表現できないものを表現する
第1章表現できないものを表現すとは
表現できないものを表現すとは。
小説人間革命に
「其身非有亦非無
非因非縁非自他彼は、この偈の部分が、十二行からなることを知り、「……に非ず」という否定が、三十四もあることを確かめた。
非方非円非短長
非出非没非生滅
非造非起非為作
非坐非臥非行住
非動非転非閑静
非進非退非安危
非是非非非得失
非彼非此非去来
非青非黄非赤白
非紅非紫種種色
──戸田城聖は、この十二行の偈を心から納得したいと願った。さもなければ、もう一歩も先へ進まぬと決めた。彼は、法華経に対して背水の陣を張ったのである。その決意は、いわゆる観念の決意ではない、生命の対決であった。
戸田城聖が不可解とした十二行は、冒頭の「其の身」が、いったい何を指しているのかにかかっていた。
彼は、この十二行の意味するものの、確実な実体が存在することを直観していた。
彼は唱題を重ねていった。そして、ただひたすらに、その実体に迫っていった。三十四の「非」を一つ一つ思い浮かべながら、その三十四の否定のうえに、なおかつ厳として存在する、その実体はいったい何か、と深い、深い思索に入っていた。時間の経過も意識にない。いま、どこにいるかも忘れてしまった。
彼は突然、あっと息をのんだ。──「生命」という言葉が、脳裡にひらめいたのである。
彼はその一瞬、不可解な十二行を読みきった。
彼は、この十二行の意味するものの、確実な実体が存在することを直観していた。
彼は唱題を重ねていった。そして、ただひたすらに、その実体に迫っていった。三十四の「非」を一つ一つ思い浮かべながら、その三十四の否定のうえに、なおかつ厳として存在する、その実体はいったい何か、と深い、深い思索に入っていた。時間の経過も意識にない。いま、どこにいるかも忘れてしまった。
彼は突然、あっと息をのんだ。──「生命」という言葉が、脳裡にひらめいたのである。
彼はその一瞬、不可解な十二行を読みきった。
「生命」は有に非ず亦無に非ず──ここの「其の身」とは、まさしく「生命」のことではないか。知ってみれば、なんの不可解なことがあるものか。仏とは生命のことなのだ!
因に非ず縁に非ず自他に非ず
方に非ず円に非ず短長に非ず
…………………………………
紅に非ず紫種種の色に非ず
彼は立ち上がった。独房の寒さも忘れ去っていた。時間もわからなかった。ただ、太い息を吐き、頬を紅潮させ、眼は輝き、底知れぬ喜悦にむせびながら、動き出したのであった。
狭い部屋の中である。その中を、のっし、のっしと、痩せた体で、肩をいからし、両手をかたく握りながら歩き回った。
──仏とは、生命なんだ! 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!(同上、pp. 13-14)」とあります。
生命とは存在と考えると、存在は上記の如く人間の知恵では表現できないのである。
つまり存在を「表現できないものを表現」
するには数学でいう代数による抽象表現しかないと思う。
第2章心を科学する
「人間科学を志す者の任務は、この上もなく恣意的、無統制で、不統一に見えるものにぶつかっていき、
その背後に1つの秩序を見出そうと努めること、少なくとも秩序が存在するかどうかを見きわめようと努めることである。」
これは文化人類学者レヴィ・ストロースの言葉ですが、かのレヴィ・ストロース博士も
「私は数学者から何か得られるような気がしていましたので・・・、」
と、数学者を信頼していたことがうなづけるような内容です。
「カオスが心を科学する。」
これがこれからの課題のようです。
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