がんと千鳥学説
36.ガンと千鳥学説 no11
特集 ガンと赤血球 ~ガン問題の根底に横たわるもの~
8.ガンの予防・治療とその対策
中世紀、外国では断食や減食によって腫瘍やその他の病気を
治療する方法が行われていました。日本でも断食療法は古来より
行われており、現在でも多くの断食道場が存在し慢性諸疾患の
治療がなされていることはご承知のとおりです。
食物の種類や量を一定に制限することは、ガンその他の慢性疾
食物の種類や量を一定に制限することは、ガンその他の慢性疾
患の予防、治療に卓越した効果を示しでいることは否定できない
事実になっています。しかし、現代医学は断食、あるいは減食
といった東洋医学療法に全くといってよいほど関心を示していま
せん。ことにガンその他の腫瘍は正常組織と比較すると断食や
減食に対じて大変敏感な反応を示す事実は、腫瘍の物質代謝が
非常に旺盛であることからも説明することができますし、千島
学説の『第2原理・組織の可逆的分化説』によって、必然的に
ガンの発生とその消長が栄養状態と密接な関連にあることが
証明されています。
動物の摂取カロリー量とガン発生率との関係については
Moreschiの研究があります。彼の研究は減食によって体重
が減ったマウスは、食物を十分に与えたマウスと比較して
ガン発生率が低かったというものです。この結果は他の研究
者によっても実証されています。 Hasting によれば、長期
にわたって減食を続けたガン発生系統のマウスには乳ガンが
全個体の16%にしか発生しなかったのに対し、十分な飼料
を与えたマウスでは88%の個体に乳ガンの発生を確認し
たと報告しています。
このように食物摂取量を減ずれば発ガン率は低下することは
事実として証明されています。また一方で減食量が非常に軽
度であったり、中等度の減食では効果が薄いという報告もさ
れています。 Longたちは長期のわたって食物量を2/3に
減じなければ発ガン率の大幅な低下を期待することはでき
ないといい、Morrsは動物の正常な発育を妨げるほどの減食
をしなければ効果は薄いといっています。
絶食、減食のガン発生率低下作用は、体のすべての組織
から不用な過剰物質や有害物質を自動的に除去することと、
すべての過剰あるいは病的組織を赤血球に逆分化させ、組織
又体内全体を浄化し発ガンを抑止、あるいはガン組織を縮小
又は消失させることに大きな効力となることはいうまでもあ
りません。
Moreschiの報告では、減食マウスの肉腫の成長速度は飽食マ
ウスのそれより著しく遅いといい、その理由についてRousは
腫瘍内の血管成長が抑圧されるから、腫瘍の発育もそれにつ
れて遅くなるのだと説明しています。
これは正しい考察だといえます。減食によって固定組織が赤
血球へ逆分化を起こすのは消化管において赤血球造血が著
しく低下するためです。
またRousは手術前に減食したものは再発が少ないが、手術後
に減食したものは再発防止にまったく役立たないといってい
ます。せっかく意義ある実験をしていながら、片手落ちの結
果を出していてはなんにもなりません。手術後でも減食は
大いに効果を示していることを完全に見落としています。
白血病マウスの実験についてFloryは飼料を半減あるいは
1/3に減じたものは十分な飼料を与えたものより長生きす
るといっています。゛
要するにガンを始め腫瘍や白血病の動物に対して、かなり
強度の減食をさせると、その発生や再発また進行を抑制す
ることは確かな事実です。
多くの学者の研究によって、肥満した人はガンになりやすい
とされでいます。45才以上のアメリカ人192,000人
を対象とした統計によりますと、平均体重より5~14%
重い人のガン死亡率は平均体重の人より9%多く、また
15~24%重い人は24%、25%以上重い人は29%も
多くなるとされています。
この統計の示すところでは、著しく肥満した人は痩せた人
よりガン死亡率が高いことは確かです。肥満者は食物摂取量
が多いことも考えられ、また同じ食物でもその消化、吸収
能力が高いこともあり得ることです。
何れにしても飢餓や減食とは反対に、過剰の栄養分か脂肪を
蓄積させ、またガンを発生あるいは成長させることになる
ことは事実です。食物の摂取量を制限し、著しい肥満を
避けることが、ガンの予防、治療に必要不可欠なことは
前述したとおりです。
① 断食の定義
戦争や飢饉、その他偶発的な外界条件のために食料不足
でやむをえず絶食や減食をすることは他動的なもので、
治療でいう断食とはなりません。「断食」は自発的に
絶食をすることで、他動的な戦争や飢饉によるものとは
動機がまったく異なっています。自発的な行動という
動機の点で、断食はその実行中において精神の安定が
保たれ、そのうえ全身に対する優れた影響を期待でき
ます。
② 断食の歴史
ハンガーストライキやインドのガンジーがよくやった
断食抗議などは、おりおり耳にすることてすが、断食
のもっとも古い歴史は何といっても、宗教的な行事や
精神生活に始まったものでしょう。英語では断食を
Fastingといいますが、この語には断食という意味の他に
“精進”という意味があることからも、精神生活と密接
な関連のあることが分かります。
外国でもKeys、その他多数の研究者があり、断食の適応症
として消化器病、心臓疾患、糖尿病、高血圧、喘息、神経
痛、肝臓疾患、結核、肋膜炎、その他多くの慢性疾患の
治療に有効であると報告しています。しかし、ガンに対し
ても有効だという報告は比較的少なく全報告者15名中
5名だけでした。これは多分、ガンと血液、そして赤血
球との関係がよく分かっていないためだと考えられます。
① 赤血球とガン細胞が可逆的関係にあること
ガン細胞は赤血球(一部は白血球)から分化したものであ
ることは前述したとおりです。また一方、千島は岐阜大
学・農学部教授時代、生物学教室の人たち(松井、村田、
酒井、万部、鵜飼、岡部の6氏)と共にカエル、ニワトリ、
ウサギ、ラットなどを使い、飢餓による組織の変化につい
て1953年以降研究をしました。
この研究の結果、飢餓動物は脂肪、筋肉を始め各種臓器や
組織の細胞が赤血球に逆分化する事実を見出しました。
これを研究グループは『血球と固定組織細胞との栄養の
変化による可逆的分化関係』と呼ぶことにしました。
第2原理『血球と組織の可逆的分化説』の根拠となった
研究です。この原理について、千島はガン患者に直接実験
したことはありませんが、私が、自分の右肩にある脂肪腫
への断食効果を見るため、自宅において30日間の本断食
(減食10日、断食10日、復食10日)を行ったことがあ
ります。その結果、体重は6.7Kg減少し、肩の脂肪腫
(長さ4センチ、幅2.5センチ)が減食7日目あたりから
縮小に気づき、復食3日目には完全に消滅していました。
約2週間でかなりの大きさがあった脂肪腫が断食で消滅し
たのです。
これが体内のガン腫だったとしても、同様の経過が見られ
たものと確信します。断食によるガン治療への特効は、
奈良・信責山断食道場、別府市・健康クラブ、大阪・甲田医院、また加藤清氏によるミルク断食療法などで証明されています。
種々の慢性疾患のなかで、断食による効果がもっとも早
く境れるのが、ガンである…! これは現代医学界では
無視していますが、医師の多くの人たちが、断食道場で
自分のガン治療を受けている事実からも、断食の効果を
知ることができます。
② ガンや白血病は消化器障害と密接に関連する
千島及び松井、中閑の両氏は白血病になったニワトリの
腸粘膜を観察した結果、著しく粘膜が破壊されていて、
消化・吸収が非常に困難な状態になっていることを確認
しました。ガン、また血液ガンとされる白血病、その他
の結核、感冒、肝疾患、等の大多数の病気は消化器と密接
な関連をもっています。
断食や減食がこれらの病気に著効を示すのは、消化器を
休養させ、胃腸内の腐敗を抑制し、消化管内巻浄化する
ために毒素の発生が防止されるからです。
そして、最も大きな効果は断食による組織浄化のためで
す。抑留毒物は排除され、ガン腫、炎症部の細胞、蓄積
脂肪等が不足血液補充のため、新鮮な赤血球へ逆戻りさ
せることにあることを挙げねばなりません。
断食は体内にあるガン腫や脂肪等の余剰組織を最優先
として赤血球に逆戻りさせるのです。この指令は体の自
動制御センターである間脳が司どっています。
③ 血液組成を正常化する
血液組成の病的変化はガンを始めとするすべての病気と
相関関係にあります。これは食物の質や量と病気が深い
関係にあり、運動不足や精神の不安定などからくる血液
循環の阻害、また病巣や消化管で生じた細菌毒素によ
る影響も血液組成に病的な変化を与える要因になります。
断食や減食はこのような要因を体の内部から除外するため
に、全身の大掃除と血液の浄化に役立つ方策です。断食
中、あるいは断食後の人において血色が良くなり、肌も
ツヤツヤとしてくるのは、血液組成の改善、細胞の若
返りがあった証拠ということができます。
④ 消化器の負担を軽くじ睡眠不足を防ぐ
睡眠不足という状態が、体のすべての生理的活動を大き
く阻害することは、よく知られている事実です。大食、
過食、精神的苦痛などはどれも睡眠を妨げる大きな
要因ですが、断食や減食はその害を軽減させます。
現在の医療はガン患者の衰弱防止のために、つとめて高
カロリーの食品を与えるようにしています。患者は食欲
もないのに医師たちに云われるまま、無理に食事をロ
にしようとしています。食欲がないことは、消化器を
休ませて…という体の無言の要求です。それを無視し
て無理に食事をすることは自然の法則に反することです。
それに気づかず、無理に食べることは、いっそう消化器系
を傷めることになり、ガン腫をさらに大きくするという
逆効果になることはいうまでもありません。
食事を減ずることは、如何なるものより大切な病気
治療法なのです。
9.ガンの発生や治療は精神状態に左右される
ガンの発生は精神の不安定状態(大脳及び自律神経の不調和)と深い
関係があることは否定できない事実です。最近では一部西洋医学
者の間でも認めるようになっています。
これは混迷するガン対策のなかで、微かな福音といえるかもし
これは混迷するガン対策のなかで、微かな福音といえるかもし
れません。
深い関係をもつという理由が何処にあるかといいますと、次の
深い関係をもつという理由が何処にあるかといいますと、次の
ような考えです。
心配、悩み、その他精神的抑圧がありますと、次第に呼吸が浅
心配、悩み、その他精神的抑圧がありますと、次第に呼吸が浅
くなります。その結果として当然に酸素の循環量が減少します。
血液中(殊に赤血球)の酸素含有量が少なくなれば、組織中の炭酸
ガスが増加します。この状態がガンを発生させ、そして悪化させる
重要な原因となっていることを医師も一般の人たちも余り気づい
ていません。これは千島の想像説ではなく、一部の科学者によって
も実証されていることです。
BieseleやGoldblatt等は正常な組織の細胞を酸素が少なく、炭
BieseleやGoldblatt等は正常な組織の細胞を酸素が少なく、炭
酸ガスが多い環境のなかで培養すると、ガン細胞や腫瘍細胞が発
生しやすいこと、またガン細胞は炭酸ガスの多い酸素が少ない所
でも強い抵抗力をもつことを確認しています。
このような所、あるいは無酸素状態の所にガン細胞が新生するこ
このような所、あるいは無酸素状態の所にガン細胞が新生するこ
とは間違いのない事実です。精神的負担が長期に亘って継続して
いますと、前述したように呼吸が浅くなり、呼吸酵素(ATP)の
供給が弱まり血流が停滞すると、そこに炭酸ガスが多く溜ります。
そのような箇所に赤血球が集中しますと、その環境に適応して
それがガン細胞に変化する可能性が高くなります。
このため、ガンの予防や治療には先ず何よりも、精神的な負担を
このため、ガンの予防や治療には先ず何よりも、精神的な負担を
軽減する方策を考え、その実践に努めることと、適宜の運動や
折りをみて1日に幾度となく深呼吸をする習慣をつける、日常
の精神面を主体とした生活改善をしなければなりません。
ガンは不治の病だと盲信するだけで、その人は死に至る危険が
ガンは不治の病だと盲信するだけで、その人は死に至る危険が
非常に高まります。必ず治るという強い信念が、精神面で多大の
力となるものです。自分の力で歩行する力があり、制ガン剤の
投与を受けていない、あるいは少ししか投与されていない人でした
ら、断食療法で短期間に治癒することは間違いのない事実です。
その人の決心は必要ですが、著効を示す療法があることを知っ
ておいて頂きたいと考えます。そのことを思うだけでも大きな
精神力の糧になることでしょう。
10.ガン細胞の転移像を確認した人間は一人としていない
現代医学でぱガン細胞は転移する”ということが定義になっていま
す。“増殖したガン細胞はその場所にガン巣を構成するだけでは
なく、血管あるいはリンパ管を経て全身に転移する”。
この「転移」という語を考案した人間は誰であるか私は知りま
この「転移」という語を考案した人間は誰であるか私は知りま
せんが、ガン細胞の「突然変異」説と同様にまったくのナンセンスと
いわざるを得ません。
ガンが全身に広がる理由が理解できない、また説明できないために考
ガンが全身に広がる理由が理解できない、また説明できないために考
案された、こじつけ説というのが適当でしょう。ガン細胞が血管、ある
いはリンパ管を経由する像を確認できた人間は世界に一人としていない
事実が、この「転移」なる現象がないことを証明しています。
現代の医学者も多くが“ガン細胞の転移”に疑問をもっています。
医学者自身が疑問を抱く理由は次のような事実です。
現代の医学者も多くが“ガン細胞の転移”に疑問をもっています。
医学者自身が疑問を抱く理由は次のような事実です。
① 毛細血管の先端は閉鎖系とされている。血管内への侵入は不可能。
② 開放部があっても、ガン細胞の殆どが、毛細血管の口径よりも大
きい。
③ リンパ管は血管中に開口するという定義から直接にガン細胞が
リンパ管内に侵入することは困難である。また血管同様口径が狭い。
④ 「転移」像を確認した人間が誰もいない。
といったことです。
「転移」ということに疑問をもつことは、大変な進歩といえますが、
「転移」ということに疑問をもつことは、大変な進歩といえますが、
いまなお患者には堂々と転移説でもって説明しているのは残念というほ
かありません。
“医学界”という無風を好む社会から、追放されることを懸念する医学
“医学界”という無風を好む社会から、追放されることを懸念する医学
者たちの心理を考えるとき、疑問を公にし真実を知ろうとすることは、
多大の困難があることは理解できます。しかし、公にしなくとも、事実
を確かめることは何時でもできることです。真の姿を追求する、学者魂
はいつももっていてほしいものです。
さて、本論へ戻ることにしましょう。
“がん細胞の転移”は空想の世界に他なりません。ガン巣が同時、ある
さて、本論へ戻ることにしましょう。
“がん細胞の転移”は空想の世界に他なりません。ガン巣が同時、ある
いは時間的な差をおいて体内に発生する原因について、苦しまぎれに考
えついた屁理屈です。このような“学説”などとは程遠いまやかし語を
医学者たちは盲信しています。誤りに気づくのは何時のことでしょうか。
実に情けないことです。
ガン細胞は転移するのではなく「新生」しているのです。ガン細胞は
ガン細胞は転移するのではなく「新生」しているのです。ガン細胞は
局所だけに発生するのではありません。環境が悪化した組織に、他の箇所
と同時に、あるいは時間差をおいて発生します。ガン細胞が発生しやすい
環境は、局所的ではなく全身的に生じるのです。荒れた畑が改良されない
限り、悪い芽が次々と現れることはいうまでもないこと。体内も一つの
畑・・・荒れた組織の各所では、赤血球を母体としたガン細胞が次々と
新生しガン腫を生成してゆきます。
この事実を知らない医学者たちは、各所になぜガン腫が現れるのか、
この事実を知らない医学者たちは、各所になぜガン腫が現れるのか、
その説明に窮したあげく、“ガン細胞の転移”という苦肉の語をでっちあげ
たのでしょう。ガン細胞の起源すら解明できていない現実では、各所にガ
ン腫が同時、あるいは次々に現れる現象について『千島学説』を無視する
医学者たちに説明できるはずがありません。それにつけても、この語を
“発明”した人は、医学者というより文学者のほうが適しているのではな
いでしょうか。
11.ガン特集の要結
“ガン”と診断されることは今日の医学では殆ど死の宣告と同義語のよう
になっています。今なら回復する可能性があると、早期の治療を受けた
入たちでも、長く苦しい入院生活のあげく、この世を去ってゆく患者は
少なくありません。患者の悲惨さはいうに及ばず残された家族や周囲の
入たちの癒すことのできない、深い心の傷は、一生消えることがあり
ません。
現代医学は驚異的な進歩を遂げているといわれる一方で、ガン患者の
現代医学は驚異的な進歩を遂げているといわれる一方で、ガン患者の
死亡率が高まり続けている現状はどういうことなのでしょうか。
これは、いままでに述べたように、現代医学の根本に幾つもの重大な
これは、いままでに述べたように、現代医学の根本に幾つもの重大な
誤りがあることを今なお気づいていないからです。
その重大な誤りを改めて記述しておきましょう。
その重大な誤りを改めて記述しておきましょう。
① ガン細胞に対する誤った既成学説“細胞分裂説”を盲信していること。
② 赤血球の重要な働きを完全に見落とし、あるいは無視していること。
③ 発ガンの要因に長期のストレス蓄積があることを軽視していること。
④ ガン患者、及び慢性諸病の患者に衰弱防止策として、高カロリー食
一辺倒の栄養学に終始していること。
Wellsはその著のなかで『ガンは将来、病院や研究室で、恐怖に震えな
がら、しかも冷静に、急がず、あわてず、根気強く研究する人々によって
撲滅できるときが来るであろう。ガンに打ち勝つ動機となるものは、苦
痛でも、名誉でもなく、ガンは何故に、どのように起きるかを知ろうと
する好奇心である』といっています。彼のように、ガンヘの恐怖を克服
せんがために、多くの研究者たちがガン対策への関心を強めていますが、
現状はWellsのいうような好奇心などでは、根本から誤っている現代医学
む基盤を正すことなどできません。
真剣にガン克服を望むなら、研究者たちは既成学説に捉われること
真剣にガン克服を望むなら、研究者たちは既成学説に捉われること
なく、前述したような『千島学説』の新血液理論によるガン細胞の起源
、また精神生活とガンの密接な関連、ガンや慢性諸病治療にはマイナス
の栄養学、すなわち断食・減食が不可欠な方法であることなどを率直に
受け入れ、感情を捨て人々を救う熱意を燃えることこそ、ガン対策に
