美とは何か
単に美しいと感じることだ。ただ人間が作り出した現実だとすると、
自然より美しいものは存在しないのではないか。ただ、どんな山より富士山以上
美しいものはない。美を見つけること探索することが美の発見なんでしょう。
ここでは、このことがはてまて正しいか探求するものである。
美を追及するにはとりあえず自然美を模倣するしかない。自然美を超えるものは
人間の英知では限界がる。しかしどこまで近ずけるかの挑戦には価値
があるのではないか。
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第1弾
第1章言語の美とは
第3章歴史にっとって美とは
第4章言葉にとって美とは
さて、本書を読んでみると結構な力作である。「表現された言語にとっての美とはなにか」について書かれているためである。言語そのものに内在している美について書かれていると即断していたが、小説や詩として表現された言語の美、それも歴史的な文学書を吉本隆明自らの理論に基づいて読み解き、解明された文学書の紹介を経て、最後に芸術論的な展開を行って締めている。言語は表現を通してしか成され得ないはずであり、この観点からすると「言語そのものの美」の考えは狭義であり、あり得ないのかもしれない。吉本隆明は「言語の価値」と「文学の価値」とを分けすっきりと説明している。言語に「美」は無関係であって、表現された文章や小説に「美」があるかないか、もしくは言語表現の美的かつ「質的な差異」がどうして生じてくるかが問題なのである。質的に高い心を打つ表現がなぜできるのかが本来的な課題なのである。こうした本来的な課題に基づき、吉本隆明は詩を例にあげて質の高い表現の仕方を少し説明している。小説の価値についても美についても論じているのはとても良いことである。言語表現は韻律・選択・転換・喩によって表現され得て、文学はこれらを使用した自己表出へと進み、話し言葉は指示表出へと進むとする。ただ、文学作品を表出の歴史で扱うときは二重の構造を取り、表出の体は文学体と話体として成り立っているとする。こうして、近代の文学を引用して長々と説明する。
さらに文学作品の価値の本質を知るにはその作品の「構成」を知ることだと主張する。「構成」とは有形的なものを指し示す指示表出の空間の展開、時代的な空間の広がりであると吉本隆明は主張する。吉本の主張を単純に言い変えれば、自分の考え思うことをうまく主題として展開させて的確に記述することであると思われる。そしてここでは「竹取物語」などの古典が題材として取り上げられている。最後は「文学的価値」について、自己表出からみられた言語表現の全体の構造の展開を文学の価値と呼ぶと述べている。どうも簡単明瞭にて理解できる、もしくは理解できなさそうな定義である。
第5章形の美とは
この本でとくに力を入れているのがフラクタル(自己相似性)について。雲や稲妻や海岸線などは、どれだけ拡大・縮小しても形が変わらない。秩序がないと思われていた形にも、じつは数理的に表すことができたという。
人間は、フラクタルについてだんだんとわかってくると、人工的にフラクタル図形を作り出していった今後ますます研究が進んで、デザインなどに取り入れられていくだろうから、基本を知っておくにはよい。
フラクタル次元の話で1箇所だけ、数式(対数log)が出てくる。それ以外はすべてふつうの日本語で書かれているので、難しいところはほとんどなし。具体例も豊富。キュビズムの代表作とされるピカソの「アビニヨンの娘たち」から、日本の家紋12種まで、特徴的な形がつぎつぎと出てきて飽きない。
第6章科学の美とは
人々が「アートの目的とは何か」について議論することがありますが、アートの目的とはアートそのものにあります。対象物に没入すること、アートにそれ以上の目的はありません。「美的経験はアート作品だけではなく、自然のものからも得られますし、多くの人は美的経験を持っていると思います」とチャタジー氏。ある人が美しい庭に完璧に魅せられること、少なくともそれは美的経験の定義の1つと言えます。
第7章科学の美とは
第8章方法の美学—建築にとって美とは何か
第9章「女」にとって〈美〉とはなにか?
この三つが相まって初めて、美人が誕生します。
要するに、個別具体の日本美の審判ではなく、それらが日本固有の美なのかという問いの中で、「日本」なるものの全体像ないしは本質を示そうとするわけである。本書のタイトルが「日本の美」ではなく「美の日本」であることの戦略は明らかである。
第10章ゼロからの美学
美的感覚をとらえ、アスペクト(位相)という多面的なとらえ方を唱えます。
その後で機能、目的、こころよさ、形式といった面から美を探究し、
仮象(カリスマ)というあらわれに至り、それをとらえる感性と美の固有性に触れ、
問い方じたいの発展性にも言及しています。
○2部は、芸術論となっており、芸術は学問の対象になるかと問うことから始め、
次に技術としての芸術や、記号学者バルトによる「作者の死」論、
ジャンルあるいは潮流的なものの危殆あるいは無難な相対性に触れている点はむしろ注目であり、
美学以外の分野でもいえそうなことでしょう。
さらに、言語で思索することから不可避な点、つまり記号の二重性(シニフィアン/シニフィエ)とか意味作用、
潤沢なイメージとの関係を検討し、概念との齟齬についても触れています。
ついで活版印刷や書(カリグラフィー)、詩や歌など文学作品をも例にとるかたちで、
時代などとともに変動する要素をも射程におさめつつ、伝統芸能との渡りをつけ、
最後に社会芸術学的新しさなどアクチュアリティーも示唆、とりわけ現代アートと美を関係づけています。
一般美と固有美に分かれるような感じがし、著者はむしろそうしたことをアスペクトと言い習わし、
実在的対象が美という固定観念(ステロタイプ)を生むのではない、という感じもします。
第11章男の美学
第12章ももクロの美学
第13章署の美学
第14章詩人・菅原道真 うつしの美学
日本は、家の中までを「内部空間」ととらえるのに対し、海外は、家の外までを「内部空間」ととらえること
と言えるでしょうか、その内側だけをきれいにすればいいということになり、街並みには注意を払いません、
特に、美しい「ヨーロッパの街並み」を見ていると、日本も、こうならないかなと思います。
「孤高」という言葉も似合っていたが、ここ数年は野手のキャプテンとしてチームを引っ張っていこうとする姿勢が感じられる。選手生活も晩年を迎えているので、昔のように青白い炎が漂うような殺気は多少薄れてきたが、そのかわりに円熟という言葉が似合うようになってきた。口数も少ないが、「前田は死にました」をはじめ印象に残る言葉が多い選手だ。
第1弾のまとめ
美とは何か
カントは価値に真善美がある、
牧口常三郎先生は美利善の順番に価値は創造されるという。
美の究極はそこにある本質をみいだすことという。
仏法でいう仏性である。
ただ仏性を見出すにも釈迦は帰納的、随他意に日蓮大聖人は演繹的に随自意に行う。
第15章鉄砲玉の美学
うさぎや人間が食べ物を食す描写がかなり汚らしい
主題歌のロックなど70年代のアメリカンニューシネマやヨーロッパ映画にありがちな描写が多い
演技と言うよりかは自由に地で行く
世間は《美学》を誤解している、ということになる。「もし歴史的に用いられてきた学術用語としての『美学』に代えて、世間の実際の用法に合わせてもうひとつの『美学』を考えるとしたら、それはどのようなものになるだろうか」と書く。そしてそれに自ら応えて「それは『生き方のスタイル』や『生活のデザイン』について、私たちがなぜ美的判断を必要としたのか、またどのように美的判断を行ってきたかの研究になるだろう」という。すなわち本書の副題《日本人の生き方と生活の美学》である。《美学》へのアプローチを著者は遊宴の場で繰り広げられる万葉の歌の成り立ち分析から始めるのだが、その議論はきわめて説得的であると同時に、そのあとに展開される《遊宴・社交》のなかでの《美学》の流れの源泉ともなっている。そう、ここで論じられているのは近代的な個人が耽るゲージュツでもその個人が崇める野生の自然でもなく、文明化された生活のスタイルと文明化された自然の歴史なのだ。わたしたちがとうに知っていたもの、常にわたしたちとともにあったものだという感覚なのだ。ただ、それはこの本に出合うまではこんなに鮮やかに見えることはなかった、日本人が日本人を理解するということは、この感覚をつかみ、この感覚につかまれることの他にあるだろうか。小さな本だが、この本は日本の美学を学ぶことを願う人の先ず読むべき一冊になるだろうと思う。
著者はあとがきの中で言っている。
「西洋の学問を無条件で輸入していたころ、書や茶道を研究したい日本の美学者は、まず、書も芸術だ茶碗も芸術だと主張して、それらを西洋的な意味での『芸術』に格上げするという準備作業が必要だった。けれども『芸術』という概念自体に疑問符がついている今日、そんなことはもうしないでもいいだろう。」
この《日本》の《美学》の《歴史》には、懐古趣味のかけらもなければ、《民族》のいやなにおいもしない。この本の万葉、新古今、江戸のいきは、ただ21世紀の東京を生きている。
写真もとても綺麗ですし、タモさんの洒脱な文章も楽しい。
それに「まえがき」がまたタモさんならではの哲学的な面白い内容で
このためにだけでもこの本を買って良かった、と思わされました。
それに「まえがき」がまたタモさんならではの哲学的な面白い内容で
このためにだけでもこの本を買って良かった、と思わされました。
同時代のさまざまな画家たちの作品とも比較しながら、芸術観・文学観を浮き彫りにする。
第15章車の美学
空気を感じてご自分の
好きな風景が絶対に見つかると思います
“作法”、“心得”、“忘れてはいけないこと”、そんな事柄について
美しく、才能に溢れ、そして痛み知っている。時に厳しく、時に優しくアドバイスを与えて
くれる。他の正しい道があるのだ、ということを知ることが出来る筈。
それは著者のこだわり続けた様々な“美学”に貫かれた、得がたい助言から学べる
それは著者のこだわり続けた様々な“美学”に貫かれた、得がたい助言から学べる
ことだろう。
民衆の苦しみに無関心でいられなかった詩人道真だからこそ、その思いや情景を歌に詠み、また朝廷でも披歴し、結果藤原氏に危険視される要因を作る形になって大宰府配流という憂き目に遭うことになってしまった・・。これは歴史上、清廉の士の身を焼く試練の炎、命さえ奪う非情の運命です。千載ののちも日本人の心に名を轟かせ、だからせめてこの詩人の誠をささやかながら讃えたいと思い、ぜひご一読ください。
第1章芸術の定義、1「アートワールド」(1964)のダントーはソクラテスやハムレットの鏡像(芸術の再現模倣ミメーシス)理論からくるフィクションでない、リアリティであるすべての存在の本性を芸術相関的な術語で読み解くアートワールドを提起します。
同2「芸術とは何か-制度的分析」(1974)のディッキーは、社会制度としてのアートワールドにおける、理由づけとしての美的理論を提起し、アート作品の認識論と存在論とを結びつけます。
第2章美的価値 3「芸術批評における理由」(1958)のジフは、作品の異なりに応じて、どのような見方がふさわしいのか、という点を「アスペクト視」という用語でカントのいう「観照」問題を解いていきます。
4「美的概念」(1959)のシブリーは、美学・感性学がバウムガルテン以来もちいているさまざまな形容詞的表現を、美的質と非美的特徴という切り口でカント以来の「無関心性の美学」へのカウンターとしての「美的関心」を用語のカテゴリー論から論考しています。
5「芸術作品の評価と鑑賞」(1980)のマゴーリスは、美的趣味判断について、カントから先のシブリー、あるいは次のビアズリーの言を受けながら、芸術作品の文化的性質と感覚知覚の相関関係、批評とラディカルな主観主義の違いと近似性などをうまく比較しています。
第3章作品の意味と解釈6「視覚芸術における再現」(1958「美学」第6章)でビアズリーは、「視覚的デザイン」という観点から、視覚芸術における再現(representation)と表現の関係を、図形や象徴といった用語の定義や作用を例示しながら、各用語から実際の絵画における主題の作用因をうまく抽出しています。
7「文学における意図と解釈」(1996)でレヴィンソンは、作者と作品との関係性において、意味論的意図主義や仮想意図主義について、ルイス・キャロルなどを批判援用しながら「意図なき意味はない」というクナップとマイケルズのスローガンに対する答えを例示しています。
8「フィクションを怖がる」(1978)でウォルトンは、主著「ごっことしてのミメーシスー再現芸術の基礎づけ(1980)」の基本軸を展開しています。
9「不道徳な芸術礼賛」(1997)でジェイコブソンは「道徳的な価値と美的な価値には一部のひとが考えるよりも密接なつながりがある」とする先のウォルトンを批判的に引用しているように、読者を時に論争的な場に立ち会わせます。
そうした問題提起や論争になんらかの美学的・論理的興味をもった方は、その先にある分析美学の世界の扉を開けることができるでしょう。また、その扉でしばし推考することもできます。
瀬戸内サーカスファクトリーとか、他のサーカス的なカンパニーの宣伝なんかを見ている中で居る人が「これは芸術だ!いいモノだ!なんで評価しないんだ!?」って直接でも間接でも主張してる人がいて、なんとなく違和感を感じていたんだけどこの本から、その感覚を解くとっかかりになるかも?みたいのがあった、その例は確か、リミナリティーっていう章の例だった、常識というか規範というか、そういうのが壊された状態を作ることに重きを置いている人がいて、これは芸術だ!これは演劇だ!みたいな規範から逸脱させることこそパフォーマンスの美学だって考えてそれこそが目的みたいになっている演出をしてたらしい、一方でこれはーーだっていう答えが得られない状態は、「芸術にふさわしくない」って見方がかなりあったようでそれを解決するために、そのパフォーマンスのパトロンが「これは芸術だ!」って書かれたビラを配布したらしい、違和感は、これは芸術だ!とかそういうのはかなりナイーブで本質的な問題だからそれを宣伝とか商業的な目的のために口にするのはおかしいって感情だったのか?パフォーマンス自体がそれとは相反するはずなのにって感じてたからなのか。
池坊では草木の命が作り出す姿を美しさの根源とし、そこには「和」があると考えます。つまり、草木の命が日々太陽や雨や風などに出会い、新たな姿へ変化することが「和」なのです。
虫食い葉・先枯れの葉・枯枝までも、みずみずしい若葉や色鮮やかな花と同じ草木の命の姿ととらえ、美を見出すことが池坊の花をいける心であり、理念です。
こうした池坊の理念は、室町時代後期に池坊専応によって確立され、花をいける技とともに今に伝えられています。
「寝椅子のイデア」「模倣と芸術」「美しい技術=芸術」等のテーマについては実に明快に解説している。
多少なりとも「西洋美学と思想」に関心がある方であれば、本書が大いに役立ってくれるであろう事は間違いない。
このドキュメンタリーで、動くペキンパーを見ることが出来るが、「アメリカの男」の象徴のような、ボーグナイン、マーヴィン、コバーンらの貴重な証言が聞けるのも嬉しい。インタビューに応じる俳優陣も、男臭い。
口が悪く、要領も悪い。だが、異常なまでの熱量を持った映画を作り、俳優陣、映画ファンを熱狂させた。
映画会社からは嫌われたが、サム・ペキンパーの作品に影響を受けた映画人は少なくないと思う。
アメリカ映画史の中でペキンパーを語るとき、カテゴライズされるのは、西部劇でもなく、アメリカン・ニュー・シネマでもなく、「サム・ペキンパー」であるべきだと思う。
もしくは、「アウトロー」の第一人者だろう。この異色の監督が作った作品を、厳格な父親が観た時、ペキンパーの育った環境を忠実に表現していた点を指摘し、大喜びしたというエピソードを
聞いて、頑固者のペキンパーの魂は死ぬまで変わらなかった。」
かなり偏った価値観だが軽やかな語り口調で人を魅了する。エッセイストとしては大したものだと思う。
これから絵を学ぶ人に参考になるかは疑問。
特に消費に関してはなぜ消費というものに人は見せられるのか?
