。今思うと
野菜ばかり食べていると病気しないのではないかと思う。😅😇👅

第63章雪国
雪国で5年住んでた。若いときならいいが年を取って雪が降り、雪かき、
屋根の雪おろしはできない、雪がないところほどいいところはない。😅

第64章運動
中学校でテニス、大学でバドミントン部に入った。走るのが苦痛で
脚力がなかった。ボール、シャトルを人にいないところヘ落とすこと。
がコツだがいつになっても終わらない。👅😈

第65章一人っ子
一人っ子はわがままだという。
確かに自分は一人っ子でわがままだ。人からも良く言われる。
あと世間知らずで。人の中で自己主張ができない。人の話も聞けないし。
集中力にかける、何もいいところはない。体も虚弱だ。
今は両親もなくなり、頼るもの何もない。自分しかないのだ、
ただ信心だけでいま生きていると思う。😅

第66章兄弟というもの
自分は一人っ子だからよくわからないが、兄弟がいたら大変だったろう。
兄弟がいると助け合って生きれる利点はある一方、もめごとは
おおそうである。よっぽど自分に力があればよいガ。力のない人は
兄弟に押しつぶされると思う。いずれにせよ過去せの業だから受けなけれ
ばならないが😇

第67章母のがん
22歳の時母が乳がんになった、乳房片方全摘出した。衝撃だった。
そんなことがあるのかと思った、しかし再発せずよかった。
父は一緒に住んでいたので、相当ショックだったと思う、自分は
下宿にいたので友達といるとショックも少なかった。
家のものが病気なのはきついと思う。😒

第68章人生は友で決まる
自分が中1のとき勉強がわからないし、成績が上がらない、誰もアドバイス
はない、そんなとき隣の勉強ができる子がなんかノートに書いているのを目
にした、そのこは教科書の内容をノートにまとめていたのだ。これかと思った。
テスト10か前からすべてのテスト範囲を自分の専用ノートをつくって
ひたすらまとめた。不思議にまとめると自然と記憶されていった。そしてクラスの
上位に行くことができた。その子に感謝である。次は高専の時、大学はあきらめて
いた、そんなとき友達から3年から勉強すれば大学いけるよと言われた。それから
勉強以外考えなかったら、見事合格、つぎは就職、じぶんは難しい仕事は
出来ないとあきらめていた。そんな時友人の井上君より創価学会を紹介され
就職、システム開発という超大変な仕事を25年間まっとうすることができた。
人間は善友で決まる😃😄

第69章新潟の人
5年間長岡で下宿生活をする、顔を見るとひとなつこくお茶に誘う。
雪国は団体生活でないと生きていけないのだ。なんせ病院までバスで30分かか
るのである。冬外に出て、深みにはまるともう動けないのだ。
まさに極寒地獄である。😅

第70章大学というもの
大学へなぜか行けた。親戚でも大学へ行っている人は少ない。大学へ行って
威張っている人や退学した人がいるが、何のために大学へ行くか、
大学へ行きたくても行けなかった人のために行くのである。😅

第71章人生は早い
人生は早い。あっという間である。この中で有意義に生きていかなくては
ならないのだ。やりたいことはいっぱいあっても結局1パーセントもできず
終わっていしまう、よって今日1日を確実にやり遂げておきたい。😏

第72章仏法に出会うのは難しい
仏法に出会うのは爪の上に砂をいっぱいかけて僅かに乗っかるほど難しいと
日蓮大聖人様は言っている。私はたまたま信心しているが、まわりにはほとん
ど信心している人はいない。😊

第73章学問というもの
学問の目的は物理、数学、美術、国語、哲学においては真理の追及とみた。
しかし、工学、医学、はそうでないようだ、これは価値の探究だと思う。
しかし、国語は両者に分かれているようだ、専門家にしかその価値がわからない
一種の特殊感性の価値のような気がする。😐

第74章生きるための人生から目標による人生に代わる
創価学会に入って生きるための人生から目標による人生に変わる。
生きるのにどうしたらよいか、大学に入ってからずっと考えていた、
しかし、創価学会に入って人のために生きる人生へと変わった。
自分のためだけ生きるのが精いっぱな自分がなぜそうなったか、ある意味、
人のために生きると自分もよくなるからだ。非常に合理的な思想である。😊