係わる人たちが今すぐとるべき道なのです。 `
ガンは人類が自然の摂理に反した生活をした結果、荒れた身体に生ま
ガンは人類が自然の摂理に反した生活をした結果、荒れた身体に生ま
れた我が子が病気になったと同じこと。体内環境を是正し浄化することに
よって、病気だった我が子のガン細胞も、間もなく健康な赤血球に変
わり、そして正常な体細胞に変わってゆきます。
37.ガンと千島学説 no.12
古代医学の血液観
(a) 東洋医学と血液
古来、東洋医学では、その根本を気血の調和においています。気は精神を意味し、血は当然に血液及び肉体にあたります。これとつながって経脈論があります。経脈は精神が通る気脈(今日の神経に似ている)と、血液の通う血脈(血管)とにわけられています。精神と血液(肉体)との調和によって健康は保たれ、その異和によって疾病が起きるとされていました。これは、素朴な考えではありますが、現代の分析的な西洋医学に対し深い示唆をあたえています。
インドのブラーマン教時代の医書、(アーユル・ベーダ)には「食物は乳糜となり、乳糜は脾と肝で血液となり(千島学説の第5原理・腸造血説と観点が似ている)、血液は筋肉を生じ、脂肪は骨を生じ(血は筋肉を生ずるという点は赤血球分化説に一致する)、骨は髄を生ずるが脈管内の血液がその成分(空気、粘液、胆汁)に異和を生ずると病気が起きる」としています。
古代漢方医学でも、インドのこの思想に似たものがありました。即ち、杉原氏によれば、「食物から消化器中で必要な成分(正)が吸収されて精となり、不要(邪)なものは体外に排出されて、精は絡脈を経て六腑(内臓)に貯蔵され、必要に応じ絡脈を経て六腑に入り血液に変化し、消費部へ行って消費される」となっています。この杉原氏の考えは、千島学説・第2原理の「血球と組織の可逆的分化説」に似ているようです。
小川政修氏によりますと、古代エジプトの医学もまた、清浄な血液、体液と空気が健康の基礎だと考え、メソポタミアの医学は、殊に血液を中心にしていました。即ち正しい飲食をとり、血液を清浄にすることが長寿の秘訣だとされていました。また、夢は血液から生まれるものだと考え、夢占いは現代の生理学者或いは精神身体医学者の身分にある人が行っていました。
(b) 古代ギリシャ医学と血液
西洋医学の父といわれている古代ギリシャのヒポクラテスは「人間と自然は一体であり、人間の体内には活力が内在し、それがよく調和を保っておれぱ、健康であるが、何かの原因でそれが乱れると病気になる」と説きました。ヒポクラテスの医術は、食物、水、草本、叉は薬草類を用い、自然の法則を信じ、東洋的な自然療法に近いものだったことでしょう。ヒポクラテスの唱えた「液体病理説」は有名です。これは、血液・粘液・黄色胆汁・黒色胆汁の4液を人体組成の基本的液体とし、病はこの4液の不調和から起きるというものです。彼は壮年時代に小アジアを旅行していることからも、また彼の液体病理説がインドの血液観と似ていることからも、東洋の古代思想の影響を強く受けているように思われます。
何れにしても、血液、体液の調和と不調和を健康か否か、また性格と結びつけたことは、大変興味深い着想です。そしてこれは、科学的にも根拠がないとはいえません。彼の液体病理説は単なる空想や思いつきではなく、一定の根拠をもっていたものと推測できます。なぜなら、ヒポクラテスのいう4種の液汁は、血液を意味しているからです。メイヤーは、これについて「血液が特別な液体であることは古来、人類最古の思想財であり、生きている限り血液は古代の4汁の調和がとれた混合物だ。新しい血液を数日間放置しておくと、その性質として、上述4汁を泌出する。底には黒色の血餅が現れる。これが黒色胆汁にあたり、その上には黄色の血清が出る。これは黄色胆汁に、その上には粘液層ができ、いわゆる血は生物的性質の混合液である」といっています。
これらの液汁を胆汁と呼んだのは、当時の偉大な生理学者、ガレーノスが肝臓は造血器官であると考えたからだといいます。しかもこの4種の液汁から結局、すべての組織、器官、一切の生物体が構成され、この4汁が正しく構成されているとき、生体は健康であり、1汁でも過不足になると病気を起こすと考えていました。この4汁説が古代生理学の根底になり、ヒポクラテスの診断学の基礎になっていました。
また、4汁の根本性質の結合から種々の器官の堅さの程度が説明されます。血は根本要素「水」を含み、さらに上述の4汁を生じます。骨と筋肉は「地」の性の普遍的性質を備え、且つ絶えず血によって調和的に還流されています。肉や骨の損傷が血と密接に関連するという考えも、この千島学説・第1原理における赤血球の分化能と一致しています。
古代ギリシャ人はさらに、心理的傾向に対して4つの根本的気質を分類し、それと4汁を対応させています。それが今日でもしばしば、人間の気質型として用いられています。即ち胆汁質、粘液質、多血質などがそれです。
4汁のなかの1つが過剰な場合、気質の変化となって現れるといいます。黒色胆汁の過剰は暗い気質、憂鬱症を、黄色胆汁の過剰は怒りやすい胆汁質的気質を、粘液過剰はにえ切らない粘液気質を、また血液量過剰は、熱しやすい気質を結果すると説いています。もちろん、古代ギリシャの血液観をそのまま現代の生物学や医学に、そのまま適用できるなどというわけではありません。現代科学が余りにも分析的、機械論的に生体や血液を観ているのに対し、古代人は鋭い直観によって現象の極めて根本的なものをよく把握し、しかもそれを見事に体系づけていることに、我々現代人は大いに学ぶ必要があると痛感するわけです。血液を生体の本質的要素とし、生体の他の要素も血液を基礎とすると説く点、血液の組成と健康、疾病、気質などとの関係をこの古代で洞察していたことに、驚嘆するほかありません。
また、当時の「入れ子」概念も現代科学の諸成果と厳密に一致するとはいえませんが、有機体、殊に細胞や生物体の個体発生や系統発生の段階的な有機的体制化とよく符号するものもあるようです。それは千島喜久男博士が発見した、バクテリアの集団から藻類、原生動物、血球、また各種細胞に発展し、さらに無核赤血球や藻類(クロレラ)の集団から、より高次の細胞へと発展し、ついで多数の細胞の集合と分化、そして有機的体制化によって個体を構成する過程(千島博士のいうコアセルヴェートの体制化)と相通じる点が多くあります。
(c) ギリシャ医学の流れをくむもの
ヒポクラテスの流れをくむパラセリアスは、16世紀のスイスの医師であり、錬金術家でした。彼は血液について「人体を循環する血液は、心臓には魂の最も凝集した中心があり、そこから体中に放射し、再びそれは心臓に回帰する」と説いています。
このように、古代や中世の先賢たちは、血液及び心臓に生命の本質的なものが宿っているものと直観していました。さらに近代になってからは、フランスの動物哲学者、ラマルクは進化論の先駆者として有名ですが、彼はその著書『動物哲学』のなかで、血液と体液が動物の各種器官を形成する基礎であることを見抜いています。
ラマルクが主張した用不要説を第1の原理としますと、次の彼の第2原理は、本項の赤血球分化説と深い関連がありますので、ここで概説しておきましょう。
彼は「流動体を含み非常に柔軟な部分におけるその流動体の運動力について考えて、私はやがて生物体内の流動体の運動が加速されるに従って、その流動体が運動の場としている細胞組織に変化を与え、、そこに通路を開き、種々の脈管を形成し、遂にその流動体が見出される体制の状態に従って、各種の器官を造るに至るということを確信する」と述べています。ラマルクのこの第2原理は、今日まで完全に無視されてきているようですが、本項の赤血球分化説と、生物のオルガナイゼーション(有機的体制化)段階説とによって、彼の説が正しいものであることが証明されたといえましょう。
38.がんと千島学説 no13
赤血球の運命と赤血球貪食細胞
(a) 血液及び赤血球の量
血液、とくに赤血球は動物の発生、成長に際して細胞増殖の主要因であるという千島喜久男博士の説に支持を与える一つの事実は、血液の有形成分の大部分は赤血球であること、また赤血球が血液の液状成分に対する容積比が非常に大きいことです。体重1kg当たりの血液容積(cc)は、アルトマンの報告によりますと次のようになっています。
ヒト男64~97、ヒト女63~97.5、サル75,1、ウシ57、ウマ72、イヌ92.6、ヤギ70、ヒツジ58、ブタ65、ウサギ70、ニワトリ95.5などとなっています。体重が60Kgの人なら、血液の容積は大体4.2リットルになります。そのなかで赤血球の容積は血液全体の約35%ですから、概算しますと約1.5リットルになります。しかもこの赤血球は毎日1/10~1/12ずつ新たに形成されるといわれています。それは体の何処かで破壊されるための補充だと考えられています。しかし、実際は破壊されて消失するのではなく、全身の組織細胞へ常時変化しているためです。血液中の赤血球容積が大きいのは、ガス代謝のためだけではなく、体細胞の母体であるためです。
(b) 赤血球の破壊と貪食作用
従来、老化した赤血球は体の一定部位で破壊されるものと考えられています。しかし、その場所や様相については諸説があって一致していないのが現状です。ルースは赤血球はヘモグロビンを失うことなく細かく壊れて、血管内皮細胞に摂取されると唱えました。
ドーンやセービンも、赤血球は細分されて崩壊すると唱えており、ウサギの血液を湿潤標本で観察した結果では、赤血球はまず細長い突起を出して、いわゆる変形赤血球になる。この突起は、始め緩やかに動いているが次第に早く振動するようになり、遂には赤血球から分離して桿状又は球状になる。1個の赤血球からときに2つ以上の突起が同時に生ずることもあるといっています。
また同じ項でこの変形赤血球は赤血球崩壊の前段階であり、突起が分離して遂には小赤血球になるものと解さられると述べています。
貧血や血球溶解の場合、脾臓が腫大し、そこで赤血球が崩壊しているという説は、現代病理学者の一般的見解です。しかし、千島学説からの考えはそうではありません。その崩壊しているかのような像は、赤血球が融合して周辺の組織細胞へ分化している過程なのです。
本編は革新の医学理論といわれる千島学説の解説編です。そしてこの項は、その第1原理・赤血球分化説のお話です。「赤血球はあらゆる体細胞や生殖細胞に分化する」という理論が中心になっています。このことは既成学説、即ち「赤血球は一定期間、体内を循環したあと、体の何処かで崩壊し去る」という定説と根本的に対立します。
この点についてまず従来の諸説をいま少し紹介しながら、既成学説に批判を加えたいと思います。殊に興味深いのは、前世紀終わりから今世紀初めにかけて、現在よりはるかに真実に近いものを観ていた人が多いことです。たとえば、病的状態では、赤血球は血管内皮細胞によって貪食されるという説は、今も広く信じられており、生理的状態においても同様なことが行われているということは、1898年頃ラウツによって認められていました。
その後、ハウエルが「脾臓内のある種の大型細胞は赤血球、又はその破片を含んでいる。それらの細胞は肝臓の静脈洞中にある貪食細胞の一種、クッパー細胞と同様に、赤血球を実際に捕食する証拠であると考えられている」といって以来、血管内皮細胞の赤血球貪食説はだんだん忘れられるようになりました。
ピーターは、各種動物の胚子時代の細胞崩壊について広く研究していますが、そのなかで赤血球は3-4週間で25億個も崩壊するといっています。崩壊ではなく、赤血球が固定組織細胞に分化していることなど、彼のまったく知らないことです。しかし彼は、軟骨細胞は崩壊して軟骨基質となり、また眼盃やレンズを形成する際も、細胞崩壊を起こすといっています。これもまた、赤血球の分化過程をみているようです。
カールは、グリーマンが多くの腺管の形成は、その部の細胞崩壊が主要な役割を演じていると主張したのに対しそれを否定しましたが、千島喜久男博士は、胚子の細精管や中腎その他において、中心部の細胞が崩壊して管腔ができることを1951年発表しています。
ストックホルム大学の生化学教室、ロックナーはウサギの赤血球に放射性鉄でラベルして、他のウサギに輸血し一定時間後に、その各種器官中の放射性鉄誘導体を調べ、それが存在する所で赤血球が破壊されたものと判断して、次のように報告しています。
『注入した赤血球と結合した放射性鉄は、赤色骨髄(74%)、肝臓(8.4%)、肺(7.9%)、小腸(4.0%)、腎(3.7%)、脾臓(2.0%)であった。この結果から、赤色骨髄が赤血球崩壊の最も重要な部分であり、人間においても原理的にこれと同様のことがいえるのではないか』といっています。
同様のことを、ミッチェルやマンが報告しています。これらの報告は、骨髄諸要素が赤血球の分化によるものだという、千島喜久男博士の実験的研究結果とも一部似た点もありますが、赤血球全部の運命を示してはいません。「赤血球は体のすべての細胞に分化する」・・・これが赤血球の運命なのです。
(c) 赤血球の運命と赤血球貪食細胞
これまで、老化赤血球は流血中から骨髄、脾、肝、その他、体のあちこちで貪食細胞(マクロファージ)によって捕食され、その一生を終えるものとされてきました。ポンダーは血管内で崩壊するといい、ドーンは貧血症の場合には特に多量の赤血球が骨髄で捕食されていると主張しました。また、ポンダーやブラウンは、正常なら黄色骨髄で充満している長骨の骨髄が、貧血のときには赤色骨髄に変わるのは、骨髄で赤血球が捕食されるからだといっています。
しかし、この考えは大変な間違いだといわざるをえません。これは栄養状態の悪化から、骨髄脂肪が赤血球に逆戻りしている(第2原理・血球と組織の可逆的分化説)状態を見誤っているのです。ローズは、白血病では骨髄での赤血球生産が増し、一方では赤血球の破壊も増すから、白血病と貧血は関係があるといっています。白血病に貧血症状がでるのは確かで、ローズがいっていることは当然のことです。骨髄での造血が盛んだなどということは、骨髄脂肪その他から血球への逆分化を知らないからです。
キャッスルは、前述したような諸説に反対して、動物や人間が生きている間は赤血球が貪食されるようなことはなく、死後に起きる一種のアーチファクト(人工的産物)だといっています。この説も、一部は真理を含んでいるようですが、赤血球が貪食されているような像は、死後などではなく、常時動物や人間において見ることができます。しかし、それは捕食されているのではなく、赤血球と細胞との可逆的な分化関係を示しているのです。
従来、細胞質中に赤血球を含んでいる細胞を「赤血球貪食細胞」と呼び、一種のマクロファージだとされています。この貪食細胞は、老化赤血球を捕食して消化、同化する作用をなすものだと考えられています。その一方で、赤血球を捕食した貪食細胞の運命については、キースが「それは静脈の内皮細胞に変わる」といっているだけで、今の組織学者のほとんどが、この貪食細胞のその後の運命について、まったく触れていません。
これまでの、固定的な細胞観念に傾倒している人たちには、疑問にならないことかも知れませんが、動的な細胞観念をもつ人にとっては、決して見過ごすことのできない重要な問題です。殊に千島喜久男博士のように、赤血球は極めて広い分化能をもつ細胞前段階のものだと主張する者にとっては、貪食細胞の運命と、赤血球の生理的崩壊についての既成諸学説は、徹底的に究明しなければならない問題なのです。
千島喜久男博士の研究の結果から発見された結論を先にいいますと、赤血球貪食細胞なるもは、血球を捕食する細胞などではなく、赤血球の融合と分化によって生じたもので、体細胞に分化途上の中間移行型のものです。
クラークやレックスは、ウサギの耳に透明窓を作り、生きたリンパ管内の貪食細胞と赤血球との行動を顕微鏡で観察しています。それによりますと、「1月26日、リンパ管中へ付近の静脈から白血球と貪食細胞が侵入してきた。1月31日には白血球、赤血球、その他の細胞がそこに現れ、2月2日にはそのリンパ管の一端に、血球を貪食した貪食細胞が相当数出現し、大部分の血球は貪食細胞細胞内にあり、遊離しているものは僅かになっていた」と報告しています。
また、「同一貪食細胞を続けて2日間観察した結果、前日、貪食細胞の周囲にあった赤血球が、翌日にはほとんど全部が貪食細胞内に入っていた」といっています。クラークたちは貪食細胞に赤血球のほとんどが捕食されてしまったと報告していますが、これは事実を全く逆に見ています。貪食細胞が赤血球を捕食するのではなく、赤血球が融合しあって貪食細胞という、前細胞段階のものを新生しているのです。また、リンパ管内に静脈から侵入したという白血球も、多分その大部分は、侵入してきたのではなく、周辺の赤血球の分化によって新生したと考えるほうが自然です。
▼マクロファージの特性
マクロファージ又は大喰細胞の一般的な特性に関する組織学者たちの見解を、マキシモウやブルームたちの主張に従って総合しますと、凡ての組織中にあって、コロイド状液中にある異物を摂取する細胞を指し、結合組織中にあるものは、マクロフアージまたは破壊細胞、休止遊走細胞などと呼ばれ、リンパ節や骨髄組織中にあるものは網状細胞、肝の静脈洞、脳下垂体や副腎の静脈洞内面を被うものをクッペル細胞、血管や毛細管の外側にあるものは外膜細胞といっています。
また、肺の組織中にあって塵芥を含んでいるものを塵芥細胞などと、様々な名称で呼ばれています。もっとも、喰作用をもつ細胞でも、好中性多型核白血球は小喰細胞と呼ばれ、大型の組織球や単球性のものがマクロフアージと呼ばれていることもあります。
▼マクロファージの起源と分化能
マクロファージは線維母細胞が、その先端で直接分裂して生ずるものだとするモランドの説があります。一般的にこの細胞は、組織球又は単球の一種とされ、細網内皮系細胞が特定の異物刺激を受けると、それぞれの組織(脾・リンパ節・骨髄・肝・副腎・下垂体前葉などの静脈洞内皮系細胞)から遊離して生ずるものだとされています。しかし、この考えは血管内皮から血球が形成されるという既成学説を基礎としたものです。
千島学説をもとにして考えますと、これは分化の方向を事実と逆に見ています。栄養不足など病的な場合には逆分化によってそのような状態が現れることもありますが、正常時には血球から内皮細胞に分化するのです。
マキシモウたちは、マクロフアージは間葉性細胞から生じ、貪喰性多型核細胞、巨大細胞、線維芽細胞に移行すると主張しています。しかし、よく考えてみるとマクロフアージ自体が、一種の異常型であるといえます。即ち、色素その他の異物類などを静注したときに現れるもので、これは異物と赤血球とが融合して生じた異常な細胞だと考えるほうが適切だと思います。この点でクラークたちは、マクロファージは一種の人工産物であり、刺激によって退行し生じたものだと主張しています。これは千島学説と一部の共通点があります。
▼マクロファージの作用