という根本に迫っているので興味深いものがあります。そして今問題になっているある「媒体」が
いかにその消費という心理を巧みについているかが読んで欲しいところです。
アドルノ生涯の課題でもあった、モダニズム芸術を批判的に擁護するための論考を中心に、映画論や自伝的エッセイも収録する。遺稿となった『美学理論』を、具体的な芸術実践のありさまから補完する1960年代の論集であり、「規範」「伝統」「文化産業」「芸術社会学」「マネージメント」「機能主義」「バロック」「芸術ジャンルの境界」といった特定の主題に焦点を当てながら、音楽や美術から建築や映画まで、多角的に論じる。
さらに、幼年時代の回想やスケッチ風の旅行記からは、他の著作には表れない哲学者のプライヴェートな側面も窺える。アドルノ晩年の思考のエッセンスであるとともに、アドルノ自身によるアドルノ入門の書ともいえよう。
ギュンター・ペルトナーは1942年ウィーンに生まれ、一時期フライブルク大学で学んだ時期を除いて、ずっとウィーン大学で研究生活を送った哲学・美学学者。研究領域は中世哲学(教授資格論文ではトマス・アキナスを扱った)、ハイデガーの存在論、美学、生物学的認識論批判等々幅広い。現在はウィーン大学を定年退職し名誉教授としてゼミナールを開いている。
本書はドイツで『基礎叢書 哲学』シリーズの1冊として、哲学の1部門である美学の入門書として書かれた。それゆえ、本書は2部構成を取っている。第2章から第12章までは、ギリシアのプラトンから中世哲学、バウムガルテン、カントらの近代美学(哲学)、そしてショーペンハウアー、ニーチェを経てアドルノに至る西洋美学史の概説である。そして導入部に当たる第1章と、本書最後の第13、14章では、ハイデガーに負う所が大きいペルトナーの存在論的美学を論じている。
この美学史概説も、著者の問題意識として、美学において「〈美〉とは何か」という主題が、「芸術哲学」となった現代の美学では従属的な役割しか演じなくなった、その歴史を批判的に辿るという視点があるのだが、まず、〈美しいもの〉が現れる(現在する)のは、それを我々が知覚し、認知することによってであり、〈美しいもの〉の〈美〉は我々の感知に先行するのでも後続するのでもなく、われわれが感知するとき、われわれの感知として生起する。つまり、例えば音楽(美しいもの)が音楽(美しいもの)として現れるのは我々が聴くこと(演奏すること、読譜することも広義の聴くことに含まれよう)によってであり、そしてその音楽の〈美〉は我々の中で生起する。
しかし、その〈美しいもの〉は我々なくしては現れないが、我々「によって」現れるものでもない。また〈美〉は我々の感知作用に起因するのではなく、〈美〉自身の根源から我々に己を示すのである。つまり、何かが〈美しい〉のは我々がそれを〈美しい〉と知覚するからでなく、それが〈美しい〉から我々はそれをそうと感じるのである。
従って、我々の美的経験は〈美しいもの〉の〈美〉に対して応答的なものである。しかし、この「応答」とは、〈美しいものとの出会いの経験〉に際して、我々がどれだけその〈美〉を受け入れ、生成・完成させる(本書では「現成(げんじょう)」という仏教用語を用いているが難解なので換言した)かによってその〈美〉がいかに光り輝くかが委ねられているということである。ここで「応答」とは「一致」の意味において、つまり、〈美しいもの〉の声に〈それを経験するもの〉が応答し、この2つのものが一致することにおいて美的経験をなすのである。
従って、我々の美的経験は〈美しいもの〉の〈美〉に対して応答的なものである。しかし、この「応答」とは、〈美しいものとの出会いの経験〉に際して、我々がどれだけその〈美〉を受け入れ、生成・完成させる(本書では「現成(げんじょう)」という仏教用語を用いているが難解なので換言した)かによってその〈美〉がいかに光り輝くかが委ねられているということである。ここで「応答」とは「一致」の意味において、つまり、〈美しいもの〉の声に〈それを経験するもの〉が応答し、この2つのものが一致することにおいて美的経験をなすのである。
我々は常に何かと共に現在に存在する、つまり我々にとって〈世界全体は開かれ〉ており、その世界と共に我々は共―現在しているのである。〈美〉が現れることによって、通常は隠蔽されていたこの〈世界の開かれ〉が姿を現し、ただ〈現在している〉(現在あるように存在している)ものだけが見えていた世界において、〈明瞭に共―現在していること〉に我々の認識が至る、つまり我々が単独で現在に存在しているのではなく、他者、〈世界〉と共にあることが開けてくるのである。
我々が何かあるものについて〈美しい〉と口にするとき、我々が本当に考えているのは〈経験されていること〉自身である。この〈経験されていること〉自身が〈美しい〉のであって、それに付随するものが〈美しい〉のではない。例えば、愛の〈美〉は、愛を経験している者に愛がもたらす効果ではまったくなく、愛が経験されること自身が〈美しい〉のである。〈美しいもの〉が美しくあることは、その〈美しいもの〉の驚くべき顕現のうちに在る。
〈美〉の経験は1つの顕現を経験することである。存在すること(美しいものがあること)と現象すること(美しいものが美しく現れること)が根源的に一体であることが、存在の真理が〈美しい現れ〉のうちで実現することなのである。
〈美〉の経験は1つの顕現を経験することである。存在すること(美しいものがあること)と現象すること(美しいものが美しく現れること)が根源的に一体であることが、存在の真理が〈美しい現れ〉のうちで実現することなのである。
〈美しいものとの根源的な出会いの経験〉は我々には予知できぬ、制御できぬものであり、その〈出会いの経験〉は我々を襲う。そしてこの襲われた出会いに〈驚く〉ことにおいて、現象することそのもの、存在自身が際立って現れる。そして驚く者は存在の事実に感動している。何が彼を驚かせるのか、それはこうしたことが「ある」ことなのだ。〈美〉に直面して驚く――それは存在が存在するということの奇蹟に寄せる感動である。
この〈美しいものとの根源的な出会いの経験〉は我々に感謝の念を生む。この経験は〈美しいもの〉を経験する機会を我々がもちうること、さらには、そもそも我々が現存在する(生きている)ことが可能であることに対する感謝の念である。存在することが可能であるということは〈美しい〉。〈美〉は〈現存在しうること〉に、つまり、そもそも我々が存在しうることに感謝の念を抱くように我々をうながす。
この感謝の念は特定の誰かに向けられたものではなく、〈存在しうること〉そのものに向けられる。そして〈存在しうること〉は〈与えられてある〉のだということが開示される。
〈美しいものとの根源的な出会いの経験〉は〈存在すること〉について思索するよう迫るのだが、その〈存在すること〉とは〈与えられてあること〉を意味する。このことを悟ったものは、さらに〈感謝することができること〉に感謝することができる。
この感謝の念は特定の誰かに向けられたものではなく、〈存在しうること〉そのものに向けられる。そして〈存在しうること〉は〈与えられてある〉のだということが開示される。
〈美しいものとの根源的な出会いの経験〉は〈存在すること〉について思索するよう迫るのだが、その〈存在すること〉とは〈与えられてあること〉を意味する。このことを悟ったものは、さらに〈感謝することができること〉に感謝することができる。
以上、ペルトナーの存在論的美学を概説したが、ここでペルトナーが明言していない視点について論じてみたい。我々の存在が〈与えられてあること〉の、その〈与える〉という能動態の主体は何ものなのか。プラトンから近代までならばそれは「神」であっただろうし、ショーペンハウアー・ニーチェではそれは「自己自身」であっただろう。しかし、ペルトナーにおいては、その主体はそれらではありえない。
(上記の概説の通り)ペルトナーにおいては我々は〈開かれた世界〉において〈共―現在している〉のであり、〈美しいもの〉〈美〉もまた、それ単独で存在し現れるのではなく、我々と共にあり、我々によって完成されるものであるのだから、我々も、〈美しいもの〉とその〈美〉も、それが存在しうることはただそれら単独の自己自身によるものではない。
美的経験が応答的であるが「一致的」であることと同じく、〈与える〉主体と〈与えられてある〉客体は一致的なものとして、我々の存在が〈与えられてあること〉は開示され、そのことは単独の存在ではなく開かれた世界に依る〈共―現在的〉存在である我々と、我々と共にあり、我々と一致する世界によって生成・完成(現成)されるのである。
(上記の概説の通り)ペルトナーにおいては我々は〈開かれた世界〉において〈共―現在している〉のであり、〈美しいもの〉〈美〉もまた、それ単独で存在し現れるのではなく、我々と共にあり、我々によって完成されるものであるのだから、我々も、〈美しいもの〉とその〈美〉も、それが存在しうることはただそれら単独の自己自身によるものではない。
美的経験が応答的であるが「一致的」であることと同じく、〈与える〉主体と〈与えられてある〉客体は一致的なものとして、我々の存在が〈与えられてあること〉は開示され、そのことは単独の存在ではなく開かれた世界に依る〈共―現在的〉存在である我々と、我々と共にあり、我々と一致する世界によって生成・完成(現成)されるのである。
近年日本においても(特にポピュラー音楽学において)芸術の社会学的研究や分析美学が急速に普及しつつあるが、そのような潮流に1石を投じるものとして本書とペルトナーの美学は有意義な思索体験、美学的視座を与えてくれるだろう。
縁がある人を喜ばせるためにや困った時こそ温かい手を差し伸べる
凡時徹底、ひとつだけ拾えばひとつだけきれいなるなど
眼からウロコが落ちる言葉も魂が込められているようです。
自分だけの利益ばかり考える風潮の今の日本
心のあり方きれいな心になるにはきれいな環境、そうじが必要である。
日本での通称「従軍慰安婦像」、「平和の少女像」(2011金運成・金ソギョン)は、そのひとつの成果だ。その後、少女像は60以上の地域・世界で建立され、100あまりの高校で建立運動があるという。もはや、日本政府やマスコミがいくらひとつの少女像を「否定」しても、万が一居なくなっても、それは燎原の火のように更に広がるだろう。それでも力づくで破壊しようとしている。「愚か」としか言いようがない。例えば、マスコミは一つの少女像を持ち込んで日韓両国でシンポジウムを開いただろうか。少女像を直に観たことのない日本人がほとんどのこの国で、いったい何を論評しようとしているのだろう。
1960年李承晩を退陣に追い込んだ4.19学生革命は朴正熙によるクーデターで潰えて、長い雌伏の秋を迎える。その時にデモや集会の場に現れたのは仮面劇である。言葉がわからなくても、性的な仕草が多くの民衆をよく笑わせ、だいたいの筋だけは分かった。牛が勢いよく暴走し、青年は横暴な地主や領主を風刺的に懲らしめているのだと言った。60ー70年代に、権力に抵抗する仮面劇などの民俗文化復興運動やその版画が広まる。そして80年に光州民衆抗争(韓国では光州事件とは言わない)が起こる。洪成潭(ホン・ソンダム)の「五月連作版画」は、そのひとつの成果だ。そこから87年の六月抗争に至るまで、様々な文化運動が繰り広げられ、民衆美術は大いに盛り上がる。例えば87年ソウル市庁前広場だけで100万人集まった李韓烈君の追悼行列の先頭には崔民花「君よ、あけたままの目で」という掛け絵・垂れ幕絵(コルゲ・クリム)が掲げられている。この頃は漫画も強力な民衆美術の一翼を担っていたらしい。
現代の課題でもある論争の一つとして、政治主義か文化主義か、というのがあるらしい。宣伝物を作るのが第一義的な美術の機能だと主張する組織もある。韓国の救いは党派性が無いことだろう。日本はそれがあったので、却って萎んでしまった。
韓国には、コルゲ・クリム以外にも巫女図や旗絵、民画(無名人の絵)、壁画・壁絵(現代いろんな所に観られる。写実に囚われず事物の本質に迫ろうとする大胆な省略や圧縮、何処か無造作だが風情のある朝鮮独自の無技巧の技巧、現代民衆の生と希求を描いた。メキシコ壁画運動の影響もある。代表例ソウル慶熙大学「青年」、光州全南大学「光州民衆抗争図」が復元された)、イギヤ・クリム(絵本)・トゥルマギ・クリム(巻物絵)などがある。この本は民衆美術を通して、図らずも韓国民主化運動の歴史をも説明している。
見ているだけでうっとりするケーク達の作り方が
余す所なく公開されています。そばにおいて
自分の菓子作りの指針となるような本です。
晩年の美学響きが素敵です。楽しんでこの先を積み重ねて生きたいです。
ひとりのサムライが草莽の志士として、幕末維新に生きた雄姿を一貫した視点でとらえ
ているのだ。
第三章 西郷と陽明学で紹介された春日潜菴と陽明学との関係については、非常に興味
深い。禁門の変で生死を分けた長州藩・久坂玄瑞が陽明学に学んだことにも触れている。
大騒乱の維新の時代に、志士たちの行動規範となっていたのだ。
第四章 任侠武士の恋歌 で紹介された、横山安武碑文が印象に残った。為政者に高い
倫理性を求め、維新の犠牲者に対する最大の敬意を払う、西郷の一片の誠心が見事に
描写されている。
「一燈を提げて、暗夜を行く。暗夜を憂ふる勿れ、ただ一燈を頼め。」
第18章美とはのまとめ
第19章美に客観はあるか
経験と問題意識の中で、「心を動かす」ものが「美」。「すがたかたちの美しさも当然、人の心を動かします。美しいな、好きだな、というのも『情』です。でも、人の心が動くのって、それだけではないですよね。長い年月いっしょにいる夫婦は、いくら憎み合っていても、第三者が下すのと比べて、相手を高く評価する傾向があるんだそうです。それはつまり、そこに『情』があって、それで相手が美しく見えている、ということなんです。もしそれが本当なら、「美しさ」は、客観的なものではないのだろう。「自分は客観的に評価している」と感じている。あるいは「自分は単なる主観で彼女を好きなのだ」と自覚していたとしても、その主観には「ある程度以上に、普遍性がある」と考えていることが多いように思う。しかしそれは間違っている。なぜなら、現実には、「誰が見てもこのように見える」という顔は、ないからだ。美醜に、「客観」は、ないのだ。
しかし、どちらにしても、ペキンパー自身がアメリカン・ニュー・シネマの時代には、若者というより中堅からベテランの域に達しており、その点は、アメリカン・ニュー・シネマを代表する若手を起用した「イージー・ライダー」のような作品と、ペキンパーの「ワイルド・バンチ」の違いとして大きいと思う。ペキンパーの育った環境を忠実に表現していた点を指摘し、大喜びしたというエピソードを聞いて感動。
第20章モネの良さ