第75章友達はいっぱいいるほど良い
友達はいいともだちがいっぱいいるのが良い、なぜなら友達によって
自分が変わるからだ、また人のために尽くせば自分が変わる。これは大きい。
しかし、いい人に尽くすのが良い。特に両親に尽くすことで自分が変わる。
子供に尽くせば自分が変わらずおえない。😆😅

第76章美というもの
美術、文学における美観は、その人の感性によっていろいろだ、だから、
感性による美術、文学などを評価することはある意味難しい、只統計的
に評価しているのはおかしいが、美利善の価値観からくるとすると、
評価が矛盾する👅

第77章就職
私は就職するにあたって、特にこれがしたいというものはなかった。
何か人に役に立つものが良かったのか医療機械の会社にきめた。
入ってみるとレントゲンの設計を担当することになった。👅

第78章就職は失敗した
自宅から就職先へ通勤する。
信心も親の反対で出来なくなる。目的観を失う、頑張る糸がプツリと
切れた。世間から見ると甘えになるが、世間体を無視することになった。
結局、悪者になった。言ってみれば、道路に歩いていたらマンホールの
蓋があいてて、真っ逆さまに落ちたのだ。会社をやめフリータとなって
無理せず生きることにした。ある意味、昔の自分、仕事できない自分に
戻ったのだ。😟🙉💀

第79章怠惰な毎日
アルバイトで段ボール工場へ行った。1日8時間働いた。土曜日も出た。
給料日だ。びっくり6万円だ。いまは最低でも時給900円で20マン円は
くれるだろう。👅😇😔😖😠😾🙈😭

第80章大学で論文書く
大学のことで、思い出した。なぜか先生がやり残した研究があった。ひたすらただ先生に聞いて兎の糞のようにやった。半年で論文出来てしまった。それが最初で最後の
論文である。大学いってよかったのはこれが一つある。😐😏😊😎

第81章アルバイトと正社員の違い
この当時、アルバイトは本当に悲惨だった、今の東南アジアの給料のようである。
差別を感じた。挫折を知った。楽なほうを選ぶと人間馬鹿にされる。苦あれば楽ありだ。しばらくして、また大学に戻った。研究生ということで1年間次の新卒入社
を待つことにした。まだ、福運が残っていた。😓😅😏

第82章研究生での生活
長岡の町、下宿生活、冬雪深く、学校帰りは演歌を歌って帰った。夜はワンカップと
ピーナッツをつまみ三国史を読むのが楽しみだ、こんな面白い、感動的な歴史小説は
ないのではないか、すばらしい人物が宝のように出てくる。劉備玄徳、関羽、諸葛孔
明、曹操、仲達など。😅😆😇😉😻

第83章スキーは怖い
友達と3人で苗場にスキーに行った。ナイターに行く、誰もいなく、アイスバーン
自分は初心者、友達上級者どんどんさきにいってしまうがついていかないとはぐれる
、必死だ。スピードがつぃたまま、リフト乗り場へ、崖に落ちそうになる。
みんなと山や海へいくと誰か犠牲が出る。気をつけよう😨😩😪😫😬😷😸🙀

第84章スポーツとは何か
柔道、剣道、空手、武道はいい。自分より大きい人と組むのは怖い。
太い腕がくると恐ろしくなる。有段者でも小さい人は怖くない。男は大きい人が
特である。威圧感がある。😏👀

第85章昆虫大好き
小さいときから1日中、外でイトトンボやせみくわがたを追っかけていた。
イトトンボは最近見かけないけど、妖精のような昆虫である。またクマゼミは
昆虫のお様のような貫禄、オニヤンマは芸術品、カブトムシはかわいいペット。
よく標本にしたりいじめている人がいるが最低だ。🙀🐳🐡🐈🐛🐜🐞🐌🐌🐏

第86章精神病
精神病と聞くと一般の人は忌み嫌う、一種関係ない、身内にはいない、
いたとしたら最悪になると思う、しかし一生のうちには自分、家族だれかなる
ものであり、がんと同じである。私もこの病気に自分や家族がなり、地獄を
味わっている、ただ信心をしていることで、それもいつしか小さいものとなって
いる。😛🙏