メチニコフは炎症を起こしたとき、この細胞が生理的防御作用をするといいました。今日においても、小喰細胞は主として細菌を食い、大喰細胞は(マクロファージ)はコロイド、各種色素、炭末、脂肪、タンパク質、細胞の破片、白血球、赤血球などを捕食して体の防御、組織の清掃をしていると考えられています。
以上で古来から現在に至るまでに説かれた赤血球の運命のなかで、貪喰細胞による赤血球の捕食について、幾つかの血液学者の提唱した説に批評を加えて紹介しました。ところで上述したような学者たちが、赤血球を捕食したかのように見たいわゆる赤血球貪喰細胞の存在を主張することに対し、これに異議を唱えるわけではありませんが、この現象に関する学者たちの解釈に対しては異議を唱えざるを得ません。
赤血球は血球の大部分を占めており、その運命については正確な研究と、慎重な解釈がされなければなりません。しかし赤血球の真の行動について、現実は余りにも知られていないために、これまで紹介したような不合理と矛盾に満ちた諸説が氾濫しています。そして誰もそれらの説に疑問を感じる人も殆どいないようです。
これまで、赤血球を貪喰する細胞の起源が明らかにされていないため、赤血球を含んだ細胞があれば、それはその細胞に赤血球が食われたのだと、想像したものに過ぎないのです。クロレラ集団から淡水海綿細胞が新生されるのを見て、クロレラは細胞内の共生者だと判断するのと似ています。
赤血球の集団から肝細胞が形成される状況は、ヤギの肝臓を注意深く検索すれば容易に確認することができます。他方、栄養不良や飢餓状態のときに、肝細胞や骨髄巨大細胞が多数の赤血球又は赤血球母細胞に逆分化する場合にも、いわゆる赤血球貪喰細胞と等しい形態が現れます。栄養状態が良好なときには、赤血球の集合と融合によって、巨大な赤血球貪喰細胞のような形態を経て固定組織細胞に分化します。肝や脳、脊髄の神経節細胞でこのような過程を見ることができます。
これまで、貧血の場合に、骨髄その他で赤血球が赤血球貪喰細胞に捕食されるために貧血が起きると説明されてきました。この説には多くの矛盾が含まれていますが、強い貧血や白血病の場合は、肝や脾に赤血球が集中し融合しあって肝や脾の組織細胞に分化するため、これらの器官が著しく肥大することがあります。この場合、赤血球塊から肝や脾の細胞を新生する一定段階では、かの赤血球貪喰細胞の形態を経ることがあります。しかし、それは決して赤血球を食う細胞としてではなく、せいぜい白血球との融合がある程度です。
39.ガンと千島学説 no14
巨大細胞の成因と赤血球のAFD現象
1 血球の融合による巨大細胞の形成
これは、前述したマクロファージや赤血球貪喰細胞と成因が似ています。しかし、一応は既成説に従った説明をして、後から批判を加えることにしましょう。
巨大細胞の成因は2種類あるとされています。核のみが分裂増殖して細胞質の分裂がこれに伴わないため生ずるプラスモジューム性のもの、そしてもう一つは、多数の細胞がその原形質膜の分子表面張力が低いために、融合して巨大な細胞を形成するシンシチュウム性といわれるものです。しかし、種々の巨大細胞が、プラスモジューム性なのか、シンシチュウム性のものなのかは明確にされていませんが、種類としては次のようなものがあります。
① 異物巨細胞……異物の周囲に内皮細胞、組織球、単球などが集まり、それらが融合したり、あるいは核分裂を起こしたりして生じたものとされています。これは明らかに血球の集合と融合による、シンシチュウム性のものとするのが妥当でしょう。
② 骨髄巨大細胞……その名のとおり、骨髄中にある巨大細胞です。核が数十個以上に及ぶこともあります。これも赤血球を貪喰する細胞などではなく、赤血球の集塊から融合が始まり細胞への分化途上にあるものです。
③ ランハン氏巨大細胞……結核結節中に現れる巨大細胞で数十から百個以上の核をもつことがあります。細胞核は周縁に花環状に配列されていますが、これは多分、巨大細胞の外側にある赤血球が融合によって核が新生されたものと考えられます。この細胞はシンシチュウム性であることは一般に承認されているようです。この細胞の中央部には、結核菌を貪喰していることがあるといわれていますが、これは多分貪喰したのではなく、赤血球によって取り囲まれたものが、細胞の形成過程のなかで中心に残されたものだと考えるほうが適切だと考えます。
④ スタンバーグ氏巨大細胞……リンパ肉芽腫組織に見られる巨大細胞で、大きさは必ずしも一定していません。これまで、その成因は解明されていませんが、これは静脈洞あるいは静脈内の血球が融合、分化して形成されたものに違いないでしょう。赤血球の分化という事実を理解し、承認しない限り、前述した各種巨大細胞の成因同様に、到底解明することはできません。
核のみが分裂して原形質の分裂を伴わないプラスモジューム性巨大細胞などというものは、細胞分裂説を信奉する人々が想像的に考え出したものです。巨大細胞はどれも原則的には赤血球の融合と分化によって生まれたもの。巨大細胞に核分裂が見られるというのは、赤血球の集塊あるいは栄養不良時に脂肪組織中にDNAが合成されるとき、互いに接近して核が新生するとき、それが分裂によって生じたものと見誤りがちです。
2 巨大細胞の形成と白血球の培養
巨大細胞が赤血球の集合と融合そして分化によって形成されることは、これまでに述べたとおりですが、ホフマンは白血球の融合によって、プラスモジュール性巨大細胞が形成されると次のように報告しています。
「人の血液をとって10分間遠心分離器にかけ赤血球層と血清層との間にある白血球層をピペットで吸い取り、水洗し、37℃で培養する。培養基中へ細かい孔を開けたセロファンを置く。これが巨大細胞形成を促すものと考える。白血球塊を培養して2時間後にはセロファンの表面に沢山の白血球が移動してくるが、最も早く移動してくるのは多型核白血球である。単球は多数融合して多核の巨大細胞を形成する。3時間後には他の細胞も融合して多核白血球を形成するのが見られる。単球は活発に活動しリンパ球を貪喰する。そして24時間後には立派な巨大細胞が形成される。或るものは10-12個の核を含み、それらは細胞壁近くに位置している。また細胞の破片を含んだ巨大細胞も多く見られるようになる。時間の経過とともに巨大細胞はさらに他の巨大細胞と融合して、百個、ときには千個もの核をもつ一層大きな巨大細胞細胞になる。そして、50-60時間後には多型核白血球は存在しなくなる。これは多分、一部分が巨大細胞に含まれていることから、貪喰されたものと考えられる」
ホフマンも、白血球が貪喰されたといっていますが、今までに述べたように貪喰ではなく、多型核白血球とその他の白血球が融合し、分化したために巨大細胞以外の細胞が次第に姿を消すことになります。彼は実験で有孔セロファンを使用しなかったときには、試験管のガラス壁に巨大細胞が形成されるといっています。このように巨大細胞の形成は、異物に接することが一要因になっていることが考えられます。
3 腫瘍中に見られる多核巨大細胞
この細胞について、幾人かの報告があるため紹介しましょう。ネーデルは人の甲状腺切除術をした後で、その部に70以上の核をもつ多核巨大細胞を見つけ、これは骨髄の肉腫と区別できないほどよく似ているが、起源はまったく別であるといっています。これに対しラサールは、この2種の巨大細胞は外観的に似ているだけではなく、その起源も共通点が多いとネーデルに反論しました。その以前にジョンソンが、骨腫瘍内の巨大細胞は大型単核貪喰細胞の融合によって生ずるといい、ガーターは骨腫瘍中及び甲状腺腫の巨大細胞も等しく貪喰作用の結果生じたものだと主張しました。
ガーターはさらに「巨大細胞はほとんど常に赤血球と共に出現する。しかもこれは、赤血球が血管外に出ることなしに、血管内で巨大細胞と一緒になっている。そして巨大細胞は常に血管の薄い膜で被われて血管の内部に現れる」といっており、ラサールもこの所見に賛成しています。しかし、彼らの実験や観察は既成学説を基盤においているため、空回りに終わっています。誰もこの巨大細胞が主として赤血球(一部は白血球)の融合と核の新生という事実にまったく気づいていないことは実に残念なことです。
4 骨髄巨大細胞内の赤血球
骨髄巨大細胞中に前述したような各種白血球(多核白血球、単核細胞)や赤血球が含まれていることは、しばしば報告されています。そしてその研究者のすべてが、これについて巨大細胞の貪喰能が活発になったためだといっています。しかしこの実験は、ウサギにペプトンあるいはリンパ球、骨髄細胞、胸腺核酸ソーダ等を静脈内注射して反応をみたものであり、正常体ではほとんど見られない現象です。尾曽越氏は、これらの白血球が能動的に巨大細胞中に侵入したものであるとし、その理由として、これらの白血球が退行変性の兆しを示さないことを挙げています。また赤血球は運動性がないから、巨大細胞中の無核または有核赤血球は貪喰されたものだと主張しています。しかし、そうだと断言するのは、少々問題があるのではないでしょうか。
巨大細胞中の白血球や赤血球には、成因が次のように二つあることに気づいていないからです。
① 栄養の良い状態で、赤血球(一部は流血中の白血球も含む)が融合し、小リンパ球または多核白血球の集塊、即ち『いわゆる貪喰性の巨大細胞』へ分化するもの。各種の物理化学的異物の刺激に基づく病的状態の場合に多く見られます。正常体でも時には程度の軽い赤血球融合体から骨髄細胞→骨髄脂肪へ分化、退行する像が見られます。
② 飢餓等の栄養不良時には、骨髄巨大細胞といわれるものは、骨髄脂肪→巨大細胞→赤芽球→赤血球へと逆分化します。
この二者を区別するには、実験動物の栄養状態をよく調べる必要があります。
赤血球貪喰細胞といわれる巨大細胞は、赤血球の集合と融合、そして分化する、いわゆるAFD現象によって形成されたものなのです。前述したように、赤血球を貪喰したものと誤った見方をしているとしかいえません。また、巨大細胞にはプラスモジューム性(細胞核だけが分裂して細胞質の分裂はないとされるもの)のものがあると一般的に考えられていますが、そのような細胞が実在することは考えられません。核分裂と考えられている像は、赤血球が融合して細胞核を新生しているとき一見すると、分裂しているかのように見えるために「核だけが分裂する」と捉えただけのことです。
巨大細胞といわれるすべての細胞は、赤血球、またはその分化によって形成された細胞が、AFD現象の結果として生じたものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
B 「骨髄外造血説」と血球の可逆的分化
『生後の造血では血球のうち赤血球と顆粒白血球は骨髄で、リンパ球はリンパ節で造られるが、胚子時代には肝や脾でも赤血球は造られる』と一般に考えられています。しかし、この定説を信じている人々でも、疾病やその他の異常な状態ではこれら以外の場所でも造血が行われていると考え、これを「骨髄外造血」とか「異所造血」と呼び、異常時という限定はありますが、骨髄外の造血を認めています。その諸説は次のようなものです。
▼胚子・幼児時代
出生前または出生直後には肝、脾、胸腺、腎、腎盂、乳腺、腸間膜、足の裏、汗腺、背部・頭部の皮膚等に赤血球造血巣が見られたと、ブロックやウエイルその他が報告しています。しかし、これらはみな赤血球が器官、組織細胞へ分化している状態を見誤ってそのような判断をしてしまったのでしょう。
マキシモウは、胚子では卵黄嚢や肝ばかりではなく、すべての部分で間葉性細胞から赤血球を始め、各種の血球を造血していると報告し、多くの支持者を得ています。これらの造血巣といわれているものは、正常栄養のときなら赤血球がすべての固定組織細胞に分化している状態を見たものであり、栄養不良な病的状態のときなら、その反対方向への分化によって赤血球が造られている様子を観察したのでしょう。これまでの造血学説が大変な誤りであることに気づく時はきっと来るに違いありません。
▼成体では・・・
成体でも腎、生殖巣、脾などで異所造血を見たという学者もいます。それに対しブルームは健康な成体でも異所造血は決して起きないと断言しています。それはともかくとして、成体でも病的状態では異所造血を見たと報告する学者が大変多くいます。ブルーム、ワーレン、プレーマンたちは、病的状態では肝、脾、稀に副腎、腎、軟骨、靱帯、すべての脂肪組織に異所造血としての像を確認できたといっています。
骨髄外造血(異所造血)と呼ばれているものは、生後の疾病等の異常な状態で、体の殆どすべての組織で見出されます。これは千島学説・第2原理『血球と組織の可逆的分化説』の栄養不良時における固定組織から赤血球への逆分化に該当する事象です。また胚子時代や幼児時代には、正常な場合でも比較的多くの異所造血像が見られるのは、この時代には成長が極めて旺盛且つ迅速であり、赤血球から各固定組織細胞への分化像が頻繁に見られることから、その分化方向を逆に見て造血の場所だと誤解したものでしょう。
これまで、造血巣といわれている場所は、
① 血球と固定組織細胞との間に、その分化途上にある中間移行型が存在する。
② 比較的多くの赤血球が存在している。
③ 血球母細胞といわれる細胞に分裂像がみられる。
などということが、その判断の基準とされてきました。しかし①②の項は赤血球から固定組織細胞に分化しているのか、それとも反対に固定組織細胞から赤血球へ逆分化しているのかを決定する基準にはなりません。その基準になるのは③だけになります。しかし実際問題として③に照らしたとき、上述した各種の異所造血はどれも造血といえるだけの固定組織細胞の細胞分裂係数はないと確信します。ごくわずかの細胞分裂像も見られないと断言はできませんが、その分裂像が必ず2分割する分裂を続けることはなく、そのまま細胞は死を迎えることになります。
赤血球は血流によって次から次へと全身に運ばれ、血流の緩除、または停止によって、その箇所に留まり、それぞれの箇所の固定組織細胞へ分化するのです。また栄養不良時(各種疾患があるとき、健康体でも食事摂取量が少ないとき、または絶食のとき)には赤血球へ逆分化します。このことから、異所造血というものは正常体では赤血球の体細胞への分化像を見誤ったものであり、病的状態あるいは栄養不良時においては、体組織細胞から赤血球へ逆分化している状態を造血巣と誤解しているに他なりません。
『赤血球分化説』そして『血球と組織の可逆的分化説』が理解されたとき、異所造血たるものの真実がわかるはずです。
C 赤血球の寿命と分化能
赤血球の寿命については百年このかた多くの研究がなされてきました。始めの頃は有核赤血球を輸血する方法から始まり、現在のように放射性物質で赤血球にラベルをつけ、それを追跡する方法まで種々の策が考案され研究されてきました。しかし今現在、内外の諸研究者はすべて赤血球の作用は生体のガス代謝だけだと信じ込み、赤血球の分化能について誰一人として気づいていません。そのために赤血球の寿命に関するいろいろな研究とその成果に対する解釈は真実から大きく反れています。しかし、これまでの諸説の概要を紹介しそれに批判を加えることも無意義ではないと考えます。
1948年までの研究過程については主としてアービーの論文その他を、それ以後のものについては個々の研究について紹介しましょう。なお、赤血球の寿命についての既成学説は大きく分けますと短命説と長命説の2説になります。
これはラファエルが唱えた説で『哺乳類の赤血球は無核であるため、栄養回復など生理的な活動が不可能であるから、その寿命は固定組織細胞のそれより短いだろう。もっとも正確な生存日数はなお不明である……』といっています。この説はこれまで多くの血液学者によって支持されてきました。トーマスはその著書のなかで、『正常赤血球の寿命は非常に制限されているので、恐らく6週間を超えることはないだろう』といっています。
この説を主張する学者たちは赤血球にいろいろな物質でラベルをつけて輸血し、その赤血球が消滅するまでの期間を直接または間接の方法で追跡した結果に基づいています。それによりますと、赤血球の寿命はおよそ120日前後だと結論づけています。
赤血球の寿命についての短命説と長命説の概要はこのようなものですが、次に実験方法別に考えてみましょう。
▼輸血や出血による赤血球寿命の測定
これは赤血球寿命の研究では比較的初期に行われた実験です。ハンターによれば、多量の放血を行った後に脱線維血を輸血して、全血球が最小値になるまでの日数から計算すると、赤血球の寿命は14-26日だといっています。その後スコーベルは酸素張力を低くすると血液過多症が起きることを見つけ、過剰に生産された赤血球は代償的な赤血球破壊によって自然の寿命に戻ると考えました。そして赤血球が正常値に快復するまでの日数を調べて、ネズミでは12-18日、イヌでは16-23日、ヒトでは18-30日であるとしました。イートンはウサギやイヌに激しい失血を起こさせた後、網状赤血球の出現率を調べ、その曲線の山と山との間を赤血球の寿命として、イヌでは16日、ウサギでは9日だったといっています。
古典的だといわれている赤血球短命説を、今日では信じている人はいません。しかし、近代行われているような放射性物質を用いた結果による長命説よりも、古典的ではあるものの真実に近いものと考えられます。
▼胆汁色素の測定から見た赤血球寿命
胆汁色素は赤血球中のヘモグロビンから形成されるという定義から、胆汁色素の分泌量によって赤血球の寿命を測定しようとする方法です。この実験もまた赤血球の短命説に有利な証拠を提供しているといえるでしょう。もっとも、胆汁色素はすべてヘモグロビンから形成されるという説と、そればかりではなく他の物質の関与もあるという説に分かれています。前者は後者よりもずっと短命説に近いものです。また胆汁色素は腸から吸収されて、再び胆汁色素形成に関与することも知られていますから問題は複雑になります。
ヤーミンやリッテンバーグはN16でラベルしたグリセリンを人間に与えて調べたところ、N16はヘモグロビン形成に腸で再利用されないと報告しています。しかし胆汁がその物質の型を変えていたとしても、腸から再吸収されることは間違いないことと考えられます。しかし胆汁の分泌量から胆汁色素の量を測定することは可能ですが、赤血球の生産量及び消失量との関係を明らかにすることは至難といわざるをえません。そのため、多数の学者がこの問題を研究したにもかかわらず、信頼できるような赤血球の寿命を計測したものはありません。
ブラーマンは赤血球の寿命と胆汁色素について研究し、『赤血球は血流停止の場、とくに脾の内部で崩壊しやすいといわれているが、赤血球はふつう流血中でも崩壊し、壊れた破片は貪喰網内皮系細胞によって摂取される。そしてビリルビンは赤血球を捕食した網内皮系細胞中で形成され、この色素はタンパク質と結合して血管で肝に運ばれ、そこで色素はタンパク質から分離して胆汁中のビリルビンになる』いっています。