癒やし感が全てなのですが、それ以上の多くの事を教えてくれるのがモネの絵です。その絵から受ける感動とは別物でしょうね、そんな気がします。たとえモネの睡蓮と同じ池を造ったとて絵から放つ感動の再現は出来ない事でしょう。なぜなら、モネの風景はその時の印象の瞬間を描いたもので、物理的に既にその瞬間は存在しないから・・・なんて話ではなく、その感動はカンバスの中に創り出したモネのリアルで、完全に独立した風景だと思うからです。クロード・モネという人間の感性を私達は観ているわけです。絵画とは自分の感性をカンバスに映し出すものだと教えてくれているように思います。感動のうちに素早く描ききる、それが心象のリアルということで、素早さは印象派の真骨頂でも有るでしょう。素早く描く、それはサイズの小さいカンバスを用いて描くのが理想であると思えます。でも、後年のモネの絵に大作が出現してきます。必然的にタイムラグが現れ、変化する時間によってずれた光と影が、不自然に散りばめられた絵になるだろう、だけど絵の中に時間という概念をも描きこむならばそれが実にリアルで有り、そして、当然、心の変化も絵に反映されていくはずです。時間による光と心の変化をリアルに写し取っていく、まさにキュビズムです。モネにキュビズムという考え方があったか解りませんし、キュビズムで有名なピカソとかブラックとの接点もあったのかも解らないのですが、晩年の作品となると、完全に抽象画です。やはりモネはピカソのキュビズムとは異なるラインで究極のリアルを求め、挑戦し続けていたという思いは深いですね。眼が悪くなったからあの絵なのだとも言われそうですが、気に入らない絵は破棄していたとも訊きますから、それは無いでしょう。そして晩年の絵はある画像に導き、キュビズムはピカソやブラック達の発明ではなく、発見なのだということを気付かせてくれます。その画像とはハッブル宇宙望遠鏡で集めた宇宙の星雲画像です。星雲画像に散りばめられた星の光はそれぞれ一つ一つ、時間を隔てて届いた星の光の集まりです。超絶のタイムラグ!まさに超絶的キュビズムです。星空を観る事はアインシュタインの言う、現在、過去、未来が同時に存在する時空(キュビズム)を体験すること?
個性とは常に作家本人と関連しています。ものすごく繊細な性格で繊細な線しか描けないなら、それがその人の個性なのです。だから絵画を生みだす時大切なことは、描き方のマニュアルがどうのと言う事ではなく、「あなたは誰なのか?」という事なのです。「あなたは誰なのか?」これが芸術の答えです。ここに明確な答えが出せるかどうかが重要です。ここのない芸術家は永遠な存在にはなれません。セザンヌもカラヴァッジョもミケランジェロもロダンも永遠になっている芸術家は皆明確に「あなたは誰なのか?」の答えを持っていました。ピカソはこう言っています。「画家にとって大切な事は何を描くのか?ではなく、その画家が誰か?という事だ」と。ピカソは芸術の本質を知っていました。そしてファン・ゴッホもその特異な人生を通して「あなたは誰なのか?」の答えを示しています。ファン・ゴッホの絵画、人生、手紙、言葉、行動、全てが彼の芸術そのものです。つまり作家自体がすでに芸術作品なのです。作家は自分の生き様や人生を含めた全体で作品を作る。これをいつも意識しています。そうする事で自分の生きてきた全軌跡が創作に生かすことが出来る。ゴッホはこう言っています。「自らの内に炎を、そして魂を持っていれば、それを火消しツボの中に閉じ込めておく事は出来ない」ゴッホは心の内に燃え盛るような表現欲求を持っていました。ゴッホは押さえようのない情熱を線や形態や色彩に託して、自己の内的な魂を絵画で表現しました。絵具の厚塗りがどうのとか、色彩の対比がどうのなんて事は
枝葉の話です。ファン・ゴッホが美術史に明確に刻み込んだ革新の本質は「自らの魂を絵画に託して強烈に表現した」という事にあります。自らを絵で表すために自由に色彩を使い、形態を変形させ、渦巻くようなタッチで描いた。ここがゴッホの凄い所です!このゴッホの絵画の革新が20世紀美術に影響を与え、表現を変えていったのです。
枝葉の話です。ファン・ゴッホが美術史に明確に刻み込んだ革新の本質は「自らの魂を絵画に託して強烈に表現した」という事にあります。自らを絵で表すために自由に色彩を使い、形態を変形させ、渦巻くようなタッチで描いた。ここがゴッホの凄い所です!このゴッホの絵画の革新が20世紀美術に影響を与え、表現を変えていったのです。
ピカソの絵は理解できますか? 正直なところ、「意味不明」、「なんであんな訳の分からない絵がそんなに評価されているんだ?」そう思っている方も多いんじゃないでしょうか。ピカソの絵のすごさを感じられるお勧めの方法、名画たちも並んでしまうと、ある意味その素晴らしさが普通になってしまいます。素晴らしい絵画しかないのだから、素晴らしいのは普通と言うことになるわけです。しかし、そんな中で圧倒的な個性を放つのは、ピカソの訳の分からない絵画でした。つまり、彼の絵は普通ではなかったのです。そのことに気が付くと、彼の凄さが少しわかった気がしました。そして、これには価値の本質とはこのことではないかと言う論理的な説明が後からついてきたのです。価値とは? それは初めから決まっている?ここから論理的な解説に入ります。「合理性と非合理性の仮説」です。まず手始めに、絵画の目的を考えてみましょう。そのためには、絵画の歴史を追う必要があります。それを探ってみると、起源としてはアフリカの古代人が、狩猟の方法などを図として描いたことが定説としてあると言うような情報がありましたが、流石に古すぎて正確性がよくわかりません。西洋美術史として出て来るのは、ルネサンス以前の宗教画くらいからでしょうか。アフリカの絵の起源の説が正しいとして、そしてルネッサンス以前の宗教画からして、絵画には描く目的があったことになります。合理性を持っていた絵画、アフリカの絵は、狩猟をうまく行うため。宗教画は布教活動のためと言うことになります。それはその時代の絵画の価値は初めから決められていたと言うことになります。より狩猟がうまく出来る絵、布教がうまく出来る絵、がいい絵ということになります。これは言いかえると、「絵が合理性を持っている」と言うことになります。合理性とは、目的に対して最短で最大の効果を上げようとする性質と定義していますが、より有利に生きるため、と言う目的をこの時代の絵画が備えているということになります。目的は「説教」から「飾り」へ 徐々に高まる「非合理性」更に時代を進めてみましょう。ルネサンス時代を経てロココへ続いていくわけですが、このころになると、絵画の目的は「説教」から「飾り」へと変化したそうです。お金持ちが家で飾るための絵画になったのですね。さて、これは一つ重大な変化です。それはなにか? キーワードはというとやはり「合理性」なのですが、合理度とでも呼びましょうか、説教から飾りへ変化したと言うことは、合理性の度合いが徐々に薄くなり始めていることを表しているのです。
簡単に言うと、絵画がより無駄なものになってきているということです。「無駄」と言うと、言葉は悪いですが、言うならば、「非合理的」になってきている、と言うことです。これは芸術の極致としてしては、非常に重要な要素だと私は考えています。そこから、さらに写実主義~印象派へと進んでいくわけですが、見たままに描く写実主義は絵として、記録として「何かの役に立つ」合理性をまだ備えていると見ることが出来ます。例えば、歴史の教科書で、「この時代はこうでした」と言う説明に使うことが出来ますね。しかし、印象派となると、画家たちの印象にしか過ぎないのですから、それは”嘘”と言うことになります。これははっきり言って、人間が生きていく上で何の役にも立ちません。けなしているのではありません。そう進化したと言うお話です。
そして、とうとう、ピカソまで飛びますが、彼の絵は見るからに合理性がありません。完全に壊れています。これこそが彼の目指したものでしょう。世界最高の天才作家ドストエフスキーが「人間は非合理な存在」と語ったそうですが、ピカソが目指したのは、まさに「非合理な絵」だと言えるのではないでしょうか。それは、決められた絵画の価値、目的からの脱却を図ると言う崇高な試みだったとも言えるかもしれません。
ピカソの名言から探る。誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
ピカソの名言から探る。誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
自然が創造した物には意味がないことをみんな知っています。しかし、人間が造るものにはすべて意味、目的があると思っているものではないでしょうか。だから、理解したがる。ピカソは自然と同様に真に意味、目的のない物を創造しようとしたのかもしれません。コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。合理性の最たるものが科学だ。コンピューターは目的)に最短でたどり着こうと言う性質の高みです。最新の人工知能もこれです。対して、芸術は答えのない無限の価値を持った非合理性なのです。芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。目的を持った時点で合理性が高まり、芸術性が薄れるのです。ピカソは絵画の目的を排除しようとしたのでしょう。ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。子供の絵とは無意味な「もっとも非合理な絵」ではないでしょうか。ピカソがたどり着いた芸術の極致がまさにそれだったと言う訳です。どちらにしろ、私たちもピカソに習って、目的を捨て子どもの絵のような時間を過ごすということをやってみては、せわしい現代においては、心的に豊かになれるということではないでしょうか。そして、これはある全然違うと思われているものとつながっているのではないか、と思うのですが・・。それはなにか、というと笑いです。ピカソの絵はどこかにおかしみがあるでしょう?
第21章モナリザの美とは
ルネサンス期、さらには17世紀の絵画で、これほどまでに精緻に人物を描き上げた画家は、ダヴィンチを除いてほかにはいない。それはダヴィンチの丹念な自然探求の成果だったともいえる。彼が人体を解剖していろいろ研究していたという話は有名だし、骨格等ときちんと把握しながら描いたものだから、もっとも現実に忠実な作品になるのも至極当然といえる。
彼の遺した本を読むと客観的な視点による芸術の意義、人が本当の意味で生きていくために芸術が日常には不可欠だということが本当にわかる。
『今日の芸術』という題名から、1954年の頃のことが書かれていると思ってしまうが、読んでみるとびっくりするくらい現代人が慢性的に抱えている人生の悩み、病のようなものに関わる内容であることがわかる。岡本太郎自身が意図したのかわからないが、この『今日の芸術』という題名は、普遍的な内容であることを表す格好になっている。
その『今日の芸術』より引用させてもらった「生きるよろこび」という副題のついた文章を読んでもらいたい。
生きるよろこびまことに、芸術っていったい何なのだろう。
素朴な疑問ですが、それはまた、本質をついた問題でもあるのです。
芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
しかし、何かそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。そういう観点から、現代の状況、また芸術の役割を見かえしてみましょう。
この一説では非常に抽象的かつ、漠然としているが、この文章は冒頭部分にあり、彼はこの文章をひも解くように具体的に解説していく。
芸術は受動的ではなく、能動的だ!ということ。しかもそれは、特別な人だけではなく、人それぞれに備わっているべきものである。 例えばスポーツ観戦をし、一喜一憂し、感動している観客がいる。その中で一番光り輝いているのは、選手やコーチ陣たちであるという事実である。観客は自分が能動的になる別のフィールドがあるならよいが、まったく毎日が受動的であったらだめだということである。
つまり、人は人が感動してくれる能動的な自分自身を日常に浸透させることが必要で、その行動自体が芸術と呼べるべきものなのではないだろうか。
一方向の写真だけでなく四方360度から撮った写真がふんだんに掲載されています。
ときには足の裏から撮ったものや、レントゲン撮影したものも含まれています。
全70体の土偶に、一つ一つわかりやすいキャッチフレーズをつけて紹介しているのは好感が持てます。
「トルソーのような土偶」とフレーズがつけられています。1万3千年前にこれほどのものをつくりあげた縄文人が我々日本人の祖先であることを誇りに思います。
ダ・ヴィンチの活躍したフィレンツェでも多くの画家が誕生しました。
またフィレンツェでは、「万能の天才」という人間の存在が求められていました。
画家であり発明家であり科学者であるような万能の人物――。まさしくレオナルド・ダ・ヴィンチのような人間が求められていたのです。
ダ・ヴィンチはまるで実験をするかのように、絵を描き続けました。
そのため彼の作品には「実験が失敗した」と思われるようなものも多数あります。
そのなかの数少ない成功作が「モナ・リザ」です。
それまで画家が画面の中に描いていた「輪郭線」を排除し、ぼかし技法(スフマート)を用いました。
この技法は現在では意識せずに使われるほど、一般的なものです。
また黄金比を用いて、もっとも美しい顔のバランスになっているといわれています。黄金比を用いることが出来たのは彼が数学者でもあったからです。
実はダ・ヴィンチがこんな発言を残しています。
「人物画は顔が命だ。たくさんの美しい顔から上等な部分だけを組み合わせて描くのだ。そのとき一般的な好みで選ぶことが大切だ。人は自分の顔に似たものを選ぶ恐れがあるからだ」
これは失敗して自分と似た顔になったということなのか。
あるいは、自分が美形であったゆえに、人からパーツを抜き取って描いたら自分の顔になってしまったのか。
とにかくこの言葉をそのまま「モナ・リザ」に当てはめると、意図して自分に似せたわけではないということですね。
第22章美とは
美とはなにか?『定義編』
そもそも汚い。醜い。美しいとは何か?定義を作ることにした。
『各々の究極的(理想的)な善』
(まず『美』という言葉一つが『愛』と同様で色々な意味で使われており複雑に見えるため、細分化し、一般的な美しいという表現を元に定義付けを行っています。)
ちなみに美のテーマは善悪のテーマとほとんどパラレルです。
善は社会、個人の主観(理念や法・信念)によって変動するというわけです。
その感動する事自体を美とするいわば体感的なものを美であるというような表現をする人もいますが、私の定義でいくとそれは究極の善=美を目の当たりにした事による興奮・感情だと捉えます。)この定義は一体なにを示しているかというと、そうです。
正しい美の基準などこの世にはない。
と言う事です。
そして、じゃあ誰にとって美醜なのかといえばもうお気づきかと思います。
美の基準?