第87章授業というもの
小中高大学と色々な先生が勉強を教えてくれた。今考えてみると眠気との戦い
であった。集中力がある人はどんな先生でも吸収していった。
どんな生徒でも吸収させるには、宿題しかないと思う。宿題はいやおうなしに
勉強せざるおえないからだ、極端な先生は、授業しないで宿題だけする先生も
いた。👅👦👧

第88章読書ノート授業
大学の国語の授業だった、課題図書チボー家の人々、その他20冊ぐらい1年で
読んで抜き書きする授業だった、本を読むのに1冊3か月もかかる自分にとって
苦痛きわまるものだった、ただ半年もするとななめ読みの技術が身についた。
英文だと大変な技術だと思う。それからというもの、本を読むのも1日5冊ぐらい
読めるようになった。先生ありがとうと言いたい。😏😐😑😛👌

第89章雪国で生きるのは死闘
新潟で冬下宿で朝起きてびっくり、水道が凍っていて水が出ない。
仕方なく何もせず大学に行った、そして家へ帰ってびっくり、一階で雪が5メータ
つもり、窓ガラスが割れ雪が部屋に入ってきている。その日は雪の中で
炬燵に潜り寝た。何とか生きていた。そして風邪をひく、やばい薬がない。
病院まで30分かかる。しかもバスは1時間に1っ本。仕方なく、産婦人科が
何とかあったので行った。診てくれた。しかしもういけない。また外へ行こうとした。
ちょっと足がずれてずぼっと足が埋まった。30分出れなかった、あと少しで
死んでた。また、2月雪が屋根いっぱいになら、雪おろししないと家がつぶれる
年を取っていたら死ぬ、このように雪国は地獄である。そして、なんとか東京に
就職した、天国のようだった。👅😅😈😻⛄

第90章太陽は体に良い、月の光は悪い
佐野先生が言うには太陽光線により体の物質がいいものが発生し、
アフリカなどに3か月もいると統合失調症は治るとのこと。
一方坂本廣志さんが言うには月の光は寿命を縮じめるとのこと。
かぐや姫は地球に流されてきたらしいです。👅😜😺

第91章機械科に入ったが機械が全く苦手だった。
高専で機械科に入学したがものをつくるのはおもしろいが最後まで作ったことが
なかった。子供のころプラモなど作るが途中でいやけがして最後まで作れなかった。
趣味は昆虫採集と釣りだ。特に海に釣り糸をなげる醍醐味は最高だ。
釣れれば母が料理してくれる。最高、サザエさんの波平さんですね。🐟🐌

第92章スキーはやるより見るもの
長岡だったのでスキー旅行やら付き合いでよくスキーへ行った。プルーボーゲン
しかできずあまりかっこよくない。ウエーデルンで滑っている人のカッコいいこと
見ているほうが感動する。やっているほうはさほどでもないのである。👅😏

第93章アルバイト
大学時代はいろいろバイトをやった、劇場の大道具、運送屋、ホームセンター
居酒屋、郵便局、工場と当時の工場のアルバイトは安かった、時給300円だった。
何もおこずかいの足しにならない金額だ。👅

第94章ボーリング
青年ならよくやる娯楽、スポーツ、手軽にできてストライクを取った爽快感
なんともいえない。友達、家族、親戚とコミュニケーションもとれる。
マイボールマイシューズと自前でやるとスコアが違う。👅😏


第95章友達
友達は縁して引っ越したりするともう話すことはなくなる。小中高大と
といっぱい友達はいたがもう付き合うことはない、そこで年賀状は大事である。
年に1回とはいえいい友達は触発されるものである。😐😐😉😉

第96章会社へ入社
切削工具の会社へ入社する。システム開発の仕事だ。製造、設計のプログラムを
作りながら、システムの保守をするのだ。半年すると腰痛、吐き気がして、地獄
の毎日となる。同僚も同じように病気となり、転職、部署替えとなる。😏😉😟

第97章バブル
バブルはうちの会社にも到来。1年生き残るのがやっと。信心による生命力
で何とか乗り切る。結婚もでき、子供も生まれた。😏😐

第98章会社選びは慎重に
まさか入った会社がこんなに業績が悪いとは知らなかった。もっともバブル前に
入社したから仕方ないガ、しかし、よく考えて会社は選ぶべし。👅😋