彼の観察と表現は大変煩雑といわざるをえません。こんな複雑な経過をとらなくても、肝へ行った赤血球はその場で肝細胞に分化し胆汁を形成するわけです。ブラーマンの説明では人間の場合、220mgのビリルビンが形成され、便や尿によって排泄されるので、これを基礎として赤血球消失量を計算するといいます。
しかし、赤血球は肝や脾だけで崩壊するものではなく、すべての体組織で崩壊のような融合状態を経て、再びそこで各種の細胞を新生します。ヘモグロビンはその際、すべてビリルビンを排出するとは限りませんから、この方法で測定した赤血球の寿命は実際よりも過大な数値が現れるものと推測されます。
▼輸血と凝集反応からみた赤血球の寿命
輸血された血球は、異種タンパクということから一種の抗原として作用します。アービーは輸血と凝集反応による研究から、赤血球の寿命は正常体で30-110日であると長命説に賛同しています。彼は貧血患者に輸血した非凝集性赤血球が最少になるまでをその寿命とした計算で110日と判断し、黄疸患者では52日としました。
以上、赤血球の寿命に関する幾つかの研究を紹介しましたが、近代においては人間の赤血球の寿命は110-120日前後と考えるようになっています。しかし、これまでの測定方法はすべて間接的な方法であり、赤血球の真の寿命を表すには適切なものとはいえません。
何故かといいますと、創傷部位では赤血球が7日以内に結合組織に変わることは、鳥類、哺乳類、両棲類を通じて確かですし、とくにニワトリの卵巣ではそれよりも早く、3-4日で赤血球が濾胞壁細胞に分化していると判断されるからです。
固定組織に定着せず流血中にある赤血球は、多分それ以上存在し続けるでしょう。カエルの全血液を冬季の室温でカバースライド法で培養したとき、1ヶ月間も赤血球が崩壊せずそのまま存在しているのを観察したこともあります。血管中を長い間流れて老齢になった赤血球は壊れやすく、そして白血球に変わりやすくなります。
赤血球は組織細胞に分化する能力をもち、AFD現象が見られ、しかも赤血球の寿命はその定着する組織の種類や場所によって一定ではありませんから、これを平均値で算出しようとしますと大変な無理が生じることになります。
40.ガンと千鳥学説 no15
血球の運命とその分化
D リンパ球の運命と分化能
日々莫大な数のリンパ球が体の何処かへ消失することは、血液学者も組織学者も認めています。しかし、それが何処へ消えてゆくのか現在においても謎につつまれたままです。
『赤血球はリンパ球(白血球)を経てすべての体細胞に分化する』という千島学説・第1原理が理解されない限り、リンパ球の行方は永久の謎として残されることでしょう。
リンパ球の運命については諸説がありますから、その幾つかを参考のために紹介しておきましょう。
崩壊消滅説
① 「過剰になったリンパ球は腸粘膜上皮細胞の間を通り抜けて腸内に排泄される」という説。これはバウンティとヘストンが唱えた説です。これに対してスタンレーは、腸管内腔にみられるリンパ球は死後の変化によるもので、組織学的にはリンパ球が腸内に排泄されるという説は証明できないといっています。ヤッフィーやドリンカーも腸内に排泄されるリンパ球はほんの一部にすぎないと述べています。リンパ球について一般には、流血中では僅か数時間ー12時間ほどの寿命しかなく、それが造られるリンパ組織それ自体のなかで崩壊したり、また腸管の中へ排出されて崩壊してしまうものと考えられています。
しかし、この説はまったくの誤りであるという他ありません。各種の脊椎動物において、正常な状態の腸粘膜上皮細胞を通って多量のリンパ球が腸内腔に放出される状況など起きることはあり得ないことです。ただ時には、健常な動物の小腸絨毛の一部が剥がれ(これは多分硬い食物の通過の通過による機械的作用と考えられる)、またこの断面から一部の血液が腸管内に流出する像は認められます。しかし、多数のリンパ球が正常な粘膜から排出されるような像は、前にも述べましたように決して見ることはできません。正常な腸粘膜、即ち絨毛上皮の表面は、モネラ状物質で被われまた液胞を含む無定型の層から成っていますから、リンパ球が排出されるような余地がないのです。
硬い食物の通過により剥がれた絨毛の諸細胞は、腸内で退行する際に細胞核が球形化し、リンパ球状になることから、多分この状態を見て過剰リンパ球は腸腔内に排出されたのだと誤解したものと推測されます。大自然は正常な体機能のなかで、貴重な生産物を過剰に造り、それを徒に排出するような無駄なことはしません。
腸壁から離脱し変化した絨毛上皮細胞や流出した血液の一部が、腸内における消化酵素の重要な材料となる可能性はありますが、これらは体の全リンパ球の行方のごく一部にすぎません。リンパ球の大部分は体のすべての固定組織に分化してゆく運命にあることは疑いのない事実です。赤血球はリンパ球、いわゆる白血球の段階を経て、各種の固定組織細胞に分化するのが原則です。殊に炎症部位などでは、その状況を明確に見ることができます。また絶食や栄養不良のときには、腸の絨毛の細胞はすべて小リンパ球状になるものです。
② 「リンパ球は種々の器官や組織中で崩壊する」という説。エイバーガー他3人の学者が、リンパ球に特殊なラベルをしたあと、血管内に注入しリンパ球の行方を調べました。その結果を「注入したリンパ球は肺、脾、肝、腎などに抑留されるが、主として肺で除去される」といっています。また他にもリンパ球は種々の器官や組織中で崩壊すると主張する学者もいます。しかし、これらの学者が崩壊あるいは除去されると見ている像は、すべてリンパ球(白血球)が組織間隙においてその組織の細胞に分化している状態を見誤ったものでしょう。
③ 「リンパ球は最後にはリンパ組織に戻る」という説。ジョベールが唱えた説ですが、これではリンパ組織がリンパ球で充満した状態がつづき、リンパ球が戻る余裕はないはずです。リンパ球のごく一部はリンパ節に戻る可能性があることは否定できません。何れにしてもこの説も的はずれといえるでしょう。
④ 「リンパ球の主な崩壊場所は肺である」という説。エイバーガーが特殊なラベルをした白血球を血管内に注入した結果を報告したものです。これも末梢的な技術にとらわれた誤った見方であるとしかいえません。人間を含めた動物の体で、肺がリンパ球の主な処理場だといえるような証拠は何処にもありません。
⑤ 肝、脾、骨髄、その他のリンパ組織がリンパ球の主なる崩壊場所であるという説。ファールがウサギに無毒の薬品でラベルしたリンパ球を静脈内注入をし検索した結果、注入後約90分で流血中から消失し、2-12時間後に組織学的検索をしたところラベルしたリンパ球は骨髄、リンパ組織、身体各部の結合組織、腸の固有層,粘膜下組織にみることができ、骨髄ではすでに、骨髄細胞に分化していましたが、他の器官ではみられませんでした。結論として彼は、
A.リンパ球はリンパ組織に戻ってリンパ球生産に役立つ。
B.他のものは骨髄へ行って顆粒性骨髄細胞になる。
と報告しています。この説は上述した他の諸説より比較の上で真実に近づいた観はありますが、まだまだほど遠いものといわざるを得ません。そのわけは、すべての体組織はリンパ球が定着してその組織細胞に分化する場所だということに、まったく気づいていないからです。
マキシモウやブルームも、リンパ球は寿命がわずか12時間ほどであり、主としてリンパ組織で壊れ、一部は腸粘膜を通過して腸管内へ排出されるものだといっています。リンパ球(白血球)が細胞へ分化する能力をもっているという説は、千島喜久男博士が世界で初めて唱えた理論です。
赤血球がある程度の分化能をもつようだということに気づいたごく少数の学者はいましたが、『赤血球は白血球(リンパ球)を経てすべての体細胞へ分化する』ことに気づいた学者は千島喜久男博士以外にはいません。もしこのことを多くの学者が、十分に理解していたら、リンパ球や白血球は崩壊し去るものではなく、体のすべての細胞に分化しているということが、ずっと昔に認められていることでしょう。
E 丘氏父子の細胞新生説と赤血球分化説
今から数十年前の生物学者には現在の人々に比べて、事象の本質をよく捉えて率直な見解を発表している人が多いようです。
丘浅次郎氏の苔虫に関する研究もその一つです。丘氏は当時の東大理学部紀要に、カンテンコケムシの研究のなかで、卵黄球状の顆粒から細胞が新生することを発表しています。1890年のことですから、千島喜久男博士や博士の説に賛同したレペシンスカヤより遙かに早く、ごく部分的ではあるものの細胞新生の事実を知っていたことになります。
丘浅次郎氏はその概要を次のように述べています。
① 卵の卵黄質のような顆粒によって内部が構成されるstatoblastの発生過程では、顆粒塊が棒状に配列し(染色により濃染するため周囲の淡染質の顆粒とは明確に区別できる)顆粒を失い、間隙を生じ管に変化しfuniculusの源基となる。
② 筋生成の過程についても顆粒塊から生じることに注意したい。
③ 各器官形成の完了まで体腔は顆粒細胞塊で満たされ、器官の生成過程において顆粒が減少し顆粒細胞塊は消失する。
④ 発生がかなり進行すると中心に核が現れ、周辺に顆粒の層がない細胞塊が散在する。少し後の段階では周縁のある、そして一端に核のある細胞が見られるが、これには顆粒は見られない。これを「大きな血球」と命名することを提案したい。
⑤ 顆粒が嚢の外面に並んで一種の層を形成するが、次いで顆粒は減少しそれにつれて細胞と核は大きくなる。
以上が丘浅次郎氏の『卵黄球状顆粒からの細胞新生説』ともいえる卓見ですが、氏の子息である丘英通氏は、ホヤの群体が出芽によって増殖する際、15~20個のリンパ球から新個体ができることを発見し、これによって一種の血球分化説を立て、第33回日本動物学会の受賞講演として発表しています。
リンパ球が広い分化能をもつことは、千島喜久男博士がそれよりも二十年以上も前に発表していることです。丘氏には賞が与えられ、千島喜久男博士の発表には沈黙をもって答えているのは不可解なことです。
F 白血球の寿命
白血球の寿命についてはこれまで多くの研究がされていますが、所説の一致を欠いています。
(a) 中性白血球の寿命について
ウエスコットはウサギにベンゾールを与え、骨髄中の中性白血球の形成を抑制して、流血中にそれが現れなくなる日数を測定し、中性白血球の寿命は平均3~4日であると結論しています。
(b) リンパ球の寿命
ヤッフィはイヌについて主リンパ管内のリンパ流やリンパ球数の測定などによって、リンパ球の平均寿命は11.6時間だと報告しています。アダムスのグループも同様の方法で、ネコでは10~12時間だと算定し、レンハーはネズミでは11.6時間とし、24時間で流血中のリンパ球は20.5倍だけ置き換えられるといっています。ヤッフィはウサギで288分だといい、デュークは白ネズミで170分と算定しました。
オットーは健康なヒトのリンパ球の寿命は7日、白血病患者では30~84日とし、オッセンも健康人では3~4日から100~200日といった大ざっぱな数値を出しています。
これらの他にも多数の報告が出されていますが、どの説も各自各様、統一性がありません。報告されている数値は余りにも偏差が大きすぎるだけでなく、これらの研究者は体の部位によってリンパ球の分化速度が異なってくることに少しも気づいていません。そのうえ、平均値をとっているのですから一層におかしなことになっています。
赤血球が固定組織細胞へ分化する前には、一度リンパ球(白血球)の段階を経る場合が多いうえに、栄養状態が悪いときには、固定組織からリンパ球に逆分化します。前述したような実験報告は、これらの点をまったく無視したものですから結果に大きな差異ができるわけです。千島喜久男博士はウサギのリンパ球をカバースライド方式で観察したとき、12時間後に細胞質が増加していることを認めていますが、リンパ球が流血中で半日以内に崩壊するなどという前述研究者たちの説は理解に苦しむというほかありません。
(c) 顆粒白血球その他の寿命
ローレンスは2匹のネコの頸静脈を吻合させ、放射線によって顆粒白血球を失ったネコと正常なネコとの血液を混合し輸血した血球が消失する時間を測定した結果、白血球は24時間に1,5回ずつ置き換えられる……言い換えれば16時間の寿命だと結論しました。
これに対しファウルはウサギに薬品でラベルした白血球を輸血したところ、少数の白血球は72時間後でも流血中に残っていたといっています。また短命説としては、ボイドやジャッカルたちはネズミに放射線を照射し白血球形成を抑制して、他の個体との白血球数を比較する方法で測定しており、またバンダイクも同様の方法によって単核白血球の平均寿命は170分、多型核白血球は23分だったと報告しています。なお、ホフマンの記載では白血球の寿命は研究者各自によって異なり、ヒトは4日ー200日と大きな違いがあり、どれが正しいものかということはまったく不明だといっています。
この研究について他にも多くの学者たちの報告がありますが、その数値は千差万別で一貫性がありません。その最大原因は、白血球というものは赤血球から固定組織細胞へ分化する途中段階のものだということがわかっていないことにあります。
(d) 白血球に関する諸説への批判
前述した研究者たちには次のような共通した不合理があります。
① 白血球は赤血球から分化したものであることに全く気づいていない。
② 白血球は骨髄で造られるという既成説を盲信している。
③ 白血球は赤血球が固定組織細胞に移行する中間段階のもので、本来は流血中にあるべきものではないが、生理的あるいは機械的に流血中へ少数が遊離し、栄養不良や疾病のときは特に多量に流血中に固定組織から逆戻りするものであることを全然考慮していない。
④ ヒトの観察対象として患者を材料としている。
⑤ 白血球のなかでもリンパ球は最も幼若型であり、一方顆粒白血球は老型だが各種白血球はみな一連の分化段階にあるものだから、寿命にも差異があることを考慮に入れていない。
⑥ 白血球が固定組織細胞に分化する速さ、いわゆる寿命は健康状態や年齢によって異なるだけではなく、分化する組織の種類によって著しく異なってくる。卵巣のような器官では非常に速い。ニワトリの卵巣では3~4日以内だが、結合織や筋肉組織はこれより遅い。
⑦ 多くの研究者たちは処理した流血中のアイソトープを調べることにのみ専念して、白血球というものが、何時、何処で、どのようにして、消滅するかをまったく確かめようとしていない。
主な不合理点を挙げてみましたが、今でも一般に白血球は赤血球に比べて短命であるとされています。これは、輸血された白血球が流血中にあらわれることが少ないことからきています。
白血球は赤血球より粘着性が高いという性質から血管内壁、あるいは組織の間隙に接着して抑留され易いために、流血中に出現する可能性も少なくなるわけです。しかし、このことによって白血球は赤血球より著しく短命であるとする従来の考え方は問題だと考えます。赤血球から白血球を経て固定組織細胞へ分化するという現象から、ほんとうの意味からいえば、赤血球が生まれてから固定組織細胞が崩壊するまでの期間がこの赤血球の寿命であるといえます。
ですから、赤血球や白血球の寿命を論じあうことは、あたかも人の幼年時代、青年時代、壮年時代を各々別人と考えてその寿命を論じあっているようなものです。幾度も述べているように、白血球は赤血球から固定組織細胞に分化する中間過程としての存在であり、組織に定着しかけているものですから、流血中に現れることは正常ではなく、むしろ例外的なものだといえます。
従来の説では正常時における人の血液1立方ミリ中には赤血球が500万個前後、白血球の数は6000個前後とされています。しかし、前述したように流血中に白血球が現れることは例外的な現象であり、健康体でこの6000個という数は再検討を要する問題だといえます。
G リンパ領域とその意義
リンパ球は人では、血液中の白血球の20~25%を占めており、両棲類以上の動物では体の組織の至る所に存在していて、その分布率はおそらく赤血球と同じか、それについで広範囲に分布しています。病的の組織、殊に炎症部には円形細胞浸潤と呼ばれるリンパ球の集合箇所が見られます。また、健康体でもリンパ節、脾臓、小腸粘膜のリンパ濾胞、咽喉の扁桃、その他の箇所にもリンパ球の集まりが諸処で認められます。また一方、正常なのか、病的なのか区別をつけようがない所にリンパ球が集合している領域があります。
これを「リンパ領域」と呼び、これを種々な意味に解釈しているようです。『赤血球分化説』とも関係がありますから、これを少し紹介してみましょう。
ニワトリの脳や脊髄にはリンパ領域が存在しており、これに関する研究報告にジェンハー、パルマー、ベーリー、オウバーグなどのものがあります。殊にジェンハーは健康なニワトリの脳の38%にリンパ領域を認めており、あとの学者たちも雛から成鶏までの内臓神経叢にリンパ領域が存在することを認めています。
オウバーグはリンパ浸潤が起きる理由として、
A. 小静脈内に小リンパ球が集積し、血管壁が破れて周囲に拡がる。
B. 小血管内にリンパ球が集積して周囲に浸潤する。
C. 隣接する腸間膜その他からリンパ球が神経幹のなかへ移動するためであり、これは病的であり神経の働きを害する。
と説明しています。
千島喜久男博士は、いろいろな状態におけるニワトリの各種組織を調べていますが、健康なニワトリでもリンパ領域を上述した学者たちがいうような部分に見ています。ただその程度をどのように解釈するかが問題です。
リンパ領域は病的な状態であるほど著明であり、また健康体でも絶食などで栄養状態が悪くなっているときには、さらに著明に現れます。この場合には内臓だけでなく脳、脊髄、筋肉、脂肪、骨、その他あらゆる組織が赤血球に逆分化します。その際、中間移行型であるリンパ様球が大量に現れます。オウバーグが主張するようにリンパ球が充満したために血管が破れるのではなく、周辺組織から血球へ逆分化し毛細血管を新生している状態が、あたかも血管が破れているかのように見えるものです。
『千島学説・第2原理・血球と組織の可逆的分化説』を理解することによって、リンパ領域に関する意見の対立や疑問は自然に解消され、その他の矛盾も解くことができるはずです。
41、がんと千島学説 no16
各種器官の構造及び組織発生と血球分化①
ここでは唾液腺、肝、膵、脾、肺、腎、乳腺との関連についてお話ししましょう。
【1】唾液腺と血球分化
消化液を分泌する消化管付属の腺は口腔、肝、膵などにあります。これらのうち、口腔に分泌物を出す唾液腺は昆虫類では非常に発達していますが、下等脊椎動物(魚類)ではあまりはっきりした唾液腺はみられません。両棲類では耳下腺、顎下腺、舌下腺などがあって主として粘液性の唾液を分泌しています。爬虫類や鳥類にも三種の唾液腺が確認されていますが食餌の種類による関連から、あまり著明といえるような発達はしていません。