『人、社会により異なり、無数に基準が存在する』
またこの定義により、美とは、個々人の理念にそって発生する事がわかります。
人は【理念+目的】からルールを作成しますが、美はそれらに対して、ルールに完全に沿っているものを指します。さらに美醜は、目的・主体などによっても変動し、無数に存在する事となるわけです。美とは外からやってくるものでなく、内側から湧き上がってきた主体にとっての基準と言う事ですね。
このように、美の定義というのは、実は哲学的に突き詰めて(例えば共通の美を探すとか無限にありますし)考える事をしなければ、単純なテーマだとわかりました。
ではなぜ『美』の定義が多少普段わかりづらくなっているのかというと、
世間では美について共通の認識などあるはずもないのにもかかわらず、一定の美が存在すると信じる事に問題があります。
そのため、美を科学で説明できるだろうか?などという話になります。正しい美など存在せず、各々が善だと信ずる究極の姿が美だというのに。
美は個々人の理念・目的で形成した善悪基準とともに変動するものなのです。しかもそれが各々の数(人間、社会の数)存在するため、無限に基準が存在し、一概にこれが『美』だという事はできないわけです。
あなたと私の美が共通する事など偶然に過ぎないのです。それはたまたま同じ時代に生まれ同じような環境に育った為に、理念が同じ場合があるからに他なりません。
精神的な師として仰いだ岡倉天心が退官させられた時の心境を絵に表した「屈原」は鬼気迫る迫力で伝わってきます。風格もあり、威厳もあり、孤独感も理解できます。実際、美術館で目の当たりにしましたが、明治の日本画としてこれほど明確に描くべきものを主張している作品は見当たらない。
「生々流転」「紅葉」「夜桜」「霊峰飛鶴」「ある日の太平洋」や足立美術館に収められている作品は、本書の価値を上げている要因の一つとも言えましょう。
戦前、日本の国策に協力し、海に因む十題、山に因む十題を作り、「大観号」として国に献納したような一連の行いに対して、戦後批判の声が上がりました。そのあたりの経緯は、大熊俊之氏の解説に詳しく記されています。
ただ、そのような行為があっても、これだけ長い間膨大な作品を描き続けてきた日本画の巨匠への評価は揺らぐことはありません。
23章絵と写真の違い
絵は、人手を介したものなので、見る人は作家の主観が描かれているものと解釈します。
絵では、描かれているものの意味とは別に、民芸・手芸品的な味わいがあります。
写真は人手を介さずに自動的・機械的に絵を作れますが被写体が必要です。
写真は、被写体がないと作れないという制限があること、人手を介さずに機械的・自動的にできあがること、
見る人にそれが現実の証拠であるかのような強い印象を与えます。
絵のひとつの目的で、工芸技でもあるところの、写実的に描写するという工程が、
写真では、機械的・自動的におこなわれ、かつ印刷や複製が簡単で安価なので、
写真には、絵のような工芸品的価値は無いでしょう。
24.いい絵とは
日本に生まれ、周囲の人達、家の形や屋根の色、河や雨の降り方、山や空の色等等小さい頃から目に移るものを何気なく見て育ち、それがこの世界の基準となっているのです。ワビ、サビ、霞掛かったような淡い輪郭、「日本の美」などの本に載っている写真に代表される美の基準を土台としてものづくりをしています。これは日本の小説が日本語で書かれているのと同じです。南米やアフリカの人達は赤や黄、黒など原色を多用したり、ヨーロッパでは空気が乾燥しているせいか、透明感があり、はっきりと立体的に見る傾向があります。
人によっていい絵の基準は違うということがわかりました。それでは次にあなたにとってのいい絵とはどのようなものかということを考えてみましょう。他人の評価はどうであれ、自分にとってはいいという絵は存在するのでしょうか?
■好きな人物や場所が描かれている絵。見ていて楽しくなるから当然か。
■とにかくすごくうまい。よく描けている(と感じている)絵。どうやって描いたのだろうなんて思うくらい感心する絵。
■好きな人が描いた絵。歌手やスター、恋人が描いたもの、持っているだけでもうれしいお宝の絵。
■見ていてホッと和む絵というのはどうだろうか。これは自分の性格に合っているため、見ていて疲れない。
■元気の出る絵。これは絵からエネルギーをもらえる気がして積極的な気持ちになれる絵。
結論として、自分が好きな絵はどんなものであれいい絵なのです。というのが各人の主観に左右され、一般的な基準などなさそうに見えます。
しかし現実には第三者によって世の中にある絵の評価、価値が決められているようにも見えます。それは一体なぜでしょうか。どんな基準で選ばれているのでしょうか。
▼いい絵かどうか調べる最も単純な方法
いい絵がなぜいい絵とされるのか、詳しく解説するのは非常に難しいことです。また、理由も様々であり、世の中にあるいい絵と呼ばれるものをくまなく説明し尽くすのも不可能です。
そこで、いい絵かどうかを調べる方法として、最も簡単に分かると思われるものを挙げてみます。
▲いい絵かどうか簡単に分かる方法
①遠くで見ても近くで見ても印象が変わらずはっきりと見える
②小さく(切手大)印刷などに縮小しても細部がつぶれずはっきりくっきりわかる
③目を細めて(光量を落として)みたり、薄暗くしてみても描いてあるものが浮き上がってみえる
④写真にとってモノクロ変換してみてもカラーと同じ印象を与える
これらがひとつの目安となります。
例外はありますが、絵を習ったことがない人による目安として、これでも大体絵の判断ができます。なぜならこれは、内面のこと(構図、配色、筆遣い、そのほか絵画技法など)はひとまず置いており、さらに主観(その絵に描かれてあるものや描いた人が好きとか嫌いとか等)も交えずに絵を見ているからです。これは画期的な方法です。
④の「モノクロにしてみる」は、絵の形や構図が色に惑わされず、よりはっきり浮き上がってきます。今はデジカメのモノクロ機能で簡単になったということもありますので、自分の絵をチェックする方法としてもお勧めします。
抽象画(*)、具象画(*)問わず有名な絵画はこの条件を満たしているものが多いと思われます。いい絵全てがこの4つの条件を満たしているのではないので注意してください。この条件があればいい絵といえる、ということです。(数学的にいえば4つの条件はいい絵であるための十分条件であり必要条件でない。)
*抽象画:アブストラクトアート。見ているそのもの自体を写し描かないで、観念やその共通の属性を抜き出し、幾何学的、又は自由な形式で精神的表現をしている絵
*具象画:具体的にものをとらえ描き写した絵。
▼結局、いい絵とは
本当のところ、「いい絵」は描く人の思いや主題(ねらい)がはっきり出ているとか、独創性、個性があるとか、感動を与える力強さがあります。又、絵の持つ雰囲気、迫力、感性の豊かさが優れているもの等がありますが、それは絵になじみのない人には非常に見出しにくいことだと思います。言葉では簡単に言えない、それこそミューズアイが育っていく過程で心に受け止められるようになるものだと思われます。
この内面がいろいろな表現手段によってうまく絵の中に現れているかが重要なことです。逆に言えば、どんなに内面が良くてもそれを表すことが出来なければどうにもならないことになります。その表現技術に優れた絵が世の中から高い評価を受けるポイントとなります。このことは別の機会に詳しくお話したいと思います。
25章ピカソの良さとは
よく言われるのが「何がすごいのか分からない…」という声です。
「わたしにも描ける」という意見は極論にしても、ひと目見ただけではむちゃくちゃで何がどう評価されているのか素人には分かりません。ピカソのすごさは次の2点に集約されました。
「わたしにも描ける」という意見は極論にしても、ひと目見ただけではむちゃくちゃで何がどう評価されているのか素人には分かりません。ピカソのすごさは次の2点に集約されました。
?基礎がしっかりした上で応用を利かせていること
ピカソの初期の作品を見たことはありますか?
「ゲルニカ」や「泣く女」など、いわゆる「どこがすごいかよく分からない」とされるピカソの絵画に触れることが多いですが、素人目にも「ちゃんとした絵」として映る写実的な絵画もピカソは描いていたのです。ダウンタウンの漫才に憧れ真似するも失敗してしまう若手芸人の増加を憂いた島田紳介が、こんなことを言っていました。
「ダウンタウンの漫才はピカソみたいなもんや。一見簡単でおれらにもできそうと思えるが、松本は普通にボケることができるうえでタイミングをずらしている。それも分からず、基礎もできてない若手がタイミングをずらしてもそりゃ失敗するで」
ピカソとダウンタウンを一緒にしていいか分かりませんが、基礎がしっかりした上で応用を利かせている点が彼らに共通するすごいところです。
?キュビズムという概念を誕生させたこと
キュビズムってなんでしょうか?