第99章応援
会社がバブルで他会社に応援になる、3交代夜勤がひどかった。1週間夜中ラインで
働いた。昼間寝て夜働くということは尋常でない。年取ったらできない。😅😆

第100章プログラマー
会社ではシステムの開発をしていた、主に製造、設計のプログマムを作っていた。
はじめは気が狂いそうだったが、1年ぐらいしたら慣れてしまった。どんなでたらめな
プログラムも特に気にせず読めるようになった。👦😅😛

第101章自動化というもの
入社以来、会社の自動化、データベース化を行う。人がいらなくなる。
考えてみれば恐ろしいものである。😏😐

第102章時代の流れ
自分もちょうど会社に入った時、システム開発が盛んだった、25年経ってリーマンショックでリストラになる時、システム開発も終わり、次はロボット化である。
システムは仕事が楽にするもの、ロボットは人がいらなくなること。
もう産業はなくなり一部の金持ちのみ生き、あとは地獄になる時である。よっぽど
勉強している人の見生き残るのではないでしょうか、勉学は力なり。
二ノ宮金次郎時代になるのでしょう💪💪😅

第103章プログラム
言語はc言語、fortran、java、basicを利用して実に多くのシステムをつくった。
データを入力、検索、表示、計算、グラフ化と自動化した。仕事だからやったが
趣味では到底できない。それは作っている最中は、地獄のような苦しみが
あるからです。👅😅

第104章付き合い
会社では必ず付き合いとして花金とか言って金曜日は飲みに行く。酒が飲めない人は
地獄だ。飲んでは気に行くようなものである。また、嫌いな人とも飲みにいかなくて
はならない、ましてや酔って暴れる人がいると最悪。とにかく面倒なもんである。😅😉

第105章酒
大学の時、実家で正月、お猪口に1っ杯つぃでお酒をはじめて飲んだ。急に気分が悪くなって寝込んだ。それから大学時代下宿で飲んだがげーげーはいた、とんでもなく酒が弱い。これじゃー会社生活無理だ。酒が弱い友達はみな公務員になっている。😅😛

第106章出世
出世は必ずしもうまくいくとは限らない、たまたまということもありそうです。
正しい優秀な人は皆部課長になっている、あっというまに会社生活も終わるもんだ
から、とりあえずお金もらえばいいのではないか、😅😆

第106章世の中は戦い
世の中は破壊と分裂が常である。いいことを言っている人がいてもそういう人も
やがて傲慢になって地に落ちる、仏法に生きるしかないです、菩薩と仏にしか
この世は救えないのです😅

第108章映画
長岡市で下宿していた時、日曜日は暇で映画を見ていた、やっている映画を次から
次へとみていった、つまらなくても見ていた。映画とはたとえ内容が陳腐でも
面白くできるものである。💃

第109章絶望
会社でも最初の日立系会社では自宅から通っていたので、会社のつらさ、親との
人間関係でうつ状態になった。上首は言いたいこといってストレスを部下にぶつける。
ある時、もうどうでもよくなり、のんびり生活したくなり、会社を辞めた。
そしてアルバイト生活へ、底辺の生活がつずいた。👅

第110章箱作りアルバイト
段ボール、など、2組で箱を作る、たっちぱなしがきつい、頭はほとんど使わない。
時給300円、かろうじて生きていける程度の賃金だ。1日働いて2000円程度だ。
😅

第112章高校生のお兄ちゃん
アルバイトをしながら高校生のおにちゃんと知り合う、夏になり、柏市内のお祭りに
お兄ちゃんと一緒に行った、大道芸かフラメンコを台の上で踊っていた。
「オレ―、カチャカチャ、タタタタ」いい調子で踊る。お兄ちゃんは言う
「オレもこういうのやりたいな」、思うことがすごいポジティブ。人生に落ち込んだ
自分とは全く違う。そういう風には自分は全くなりたくないが、何かが違っていた。
何かお兄ちゃんには夢があり、自分にはそれがないのだ。夢というより道なのか👅