これらの生物と比較して、哺乳類では多くの腺が発達しています。一般に唾液腺というものは神経支配を受ける程度が強いという傾向があります。哺乳類の耳下腺は漿液性であり、顎下腺はウサギ、ネズミでは純漿液、イヌやネコでは純粘液性になっていて食事のとき以外でも分泌しています。
舌下腺は漿液、粘液の混合腺でこれも絶えず分泌する腺です。ヒトの場合では唾液の一日分泌量は1500ccといわれています。唾液中の細胞要素は唾液小体と呼ばれていますが、白血球の一種である好中球です。唾液中には幾種かのホルモンを含むという説もあります。
爬虫類の毒蛇には唾液腺が変化した毒腺がありますが、この毒液にはホルモン的な成分が含まれているかもしれません。鳥類では前述したように唾液腺は一般的に発育していません。
漿液腺と粘液腺からの混合腺から成るのは顎下腺と舌下腺ですが、両種の腺液分泌の割合は、動物の種類によって著しい差異があります。舌をもっているアリクイは昆虫などを捕食するときに役立てるため、顎下腺から分泌する粘液を貯めておく嚢までもっています。ウシやウマのような有蹄類は食べ物を湿らせて飲み込みやすくするために漿液性の唾液を分泌します。
耳下腺は顎下腺よりも4倍の大きさで、菜食性齧歯類もまた同様の傾向があります。
遺伝学では昆虫(ドロソフィラ)の唾液腺の染色体が非常に大きいことから、この染色体にある個々の横縞を遺伝子と想定し、それと各形質とを対応させて『染色体地図』なるものまで画いて染色体遺伝学の基本としています。しかし、唾液を分泌したあと、その腺細胞は結局は崩壊死滅する運命にあるばかりでなく、千島喜久男医博が提唱しているように唾液腺細胞も赤血球の分化によって形成されるものですから、メンデル・モルガンの遺伝学に傾倒する学者が、染色体の細胞遺伝に固執するのは妥当なこととはいえません。このことは、生殖細胞と体細胞とは相互に独立していると主張しているモルガンの原理と明確に対立しています。千島喜久男医博は研究結果から、唾液腺は赤血球から分化して生じた腺上皮から成り、その崩壊成分と血液中の液状成分とによって唾液腺細胞が形成されることを確認しています。遺伝と染色体の関連を重視することは少々問題があり、遺伝の主役は赤血球だとする千島喜久男医博の主張が世界に認められるときは必ず来ることでしょう。
これらの生物と比較して、哺乳類では多くの腺が発達しています。一般に唾液腺というものは神経支配を受ける程度が強いという傾向があります。哺乳類の耳下腺は漿液性であり、顎下腺はウサギ、ネズミでは純漿液、イヌやネコでは純粘液性になっていて食事のとき以外でも分泌しています。
舌下腺は漿液、粘液の混合腺でこれも絶えず分泌する腺です。ヒトの場合では唾液の一日分泌量は1500ccといわれています。唾液中の細胞要素は唾液小体と呼ばれていますが、白血球の一種である好中球です。唾液中には幾種かのホルモンを含むという説もあります。
爬虫類の毒蛇には唾液腺が変化した毒腺がありますが、この毒液にはホルモン的な成分が含まれているかもしれません。鳥類では前述したように唾液腺は一般的に発育していません。
漿液腺と粘液腺からの混合腺から成るのは顎下腺と舌下腺ですが、両種の腺液分泌の割合は、動物の種類によって著しい差異があります。舌をもっているアリクイは昆虫などを捕食するときに役立てるため、顎下腺から分泌する粘液を貯めておく嚢までもっています。ウシやウマのような有蹄類は食べ物を湿らせて飲み込みやすくするために漿液性の唾液を分泌します。
耳下腺は顎下腺よりも4倍の大きさで、菜食性齧歯類もまた同様の傾向があります。
遺伝学では昆虫(ドロソフィラ)の唾液腺の染色体が非常に大きいことから、この染色体にある個々の横縞を遺伝子と想定し、それと各形質とを対応させて『染色体地図』なるものまで画いて染色体遺伝学の基本としています。しかし、唾液を分泌したあと、その腺細胞は結局は崩壊死滅する運命にあるばかりでなく、千島喜久男医博が提唱しているように唾液腺細胞も赤血球の分化によって形成されるものですから、メンデル・モルガンの遺伝学に傾倒する学者が、染色体の細胞遺伝に固執するのは妥当なこととはいえません。このことは、生殖細胞と体細胞とは相互に独立していると主張しているモルガンの原理と明確に対立しています。千島喜久男医博は研究結果から、唾液腺は赤血球から分化して生じた腺上皮から成り、その崩壊成分と血液中の液状成分とによって唾液腺細胞が形成されることを確認しています。遺伝と染色体の関連を重視することは少々問題があり、遺伝の主役は赤血球だとする千島喜久男医博の主張が世界に認められるときは必ず来ることでしょう。
【2】肝臓の組織発生と血球分化
すべての脊椎動物がもつ肝臓はヒトの場合、内臓中の最大器官で、成人では1400グラム前後の重さがあり、体重の3%程度を占めています。ご承知のように肝臓が分泌する胆汁は脂肪の分解消化に役立ち、また造血物質をも含んでいます。さらに肝臓は血液中の有害物や異物の抑留をするほかに、糖質をグリコーゲンとして貯蔵するなどといった重要な作用を担っています。
無脊椎動物や原索動物(ナメクジウオ)などにも肝臓といわれる器官はありますが、脊椎動物の肝臓ほど発育していないとされています。脊椎動物だけに本来の作用をもつ肝臓があるわけです。
魚類、両棲類、爬虫類などの肝臓も鳥類、哺乳類などのそれと原則的に色彩、形状、構造、作用などが共通的です。ただ両棲類や爬虫類の肝臓には色素細胞が顕著にみられることは注目されます。
胚小葉も鳥類、哺乳類には明瞭にみられ、肝静脈洞壁にあるクッパー氏細胞もすべての脊椎動物にみるこことができます。これについて千島喜久男医博は、主に赤血球(一部は白血球)が肝細胞索の隙間へ一時的に定着し少し分化したもので、後には肝細胞に変わる若い細胞だといっています。
また胚子の肝は造血器官であるとする説が今でも広く支持されています。これは多分ハモンドの研究報告を深く考慮することなく容認したためでしょう。
ハモンドはネズミの受精13日目の胚子を実験材料として観察した結果、血管内皮細胞→間葉性細胞→赤血球母細胞→赤血球へ分化すると発表しました。しかし、たとえ胚子時代であるといっても、既に赤血球が形成されていることは事実ですし、受精13日目頃にはそれが肝へ流入してくる時期でもありますから、ハモンドが見た状態は赤血球になる過程ではなく、赤血球から血管内皮細胞に分化している状態を見誤ったものといえます。
無脊椎動物や原索動物(ナメクジウオ)などにも肝臓といわれる器官はありますが、脊椎動物の肝臓ほど発育していないとされています。脊椎動物だけに本来の作用をもつ肝臓があるわけです。
魚類、両棲類、爬虫類などの肝臓も鳥類、哺乳類などのそれと原則的に色彩、形状、構造、作用などが共通的です。ただ両棲類や爬虫類の肝臓には色素細胞が顕著にみられることは注目されます。
胚小葉も鳥類、哺乳類には明瞭にみられ、肝静脈洞壁にあるクッパー氏細胞もすべての脊椎動物にみるこことができます。これについて千島喜久男医博は、主に赤血球(一部は白血球)が肝細胞索の隙間へ一時的に定着し少し分化したもので、後には肝細胞に変わる若い細胞だといっています。
また胚子の肝は造血器官であるとする説が今でも広く支持されています。これは多分ハモンドの研究報告を深く考慮することなく容認したためでしょう。
ハモンドはネズミの受精13日目の胚子を実験材料として観察した結果、血管内皮細胞→間葉性細胞→赤血球母細胞→赤血球へ分化すると発表しました。しかし、たとえ胚子時代であるといっても、既に赤血球が形成されていることは事実ですし、受精13日目頃にはそれが肝へ流入してくる時期でもありますから、ハモンドが見た状態は赤血球になる過程ではなく、赤血球から血管内皮細胞に分化している状態を見誤ったものといえます。
(a) 肝臓の働き
現在の医学常識として次のような作用があるといわれています。
① 胆汁を分泌し、脂肪を細かな脂肪球に変化させる。
② 血液の貯蔵。
③ 糖分やタンパク質をグリコーゲンに変え肝細胞中に貯蔵する。
④ ヒトにおいては胎生時代に、下等動物では生涯に亘って赤血球の生成を行う。
⑤ 脾臓その他で破壊された赤血球や老化赤血球及び異物、毒物などの抑留、分解を行う。
などといった作用があると一般的に考えられていますが、これを千島学説の第1原理・『赤血球分化説』を基盤にして総合的に考察してみましょう。
①…正しい作用ですが分泌の方法について既成学説には疑問があると千島喜久男博士は主張しています。肝細胞は赤血球から分化したものだということは前述したことですが、胆汁中に含まれている胆汁色素(胆赤素と胆緑素)の由来は今も解明されていない点があります。色素の原材料は赤血球中のヘモグロビンであることは疑いないことです。肝細胞もクッパー細胞もすべて赤血球から分化したものですから胆汁色素の由来はヘモグロビンだとするのが妥当なことと考えられます。
②③…これらの作用については正しい説です。
④…これには大きな誤りがあるといえます。胎生時代から生後の生涯に亘って正常体の肝臓は赤血球を母胎として成長と肝細胞の補充が行われ、飢餓状態においては千島学説の第2原理『血球と組織の可逆的分化説』が示すように今度は、赤血球に逆分化します。現代の医学、生物学はこの事実に対し否定や無視をつづけています。
⑤…肝臓は老廃赤血球を破壊する場所だと現代医学では定義づけしていますが、これはその過程を考察することなくその現象だけを捉えた結果だといえます。千島喜久男医博は赤血球の変化過程を観察中、肝臓では赤血球がいったん溶解状の血球(血球モネラ)まで解体し、それから肝の各種細胞を新生する事実を確認していますが、その状態だけを見た当初の観察者は赤血球が破壊されているものだと誤認したに違いありません。赤血球と肝細胞との栄養状態による可逆的分化の説を裏付ける事実として、飢餓により肝臓の重量が著しく減少することが挙げられます。
また、季節的に栄養摂取が難しい時期、あるいは餌の多い時期であっても妊娠中の魚類その他の動物において、肝臓に顕著な萎縮が見られることは、よく知られています。夏季においてヒキガエルでは肝臓の有機物含有量が著しく増加しますが脂肪分やグリコーゲン、水分は減少します。
ロベッティの報告によりますと、肝細胞の大きさは12月~1月は主として脂肪によって、3月~6月はグリコーゲンに依存しているが、肝細胞が最小になるときは10月~11月の性的危機にあるといいます。
(b) 肝の組織発生
① 両棲類……オタマジャクシでは孵化当日の腹部は、卵黄球で充満し各種内臓の基盤はほとんど形成されていません。孵化後4日~5日経つと消化管の原基がほぼ完成しますが、腸壁にはまだ卵黄球から腸粘膜上皮細胞を新生する途中の過程にあります。ちょうどこの頃、腸になるべき部分の下方に空所が生じ、そこに肝臓の原基が形成され始めます。最初、肝を形成する卵黄球の塊のなかに多数の間葉細胞が千島喜久男医博がいう卵黄球のAFD現象(集合・融合・発展の過程)によって造られ、続いて肝細胞索が形成されます。この際、肝は心臓に近づき太い血管と接続しています。肝細胞索の隙間は始めは広くなっていてそこに赤血球が流入します。
この場合、内皮細胞に覆われていない肝細胞索の表面に赤血球が多数密着し、それはリンパ球状になる過程を経て細胞質を増して、また核は明るく大きく成長し肝細胞へ移行する状態を千島喜久男医博は確認しています。従来の学者は、このような状態を観察してハモンドのように胚子の肝を造血器官だと、その過程を総合的に考察せず誤認してしまったのでしょう。肝細胞はいわれるような細胞分裂による増殖は通常では皆無といっていいほどありません。稀に見られる分裂像も必ず細胞の2分裂によるという証拠もありません。ですから、胚子の肝の成長は赤血球の定着、分化による肝細胞への移行によるもので、胚子の肝が造血機能をもつなどということは、事実を逆方向に捉えた結果であり妥当なものではありません。
② 鳥類の胚子……千島喜久男博士は、鳥類の胚子でもオタマジャクシのようにはっきりと卵黄球塊から肝の原基が形成されることを観察していませんが、腸壁の一部と血管を母体とする肝の原基が形成されてからは、肝は正常に血管を中心として成長する事実は観察しています。
肝細胞索の隙間を充たす赤血球は両棲類と全く同じように赤血球→リンパ球→内皮細胞→肝細胞という分化移行の過程を通常的に見ることができます。
③ 哺乳類……哺乳類の肝臓も腸の一部が隆起することによって形成され始めます。最初は腸の内腔と肝原基の内腔が連続していますが、このことは発生学上認められていることです。千島喜久男医博はネズミの胚子によって肝形成の初期を観察していますが、原則的にはニワトリと同じように、胚子の肝における造血は見られませんでした。しかし、赤血球から肝細胞への分化過程は生後におけると同様明瞭に見ることができます。
マキシモウは初生児の小さな肝が体で一番大きな器官になる機構について、まったく理解できないと率直に述べています。このことは赤血球の広い分化能を認めない限り解明できない問題です。
(c) 肝の細胞核の大きさに係る諸説
ヤコブは正常な肝細胞核の容積には1:2:4などのような倍加的な段階があるが、これは染色体の大きさが倍加的に大きくなるためだと述べています。クララもこの説に賛同していますがパウルはこれに反対して染色体の大きさではなく、数が増えるためだと主張しました。また肝細胞の染色体の存在についても諸説があり意見の一致はないようです。有糸分裂の結果だというもの、また2個の静止核が融合した結果だというものなどがあり、なかなかまとまりそうにありません。
この問題を千島学説から考察すると、肝細胞は正常な栄養状態にあるときには、赤血球の融合と分化によって生じますが、種々の不自然あるいは人為的処理、また疾病やその他の事情による飢餓状態になったときには、肝細胞から赤血球に逆戻りするものだという事実を理解できたとき、容易に説明できることです。これまでの研究者はこの事実を知らず正常状態と飢餓あるいは栄養不良状態とを混同し、しかもウイルヒョウの細胞分裂万能説に調子を合わせているのですから、妥当な見解を得ることができないのは当然といえるでしょう。
(d) 2核または多核の肝細胞の起源と運命
哺乳類の肝細胞には2核または多核のものが多いことは広く知られていることで多くの研究者の関心をひいてきました。ヤコブは前述したように肝細胞の容積は倍数的段階によるといい、2核または多核の肝細胞は細胞質は分裂せず核だけが分裂する直接分裂、ときには間接分裂によって増加したために生じたものと考えました。マンセルやモームたちもそう考えました。
これに反してホールやベーカー、キングたちは間接分裂によってのみ生ずると主張し、パウルは小さな核の融合によるものと見ています。そこでウイルソンはネズミを材料とした実験で次のように結論づけをしました。すなわち、2核の肝細胞は1核の細胞が核だけ有糸分裂で分かれた結果だが、大きな多核肝細胞は融合によって生じたものに違いなく、もし分裂によって生じたものなら、幾つもの両極紡錘糸が見られなければならないが、実際にはそれが見られなかったと報告しています。
千島喜久男医博は、ウイルソンのこの報告は一部については正しいものだといっていますが、2核のものは単核のものが有糸分裂によって生じたものだという見解には反対しています。
ウイルソンはこの種々の核の成因を単純化するために次のような仮説を示しています。すなわち、『肝細胞は生後間もなく核の有糸分裂が次第に低下遅延し、ついには細胞質の分裂が停止し2核細胞を生ずる。第2段階では紡錘糸の形成が行われない。最後には核膜は破壊されることなく染色体が形成されて2倍になる』という仮説です。このウイルソンの説も、赤血球から分化中で肝細胞になりかかった液胞中に幾つもの核が新生し始めている状態を細胞分裂と誤認したのでしょう。
パウルやビゼーは、2核肝細胞は生理的状態の変化によって融合したり、分離したりするものだと報告しています。これは千島学説・第2原理にあるように栄養不良の状態にあるときには、1個の肝細胞中に2~3個の核が現れ、さらにそれが2~数個の血球母細胞に分化し、次いで赤血球となって血流中に入ったときの過程を見たのでしょう。
尾持、永田、百瀬氏らはラッテの肝細胞の2核細胞と核分裂の日リズムとの関係を調べて次ぎのように発表しています。
『肝細胞においては核の無糸分裂が圧倒的に多い。有糸分裂は30個体、数万個の細胞中にただ1個しか確認することができなかった。無糸分裂の過程をくびれ期、中間期、離断期に分けると、くびれ期と中間期は午前8時に、離断期は午後の8時に多く、2核細胞は午前8時から午後4時までの間に多くなる。また全肝細胞の2割にあたる肝細胞は夜から朝にかけて2回減少し、その時期に単核細胞が増加する。この2核細胞の減少原因は大部分が2核の再融合によるものと考えられる。核分裂の時間的変動の要因は明らかではない』と報告しています。尾持教授たちのこのデータや考察に対し、千島喜久男医博は『肝細胞は血球(主として赤血球、一部は白血球)の融合によって新生するものであり分裂像というのは融合から分化途上の過程を見誤ったものである』として批判しています。
しかし、尾持教授らが肝細胞に有糸分裂は皆無といえるほど見られないことを率直に認めていることは真摯な観察だと感服するほかありません。
ただ、いわゆる『無糸分裂』というものを必ず細胞分裂の結果だと当然のこととして決めていますがこれは正しくないと思われます。千島喜久男氏は嘗て解剖学会において尾持教授と個人的に会ったとき、『細胞は分裂によって増殖するものではない』ということを話したそうですが、その後に発表された尾持教授のどの論文にも、まったく触れられていないと残念がっていました。
尾持教授たちのこの2核肝細胞に関する研究と考察は、白上謙一氏がカエルの卵分割の際に見られる多核細胞の起因を無糸分裂による増殖と考えているのとよく似ています。
2核又は多核肝細胞も細胞分裂によって生じるのではなく、赤血球からの細胞新生の一過程として見られる現象であり、また多核細胞が減少するのは核の融合によるものが大部分だとする尾持教授の見解は妥当だといえます。肝臓では2核或いは多核の細胞の核だけが融合したり、細胞全体が崩壊することは十分に考えられます。これは多量の胆汁生産が肝細胞の成熟とその崩壊が強く関連していると主張する千島学説の見解からすれば当然といえるでしょう。多核肝細胞は分裂による結果としての細胞増殖ではなく、赤血球の集合体から肝細胞へ分化している途中の過程で、その血球集合体のなかに2~3個の核を新生している状態にすぎず、この多核細胞は終局的には核の融合や細胞自体の崩壊によって肝生産物質に変わるという運命にあります。
肝細胞の発生とその運命について千島学説・第1原理では次のように説明しています。