ちなみにウィキペディアには次のように記載されています。
「キュビスム(仏: Cubisme; 英: Cubism「キュビズム、キュービズム」)は、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョル ジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。それまでの具象絵画が一つの 視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。」
アフリカ彫刻に興味を持ったピカソが描いたこの作品ですが、先ほどと同じ画家が描いたとは思えないほど違います。
この画は、「ルネッサンス以来の写実的伝統から絵画を解放した」という点で評価されています。つまり、写実的な絵画がスタンダードな世の中で、キュビズムという新しい概念を美術界に吹き込んだ点が評価されているのです。
ピカソ自身にどのような考えがあったかは分かりません。もしかしたら写実絵画を極めちゃったから単純にキュビズムに走ったのかもしれませんしね。しかし、いずれにせよ、絵そのものよりも絵画の世界、価値観を押し広げた点がすごいという理由でピカソが評価されてるのは事実です。
厳密に言えば、写実主義からキュビズムに至る過程は単純なものではありません。
この記事によれば、ルネサンス以降写実性重視の時代が続いていましたが、写真の発明により、写実性に重きを置く絵画の意義が問われることになりました。そのようななかで、「もっと感じるままに描こう」という思想から印象派、ポスト印象派が生まれ、さらに…
この記事によれば、ルネサンス以降写実性重視の時代が続いていましたが、写真の発明により、写実性に重きを置く絵画の意義が問われることになりました。そのようななかで、「もっと感じるままに描こう」という思想から印象派、ポスト印象派が生まれ、さらに…
「形とかも見たとおり描かなくていいんじゃないか?」
⇒キュビズムの登場・・・(ここがピカソです)
⇒キュビズムの登場・・・(ここがピカソです)
「現実にあるものを描かなくてもいいんじゃないか?」
⇒シュールレアリスムの登場
…と続いていくわけです。(ちなみにこの後抽象絵画やドリップアートへ続いていきます)
このなかの「キュビズム」を誕生させたという点でピカソが評価されているわけです。
事実、「アヴィニョンの娘たち」をピカソはごく一部の友人に見せましたが、反応は芳しいものではなかったといいます。しかし、それでも自ら描きたい画を描き続けたことが、結果このような評価につながったのではないでしょうか。
そういう意見は多く聞きます。絵を描くのが好きな人ならば、時間が多くとれる人ならば、たくさん描くことで力は付いていくと思います。
でも、時間がとれなかったり、たくさん描けば良いと言われても漠然と描いていてこんなやり方で良いのかと疑問に思う人もいるかと思います。
この本はそんな人に良いのかなと思います。
どのような目的で絵を描くのか、どんな力が必要なのか。そういった、今までぼんやりとしたイメージや感覚でしなかったものを具体的に示してくれます。
人が美しいと感じる対象はさまざまだが、美を感じているときの脳の働きには共通性があるはずだという。この仮説を検証するため、欲求と美の関係を分析し、美術作品を見ている際に起きている脳内反応の研究を紹介し、さらには視覚認識のメカニズムから画家たちの意図や手法をもとに、美をリバース・エンジニアリングする。こうした、「美と脳」のアプローチから得られる知見やトリビア、可能性がめっぽう面白い。
たとえば、絵を見せて「美しい」「醜い」「どちらでもない」と判断してもらう際、脳内での反応を研究した成果が紹介されている。その結果、「美しい」と評価される絵を見るとき、報酬系の部分が活発に反応しているという。これは、前頭葉の下部にある眼窩前頭皮質で、欲求が満たされるときや、その満足への期待があるときに働く部分だ。つまり、美しさは、「欲しがる脳」で感じているといえる。
あるいは、美学の文脈で、ラマチャンドランの「ピークシフト仮説」を紹介する。誇張された特徴により、より「らしく」感じられる人の視覚機能だ。これは、認知科学の研究で近年になって明らかにされてきたものだが、昔から芸術家たちは経験的に理解・応用していた。例としてモンドリアンの画面構成が挙げられている。その線分と色彩は、視覚脳の働きを最大化するような表現がなされているという指摘は、自分の目をもって納得することができる。アート/美術は視覚の神経科学的な法則に従うといい、「優れた芸術家は優れた神経科学者」と仮説づける。この発想がユニークだ。
だが、その一方で、あえて「美」を定義づけていない。その結果、本書を散漫にも幅広にもしてしまっている。美の美的なところは、かならずしも描かれたモチーフの美しさにあるものではない。何が美しいのか、年齢、性別、パーソナリティ、文化的背景から個人的感情まで、千差万別だろう。アトリビュートやアレゴリーは、美を理解するための手がかりにもなるにもかかわらず、そいつを無視して完全に色彩や構成だけで語るには無理があろう。著者はそこを認めたうえで、そこから受け取る体験は共通性が認められるのではないかと踏みとどまる。
つまり、その体験の仕方を分析したところに、美の共通概念を探す。howを突き詰めることで、共通的なwhatが見えてくるというアプローチから、美を微分する。「何が美か?」に答えようとする限り、古今東西の哲学者や美術家が束になっても終わらない議論に陥る。だが、「美を感じるとき、何が起きているのか」をボトムアップで分析するなら、集合知としての「美」があぶりだされてくるという発想なのだ。
この研究はまだまだこれからだけど、実は、わたしの中で一つの「結論」がついている。
それは、「美とは、パターン認識における調和とズレ加減が"わたし"と合っていること」だ。これは音楽から学んだ。音楽の快や美について研究した『音楽の科学』『響きの科楽』によると、耳に入ってくる情報は選択的に減衰されて処理されている。そして、耳に入ってくる情報(=聞こえ)から次の音律やリズムパターンを予測し、予測と「聞こえ」が調和していれば、快や美を感じる(ただし、ずっと"正解"ばかりだと飽きるので、一定のズレも必要となる)。耳に入ってくる情報の処理パターンは、"わたし"の経験によって学習づけられている。音楽がどう聞こえるかは、聞こえた音そのものだけによって決まるのではなく、その人が何を聴いてきたか、ひいてはどういう音楽が聞こえると予測するかによって、「聞こえ」が変わってくる。
ヒトの感覚の本質は、「外界から情報を得る」だ。視覚であれ聴覚であれ、情報処理の過程で、予測と実際の調和やズレを絶えずフィードバックしながら高度に発達させてきた。本来ならば、外敵から身を守り、未来の危険を予測し、子孫を残すための聴覚情報・視覚情報の処理プロセスだったが、人類にとってサバイバルな時期を越えても、このプロセスは生き残った。
その経験の最適化が、いま聴いている・観ている"わたし"に美を感じさせる。あまりにも予測を裏切られる旋律ではなく、あまりにも予定調和な構成でない、「いい感じで経験を裏切り、更新する」ちょうどいい最適化こそが、美しい音楽であり、美しい絵画になる。音楽は、経験によって最適化された「聞こえ」の快であるように、美術は「見え」の快なのだ。
「美しい」「美しくない」「関心がない」の3段階に評価してもらった結果、
「美しい」と評価した絵や音楽では、「美しくない」「関心がない」と評価したものと比べて、脳のある部分の血流が増大していた、ということが明らかになったのです
増大していた部分の名称は、『内側眼窩前頭皮質(mOFC)』、つまり脳の前頭葉の中でも、眼窩(がんか)の上にある部分です。
眼窩とは、顔面を形づくっている頭蓋骨顔面頭蓋で、眼球およびその付属組織(眼筋、脈管、神経、涙腺とその付属器、眼球周囲の眼窩脂肪組織を収容するために形成した1対の陥凹部のことで、全体の形態は四面錐体形をしています。
内側眼窩前頭皮質はかなり大きく、美だけでなく感情、報酬と喜びの感覚、決断力などにも関わっている部位なのですが、画像や音楽を体験すると、脳の他の部分にも変化が表れます。脳に「美という概念が存在する」ことを暗示しているという訳です。
研究者達の考えは、「美の体験には内側眼窩前頭皮質の、特にその中でもA1野の活性化が伴う」というものです。
それはつまり、美は芸術そのモノ(絵や音楽)自体にあるのではなく、見聞きする脳の持ち主にあるというものなのです
それでも写さにゃあならんということで、ころあいをみてシャッターをきった。帰り際「おでこが結構でした」と言い放った。
後年高見順は 土門拳を「実に無礼なやつだった」と振り返ってる。 それから15年ののち再び高見順を写真に収めるべく訪問した。彼はカメラのことなどまったく気にせずひたすら机に向かって原稿を書いていた。成長のあとがありありとみえたという。
一流写真家が捉えた 各界著名人の逸話というかんじだ。土門拳の手になる巻頭写真数枚をみる。被写体はただものではないなという雰囲気を醸し出している。
第26章美とは
ここまででの美について感想を述べておく。
どうやら美とは技術的なものではなくて、脳が感じるものの様だ。その映像は微視的にみれば単なる点であるが
それが線や色を付けることで如是相となり心が伴えば如是性となりさらに如是体となるそこに因と果さらに
縁、報が加わり如是力、如是作となる。
『法華経』方便品に説かれる因果律では十とは
- 相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等(そう・しょう・たい・りき・さ・いん・えん・か・ほう・ほんまつくきょうとう)
をいう。如是とは是(かく)の如(ごと)し(そのようである、という意)のこと。また十如とも、諸法実相ともいわれる。
心体ともに反映されたものが美に反映されるのではないか。
よって心のフィルターを通して絵など描かれる。故に偉大な美術品は偉大な人が関与
するのではないか
C/C++に対応したそれらの手法を、韓国の一流技術者が丁寧に説明します!
ソフトウェアのリバースエンジニアリングは、セキュリティ分野や悪性コードの分析に限られたものではない。
エンジニアリングにおいても、リバースエンジニアリングは不可欠な過程の一部だ。
特に最近のように、開発のための要素がモジュール化されている状況では、ソースコードが得られないことも多く、モジュールの動作の理解度を高めるために、リバースエンジニアリングは必須になっている。
また、自分が作成したコードでも動作の問題を解決したり最適化などを実現したりするためには、リバースエンジニアリングは必須の作業だ。
サブタイトルが「浮世絵からデジカメまで」になっているところが、誤解を生むかもしれないが、これはクロノロジカルな事柄を象徴したものである。例えば、写真前史である江戸時代に、西洋からの様々な技術が移入されたことによって起こった人々の意識の変化から、その後の先端技術である写真がどのように当時の画家たちに影響を及ぼしたかを知ることができる。そして、その江戸あるいは明治の人々の意識には、新しいテクノロジー、メディアに対する、現代でも共通する芸術表現の課題を見つけることができる。
本書はそんな印象派絵画の見かたを指南した書籍で、石橋ブリジストン美術館館長の島田紀夫氏の監修により学術的にもしっかりと検証されたものです。絵画鑑賞というと堅苦しく感じますが、気取らずに絵と親しくなる切っ掛け作りにこのような書籍は大変有用。
本名はジャン=ミシェル・バスキア。80年代のニューヨークのアートシーンを牽引した人物です。「グラフィックアート」と呼ばれる新しいスタイルの絵画を確立させた人物でもあります。グラフィックとは簡単に言えば「落書き」の事。ストリートアートと呼ばれる「落書き」をアートの域まで高め、札付きの不良から新進アーティストまで上り詰めたバスキアとは?
バスキアがストリートアートを始めたのは10代の頃。スラム街のビルや壁にスプレーを使ったグラフィックを描き始めます。勿論これはアートではなく「落書き」。彼の活躍した70年代80年代のアメリカは今以上に人種差別激しい時期。黒い肌を持って生まれたバスキアにとってマンハッタンは生きやすい街ではありませんでした。理不尽な人種差別によるフラストレーションがバスキアの作品の原動力となっている事は間違いありません。
第27章美とは
ここまでで美について考えてみよう
第27章美とは
ここまでで美について考えてみよう
小説や映画や美術といったいわゆる「アート」は、その出発点を、作家自身の衝動や情熱、そしてそれを生み出した「不幸」に求めることが多いです。若くして経済的成功と画家としての名声、そして美しい妻を手に入れたピカソは、きっと「幸せ」になってしまうことがイヤだったのではないかと思います。「幸せ」っていいもんですが、芸術作品を生み出すものとしては、ちょっとパワーが足りません。「不幸」や「苦しみ」、「憎悪」、「嫉妬」といったネガティブなもののほうが、作品を生み出す原動力としては、圧倒的なパワーをもっています。印象派以降の、現代美術といわれる分野では特に。
なので、ピカソがわざわざ女性の嫉妬心を駆り立てるような意地悪をしてきたのは、きっとその女性のドロドロしたエネルギーを吸収し、作品に昇華させるためだったのでしょう。女性が苦しむ様子を見て、自分の感情にも大きな波が生まれ、その波を芸術作品を生み出すことに利用していたのでしょう。
芸術家とは、まことに因果な商売です。
しかし、因果な商売であるのは、芸術家だけではありません。
鑑賞側にとっても、この話はあてはまります。
見る側にとっても、あまりに「幸せ」だと、芸術作品を見ても心が揺れません。もちろん、ピカソのように異性関係をわざわざめんどくさい事態にする必要まではないですが、自分のなかに潜んでいる「不幸」な部分をないがしろにしないほうが、アートを見る感性は高まります。
人生のすべてが100%幸せな人っていうのはきっといないので(もしいたら、その人はむしろ不幸だといえます)、自分のなかにあるドロドロした部分のフタをたまには開けてあげて、大事にしてあげることで、それまで何とも思わなかった作品が途端に心に響くものになったりします。
ピカソと私のような、一見共通点がない者同士でも、お互いの「不幸のフタ」を開けてみると、少なからず共鳴する部分があるものです。
というわけで、ピカソに関わらず、「???」と思ってしまう作品・作家があったら、まずは作家の人生を調べてみて、さまざまな作品を見て、自分と共鳴する部分を探してみましょう。
これがピカソ(や、その他の芸術)が“わかる”ために必要な2つのこと、だと私は思います。
第28章美学とは
伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできた。科学的に言えば、感覚的かつ感情的価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断そのものを指すこともある。より広義には、この分野の研究者たちによって、美学は「芸術、文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられる。
美学が一つの学問として成立した歴史的背景には、18世紀に啓蒙主義の思想と自然科学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められたことと関係している。バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作った。後にカントは美学の研究について美的判断を行う能力としての趣味を検討し、趣味を支配する普遍的な原理は存在しないことから、美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。ここから美学はシラー、シェリング、ヘーゲルなどにより展開された美に対する哲学的批判へと焦点が移行するが、19世紀から20世紀にかけて美の概念そのものの探究から個別の美的経験や芸術領域、もしくは芸術と他の人間活動との関係にも考察が及んでいる。
なお、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて勝敗利害を超越した信念の持ち主を評するときに用いられることがある。たとえば囲碁棋士の大竹英雄の棋風は「大竹美学」と称されるが、別に大竹が哲学者を兼ねているわけではない。
「美学」という術語が生まれたのは18世紀中葉でありドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテンが用いたaestheticaに由来している。