第113章箱ずくりのおばさんたち
箱作りのアルバイトも3か月が過ぎ、だいぶ皆なれなれしくなってきた。
自分が堕落した体たらくな人間なこともばれてきたようだ。正直やばかった。
皆一生懸命今を生きているのに、それにはずれた領域を荒らしている人間は皆から
嫌われるのだ。ドラマでいつかそういうのを見たことがある。人間みな心は、特に
日本人はいいのではないか、自分から逃げてはいけないのである。😐😓😖😡

第114章映画というもの
映画はどんな映画も感動する、なぜか、命が吹き込まれているからでしょう。
本がそうでないとはいっていませんが、😐

第115章sf 映画
スタートレック、スターウォーズシリーズは特に好きだった、当時は本当に
ファンタジーの様に見えたが、最近は真実ぽっくなってきた。アバターや
マトリックスなどはもろ物理学である。😅😆

第116章目標のない人生
目標、夢がなくなった。すべてがかったるい。夜寝るとき1っカップシロザケと
ピーナッツと3国史を読むことだけが楽しみとなる。😅🙀

第117章会社を選ぶ
さてどこの会社に入ろうか、9月、もう選ばないと入れない。ブランドがある
会社にどうしても目に付く。東芝系にする。会社訪問に行く。担当のような
知的な人に案内される。正直、つぃて行けそうにない。😏

第118章皆優秀
会社に入って思うのはみな自分より優秀だということだ、頑張りがいがないのだ。
いくら頑張っても、体を壊すだけなのだ。学生時代は勉強すれば成績が上がり
自分が優越感に浸れたが、会社での仕事は違っていた。多分自分が得意なものを仕
事にすれば、会社でも優位に立てるのだろう、しかし、自分は不得意なものを仕事
にしてしまったのである意味失敗だった。プログラムの開発など苦手なものだった。
👅

第119章スキー
寮でスキーに先輩が行くというので1藷に行った。皆うまかった。1級の人に
パラレルを教えてもらった。教えてもらわないといつになっても上達しないのが
スキーだ。😆😺

第120章友とスキー
苗場へ大学時代3人で行く。自分以外の2人は上級者である。今日はナイターいこう
仕方なくついていく。暗がりでアイスバーンでしかも誰もいない。
2人は自分のことは気にせず大きなこぶをバンバン飛ばしていく。リフトが見えてき
たが相当スピードが出ている。リフト横のがけ、ぎりぎりをターンして死ぬおもいで
リフトに乗れた。友だちとはいえ、まったくいいかげんだ。大勢いると必ず犠牲が
出るのが世の中。👅😓😓😝😝

第121章スキーというもの
会社に入ってからも年に1回はスキーへ行った。よくいくのは赤倉スキー場だ。
特にいいからというのではなくよく言って慣れているからだ。
スキーのスタイルで自己満足してなんとも贅沢なスポーツだ。
😏😿

第122章スキー合宿
高専の時、会津磐梯スキー場に行く。眼下に猪苗代湖、まさに絶景である。
予備練習が終わり、はい、ゲレンデに皆開放、なんとも緩やかだが恐ろしかった。
いきなり、泳げない人を海に放り出された気分だった。ずるずるバターン。
ある友達。初心者。いきなり、苗場の頂上までいかされ。そのままリフトで帰っ
てきた人がいた。スキーは勇気がない人は、最初はきつい。👅😒

第123章スキーとスケート
新潟ではスキー、スケート両方やった。スキーに比べてスケートは装備いらない。
友達はバック滑走などやっていた。結構自分もできた。スがつくのはすべるか
とダジャレが出る。👅👅

第124章日本海の海
大学3年、釣り同好会で日本海の海へ行く。先輩たちは先にボートで海へ自分と同級生は
泳いでいく、ふと気が付くと友はもうだめだと泳げなくなる。
先輩たちに助けを求めボートで来てもらう。全くいい加減な奴らだと恨んだ。
みんなで行くと必ず犠牲者が出る。😆

第125章海は怖い
海の災害も、交通事故と同じように突然起こる。そういうと何もできない。
飛行機もいつ事故が起こるかわからない。とりあえず1日悔いを残さず生きたい😅🌄

第126章人生の目的発見
人生はなぜあるか、それは仏道修行をとして、自身を磨きぬき、
何物にも崩れない、金剛不壊の境涯を築くことにあると日蓮大聖人教えられる。
このことでどんな困難にも、動じない自分を作ることができるのである。


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