① 1個の核が無糸分裂によって2個になり、細胞体の分裂によって2個の娘細胞になるといった過程は正常状態ではまったく示していない。『核が無糸分裂で2個に分かれる過程だ』として示されている尾持教授らが作成した図は切片標本によるものであり、しかも既成学説に合致させるように故意に配列し直したと推測される。実際には分裂とは反対に融合過程にあるものを無糸分裂としてしまったことを一部認容しているようであり、またその状態と細胞本体の分裂に至った結果の関連がまったく説明されていない。そこに矛盾がある。
② 肝細胞に3個の核があることは稀なことであるがその存在を尾持教授らは認めている。これは無糸分裂説では十分な説明はできないが、血球集合体から核を新生する場合なら始めに2個或いはそれ以上の核原基が生じて、それらが後には融合するのだという第1原理なら容易に説明できる。
実際に1個の血球中でも分裂することなく2個以上の核が新生する事実を確認している。
③ 2核肝細胞が夜間に2回の極大値を示すという『分裂の日リズム』の起きる原因については尾持教授らは明らかではないといっている。これは赤血球塊から肝細胞へ分化する過程と、肝臓における赤血球の定着と肝細胞への分化が主として夜間の睡眠中に行われるだろうという2点に関連づけて考える必要がある。要するに、尾持氏らがいう『核分裂』という語は、今後『いわゆる核分裂様の像』と改められるべきであろう。
(e) 2種の肝細胞の百分率
肝細胞に2個或いはそれ以上の核を持つものが多いことは前述しましたが、肝細胞の大きさには差異が多く、ラッテでは経が12~25ミクロンもあるので薄い切片標本では1個の肝細胞が切断されてしまうことが多くあります。このため実際の多核肝細胞より切片標本ではその存在割合が少なく計算される可能性が高くなりその結果による報告が多いようです。すなわち、6~8ミクロンの切片では往々にして多核肝細胞が切断されて1個の核のように見えてしまいます。
ウサギの肝臓では5ミクロンと7ミクロンの切片標本ではパウルの報告によると各々が実際の2分の1から3分の1になります。この関連の研究は多くの研究者が大きさについての報告をしていますが3核細胞の存在については誰も確認していないようです。また2核肝細胞の意義についても触れていません。これは千島学説・第1原理の「赤血球分化説」による赤血球塊からの肝細胞分化を理解することによって容易に説明できることです。
(f) 肝細胞の化学物質による異常な細胞分裂像
成体における肝細胞は正常な状態では殆ど細胞分裂像を示さないことは周知の事実ですが、特殊な化学物質の影響によって異常ともいえる分裂を始めることもよく知られています。その化学物質とは生体染色色素(トリパン青)、細菌毒素、コルヒチン、チオユレア、トリパフラビンといった薬剤類や煮沸した卵黄、肝組織などです。これらを注射することによって細胞分裂を始めるわけです。
ウイルソンやレダックも成長したマウスに四塩化炭素の皮下注射によって人為的に肝細胞の異常な細胞分裂像を起こすことができたといっています。また彼らはマウスの肝臓において2核又はそれ以上の多核細胞を確認し、その肝の切片標本を造ってその観察時に現れた異常核分裂の相を図や写真にとっています。そのなかには、染色体は見えませんが紡錘糸らしきものが見えて、直接分裂と間接分裂との中間のような状態を示している像や、2~3核の多核細胞の存在像もあります。
しかし、これらの像は千島学説でいうように、分裂によって生じたと見るより幾つかの核が細胞質中に新生したと考えるほうが妥当だと思われます。
多核細胞の由来をラドフォードは細胞質の粘度が高いために染色体が離れられないためだと考えていますが、これは単なる想像説にほかなりません。ウイルソンやレダックは肝細胞核の融合型の存在を示していますが、融合後に再び分かれるというパウルの説を引用しています。何れにしても特殊な化学物質の影響によって哺乳類の肝細胞に多核の細胞が現れることは事実のようですが、これは化学物質によってその刺激で肝に血液が集中し血球塊が生じ、核を多くもつ病的な細胞の新生像を分裂像と誤認したものでしょう。
紡錘糸状構造は観察する細胞を固定剤で処理する際に固定細胞を中心として、放射状を呈する人工産物を生じる可能性があります。ラミネーらはチオ尿素やその他の物質、すなわち葡萄状球菌、色素のトリパフラビン、同じくトリパンブルー、各種組織の分泌液などを互いに化学反応を起こさないようにして注射しても、肝細胞にいわゆる分裂像なるものを示させ得ることから、これらの有毒物質が肝細胞を崩壊させる現象だと判断しています。これは正しい判断だと思います。
化学物質による肝細胞の異常分裂像は多くの研究者が確認していますが、このような有毒物質を注射することによって肝細胞の核にどんな変化が現れようとも、それは正常な肝細胞の増殖には関係しないことです。この観察結果というものは多分、有毒物質によって肝炎を起こし、その兆候の一つとしての集中血液のなかに異常な血球塊が生じ、そこに病的な核新生が起きた現象を異常な多核細胞の発生とか、細胞分裂として既成説を基にして捉えているだけといえるでしょう。
(g) 肝の血管系と血球から肝細胞への分化
哺乳動物においては肝細胞索の間隙を流れる血液は毛細管又は静脈洞内にあって必ず一層の内皮細胞で被われていると既成学説では定義されています。たしかに、肝細胞索の諸所に扁平な、いわゆる内皮細胞が付着していることは間違いありませんが、鳥類以下の有核赤血球をもつ動物では、この内皮細胞といわれるものは赤血球が扁平化したものにすぎません。その証拠にこの扁平なものを2千倍に拡大して詳細に観察しても、間隙というものはまったくなく膜で隔てられていることもなく赤血球が肝の血管壁に付着し、それが内皮細胞へ移行している過程が常に見られることです。
肝細胞索の間の血流が生理的に停止すると血球索が形成され、それまであった肝細胞索が崩壊して胆汁成分に変化した後には、この血球索が第2次的に肝細胞索に分化してそれを補充します。
鳥類以下の有核赤血球動物では1個の有核赤血球から1個の肝細胞に分化しますが、哺乳類の無核赤血球は数個の赤血球が集合し、AFD現象によって1個の肝細胞に分化します。赤血球が非常に小さいヤギではさらに多い10個以上の血球塊から1個の内皮細胞又はクッペル氏細胞を経て肝細胞へ分化します。
① クッペル氏細胞……毛細管の研究で有名なクロウは、肝の毛細管とクッペル氏細胞について次のようにいっています。
『肝の毛細管は多数の核を含んだシンシチウム性の内皮細胞から成り、胚子のそれと同様にはっきりとした細胞の境界線は見られない。星状をしたクッペル氏細胞がその好例である。もう一つの特性は肝細胞の内部にある細管であり、この細管は直接に毛細管の内腔と連続している。クッペルによれば、肝の毛細管にはランゲル氏細胞は見られないが、外膜細胞の層は存在する。つまり、クッペル氏細胞は内皮細胞の一種であるが、細菌その他の異物を補喰する作用があるとして古来有名になっている』。これに対し千島喜久男はクッペル氏細胞は赤血球(一部白血球)が肝細胞索の凹所に定着し、哺乳類では数個の赤血球が集合、融合して細胞核を新生して生じたもの、また肝の毛細管が内皮細胞で被われているというのは、クロウの想像にすぎず、赤血球が肝細胞索に密着していることは明白な事実であるとしてクロウの報告を批判しています。
② 肝の静・動脈の吻合……両棲類の肝の動脈は静脈へ直接に分岐して吻合しています。哺乳類の肝も同様なことがいえるとブラスは主張しています。これに反対するエリスがいますが、技術的な困難を伴うためにこれまで肝の動静脈吻合の正否は明らかではありません。
③ 肝静脈内の赤血球貪食細胞存在説……非常に興味深い研究がキースによって報告されています。この研究はやや古典的であるためなのか、日本では未だ紹介されることなく放置されていますのでここで少し詳しく紹介しましょう。
彼はニワトリやハトを材料として肝臓や脾臓を観察しています。また鉄分が青色に染色される薬剤を使用して鉄を含む細胞を肝と脾臓について調べました。
肝ではこの鉄を含む細胞は他の肝細胞と比べ形も大きさも違っていました。そしてこの細胞は常に肝の静脈と密接な関連をもち、ときには静脈の内腔を占めていることがあるといっています。キースが画いた図を見た千島喜久男は、この状態はまさしく赤血球が静脈内で血流の生理的停止によって肝細胞へ分化する移行過程に違いないといっています。しかし、キースはこの種の細胞はクッペル氏細胞と等しいものだと考え、赤血球を捕喰しているから、これを赤血球貪喰細胞と名付けました。
『核は2~3個の核仁を含むが扁平なものは定型的な内皮細胞核に似ており、突起をもつ細胞では核は胞状で不規則なピラミッド形を示し、2核のものもあるが普通は単核である。この細胞の著明な特性として、細胞質中の空胞には流血中から摂取した赤血球が含まれていることである。この赤血球貪喰細胞は肝に広く一般的に認められ、類似細胞の3分の1を占め、摂取したばかりの赤血球を1個又はそれ以上含んでいる』と報告しています。
今から百年近くも前にキースは鳥類の肝臓にはクッペル氏細胞に似た細胞がその細胞質中に赤血球を含んでいることを確認していたのです。ところが今日においてさえ組織学者や細胞学者の誰もこれに注意を払わず、紹介さえしていないのはどうしてなのでしょうか。この状態は肝細胞の検索をするとき誰でも確認できることなのです。この事実をもっと掘り下げて研究していたなら、今の組織学や細胞学に多分根本的な変革がもたらされていたことでしょう。もちろん、千島喜久男もキースと同様の状態を観察していますがクッペル氏細胞が赤血球を貪喰しているなどという観方はしていません。
キースは続けて『鳥類の赤血球は有核で比較的大きいから、それが実際に赤血球であることがよく分かり、また細胞内でのその運命もよく追求できる。赤血球貪喰細胞には決まった形はなく、その貪食の過程と共に絶えず形が変化する。貪喰した細胞を消化すると扁平となって静脈洞の内皮細胞に移行する状態がよく見られる』と報告しています。今の研究者のなかに静脈洞内の赤血球を含んだクッペル氏細胞が内皮細胞に変わると考えられる人はまずいないと思います。キースの報告は部分的には正しい観察をしています。ただ、『赤血球を貪喰した細胞』というのではなく、千島学説でいうように『赤血球…一部白血球…が静脈洞に定着し白血球を経て、また相互に融合しあって生じたクッペル氏細胞』と訂正するなら真実の姿を表現するものになります。
なお彼は『赤血球貪喰細胞内の赤血球は、静脈中の赤血球と同様に不規則な形で並び、且つ赤血球の定型的な染色性を示す。赤血球貪喰細胞の形成初期にはその細胞質は鉄反応を示さないが、次の段階には鉄反応剤に淡く反応する。この時期においては赤血球は正常に見えるが、次の段階では赤血球が消化されて、退行する頃になると貪喰細胞の細胞質は常に鉄の反応を示すようになる。赤血球が貪喰細胞内で崩壊する第1段階は赤血球溶解によってヘモグロビンが細胞質の空胞中へ排出され、赤血球核と細胞質の基質が残るが、後にはこれらは染色性を失い、遂にはまったく見えなくなる。貪喰細胞中に出たヘモグロビンは始めは鉄の反応を示すが、貪喰作用の終わり頃になると鉄反応は著しく弱くなる。貪喰細胞は赤血球をすっかり消化してしまうと静脈壁の内皮細胞に変わるがこのときでも細胞質は僅かではあるが鉄反応を示す。要するに肝の静脈内の赤血球貪喰細胞は赤血球を捕喰しそれを同化して遂には静脈壁の内皮細胞に変化する』といっています。
このキースの観察報告は優れた発見でした。この観察で彼が『赤血球貪喰細胞』といっているのは赤血球の融合と分化によって、また血管内を流れる赤血球や白血球が融合した様子、或いは1個の赤血球が白血球に分化途上にあるものを見たものに違いなく、彼のいうような消化ではなく赤血球の分化と細胞新生と見るのが妥当でしょう。それにしてもキースは現代の研究者たちすら気づいていないこと、すなわち、肝静脈のなかに赤血球を細胞質中に含む細胞があって、それが静脈内皮細胞に変わっていくことを正しく捉えていたことは実に素晴らしいことです。この内皮細胞やクッペル氏細胞は後には肝細胞に分化することも千島学説・第1原理で説明しています。
さらにキースは肝臓や脾臓のなかにある赤血球貪喰細胞について研究した結果、赤血球の生理的崩壊と貪喰細胞との関係について興味深い考察をしています。彼は『貪喰細胞に捕食され消化された赤血球中のヘモグロビンは肝の胆汁中にも、肝や脾臓の何れの組織中にも見出せない。このことはヘモグロビンが血液中に逃れ出て造血組織中へ送られていることを暗示するものである。なお胆汁色素とヘモグロビンとは化学的に密接な関連があること、特に胆汁中のピリルビンは鉄分のないヘモグロビンと殆ど等しいものと考えられるから、流血中に入ったヘモグロビンが胆汁色素形成に大きな役割を演じているものと思われる。自分は鳥類の赤血球貪喰細胞内に胆汁色素の存在を証明することはできないが、貪喰細胞に捕食された赤血球のヘモグロビンが胆汁色素形成に関与していると考える』ともいっています。
残念なことに彼は、肝の静脈壁の内皮細胞はやがて肝細胞に分化し、さらに今度はそれが退行して胆汁になることを知らなかったために、貪喰細胞と称する細胞中のヘモグロビンが血流に入り、後には胆汁形成の場所へ集中するものと考えたのでしょう。
彼はまた『肝や脾臓の静脈内皮細胞には赤血球貪喰作用があり、それは健康体では常に、しかも極めて多数に認められることから、この現象が一般の血管にも見られるかどうかを調べたところ、大きな静脈では見られなかった。しかし、そのような性質は一般の血管内皮に全くないわけではない』
といい又、『赤血球貪喰細胞は常に固定組織細胞の一種であるという証拠は認められない。大きな静脈内では見られないが毛細管では見ることができる。だからメチニコフがいうような貪喰細胞は血流によって運ばれて肝に到達した白血球だという説とは一致しない』といっています。
このキースの報告に対し千島喜久男はメチニコフが説くような現象が例外的にあることは否定できないが、生理的にそして大部分の場合はキースが主張するように貪喰細胞なるものは毛細血管又は静脈洞のような血流が緩やか或いは停止するかのような場所で形成されるものであり、しかもそれは、赤血球を母体として生じるものだといっています。
キースはそして『赤血球貪喰細胞が正常な肝や脾臓内に多数見られるのは鳥類に限ったものであるか否かを調べた結果、カエル、ヒキガエル、カメ、クロコダイル、オポッサムなどの肝にも認められるだけでなく、赤血球が細胞質内で消化される過程を哺乳類においても発見した。だから鳥類において見たこの現象は広く多くの動物の血管内皮細胞にも適用される。そして赤血球がこれらの各種動物の血管内皮細胞で生理的に崩壊し鉄を遊離するものと考える』と報告を結んでいます。
キースがこのような結論だけで観察を終えたことは内容からして実に残念なことです。当時において〈赤血球は肝や脾臓だけではなくすべての体組織において、静脈洞或いは細胞の隙間に運ばれてその組織の電気的誘導作用によって各々の固定組織細胞に分化する〉ということが解っていない時代ですし、その理論を説明できる学者もいなかったのですから仕方ないことです。
(h) 生きた肝のクッペル氏細胞と貪喰作用
ニズリーはカエルの生きた肝を特殊装置の下で観察し、その結果を次のように報告しています。
『肝の静脈洞に入った異物はすべてクッペル氏細胞によって捕喰されるとは限らない。血管内に注入した色素の粒子は血漿中のタンパク質でその表面を包まれる。クッペル氏細胞が異物を捕喰するのは偽足を出すのではなく、余りに急激に行われるので捕喰の現状を見ることはできないが、おそらく表面張力作用によるものだろう。なお多量のヘパリンを注入すると異物の表面にタンパク質性の被膜はつくられない。そのため静脈内を流れていっても捕喰されないしまた正常な赤血球も捕喰されない。肝のクッペル氏細胞の貪喰作用は従来考えられていたように血流が緩やか又は停止しなければ行われないのではなく、少なくともこの実験では血流が速くても行われる』と報告しています。
しかし、クッペル氏細胞は静脈洞内の凹所部分に赤血球や白血球が定着し、そして融合の結果生じるものですから、その表層を血液が流れていることがあるかもしれませんが、原則的にはそこは血液の流れが緩やかだったはずです。また既に出来上がっているクッペル氏細胞は赤血球や異物を貪喰しないといっていますが、そのことでこの細胞が赤血球、一部白血球の融合によって生じたものであるという千島学説による主張を否定できる理由にはならないでしょう。
(i) 貧血と肝その他の鉄色素
溶血性貧血の際に肝臓や腎臓その他の組織の血管内皮に、赤血球の溶解による鉄色素の沈着が見られることはよく知られています。人間の貧血においても赤血球の溶解によってすべての肝小葉に鉄色素の沈着が見られるほか、心筋、膵臓、副腎、腹部リンパ節、皮膚などにもそれが認められます。
これについてハウエルやワットは貧血症患者の治療として、度々輸血を行うための過剰な鉄の貯蔵によるものではく、むしろ、血液の酸素欠乏によるものだろうといっています。
従来、正常体でも貧血の場合でも肝臓に鉄色素や鉄分が多いことは周知のことです。このことからも、肝細胞は鉄色素、鉄分を多く含む赤血球から分化したものであるという千島学説の第1原理・赤血球分化説が正しいものであるということを裏付けています。
42.がんと千鳥学説 no17
42.がんと千鳥学説 no17
【3】膵臓と血球分化
(a) 膵臓についての概要
ピンク色を帯びて如何にも新鮮な感じを与える臓器で、脊椎動物以上の動物がもっています。この臓器は頭部と体部、そして尾部から成り、頭部は十二指腸に接し、尾部は脾臓に達しています。組織の構造は耳下腺によく似ているためドイツでは『腹部の唾液腺』という意味の語で呼ばれています。 膵臓はタンパク質を分解するトリプシン、炭水化物を分解するアミラーゼ、脂肪を分解するリパーゼなどの酵素を含む膵液を十二指腸に分泌します。この他に膵には内分泌部分であるランゲルハンス氏島があってそのβ細胞と呼ばれるものから糖分代謝を調節して糖尿病を予防するホルモン、インスリンを血液中へ直接分泌しています。
膵臓は魚類ももっていますが、ランゲルハンス氏島の部分は哺乳類と比較して占める率が大きくなっています。また飢餓状態では組織細胞は顆粒で充たされていますが、正常状態になるとその顆粒は排出されます。膵臓機能が阻害されたり、膵臓を摘出したりすると糖分代謝は当然に妨げられます。
それはランゲルハンス氏島のβ細胞と関係があるといわれています。
(b) 膵臓の組織発生
① 哺乳類……哺乳類においての膵臓は最初に十二指腸壁上皮の肝臓を生ずる部分の近くに2個の憩室として生じます。この膵臓の基は一つが背側膵、もう一つは腹側膵と呼ばれ、腹側膵の排泄管が後に膵臓の分泌管の一部になります。腹側膵は膵臓の大部分を占め、後には膵頭部の一部と体部、そして尾部を形成します。始め膵臓の原基は一つの層の細胞から成る管が吻合しあったものから形成され、後に小葉又は腺部とランゲルハンス氏島に分かれます。小葉中には特殊顆粒が現れますが人間の胎児では体長が31センチの頃に現れるといわれています。ランゲルハンス氏島が小葉から生ずるかどうかについては今も未解決のまま残されています。