バウムガルテンは1750年に『美学』 (Aesthetica) を出版したことが、美学が哲学の一領域として定式化される一つの契機となった(バウムガルテンは、最初の著作『詩についての哲学的省察』の中で既に、詩の美学的価値の原理的考察を思考する学として aesthetica という学を予告している)。
この aesthetica という語は、「感性的認識論 scientia cognitionis sensitivae」の意で用いていることは明らかである。
バウムガルテンによれば「美は感性的認識の完全性」であるから、aesthetica(「感性的認識論」)は「美について考察する学」である。一方、「完全な感性的言語 oratio sensitiva perfecta」である。
- ( aesthetica = 感性的認識論 = 美について考察する学 = 芸術理論 )
バウムガルテンの体系においては、美や芸術に関する学的考察である感性的認識論は、理性的認識論との対比において「疑似理性の学 ars analogi rationis」であり、「下位の認識論 gnoseologia inferior」として位置づけられた。
ギリシャ・ローマ時代には美学という明確な術語が存在しなかった。古代にも美と芸術は存在論、形而上学、倫理学、技術論などから捉えられたが巨視的な考察は乏しかった。また、古代における美学の捉え方は特定の局面の断片的または個別的なものにとどまっていたと考えられており組織的な考察は行われてはいなかった。
体系化された美学の淵源はプラトンにまで遡る。イマヌエル・カントの『判断力批判』、シェリングの『芸術の哲学』講義、ヘーゲルの『美学』講義などを経て、フィードラー(de:Konrad Fiedler)の「上からの美学」批判を受け、現代に至る。現代美学において特筆すべきは、・実存主義・分析哲学・ポスト構造主義によるアプローチであろう。
バウムガルテン(A.G.Baumgarten,1714-62)は、ライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属す。「美学」(aesthetics/英)という学問の名称は、彼が、「感性」を表すギリシャ語から作ったラテン語の造語「Aesthetica」に由来する。彼はフランクフルト大学で1742年からこの「美学」の講義を始め、その後も再度の講義要請があったことから、もとの講義内容に若干の加筆修正を行い、これをラテン語で出版した。『美学(Aesthetica)』第1巻は1750年、更に第2巻が1758年に出版された。
美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美である。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は醜である。
日本における美学
日本語の「美学」は、中江兆民がVeronの著作を訳して『維氏美学』と邦題を付けたことによる。日本の高等教育機関における美学教育の嚆矢は東京美術学校および東京大学におけるフェノロサのヘーゲル美学を中心とした講義、森林太郎(森鴎外)による東京大学におけるE. V. ハルトマン美学ら当時の同時代ドイツ美学についての講演、およびラファエル・フォン・ケーベル(ケーベル先生の呼称で知られる)による東京大学での美学講義である。また京都においては京都工芸学校においてデザイン教育を中心とする西洋美学および美術史の教育がなされた。なお東京大学は独立の一講座として大塚保治を教授に任命、美学講座を開いた世界で最初(1899年)の大学である。日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」は無い。しかし、いき、わびなどの個別の美意識は、古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後、複数の視点を生かした研究が待たれる。
日本において美学的思考が初めて意識的に理論化されたのは、『古今和歌集』「仮名序」においてである。 紀貫之は「仮名序」で、和歌は純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」)。 そして和歌は天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、「生きとし生けるもの」の生の表現がヒトにおいてその精華を開花させたものであるとした。
藤原定家は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優美)の範疇を開拓した。
ここから芸道の精神が生まれ、演劇論としては、能の世阿弥の『花鏡』の「動十分心動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちなき姿」を尊重する秘伝につながる。
これは、技法上の修練が必要であることに理解を示したうえでの、俳人の松尾芭蕉による、「俳諧は三尺の童にさせよ初心の句こそたのもしけれ」(『三冊子』)という、「気」の芸術の主張につながる。 この内面的な自発性は、『笈の小文』によれば、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、千利休の茶を貫く風雅の精神である。
このことを別の側面から保証するように、文人画家の池大雅は、絵画でいかなることが困難であるかと質問されて、「ただ紙上に一物もなきところこそなしがたし」と答えたという(桑山玉洲『絵事鄙言』)。
この気の芸術の神秘主義は、宇宙的生命の自己表現から出発する日本の美学思想に起源するが、たぶんに、中国思想、仏教思想の影響がある。
一方、これに対して、純粋な日本的精神による美学を主張したのは国学者の本居宣長である。 本居宣長(『石上私淑言』)は、「事にふれてそのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを物のあはれを知るといふ也」と述べて、事象と自我との接触としての経験において事象の本質を認識したうえで成立する感動を、「物のあわれ」と規定した。 そして、これを知る人を「心ある人といひ知らぬを心なき人といふ也」(同上)として、すなわち「もののあわれ」を知ることが人間が人間たるゆえんであるとした。 しかるに、「なべて心に深く感ずる事は人にいひきかせてはやみがたき物」(同上)であるのだから、感動の表現は人間的な必然となる。 その表現手段の粋は、「鳥虫に至るまでも(中略)おのれおのれが歌謡をなすものを人間として一向詠む事あたはざるは恥ずべきことのはなはだしきにあらずや」(『あしわけおぶね』)というように、和歌である。 かくして本居宣長においては、感覚的経験、認識、感動、表現欲求、そして芸術制作という、創造をめぐる美的経験の構造分析が行なわれている。 本居宣長はまた、「歌の本体政治をたすくるためにもあらず身をおさむる為にもあらずただ心に思ふ事をいふより外なし」(同上)として、儒教の教えとは鋭く対立し、芸術の自律性の主張した点においても、近代精神を先取する側面があった。
第29章絵画論
自分で描いた絵を鑑賞するということ
まず最初に「自分の描いた絵」と、それをとりまく人との関係を考えてみたいと思います。「自分が描いた絵」に対し、「自分」との関係、「自分以外の人」との関係の順に説明していきます。 まずケース1。 一所懸命絵を描いてみたのだけれどその絵が上手いのかどうか自分でわからない状態、又は描いたことは描いたがそのあとのことにはあまり関心がない状態です。描いた人とその絵に向き合う姿勢について言っているのです。絵柄そのものの芸術性云々はここでは問題にしません。 次にケース2。描いた絵と正しく向き合い、評価できてイコールの状態になっている場合「イコール」という意味には、絵の内容と自分の美の基準が同じという意味の他に、描いた絵の好き嫌いや楽しみ、苦しみなど自分の正直な気持ちを込め、絵と向き合えるということも含まれています。 最後にケース3。描いたあなた本人はその評価にいやでも向き合わねばなりません。 まとめて言うと、 ケース1は絵に目が向かない、ケース2は絵に自分の目が向いている、ケース3は絵に自分+他人の目が向いている、となります。この3つのケースを頭に入れておくだけで、絵を描く上で混乱や惑いもなくなり、非常に便利です。 一般的な「絵」を上達させるためには、楽しく描く事より描き続けていく事の方が重要です。絵は自分で描いて楽しみ、出来上がったものを見て再度楽しむことが出来るのが望ましい状態です。これは前の図のケース2の状態です。 これが無い(育ってない)と、すぐに絵をやめてしまいがちです。ただ描いているだけでは同じことを繰り返しているだけになるので、飽きてしまうからです。私たちが絵を楽しく続けていくには「ミューズ・アイ」が必要で、「ミューズ・アイ」は描き続けなければ育ちません。しかも油断するとすぐにこの目が曇り、自己満足に陥ってしまいます。ニワトリと卵の関係の様にどちらが先かわかりませんが、「絵を描き続ける事」と「目が肥えてくる事」は相互に作用しながら同時に育ち、進みます。いろいろな事柄〔例えば素材(絵の具、紙質、筆、…etc)や描き方(日本画、洋画、切り絵、…etc)、発表の場(グループ展、個展、各公募店、各会派、研究所の各賞、…etc)や練習方法〕がこの「ミューズ・アイ」「描き続ける」という2本のレール上に位置しています。これらの事柄は絵画の手段であって目的ではありません。ただ楽しみ、利用し、活用して「ミューズ・アイ」をどこまでも育てていく様になってほしいのです。このblogがその手助けになれば、と思います。 「ミューズ・アイ」が十分育てば、第3者(他人の目)と対等かそれ以上に絵と向き合うことが出来ます。さらに、絵画以外の芸術分野、すべての創造分野を理解する唯一の道しるべとなります。昔から一芸に秀でた人は何をやらせても良い仕事をすると言われるのもこのおかげでしょう。 |
時代にあまりに先駆けて世に出たがゆえに難解書とされてきた『物質と記憶』を、現代諸科学の知見を通して新たに読解する野心的試み。『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する――現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続』の続編。檜垣立哉、兼本浩祐、バリー・デイントンほか。
プラトンからアドルノまでの“美”論を批判的に精査したうえで、“美しい”とはどういうことか、をハイデガーの存在論の見地からここに解明する。ウィーン大学を代表する哲学研究者、G.ペルトナー教授の待望の翻訳。
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「海」のためには、青森県から山口県まで日本海側を南下し、「山」のためには主として長野、岐阜、富山の各県を旅している。理想的な「海」は能登で出会うことができた。
《沖の方から白い弧線を描いて進んでくる波の列が……波頭を連ねて、寄せて来る。……何段かになって渚に届くと、先頭の列が力尽きたかのように足踏みをし、ためらいながら引き返そうとする。その瞬間、白い泡のアラベスクが華やかに浮び上る。……海の色も……青でも緑でもなく、日本画の絵の具で言う錆群緑【さびぐんろく】のような落ち着いた感じである》「山」は飛騨路。
《道は曲りくねって峠へと登っている。谿を挟んで遠近の峰が瞬く間に現れ、消え去る。山肌を這い上る雲烟による千変万化の姿と、近景の樹葉の濃淡の彩り。幽幻な景趣に、私は思わず息を呑んだ》
本書には、そうした著者の短文が7篇ほど収録されていて、そのどれもが日本の風土への<愛>に貫かれている。
《山の雲は雲自身の意志によって流れるのではなく、また、波は波自身の意志によってその音を立てているのではない。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによってではないでしょうか》
《春の芽ばえ、夏の茂り、秋のよそおい、冬の清浄――そうした自然の流転の相【すがた】を眺めて、人間の生と死の宿命を、またその喜びと悲しみを、私ども日本人は、すでに仏教渡来以前からはだに感じていたのではないでしょうか》
第30章モネの美学
多くの事を教えてくれるのがモネの絵です。おそらく、モネの描いた風景を探し、同じ場所に行っても、その絵から受ける感動とは別物でしょうね、そんな気がします。たとえモネの睡蓮と同じ池を造ったとて絵から放つ感動の再現は出来ない事でしょう。なぜなら、モネの風景はその時の印象の瞬間を描いたもので、物理的に既にその瞬間は存在しないから、その感動はカンバスの中に創り出したモネのリアルで、完全に独立した風景だと思うからです。クロード・モネという人間の感性を私達は観ているわけです。それはモネに限らずゴッホの絵とか他の画家の絵でもそうです。絵画とは自分の感性をカンバスに映し出すものだと教えてくれているように思います。キュビズムで有名なピカソとかブラックとの接点もあったのかも解らないのですが、晩年の作品となると、もう完全に抽象画です。やはりモネはピカソのキュビズムとは異なるラインで究極のリアルを求め、挑戦し続けていたという思いは深いですね。眼が悪くなったからあの絵なのだとも言われそうですが、気に入らない絵は破棄していたとも訊きますから、それは無いでしょう。そして晩年の絵は画像に導き、キュビズムはピカソやブラック達の発明ではなく、発見なのだということを気付かせてくれます。その画像とはハッブル宇宙望遠鏡で集めた宇宙の星雲画像です。星雲画像に散りばめられた星の光はそれぞれ一つ一つ、数年、数百年、数億年の時間を隔てて届いた星の光の集まりです。超絶のタイムラグ!まさに超絶的キュビズムですよ。感動ですよ、もう既にキュビズムの世界は宇宙誕生と共に有ったんですねぇ。よくキュビズム絵画は分からんとか聞きますが、誰にも解る美しさを極めたキュビズムが、天の川を臨む夜の星空、そこに有りました。
第31章絵画の美とは
ヨーロッパ中世に生きた人達にとっては観る絵画は現代で言えば巨大スクリーンで観るスペクタクル映画みたいな感じだったでしょう。
また、対象の光学的な現象の再現定着という意味では、写真の普及で絵画はその役割を終えていて、その後は印象派を起点としてモダニズム絵画という、絵画というメディアそのものの自己言及に探求の方向性が転換されました。多種多様なメディアの発達とともにメディアとしては地味な印象になった絵画、光学的現象の記録という役割を喪失し、自己言及に至った絵画、そういう絵画というメディアへの関心が薄らぐということも充分理解出来ます。絵画というメディアに関心が無かったら、もっと関心のある別のメディアを鑑賞すれば良いのです。絵画というメディアは他のメディアでは真似の出来ない素晴らしい可能性を秘めたメディアだと思っていますけれどね。モダニズム絵画自体も70年代以降には、ポストモダンの潮流によって解体され、現時点では絵画の歴史全体の再検証の時代に入っていますから、その成果が今後どのような形で出現するかはとても楽しみなことです。
絵画というメディアは現在もどんどん変身しているので、気が向いたらまた鑑賞してみて下さい。きっと新しい発見があると思いますよ。
横山大観は、師・岡倉天心と共に菱田春草や下村観山らと近代日本画を率いた巨匠のひとりです。「富士の画家といえば大観」といわれるほど、生涯にわたり富士を追求し続けました。まさに大観画伯が描く富士は日本の心そのものだといえます。
大観画伯の気宇壮大な世界
会(JAGAT)サイトをご確認ください。
韓国との異文化コミュニケーションが中心であった徳川時代までの日本では 『和魂漢才』。欧米との異文化コミュニケーションが重要な課題となった明治維新以降の日本では、自覚する・しないに関わらず『和魂洋才』的に生活し活動してきました。
日本国内にあっては、明治から大正、昭和、敗戦、戦後復興から経済大国そして高度情報化の平成へ。この時代、マクロに見て世界的に大きく、しかも急速に変わったのは、自然科学と工学技術そしてグローバルな経済であることは誰も異存はないでしょう。
21世紀は、さらなる高度情報化とグローバル化の時代で、異文化コミュニケーションが極めて重要なことは、日本人の誰しもが感じていることではないでしょうか。そして『より美しい自己実現』との関係で言えば、『和魂洋才』は一部のリーダーだけの問題ではなく、日本国民全員の問題なのです。
明治時代のように海外旅行や海外留学が一部のエリートだけの特権であった時代は、すっかり過去のものとなってしまいました。そしてグローバルな高速インターネット網が世界中に張り巡らされ、誰でもが、いつでも、どことでも、特別な地域を除いては自由にコミュニケーションできる時代が来ています。さらに、個人を知的にサポートするGoogleやWikipediaなどのオープンな機能も急速に充実してきています。
21世紀の『和魂』と『洋才』
自然科学における進化論の今日的な知見を基礎として言うならば、『和魂』とは日本文化の真髄であり、『洋才』とは日本以外の文化の見習うべきいろいろな良い点ということになります。
より具体的に言うならば、国や地域の文化で中核を担っているのは、それぞれの文化に特有な言語体系であるということができます。人間は進化の過程で言語を獲得して使い始めた大昔から、母語を使ってものごとを考えコミュニケーションし、行動してきたのです。
日本では近代に入って、自分たちの認識能力を『感性』と『理性』の二元モデルで把握するようになりました。一方、西欧ではギリシャ哲学以来の伝統文化のうえで『感性(英 語のSensibility)』と『悟性(ドイツ語のVerstand、英語のUnderstanding)』と『理性(ドイツ語のVernunft、英語のReason)』の三元モデルになっているのです。
日本語の『感性』と英語のSensibilityは、同じ感性といっても意味するものは違っています。Sensibilityを感覚と日本語に訳すことも少なくありません。このことは、先に 2.4節で述べた日本の感性工学会の英語名が[Japan Society of Kansei Engineering]となっていることにも表れています。
私たちが風景や絵画や音楽などに接したとき、時間と空間という形式を持つ直感能力で情報(感覚的知覚:印象)を捉えます。これがカントの言う『感性』です。次に、いろいろな感覚的知覚を分類・整理してイメージを構築します。このような論理的能力を『悟性』と呼んでいます。
カントは判断力を、悟性と理性を総合する媒介であるとしていますが、判断力には二つあって第一のものは規定的判断力と呼んでいるものです。特殊なものを普遍的なものに含まれたものとして考える能力のことで、一般的判断力と考えられるものです。
もう一つが、美意識にも関係するカントが言うところの反省的判断力です。ここで言う反省とは、与えられた事象をさまざまな認識能力を使いその本質を知ろうとする心の状態のことです。従って、反省的判断力とは特殊なものの中に普遍的なコンセプトを見出す判断力ということになります。
このような考え方では、美的判断は単に個人的な判断だということではなく、ある種の普遍性を持つということになります。そして、美的創造力は多様なものの調和的統合の理念を呼び起こす力があるとされるのです。これがカント美学の原点なのではないでしょうか。
一方、カントの場合の『理性』は、理性が真理を明らかにすることが可能か?との問いかけで「理性批判」を展開し、理性の有効性と限界を明らかにしました。詳しいことは省略しますが、「純粋(理論)理性」と感性的な世界を超越した「実践(道徳)理性」とに分けて説明しています。
現在の日本語の国語辞典で『感性』とは、「外からの刺激を心で感じとる能力」であり、『理性』とは「ものごとを論理的に考え、正しく判断する能力」であると説明してあります。また、『悟性』は「経験にもとづいて合理的に思考し、判断する心のはたらき」、と出ています。
従って日本人が言う『感性』とは、カントが言う『悟性』の一部を含み、『理性』とはカントが言う『悟性』の一部と「理論理性」、そして八百万の神的道徳律を含んだものなのではないでしょうか。
いずれにしても、4節でも述べたイマヌエル・カント(1724年4月~1804年2月)と前節で紹介した国文学者の本居宣長とは、くしくも生きた時代が全く重なっています[本居宣長(1730年4月=享保15年5月~1801年11月=享和元年9月)]。
今や私たちの身の回りは、すっかり人工環境に囲まれてしまっています。私たちが日本文化の大和心を呼び覚まし、自らの『感性』を磨くためには自然とのふれあいを増し、自然の中に『美』の本質を見出すように心がけるべきではないでしょうか。
そして同時に、日本文化の『理性』は西欧文化の『理性』と比較してかなりあいまいである、と私たちは自覚する必要があります。足らざる自覚の上に立って、他文化の優れた点に学べばよいのです。
論理的思考法を熟知しているはずの高学歴な若者たちの論理的コミュニケーション能力が、一向に改善されないどころか低下しているのではないかと感じる場面が多くなっています。いろいろな場面での他者との協働の実をあげるためには、『論理的コミュニケーション』のマナーが不可欠です。相手とのコミュニケーションに際して、自己の主張と主張を裏付けるデータとそのデータの信頼性保証(根拠)をワンセットとして相手に伝えることです。そして、その主張のワンセットを受け取った相手は、そのデータと根拠が了承できるものであれば主張は共有され、そのテーマに関してのコミュニケーションは完結します。
しかし、提示されたデータや根拠に疑問があれば議論は継続されます。この場合にあっても、最初の主張は主張として尊重されるのが原則です。人間は互いに自律した存在で、それぞれの人格が尊重されるべき協働にあっては、反対の意見であっても、それを尊重することで新たな創造が生まれるからです。
日本のコミュニケーション様式に対して、従来からも「あいまい」であるとか「腹芸的」などと指摘されてきたことと同一平面上の問題なのですが、自己主張のすれ違いではなく、それぞれの自己主張を共有し、さらに精緻化していくためには『論理的コミュニケーション』のマナーが不可欠なのです。
なお、[菅家遺誡]とあるのは、和魂漢才という言葉の出典が平安時代の学者・漢詩人・政治家で、著名な菅原道真(845-903)が後人のために残した訓戒を記した書籍に出ているという表示です。しかし、筆者が知る限りでは和魂漢才という熟語を菅原公が直接書いて残したものではないようです。例えば、『菅原道真の実像』(臨川書店 2002)の著者(所功)は、次のように言っています。
「和魂漢才」という熟語は、学徳を表わす彼自身の言葉として、幕末ころから全国に広まった。しかし大正時代、加藤仁平氏が明らかにされたごとく、この熟語を、室町時代成立の『菅家遺誡』を解説する文中に記したのは谷川士清であり、しかも道真の言葉として使ったのは平田篤胤であるから、江戸中期以前にはさかのぼりえない。『和魂洋才』と時代の変化
とはいえ、つとに紫式部が『源氏物語』の中で「才(ざえ)を本としてこそ大和魂の世に用ぬらるゝ方も強うはべらめ」という意味に即して考えれば、外来の儒教・漢詩文に精通し、その『漢才』を活用しながら宮廷社会の現実に柔軟に対応する見識『大和魂』を発揮した人物こそ、実は道真なのである。従って、道真を『和魂漢才』の人と称えることは、十分意味があるといえよう
日本国内にあっては、明治から大正、昭和、敗戦、戦後復興から経済大国そして高度情報化の平成へ。この時代、マクロに見て世界的に大きく、しかも急速に変わったのは、自然科学と工学技術そしてグローバルな経済であることは誰も異存はないでしょう。
21世紀は、さらなる高度情報化とグローバル化の時代で、異文化コミュニケーションが極めて重要なことは、日本人の誰しもが感じていることではないでしょうか。そして『より美しい自己実現』との関係で言えば、『和魂洋才』は一部のリーダーだけの問題ではなく、日本国民全員の問題なのです。
明治時代のように海外旅行や海外留学が一部のエリートだけの特権であった時代は、すっかり過去のものとなってしまいました。そしてグローバルな高速インターネット網が世界中に張り巡らされ、誰でもが、いつでも、どことでも、特別な地域を除いては自由にコミュニケーションできる時代が来ています。さらに、個人を知的にサポートするGoogleやWikipediaなどのオープンな機能も急速に充実してきています。
21世紀の『和魂』と『洋才』
自然科学における進化論の今日的な知見を基礎として言うならば、『和魂』とは日本文化の真髄であり、『洋才』とは日本以外の文化の見習うべきいろいろな良い点ということになります。
より具体的に言うならば、国や地域の文化で中核を担っているのは、それぞれの文化に特有な言語体系であるということができます。人間は進化の過程で言語を獲得して使い始めた大昔から、母語を使ってものごとを考えコミュニケーションし、行動してきたのです。
日本では近代に入って、自分たちの認識能力を『感性』と『理性』の二元モデルで把握するようになりました。一方、西欧ではギリシャ哲学以来の伝統文化のうえで『感性(英 語のSensibility)』と『悟性(ドイツ語のVerstand、英語のUnderstanding)』と『理性(ドイツ語のVernunft、英語のReason)』の三元モデルになっているのです。
日本語の『感性』と英語のSensibilityは、同じ感性といっても意味するものは違っています。Sensibilityを感覚と日本語に訳すことも少なくありません。このことは、先に 2.4節で述べた日本の感性工学会の英語名が[Japan Society of Kansei Engineering]となっていることにも表れています。
私たちが風景や絵画や音楽などに接したとき、時間と空間という形式を持つ直感能力で情報(感覚的知覚:印象)を捉えます。これがカントの言う『感性』です。次に、いろいろな感覚的知覚を分類・整理してイメージを構築します。このような論理的能力を『悟性』と呼んでいます。
カントは判断力を、悟性と理性を総合する媒介であるとしていますが、判断力には二つあって第一のものは規定的判断力と呼んでいるものです。特殊なものを普遍的なものに含まれたものとして考える能力のことで、一般的判断力と考えられるものです。
もう一つが、美意識にも関係するカントが言うところの反省的判断力です。ここで言う反省とは、与えられた事象をさまざまな認識能力を使いその本質を知ろうとする心の状態のことです。従って、反省的判断力とは特殊なものの中に普遍的なコンセプトを見出す判断力ということになります。
このような考え方では、美的判断は単に個人的な判断だということではなく、ある種の普遍性を持つということになります。そして、美的創造力は多様なものの調和的統合の理念を呼び起こす力があるとされるのです。これがカント美学の原点なのではないでしょうか。
一方、カントの場合の『理性』は、理性が真理を明らかにすることが可能か?との問いかけで「理性批判」を展開し、理性の有効性と限界を明らかにしました。詳しいことは省略しますが、「純粋(理論)理性」と感性的な世界を超越した「実践(道徳)理性」とに分けて説明しています。
現在の日本語の国語辞典で『感性』とは、「外からの刺激を心で感じとる能力」であり、『理性』とは「ものごとを論理的に考え、正しく判断する能力」であると説明してあります。また、『悟性』は「経験にもとづいて合理的に思考し、判断する心のはたらき」、と出ています。
従って日本人が言う『感性』とは、カントが言う『悟性』の一部を含み、『理性』とはカントが言う『悟性』の一部と「理論理性」、そして八百万の神的道徳律を含んだものなのではないでしょうか。
いずれにしても、4節でも述べたイマヌエル・カント(1724年4月~1804年2月)と前節で紹介した国文学者の本居宣長とは、くしくも生きた時代が全く重なっています[本居宣長(1730年4月=享保15年5月~1801年11月=享和元年9月)]。
今や私たちの身の回りは、すっかり人工環境に囲まれてしまっています。私たちが日本文化の大和心を呼び覚まし、自らの『感性』を磨くためには自然とのふれあいを増し、自然の中に『美』の本質を見出すように心がけるべきではないでしょうか。
そして同時に、日本文化の『理性』は西欧文化の『理性』と比較してかなりあいまいである、と私たちは自覚する必要があります。足らざる自覚の上に立って、他文化の優れた点に学べばよいのです。
論理的思考法を熟知しているはずの高学歴な若者たちの論理的コミュニケーション能力が、一向に改善されないどころか低下しているのではないかと感じる場面が多くなっています。いろいろな場面での他者との協働の実をあげるためには、『論理的コミュニケーション』のマナーが不可欠です。相手とのコミュニケーションに際して、自己の主張と主張を裏付けるデータとそのデータの信頼性保証(根拠)をワンセットとして相手に伝えることです。そして、その主張のワンセットを受け取った相手は、そのデータと根拠が了承できるものであれば主張は共有され、そのテーマに関してのコミュニケーションは完結します。
しかし、提示されたデータや根拠に疑問があれば議論は継続されます。この場合にあっても、最初の主張は主張として尊重されるのが原則です。人間は互いに自律した存在で、それぞれの人格が尊重されるべき協働にあっては、反対の意見であっても、それを尊重することで新たな創造が生まれるからです。
日本のコミュニケーション様式に対して、従来からも「あいまい」であるとか「腹芸的」などと指摘されてきたことと同一平面上の問題なのですが、自己主張のすれ違いではなく、それぞれの自己主張を共有し、さらに精緻化していくためには『論理的コミュニケーション』のマナーが不可欠なのです。
第32章美の基準は主観的なものではなく絶対普遍のものが存在する?
自然的美、数学的美、黄金律みたいなものがそうかなと思います。
主観的なモノでありながら、絶対普遍なモノを求めるからこそそれに魅せられるのかなと思うわけです。足を留めたくなる様な何気ない魅力みたいで美は愛と同じ様に感じます。絶対的普遍な美の前に時代時代の美意識がフィルターとなって主観的な美となっていると思う。日本の侘び寂びも日本の自然美から起きた美意識で、古代ギリシャ彫刻とか神殿の黄金比は数学的美から起きた美意識だと考えます。織部焼を侘び寂びの精神(美意識)知らずに良い悪いの判断なんて出来ないのと一緒だと思うのですね。愛と美に人は魅せられ集まり、一つのコミュニティーを創る。出来たコミュニティーは愛と美ではない繋がりに変化する。お金とか名声とかね。それらが時代時代の美意識となって移り変わり今の美意識になってると思います。現代人も原始人も普遍的に変わらないものだと思いますよ。主観的美意識って金や名声で得れるしその歴史が美意識フィルターを創ってる。イデアに関してはイデア論だけで物事を考察するには無理がある。
大きい普遍的美という幹があって主観的美意識っていう枝があるって事なんだと思うよ。
33章日本の美の源流は縄文
大きい普遍的美という幹があって主観的美意識っていう枝があるって事なんだと思うよ。
33章日本の美の源流は縄文
装飾過剰ともいえそうな陽明門や、絢爛豪華な金屏風の美。その一方で、「わびさび」のようなそぎ落とされた世界。相反するような美の世界が日本には存在しています。
これら日本の原点と思える美のとらえ方が、縄文時代の流れの中で生まれていました。土器をはじめとする道具を目の前に置き、機能面では不要とも思える過剰な装飾をひたらすら施した縄文人の姿が浮かびあがってきました。縄文人は熱い思いを秘めていました。
第34章障碍者アートとは
近年障害者アートには専門家の注目が集まり、各地の美術館の展覧会のプログラムに加えられることが多くなり、作家として作品が販売されるケースも見られるようになりました。当初は、障害者の特異な作品として珍しがられたり、障害者の自己実現を応援するものとみなされたりしましたが、現在は、現代アートの世界にインパクトを与えるムーブメントとして純粋に評価されるようになってきました。
障害者アートの作家たちの多くは、正規の美術教育を受けていません。その意味ではみんなアマチュアとも言えますが、現代アートの世界では、正規の美術教育を受けているかどうかは、もはや問題にはならないと、言います。「例えば、ポップミュージシャンに、どこの音楽大学を出ているのかなんて、誰も聞きませんよね。こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、伝統的な美術教育によって、歪められていないところもいいのです」。
第35章イラストの美学
イラストの『構図』はイラストを見る人に『こんな風に見せたい』という作者の意図を伝えるための重要なカギになります。作品の中の要素を、どんなふうに見せると効果的か、どう配置すると美しいバランスになるか、よく考えながら構図を決める。
1.配置の基本
フレームの中心よりやや上のエリアが、最も視線が行きやすいところです。
キャラクターの顔など、見せたいものはこのエリアに入れるとよいでしょう。ど真ん中じゃなくて、「ちょっと上」ってところがポイント!