② 両棲類……両棲類を含め膵臓の外部形態の発生は哺乳類の場合と等しいので説明は省略して、フリエの報告の概要を紹介し、千島学説からの説明を加えましょう。
現在、既成学説として一般に承認されている見解は、膵臓の原基とされる管状組織は後に膵臓の内分泌組織及び外分泌組織を生ずるものだということです。しかし、多くの研究者は管状組織から膵小葉を生ずる過程について未だ明確にしていません。フリエがイモリを材料として調べたところ、『原始膵小管は生育した膵原基から生じ、それが成長して膵の小葉に分化するが、一部の小管はこれとは別に2次的な小葉基部の細胞増殖によって形成される。そしてランゲルハンス氏島の組織は充実した膵原基からと、一部は原始膵小管の細胞の両方から生ずると考えられるものが多いとアローンやハードはいっているが、自分の観察ではランゲルハンス氏島は膵の背側にのみ現れ、小葉の中心にある細胞の移動と増殖によって増大し、変態期前にもう成熟しインスリンを検出できた』と報告しています。
彼は細胞の移動を考慮しているところはよいとしても、細胞増殖は認めていますが細胞分裂像は殆ど観察できなかったと、報告に添えられている写真に記されています。細胞分裂をすることもなく細胞が増殖したという観察のなかで、どのように増殖したかについて大きな疑問を提示してくれれば、より効果ある実験になったことでしょう。ランゲルハンス氏島の起源は赤血球であるということが理解できれば、不一致な諸説や矛盾は一気に氷解するに違いありません。
彼は細胞の移動を考慮しているところはよいとしても、細胞増殖は認めていますが細胞分裂像は殆ど観察できなかったと、報告に添えられている写真に記されています。細胞分裂をすることもなく細胞が増殖したという観察のなかで、どのように増殖したかについて大きな疑問を提示してくれれば、より効果ある実験になったことでしょう。ランゲルハンス氏島の起源は赤血球であるということが理解できれば、不一致な諸説や矛盾は一気に氷解するに違いありません。
【4】ランゲルハンス氏島の組織発生と血球分化
ランゲルハンス氏島細胞
従来の実験では色素中性赤又はヤーヌス青を動脈に注入すると、膵臓のランゲルハンス氏島が非常に強く染色されることがわかっています。このことは当該細胞と血球とが直接の関連をもっている証明であり、また千島学説・第1原理の正当性を裏付けることにもなります。これまでランゲルハンス氏島の形成と血管及び血球とが直接の関連にあることを見落としているのは、赤血球や血管を固定的な観念で捉えているからでしょう。
ランゲルハンス氏島細胞には従来、アルファ、ベータ、デルタの3種の細胞に分類されています。
アルファ細胞は最も大きく、全細胞質中に粗大な分泌顆粒を含んでいます。このアルファ細胞も分化の段階によって顆粒の染色性や核の構造に差異があります。ベータ細胞は前者に次いで大きく、数は前者よりも多いとされ、ベータ細胞の顆粒は成長とともに数を増していきます。デルタ細胞は最も小さく数も少ないものの、細胞質中の顆粒はベータ細胞のものより僅かに大きいとされています。
上述したようなことが哺乳類成体のランゲルハンス氏島についての既成組織学の常識ですが、このなかでは次の重要な3点が明らかにされていません。
① ランゲルハンス氏島の細胞集団のうち多くのものは小細胞との間に境があるように見えますが、注意深く膵臓組織の各部分を観察すると周囲との境界がはっきりしない部分がかなりあります。
『赤血球分化説』から考察しますとランゲルハンス氏島の細胞も周囲の小葉細胞も赤血球の分化によって生じたものですが、この組織の細胞は膵腺小葉の細胞より分化速度が遅いものです。ランゲルハンス氏島細胞が小葉細胞より小さく、顆粒も小さく少ないことはそれを示しています。そしてこの組織の細胞は後に小葉細胞に分化することは間違いない事実です。現在なおこれらの細胞を別個の無関係な細胞と考えていることは検討しなおす必要があります。
② ランゲルハンス氏島にあるアルファ、ベータ、デルタという3種の細胞はそれぞれ別種の細胞と考えられています。これも千島学説の新理論からその形成過程を捉えますと、赤血球塊→血球モネラ→内部に核出現→顆粒の少ないデルタ細胞→ベータ細胞→小葉細胞様細胞塊の過程を経てランゲルハンス氏島細胞が膵腺小葉細胞へと移行する像が確認できます。アルファ細胞は主にランゲルハンス氏島の周辺に位置しており、注意深く観察すればその外縁部から膵腺小葉細胞へ移行している像を誰でも確認できることでしょう。
アルファ、ベータ、デルタの3種の細胞は各々独立した細胞ではなく、デルタ→ベータ→アルファへの分化移行過程があり、詳しく且つ注意して観察すれば、各々の分化過程の中間像として、3種の細胞の何れにも属さない形のものを確認できるはずです。
③ ランゲルハンス氏島細胞群には3種の細胞の他に、必ず赤血球と白血球又はそれらの退行像(溶解しモネラ状になったもの)が確認できます。それはランゲルハンス氏島細胞を新生する母体です。
千島喜久男は次のようにいっています。『研究者は完全に出来上がったものだけに視点を当てることなく、形成の初期から成熟まで途中の経過を含めた総合的な観点から観察する必要がある。率直に注意深く観察すれば、これまで見過ごしたり、また気づいても学界からの圧力を怖れ放置していた研究者でも私のいうランゲルハンス氏島細胞の血球起源説が事実とよく一致していることを改めて確認することができるだろう。』
42.がんと千鳥学説 no17
【5】脾臓と血管及び血球との関連・腸の発生と卵黄球
(a) 脾臓の構造
脾臓は多量の血液を含む暗赤色の扁楕円形の臓器で、胃底の左後方に位置しています。表面は結合組織と平滑筋から成る被膜で被われています。脾臓は平滑筋がリズミカルな伸縮運動をすることから『腹の心臓』とも呼ばれています。脾臓内の動脈周囲には鞘状になった白色脾髄といわれるリンパ組織があり、他に静脈周囲の赤色脾髄があります。特に興味深いことは白色脾髄は動脈と、赤色脾髄は静脈と密接に結びついていることです。血管や神経は脾門を通り、動脈は白色脾髄の中央部を通って中心動脈になっています。白色脾髄に多くの毛細血管を与え、その本管は次に赤色脾髄へ出てから筆の穂先状に分かれた毛細血管になります。さて、そこで問題となるのが脾の働きは何か、そして細小動脈の先端は閉鎖型か開放型かということです。
(b) 脾臓の働きと赤血球との関連
ギャレアスは脾は働きが解らない不思議な器官だといいましたが、今日になってもその働きが殆ど解明されることなく経過しているようです。脾の働きについての研究は主として摘出手術の方策や、脾の移植実験、血管の結窄よる事後経過などが行われてきました。それらの実験結果から大体次のような働きが脾臓にあるといわれています。
① 赤血球の造血作用……これについて次のような報告があります。『胎生5ケ月までは脾は間葉細胞→赤血球母細胞→赤血球の過程をとるが、6ケ月以降はこの働きが止まってしまう』 この過程は実際の状態を逆に見ているようです。赤血球が脾細胞に分化しているのが通常で、脾の間葉細胞が赤血球を造るのではありません。クロスビーもこの脾臓造血説を支持していますが、成体での脾造血は飢餓或いは栄養不良時の場合のみ脾細胞が赤血球に逆分化するだけです。これまでの研究者のすべてが脾の造血作用を報告するとき、実験動物の栄養状態を正常状態に保つ注意を払っていません。このため飢餓或いは栄養不良になった病的状態の実験動物を使用するために、正常時とは逆の脾細胞から赤血球へ分化する過程を見て脾造血を唱えているのです。動物の栄養不良時には赤血球の分化過程が逆転するという可逆的分化の実際を知らないために起きる誤りといえます。
② 赤血球造血の調節……フェレータは脾臓は正常体では骨髄の赤血球造血を抑制する働きがあると考えていて、これは脾の働きが過度になると骨髄の造血機能が退行することが認められるからだと説明しています。これに対し千島喜久男は次のように批判しています。
『慢性貧血の場合には、骨髄脂肪から赤血球への逆分化は殆ど停止し、次に他組織からの逆分化に移るがこの骨髄脂肪からの分化停止状態を退行と見たのだろう。骨髄の状態に対し、脾においては病的性質をもった赤血球の脾細胞への分化によって脾が著しく腫大する事実によって見誤った解釈をしている。脾が栄養状態に応じて行う間接的な赤血球造血の調節作用は確かだが、骨髄と脾とが造血に関して相反する作用を示すのは病的といえる脾の貧血性腫大が起きたときに限る。正常体においては程度の差はあるが、すべての組織と赤血球との栄養の変化による可逆性は同一傾向を示すものだ』
③ 赤血球の表面積と脾摘出……赤血球の表面は静電気的な保護膜で被われていますが、赤血球が老化すると静電気過重荷電によって粘着性が低下するといわれています。脾臓を摘出した動物の赤血球は扁平化してその表面積は大きくなるが容積には変化がないという研究もあります。しかしこれは脾の重要な働きと関連があるようには思えません。
④ 赤血球の貯留作用……脾臓は著しい拡張性をもっていて、その赤色髄や静脈洞内には多量の赤血球を貯え、闘争時や走る前に必要に応じてそれを血管内へ戻す機能があるとバークロフトはいっています。しかしこのことは、人間の場合には余り重要なこととは思えません。なぜなら人間の脾臓には平均して30~40ミリリットルの赤血球は貯えていますが、病的な腫大を除き拡張性はもっていません。脾臓の被膜に筋肉線維をもっていないからです。脾に赤血球を貯える働きがあることは否定できませんが、それが生命に重要な関与をしているものでないことは、脾臓の摘出をしても生命現象には大きな影響がないことからも解ります。
マッケンジーも脾臓は赤血球の貯蔵場所ではないといっています。それは絶食させたマウスの脾が重量を3分の1に減らし、赤血球も減少していたことを理由としています。結論はともかくとして、絶食させた、いわゆる病的動物の実験を正常体にも適用したことは正しいとはいえません。
⑤ 血球の選別作用……クロスビーは『脾臓はそこを通過する赤血球を選別する働きがあり、骨髄で造られたもののなかから形や性質が正常でない約10%の赤血球を抑留する。それらの赤血球は血管内の喰細胞によって捕喰される』と報告しています。彼は遺伝性と考える球形赤血球症患者の血液を正常体の人に輸血すると、15日以内に球形赤血球が消失するのに対し、脾臓を摘出された人に輸血すると球形赤血球は殆どが、正常な寿命とされる120日を保つことを主張の理由に挙げています。このような作用があることを否定することはできませんが、血管内の喰細胞によって抑留赤血球が捕喰されるという説には、そのような細胞は存在しないという事実から賛成できません。
⑥ 鉄代謝と赤血球破壊の場所……ポンフイックが1869年、始めてこの説を唱えてから、〈脾は赤血球を破壊する場所である〉と多くの賛同者を得て一般的な常識のようになってしまいました。また赤血球のヘモグロビンが解体することによりその鉄が遊離し、赤芽球の形成に貢献するというクロスビーの意見もあります。しかし赤血球が固定組織細胞に分化するときにはヘモグロビン中の鉄分はその組織で吸収され再び利用されることはすべての組織についていえることで、鉄代謝は脾に限ったことではなく、脾の特質といえる作用ではないといえます。
⑦ 赤血球の細胞質の異物除去……クロスビーは『脾は赤血球の細胞質中にある粒子の如き固形体を除去する働きをもっている』と唱えています。それは溶血性貧血患者に見られる含顆粒赤血球を含む血液を正常体に輸血すると約4時間後には顆粒の殆どが消滅するが、脾臓摘出を施した個体ではなお80%前後が残留していたことから、脾は赤血球の細胞質から鉄顆粒を除去する働きをもつと主張したわけです。このクロスビーの説は一見すると尤もらしい説ですが、生物学的に正しい認識をもっている研究者には賛同されないと思います。なぜなら、細胞体を破壊することなく細胞質内の固形体である異物、いわゆる鉄顆粒だけを除去するといったマジック的な体機能は、化学的、形態学的に過程を確認されていませんし、またそれは不可能なことだと思います。鉄を含む細胞の浄化は脾に限定されるのではなく、体の組織のすべての箇所で行われていることは、赤血球の分化能を説明する千島学説の第1原理・赤血球分化説から理解できることでしょう。
⑧ 老化赤血球の処理……ルースやロバートソンが1917年に唱えた『老化した赤血球は脾で細かく破壊されてその一生を終える』という悲劇的な説が現在の定説になっています。確かにこのような状態が見られることは正常体においても千島喜久男は認めています。しかし見方が従来の研究者とは違っているのです。千島はこの状態について次のように説明しています。
『従来の説のように、赤血球がこのように脾で破壊され消滅していると考えることに大きな誤謬がある。哺乳類の無核赤血球は、如何にも壊れ去っているかのように考えられているが決してそうではなく、脾に限らず殆どの体組織で赤血球が固定組織細胞に分化する際には一度、融合により赤血球の形を崩し、いわゆる〈赤血球モネラ〉を形成し、その内部に核を新生するが、多数の赤血球塊から生じたモネラ中には幾つかのリンパ球に似た核を新生する。この像は赤血球が破壊されているのではなく、赤血球が細胞に分化する移行途上の状態である。赤血球が塊の状態で又は単独で核のある固定組織細胞に分化する途上に見られる赤血球の融合、いわゆるモネラ状態は脾に限ったことではなく体組織全体に見られるものであることを忘れてはならない。栄養不良のときはこの逆の過程が生じ、組織細胞から同じような過程を経て赤血球に戻る。この逆分化の詳細は別の機会に譲る。脾が異物や病的赤血球を抑留する作用があることは否定できない。肝と共通した作用といえる』
マキシモウは『人間の脾の赤色髄中には貪喰細胞があり、主として赤血球、時には異物を貪喰しており、その消化段階によって黄色や褐色の顆粒を含み、鉄反応を示すものもある』といっています。 それよりずっと以前にキースがニワトリの脾の赤色髄中に赤血球貪喰細胞があると報告していました。ハンスもウサギの脾に赤血球貪喰細胞を見たといっています。しかし、これらの報告は確かに像は真実そのように見えても、貪喰細胞なるものが予め血管内に存在して赤血球を捕喰したのではなく赤血球の融合状態を貪喰細胞が赤血球を捕喰しているように見えて見誤ったのでしょう。
(c) 脾臓と血管との特殊な関連
脾臓の血管系は特殊なものであることは古来から知られていました。緒方知三郎氏は『今、仮に私が脾臓を始めて発見し、その名付け親になったとしたら、私はその構造にふさわしい血液腺とか血液器という名を与えただろう。脾の血液に対する関係がリンパ腺のリンパ液に対するそれと同じだからである』といっていますが、さすがといえる着想です。
脾は前述したように古来から赤血球やリンパ球の生産、老化赤血球の破壊、異物や毒物の抑留、血液の貯蔵場所等々といった働きをこなす場所と考えられているのも、脾と血液の密接な関連があることを示しているといえます。
(d) 脾の毛細血管は開放型か閉鎖型か
これまで毛細血管は血管内皮細胞に被われ、その末端部は完全に閉鎖型であるとされていますが、脾臓の血管系だけそれとは異なり3つの説に分かれて今日でも論争が続いています。
① 開放型説……静脈に注入した物質や輸血した血液の赤血球が脾の実質組織中の毛細血管外に数多く散乱している事実は殆どの組織学者が認めており、脾の毛細血管は開放型だと主張する説です。
トーマス、ロビンソンたちは細小動脈が脾組織中に開放していることを確認し、モールは拡張した脾において毛細血管は開放型だと唱え、マッケンジーはネズミの脾について観察した結果、開放型であると結論しました。開放型説は事実を見ている研究者の説であり最も妥当な説だといえます
② 閉鎖型説……スヌークはモルモットの脾の網状組織を、ヘリンガーは人間の脾で、ドーゲットはイヌの脾に薬剤を静脈注射して観察した結果、何れも細小動脈と静脈洞とは連続した内皮細胞に被われながら連結しており閉鎖型になっていると主張しています。
エリアスは脾の毛細血管はその壁が明瞭であるにも拘わらず赤血球が管外組織に出ていることを認めていますが、これは観察方法や実験材料のミスによるものと考え閉鎖型説に近い考えをもっています。傾向として閉鎖型説を唱える研究者は事実を曲げて既成説に同調する姿勢が窺えます。
③ 折衷説……開放型を示す部分と閉鎖型の部分との両方があるという説で、ドーゲットは最近では大部分の研究者がこの折衷説を支持しているといっています。
④ 脾静脈洞の濾過説……脾は滑平筋によって自動的にリズミカルな伸縮運動をしていることは生体でも実証されています。この運動は血圧や呼吸とは無関係ですが脾への神経の一部を切断すると止まります。ネルやモールたちは脾動脈中へ酵母やアスファルト粒子を注入し観察した結果、大きい粒子は静脈洞内に抑留されているのを見て、静脈洞壁がフィルターの役目をして血漿だけは通過させるが赤血球は残留させる作用があると結論しました。これはドーゲットがその著のなかで伝えたものです。 このネルたちの報告にドーゲットも賛同していますが、これは想像説だと千島喜久男は批判し次のように説明しています。
『血管端末の開放型説の主張者は、脾の髄質中には常に多数の赤血球が固定細胞の隙間に不規則に散乱しているのを見ても、この部分で赤血球が生産されているような証拠はまったく認められないから、これらの赤血球は流血中のものが血管壁の開放部から流出したものだと判断している。この考えは正しいものだ。一方、閉鎖型説を支持する人たちは、この脾髄質中にある赤血球は通常赤血球より小さいから、血管端末から流出したものとは考えられず、もし開放型だったら脾の赤色脾髄は赤血球で充満されなければならない。しかも白色脾髄もあるのだから開放型説は間違っていると主張しているが、この主張は全く間違っている。なぜなら、第一に赤色脾髄中の赤血球はその多くが通常赤血球と同じ大きさであり、染色性ももっている。見たところでは確かに正常赤血球より小さいものもあるが、これは赤血球が血流の停止によって球形化したあと、リンパ球に変わる前段階として脾に限らず全ての組織で広く認められる現象である。第二に、開放型なら赤色脾髄は赤血球で充満するはずだという主張は赤血球を固定的なものと観ていることからくる誤った判断である。
赤血球→球形化→リンパ球へと分化し、そして脾細胞のみならず全ての体細胞へ分化する潜在能力をもっているから、脾の実質中には赤血球が流入してから経過した時間の差によって、また赤血球が存在する組織の電気的誘導作用によって分化方向も異なることになるから、赤色脾髄が赤血球で充たされねばならぬという理由は少しもない。開放型であっても種々の細胞があったり、白色脾髄があることは赤血球の分化能から当然のことである。閉鎖型説を唱える人々に共通することは固定的、且つ機械論的な考えをもっていることである』