三分割法
三分割法とは、縦横に3等分した線で構図のバランスをとる技法です。
分割線の交点に、顔や重要なモチーフなどイラストのポイントを置くように構図を作ります。分割線を目安に水平線を入れたりする。
構図の中に三角形を作る
絵の中に三角形を作るようにすると、バランスのとれた美しい構図になりやすい。
配置に迷ったら三角形を作るように置いてみる。
■三角構図
メインのモチーフが三角形になっている構図を三角構図といいます。
三角構図は画面が安定します。
イラストが平板にならないようにしています。
2.並べるときのルール
均等配置
キャラクターを一直線上に均等に並べています。
この構図は各人物それぞれに視線を誘導できるため全員を同等に見せたい場合に使えます。
▼キャラクターの関係性(物語性)よりも、デザイン的に配置された印象を与えます。
ジグザグ配置
手前の人物を目立たせるような構図です。
ランダムに配置する構図はバランスをとるのが難しいので注意が必要です。
ポイントをジグザグ線で結ぶようにすると、まとまりやすい。
▼メリハリのきいた構図は、注目させたい特定の人物がいる場合に有効です。
POINT
イラストの中で『何を目立たせたいか」で構図が決まる!
イラストの中で『何を目立たせたいか」で構図が決まる!
▼手前と奥にキャラクターを配置した奥行きのある構図は背景に風景を入れてもなじみやすいでしょう。
3.アングルを変える(アオリとフカン)
アオリ
低い場所からカメラを上へ向けるように、見上げる構図をアオリといいます。
対象を大きく見せる効果があり、迫力を出したいときや、力強い表現に向いています。
フカン
高い場所からカメラを下へ向けるように、見下ろす構図をフカン(俯瞰)といいます。
ものの位置関係や全体の状況を伝えやすい構図です。
4.構図が与える印象
水平・斜め
イラストは、画面を水平に描くのが基本ですが、斜めにした構図もよく見られます。
斜めの構図は不安定さや動いている感じを出すことができます。
▼斜めの構図は動いている感じが出ます。
▼水平の構図には安定感があります。
縦構図・横構図
キャンバスを縦長にする縦構図か、もしくは横長にする横構図かで、イラストの印象は大きく変わります。
縦構図は視線が左右に散らないため、1つのものを大きく見せるのに適しています。
風景の広がりが強調される横構図は、比較的人間の視野に近いので、見る人に安心感や安定感を与えやすいのが特徴です。
対象を切り取り、見せたいものをクローズアップしやすい構図です。
▼横構図
風景の広さを表現したいときは横構図を選ぶとよいでしょう。
圧迫感と開放感
空間の描き方によってイラストの方向性が変わります。
広く空間をとった開放感のある構図は明るいテーマのイラストに向いているでしょう。
逆に、要素を詰め込んだ構図は圧迫感があるため、シリアスなテーマのイラストや緊張感を表現したいときなどに使うとよいでしょう。
▼開放感のある構図
空間を広くとったイラストです。線の量も少なめです。
▼圧迫感のある構図
線の量が多く、空間が少ないイラストです。
▼上からの圧迫感
画面上部に大きいものがあると不安・圧迫感が出ます。
第36章美意識の源流
一体どこまで遡ればいいのか?1億年以上も昔のアルタミラの洞窟画ではないだろう。旧石器時代のことだ。我々との連続性は感じることはまず無い。
第36章美意識の源流
一体どこまで遡ればいいのか?1億年以上も昔のアルタミラの洞窟画ではないだろう。旧石器時代のことだ。我々との連続性は感じることはまず無い。
それなら紀元前2、3千年位の古代エジプトはどうか。彼らの死生観を表す絵や平面的な様式などは、確かにエスニックで珍重はするのだが、これも何ら近親の血が騒ぐようには思えない。
やはり我々の美意識は、およそ紀元前5世紀ころに始まったギリシャ美が、地続きと言う意味において、今日の直接の始源だろう。つまり今から2500年くらい前に我々の美の原型が出来上がり、今もなおその規範に従っているーーそう考えておくのが健全に思われる。ルネサンスなど西洋美術の流れを俯瞰すれば、絵画や彫刻の楽しみは遥かに深くなり、快美の念をいや増してくれるに違いないことを断言する。紀元前5世紀の頃と言うと、ギリシャ哲学の事が思われてならない。美術と同様に、現代哲学もやはり同時期にギリシャ及びその植民都市で始まっているのだ。ギリシャ人は、ホメロスの《オデュッセイア》に代表される長い長い神話的な物語世界の時代からその頃ようやく抜け出し、人間の精神史で初めて、世界を科学的ともいうべき理性による思考法で捉えようとした最初の民族だった。例えば哲学者の元祖とされるターレスは、万物の根源は「水」であると主張した。世界の根源は「火」であるなどと唱えた哲学者もいた。その当否は別にして、世界を現象の奥にある統一的な原理で解釈しようとしたことは画期的に新しいことだった。有名なソクラテスの弟子プラトンは、この統一的原理を「イデア」と呼ぶ。《アテナイの学堂》ラファエロ 1509-1510バチカン宮殿 中央向かって左が天上を指す理想主義のプラトン、
今でいえば、一種のモデリング思考であるが、目に見えない理想的な絶対原理を求める思考の特
性は、科学や数学を生み出すもととなる。近代知の始まりだ。またこれが美学に応用されると、完璧な人体の理想美を求めてやまない芸術表現となる。ギリシャ美術における人間は、完璧な比例美をはじめとして、理想の規範
たのではあるまいか。哲学と美術は、同じテーブルで語られることは少なく、
ギリシャ哲学と美学を関連付ける論考は見たことがないが、両者は関係している、と言うか通婚し
ている。ギリシャ哲学とギリシャ美は夫婦のように一体である。ーー僕はそう断定する。
第37章パソコンでの絵画
第37章パソコンでの絵画
油絵、水彩画、日本画などの各種の画材に、それぞれ良いところ、悪いところがあるように、パソコン絵画にも他の画材に比べて優れている点、劣っている点があります。
良いところ
まず、手軽ということでしょうか。これは、最初に画材(パソコン絵画の場合ならソフト、周辺機器)をそろえるのが簡単という点と、実際に描くのが手軽という2点があります。では、機材の購入からいきましょう。油絵や水彩画だったら、まず何をそろえるべきかを考えるところで苦しんだりします。画材店に行けば初心者用の入門セットも売っていますが、その豪華さによってセットに何段階かあったりしますし、別途キャンバスや紙、イーゼルなども必要になってきます。誰のアドバイスも受けずに一人でいきなり画材を購入するには、やや勇気がいりますし、どうしていいか分からない方も多いと思います。また、絵を描き進んでいくと、道具が入門セットだけでは足りないことにすぐに気付くことでしょう。筆、絵具のほか、油絵ならオイル類も最初にそろえたものだけでは不自由を覚えるようになります。パソコン絵画は、お絵描きソフトとタブレット(ペン型入力装置)の2つ、更に描いた絵を紙に打出す場合には、これにプリンターがあれば、ほぼ全てこと足ります。ソフトの種類は色々ありますが、絵を描く上での基本機能は同じようなものなので、ソフトの選択ミスが致命傷につながるようなことはないと思います。また、無料ソフトにも市販ソフトに負けない機能を持っているものがありますから、そうしたものを使って、まずは試しに始めてみるということも出来ます。従って、始めるに当たって道具も余り迷う必要はありませんし、上達していく過程で絵具や筆を買い足す必要がありません。キャンバスも水彩画紙も消費しませんから、初期投資だけでずっと描き続けられます。もう1つの手軽さは、絵を描く準備がほとんど必要ないということです。油絵や水彩画の場合、家にアトリエを持っていない限り、描き始めるのにそれなりの準備時間が必要になります。絵具箱を開いて、絵具や筆を出し、イーゼルをセットしてキャンバスを立てかけたりしていると、最低でも15分はかかります。日本画に至っては、準備をするだけで疲れてしまいます。しかし、パソコン絵画なら至って簡単。パソコンを立ち上げればよいだけです。それと同時に片付けも簡単。油絵の後片付けは、紙パレットを使っていてもなかなか面倒です。パソコンなら画像を保存して終了ボタンを押すだけです。例えば、平日の深夜に家に帰ってから30分だけ絵を描くことも、パソコン絵画なら可能です。手軽さ以外のメリットとしては、場所をとらず家族に迷惑をかけないということが挙げられます。私の経験では、油絵や水彩画は小さい作品でも描くにのにそれなりのスペースが要ります。このスペースとは、単なる空間という意味だけでなく、描いている間、家族が立ち入りを禁止される区域を意味します。油絵を描いている横を子供がうろちょろすると、誤って子供がキャンバスに接触して服に油絵具がつかないかとか、筆洗い用のバケツをひっくり返して絨毯を台無しにしないかとか、いろいろな心配が生じて、のんびり絵を描いている場合ではなくなります。もう1つ家族との関係で言えば、パソコン絵画は臭いがしないという点も挙げられます。油絵具や各種オイルの臭いは、油絵中毒になると心地よいものがありますが、一般人からすれば異臭です。日本画の膠を煮る臭いに至っては、趣味でやってる私自身もやや胸が悪くものがあります。アクリル画も、近づくとアクリル・ポリマー独特の臭いがします。パソコンは一切そうした臭いがありません。実際、絵を描くうえでも、パソコン絵画は注目すべき特技を持っています。一度使った色を簡単に何度でも再現できるという点です。これは、他の画材に比べて圧倒的に優れている点だと思います。絵画の世界でよく言われるのは、自分で混ぜて作った色は2度と同じ色が作れないということです。普通に絵を描いている人なら、前に描いたのと同じ色を作ろうとして悶々と絵具と格闘した経験がおありだと思います。だから、なるべく色を混ぜなくて良いように、沢山の色の絵具を買い込むわけです。一度塗った色と同じ色を作れないとなると、描いた翌日に同じ色を使っている部分を描き足したり修正したり出来なくなりますから、深刻な事態が生じます。とくに微妙な色調を使っている場合は致命傷です。パソコン絵画の場合は、全く同じ色を何度でも再現できますから、同じ色の個所を毎日10分ずつ、3日間に分けて描くことも可能です。これは、他の画材から見れば驚異的なことです。他にもいろいろ利点はありますが、最後にもう1つ挙げておけば、絵の初心者にとって、ソフトが大いなる救いの手を差し伸べてくれるという利点があります。もう少し詳しく言えば、1つは簡単に描き直しがきくということ、もう1つはソフトの各種機能が技術不足を助けてくれるということです。
「元に戻す」という機能で前の状態に戻れますから、何度も試し描きをしたり、失敗を直したり出来ます。通常の絵の場合、油絵や厚塗りの日本画の場合は多少の修正はききますが、水彩画、水墨画などは修正がききません。つまり、いつも決定的な色を間違いない位置に塗っていく必要があります。一筆の間違いで絵が台無しになったりします。パソコン絵画には、こうした心配をする必要がありません。緊張感なく気軽に描いて、失敗したら簡単に修正できます。もう1つパソコン絵画が初心者にやさしい点を挙げると、ソフトの各種機能が技術不足を助けてくれるという点です。通常の絵の場合は筆1本の勝負ですから、各種の表現を自分なりに学び練習する必要が出て来ます。パソコン絵画では、ソフトがこの部分を助けてくれる場合があります。例えば、空に浮かぶ雲のフワッとした感じを油絵でキャンバスに描こうとすると、それなりの練習が必要になりますが、パソコン絵画ならエアブラシの機能を使って、初心者でも比較的簡単にできます。また、テクスチャーなどを上手く利用することによって、人物画の背景を簡単に作ったりすることも可能です。一旦、油絵や水彩画をやっている人がパソコン絵画を始めた場合は、余りこの点にありがたみはないかもしれませんが、本格的に絵を描くのはパソコン絵画が初めてという人にとっては、頼りになる存在だと思います。
悪いところ
便利づくめのようなパソコン絵画ですが、もちろん欠点もあります。私が感じたことを幾つか挙げておきましょう。まず、普通に絵を描くのと違って、筆先から線や色が出てくるわけではないため、多少の感覚の馴れが必要です。パソコン絵画は普通に絵を描くのと違って、手元ではなく画面を見ながら筆を運びます。手元を見ながら絵を描く習慣が身についている我々にとっては変な感じがします。次に、絵全体を見渡しながら絵を描くわけにはいかない場合があるということです。これは、描いている途中のパソコン絵画は、パソコンのモニター画面上からしか見ることが出来ないという制約のためです。もちろんパソコン画面上で絵の拡大縮小は可能ですから、絵の大きさ如何にかかわらず、絵全体を見ることは常に可能です。しかし、例えばある部分に細かい描き込みをしようとすると、その部分を拡大して描かなければならず、絵全体が見えなくなります。普通の絵の場合には、幾ら細部を描こうが全体は見えていますから、バランスなど簡単に分かりますが、パソコン絵画の場合にはそこが少し不便です。もう1つ困るのが、絵の大きさです。パソコン絵画をモニター画面上のみで楽しむ分には何も問題ないのですが、良い作品が出来たので紙に打ち出そうとすると、プリンターで扱える紙の制約が出て来ます。家庭用プリンターでは、通常A4(29.4センチ×21センチ)までが打出しの限界です。これは、キャンバスで言えばF4号(33.3センチ×24.2センチ)よりも小さなサイズで、水彩額なら「八切り」(24.2センチ×30.3センチ)にマットを入れて飾る仕様になります。要するに小品しか制作出来ないわけで、大作指向の人には向きません。あと、技術的なことを言えば、パソコン絵画は、タブレットというペン型入力装置で描くわけですが、本物の筆ではないため、穂先を使った微妙な表現には向いていません。また、絵具が持つ独特の表現、例えば水彩の場合の水と絵具の絡み合いや、油絵具のボリューム感は出ません。日本画、水墨画で言えば、破墨法、發墨法的な伝統技法は使えません。しかし、これは、どの画材にもくせや得手不得手があるので、ひとりパソコン絵画のみが劣っているとは言えないような気もします。日本画には日本画の技法があるように、パソコン絵画ではパソコン絵画らしい技法を確立するということではないでしょうか。
パソコン絵画の描き方
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