⑤ 脾の生体観察……脾の血管系問題を解明しようとして生きた状態の脾を観察する試みがなされています。マキシモウやブルームの報告では、ある研究者たちは生体の脾の血流は著しく間歇的であり、静脈洞内の血液の液状成分は血管壁で濾過されたあと壁外に出ることはある。しかし血管は原則として閉鎖型だと主張しています。また別の研究者たちは生きた脾の観察から、脾の血管は開放型になっており血液は細小動脈の端末から直接に脾組織細胞の隙間に流出する状態が確認できるといっています。そして細胞の間隙に出た赤血球はそこに蓄えられ、また赤血球と血漿が分離するのも、静脈洞内ではなく血管から流出した組織細胞の間隙だとしています。マキシモウとブルームは現在までの諸観察を総合して考察すると開放型説に有利な証拠が多いと開放型説に軍配を挙げた形をとっているようですが、これは妥当な判断だといえます。これに対してドーゲットは『アメリカでは閉鎖型だとするのが常識だ』と、あくまでも閉鎖型説にこだわっていますが、その前に、いま一度、組織間隙へ流出する血液の状態を注意深く観察してほしいものです。
【6】排泄器官(腎臓)と血球分化
老廃物を体外へ排泄する器官は動物の種類によって種々変わりますが、代謝産物には共通したところがあります。アメーバは老廃物を尿素として排泄し、高等動物でも尿素や尿酸、またアンモニアとして排泄しています。この他に水分調節作用もまた排泄器官の大きな役割です。
生殖器官は発生学的に排泄器官(中腎)の一部が分化して生じた、一種の排泄器官と観るべきだと千島喜久男はいっています。
アメーバやゾウリムシ、その他多くの原生動物の細胞中にある伸縮砲といわれるものは、リズミカルな伸縮によって老廃物を体外へ排出するといわれていますが、これは排泄器官である一方、循環器機能やさらに呼吸などの作用を助ける機能も併せてもっていると考えるのはどうでしょうか。
呼吸、循環、排泄は高等動物では密接な関連性をもっているのに、原生動物においてはこの3系統がはっきり分化していません。その点から原生動物の伸縮砲がこれらに関わっているのではないかと推測されるわけです。
(a) 脊椎動物の腎臓
脊椎動物の腎臓には大体次の3型があります。
①前腎……胚子の腎で最も原始的なものです。下等な魚類ではこの前腎が生体でも機能します。
②中腎……前腎より複雑な管の集まりから成っています。高等な魚類や両棲類では一般に、発生の途中で前腎が退行し、中腎が生体の排泄器官になります。
③後腎……後腎になると複雑化し、前腎、中腎などより後に発生します。ボウマン氏嚢、糸毬体、尿細管などの分化も明瞭になります。爬虫類、鳥類、哺乳類の生体の排泄器官として作用します。
千島のニワトリの胚子による観察では、中腎の前縁部分から副腎が発生し、内縁からは生殖巣が発生します。中腎の一部は副腎や生殖巣の組織に分化し、また一部は細胞の崩壊などによって退行し、孵化時には中腎は痕跡を残すだけになります。一般に人間や他の哺乳類の腎臓と呼んでいるのは後腎を意味します。
腎臓は糸毬体や尿細管の間隙などに血液が充満していること、また発生の初期には後部大動脈の一分枝から血液が流出して生じた赤血球塊から、リンパ球状過程を経て腎臓の原基ができることを、世界で初めて発見したのが千島喜久男でした。
(b) 腎臓の構造と機能
爬虫類以上の成体では前にもいいましたように、一般に後腎を腎臓といいます。腎の皮質は腎小体とそれから出る細長い尿細管があります。腎小体は毛細管から成る糸毬体とこれを包むボウマン氏嚢とから組み合わされています。腎小体は従来の書籍には模式的に進入細動脈と排出細動脈及び毛細管網がはっきり示されていますが、実際には糸毬体の毛細管は意外にはっきりしていません。
尿は糸毬体と尿細管で造られますが、その機構については濾過説、分泌説などがあってまだ解明されていない現況です。腎は腎動脈から入る血液によって灌漑され、また交感神経、副交感神経の強い支配下にあり、自律神経の不調和に対し敏感に反応し機能にも乱れを生じさせます。肺は血液浄化のために空気を媒体としますが、腎は血液成分の浄化を行うという働きから考えると血液の浄化という意味において肺との共通点をもっています。
(c) 腎の組織発生
1個の腎小体とそれから出る尿細管を合わせてネフロン(腎単位)と呼ばれていますが、これと尿細管が集まって作られた集合管とは別々の起源によるものといわれています。
つまり腎単位は間葉性細胞様の細胞塊からの分化によって生じ、集合管は中腎管から外部成長によって形成されるというマキシモウらの主張が通説となっているわけです。しかし千島喜久男がニワトリの胚子で研究した結果、実際は腎の原基は後大動脈の分岐から腎形成の場所へ血液が流入し、その赤血球塊が腎原基の間葉性細胞に分化し、それを基礎として糸毬体や尿細管が形成され、そのあと既成尿細管の間隙へ次々と流入する赤血球の集塊から新しい尿細管が形成されていくことを確認しています。
この事実は精巣における精細管の増加が生じる過程と同じです。終生において細管が存在するのではなく、一定期間の経過後には退化し次の新しい細管の形成によって補充されていきます。
42。がんと千鳥学説 no.16
【7】乳腺と赤血球分化
発生学的には哺乳類の乳腺は汗腺が変化したものですが、オスの乳腺は未発育器官であることはいうまでもありません。メスでは性的成熟とともに発育し、妊娠、出産、そして分娩によって乳房や乳腺は急速に発達し、また分娩後は旺盛に乳汁を分泌します。
乳腺は複雑な管状腺から成って豊富な脂肪組織のなかに埋もれ、人間では乳腺組織から乳管が求心的に乳頭へ集まり、乳管洞といわれる乳汁の溜まり場に注がれ、そこから急に細くなった乳口から乳首へ開口します。乳腺の構造は腺胞、動静脈、リンパ管、脂肪層、結合組織などからできていますが乳腺について問題なのは、①乳腺細胞から乳汁が分泌される過程 ②初乳球の起源 ③乳腺に分布する血管及び神経 ④乳腺細胞と赤血球との関係です。殊に④は重要な意味をもっています。
まず乳腺の発生から説明しましょう。
乳腺は複雑な管状腺から成って豊富な脂肪組織のなかに埋もれ、人間では乳腺組織から乳管が求心的に乳頭へ集まり、乳管洞といわれる乳汁の溜まり場に注がれ、そこから急に細くなった乳口から乳首へ開口します。乳腺の構造は腺胞、動静脈、リンパ管、脂肪層、結合組織などからできていますが乳腺について問題なのは、①乳腺細胞から乳汁が分泌される過程 ②初乳球の起源 ③乳腺に分布する血管及び神経 ④乳腺細胞と赤血球との関係です。殊に④は重要な意味をもっています。
まず乳腺の発生から説明しましょう。
(a) 乳腺の組織発生
乳腺の発生については多くの研究者たちが成果を報告しています。ホリーはサルを研究材料として『乳腺は外胚葉から生じた3種の分泌腺のなかの一つに由来し、始め外胚葉に乳腺の原基が生じ、それが成育して皮下組織の増加とともに乳房を形成し先端は半円形に肥大してくる。ヒトでは一対だがブタでは10対以上にも及ぶ。乳腺細胞は細胞分裂によって増殖し、ヒトの胎児(50ー60ミリ)ではこの頃に15-25の腺葉の原基ができ乳管の原基もでき始める』と報告しています。
これに対し千島喜久男は『乳腺の原基が細胞分裂によって増殖するという既成説を支持しているのは妥当でない。私は胚子の乳腺は観察していないが、胚子細胞はすべて最初は卵黄球、次いで赤血球から分化するものであるから、乳腺原基だけはこの例外だとすることはあり得ない。』
(b) 乳腺の発達と血管系
千島学説を基盤に考えますと乳汁は血液に由来しているものと考えられますが、乳腺と血管との関連をみれば、いっそうこのことが理解できる筈です。南方のある人種は日本語と同じように血液を『チ』といい、乳汁を『チチ』と呼んでいます。人間の乳房は二つだが、複数語を知らない彼らはこのように単数語を並べたようですが、『チチ』は『チ』の変化したものだということを、直観的に知っていたのかも知れません。事実、乳腺は乳汁分泌のために豊富な血液補給を受けています。
コールやワイザーは成熟した白ネズミの観察で、処女メスの乳腺分泌管は発情中には増殖するが、それに続く前発情期には退行すると報じ、ナディもこれを認めています。
バーンはマウスの乳管周辺の毛細血管網は発情中においては余り変化はみせないが、妊娠4日目の乳腺や乳管周辺の血管網は処女マウスのそれより発達はしているが、血管網は未だ限定的な発育だといっています。妊娠15日目以降は乳腺形成や血管分布は最高に達し、その後は大きさを増すだけとされています。このように妊娠によって乳腺組織へ血液が豊富に供給されるのは、乳汁分泌のために酸素と栄養補給、そして老廃物除去を促進する必要があるからだと従来考えられています。
しかし、この豊富な血液供給が物質代謝のためだけだと観ることは、赤血球の真の姿を見落としているための判断といわざるをえません。乳腺上皮はもとより、乳腺のすべての細胞要素は赤血球の定着とその分化によるものであることは明らかなのです。また乳汁成分のタンパク質や脂肪は赤血球から分化した乳腺上皮細胞が成熟後退行、崩壊し融合した結果生じたものです。乳腺内の血管領域は周辺組織の2倍もあるという事実からも乳汁と血液の直接な関連を窺うことができます。
(c) 乳腺細胞と乳汁分泌、そして血球との関連
分娩後、乳腺は著しく発達するこはご承知のとおりです。白ネズミでは分娩後12日で乳腺は最大に発育しますが、これは細胞が増大するのか、細胞数が増加するのか未だ解明されていません。
このことについて、多くの研究者たちは乳汁分泌の最も盛んな時期にも乳腺細胞の分裂像は極く稀にしか見ることができないということに意見が一致しています。
乳汁分泌の細胞学的考察については、これまで種々の説が報告されていますが、ここではホーリーが報告した既成説を千島学説による考えを入れてご紹介しましょう。
① 細胞崩壊説……ウイルヒョウの頃には乳汁は乳腺上皮細胞が脂肪変成に陥って崩壊した結果生じたものだと考えられていました。この考えは間違いではありませんが、今日ではこの説を支持する人は誰もいません。なぜこの説が否定され続けているのでしょうか。それは次の理由からです。
② 細胞崩壊否定説……ヘイデンは、『もし細胞崩壊説が正しいとすれば、毎日多量の乳汁を分泌する乳腺の上皮細胞は、その崩壊分を補充するために少なくとも1日に5回以上の細胞分裂による増殖をしなければならない筈だ。しかし事実はこれに反し、分裂像は殆ど見られない』といっていますが、この報告に正しい理論と実際から反論できる人はいないでしょう。正常な状態で細胞が分裂して増殖する像など見れる筈がありません。稀に分裂する像が見られても増殖に至るような細胞分裂はしていないからです。細胞は細胞分裂によってのみ増殖するという既成説を信奉している人たちには、乳汁分泌機構の真相は到底理解できないことでしょう。
実に皮肉なことですが『細胞は細胞から』を強調したウイルヒョウが、乳汁は細胞の崩壊によって形成されたものだと説いたのは正解でしたが、それが自分の主張する細胞学説と矛盾するような事実であることに気づかなかったのは彼の重大なミスでした。
乳腺細胞は成熟、崩壊、脱落した溶解物質の乳汁成分として腺内へ入るもので、その細胞補充は細胞分裂などではなく、乳腺組織の間隙へ流入した赤血球の定着と細胞への分化によるものです。
乳汁分泌にはこの他、血液の液状成分が組織中に滲出したものも、乳腺管壁をとおって腺腔へ入り乳汁となるものもあります。
(d) 初乳球の起源
妊娠末期と分娩直後から約1週間ほどの間に分泌される乳汁は一般に初乳と呼ばれ、特異な小体である初乳球を含んでいますが、この初乳球の起源については次のような諸説があります。
① 乳腺の上皮細胞が脂肪変成に陥る途中で離脱したもの。(レインバード)
② 乳腺腔に入った遊走白血球やリンパ球が初乳球になる。(グルーバー)
③ 大型初乳球は乳腺の管壁細胞が増殖して退行したものであり、小型のものは乳腺小胞の内層細胞が離脱したものに由来する。(エンジェル)
千島学説の第1原理・赤血球分化説をもとに考えますと、上記3つの説は何れも一部には真を含んでいるようですが、正しいものとはいえないようです。哺乳類の乳汁は乳腺小胞の上皮細胞が成熟した後、一定度の脂肪変成を起こし、細胞の離脱と崩壊によって乳汁中のタンパク質や脂肪の起源となるものです。一般に考えられているように乳腺小胞上皮細胞が乳汁を繰り返し分泌するのではありません。細胞自体が一回限りで乳汁の成分として退行しているのです。
赤血球→リンパ球→各種組織細胞という移行過程は乳腺組織に限らず全身の組織に見られるものです。乳汁分泌が旺盛な時期にはこの分化過程が速やかに行われて、乳汁の原資となる乳腺上皮細胞の補充がされます。ただ、初乳の場合は赤血球から乳汁への移行変化が未だ遅いために、初乳中にはリンパ球や少数の白血球(流血中のものや乳腺組織中で赤血球から細胞に分化途中にあるもの)、また赤血球も含まれる可能性があります。『血乳』といわれる病的な乳汁中には多量の赤血球が含まれています。これは赤血球の細胞分化が極度に遅いための現象です
初乳中に含まれるリンパ球や白血球は血管壁からそれ自体の運動能力で遊出して腺腔へ入ったものだとする上記諸説の根本思想は妥当とはいえません。リンパ球や白血球には元来、そのような転移運動をする能力をもっていないからです。初乳球は乳汁分泌が旺盛になってくると見ることはできませんが、初乳球は決して普通の乳汁分泌機構とは別の存在ではなく、赤血球から乳汁要素への退行過程が中途段階のまま現れた産物だと考えるのが妥当です。
【8】呼吸器系・特に肺の組織発生
地球上の殆どの生物は酸素の補給なしでは生きることができません。組織細胞への酸素補給と老廃物の排除は、血液を主体とした循環器系と呼吸器系との共同作業によって行われています。アメーバやその他の単細胞生物では、細胞の表面や体表を通じて呼吸をしています。
一定の呼吸器官が分化している動物では水呼吸と空気呼吸に分けられます。水呼吸をするのは或る種の昆虫の幼虫、魚類や両棲類の幼生などで、空気呼吸をするものは昆虫の成虫、陸棲節足動物、陸棲脊椎動物、海棲哺乳類、両棲類などです。環形動物や軟体動物のなかには空気呼吸をするもの、また水呼吸をするものもいます。水呼吸は鰓で行われ、空気呼吸をする器官には昆虫の気管、クモ類では肺書、両棲類以上では肺があります。鰓は薄い粘膜下の毛細血管を通る赤血球によってガス交換を行い、気管、肺書、肺などでは呼吸した空気が入る管腔があって、その薄い膜を通して血液中の赤血球がガス交換を行います。両棲類の成体では肺呼吸と皮膚呼吸が並行して行われています。
一定の呼吸器官が分化している動物では水呼吸と空気呼吸に分けられます。水呼吸をするのは或る種の昆虫の幼虫、魚類や両棲類の幼生などで、空気呼吸をするものは昆虫の成虫、陸棲節足動物、陸棲脊椎動物、海棲哺乳類、両棲類などです。環形動物や軟体動物のなかには空気呼吸をするもの、また水呼吸をするものもいます。水呼吸は鰓で行われ、空気呼吸をする器官には昆虫の気管、クモ類では肺書、両棲類以上では肺があります。鰓は薄い粘膜下の毛細血管を通る赤血球によってガス交換を行い、気管、肺書、肺などでは呼吸した空気が入る管腔があって、その薄い膜を通して血液中の赤血球がガス交換を行います。両棲類の成体では肺呼吸と皮膚呼吸が並行して行われています。
(a) 肺
肺は組織学的には比較的簡単な器官です。動物の種類による違いも余りありませんから、まず人の肺について簡単に説明しましょう。肺は左肺と右肺に分かれ、左肺は2葉に、右肺は3葉に分岐してさらに肺葉は15ミリほどの肺小葉に分かれています。肺に入った気管は気管支→細気管支→終末細気管支→呼吸細気管支→肺胞管→終嚢→肺胞へと進みます。両肺の肺胞総数は7億から8億といわれその総表面積は90平方米と概算されています。
呼吸運動は肺自体には運動能力がないため、胸郭の拡張と収縮による他動的なものです。気管は呼吸細気管支まで有毛の上皮細胞をもっていますがそれ以下は無毛です。肺胞壁には塵芥を含んだ塵芥細胞が存在します。肺に出入りする肺動脈と肺静脈との中間にある毛細血管内の赤血球がこの肺壁を通してガス交換を行うわけですから、肺の構造というものは簡単にいえば、細かく分かれた枝状の網とそれをとりまく毛細血管の網との組み合わせということができます。
肺組織中には軟骨性の気管支や結合組織、巨大細胞、各種白血球などが見られますが、何れも赤血球の分化途上の産物ですから組織学上ではさほど複雑さはもっていません。
魚類や両棲類の鰓や肺も、その構造は原則的には鳥類や哺乳類と大きな違いはありませんが、ただ水中に溶解している酸素を摂取する構造になっていることだけが違いといえるでしょう。
また昆虫の気管はふつう、空気の流通が主な働きですが、細野氏の炭末混合液の注射実験では、気管の周囲を血液が流れており、あらゆる組織の内部に炭末液が滲入していたと報告しています。
また同氏は昆虫の気門に近い太い気管だけは脱皮の度に剥離しますが、組織中の細小気管支は既成説のように離脱することなく、有機物で充満し睾丸内の気管は精子束へ分化する過程が見られたとも報告しています。
脊椎動物では赤血球から生殖細胞その他各種の体細胞に分化しますがこの場合、毛細血管から赤血球が組織の間隙に運ばれ、ときには血管そのものも固定組織細胞に分化するのと同じように、昆虫においても気管が血管の役割を兼ねていますから、気管やその内外の血球や体液から生殖細胞その他に分化することも別に不思議なことではありません。
(b) 肺の組織発生
両棲類、鳥類、哺乳類の胚子などでは、肺は咽頭の後部で食道前端部にある隆起した部分から形成され始め、気管の開口部に続きます。この隆起部は後に喉頭や気管になるところです。この気管はさらに分岐に分岐を重ねて、その周囲は間葉性細胞に囲まれ人の胎児では、6ケ月頃までは単なる腺状の構造で肺胞などは殆どできていません。肺胞が現れるのは6ケ月半頃からです。
鰓も咽頭の両側が凸出して形成されます。組織発生の際、外胚葉の陥入によって形成される器官は①呼吸器 ②耳 ③消化器 ④眼 ⑤神経管などです。原則的にこれらは外部と連続する管腔で、胎生時代は液体で満たされ、孵化或いは生後は外気とのつながりによって空気に満たされることになります。ただ①と②はこの状態に合致しますが、③は食物で、④は眼房水その他で、⑤は脳や脊髄管でこれも終生、液体で満たされています。
43.がんと千鳥学説 no.18
【1】飢餓・飢饉の歴史
(a) 飢餓の生物学・医学的研究
生きることは食べることです。その食べ物が欠乏したため多くの人々が戦争や飢饉のために餓死した悲惨な事態が頻発したことは古今東西の歴史が示しているばかりでなく、現代でも食料不足に苦しむ国々がある事実は、生物学と医学の研究に大きなテーマを残しただけではなく、大きな社会問題でもあります。そこでまず、飢饉の歴史と飢餓が肉体や精神に及ぼす影響、そして飢餓問題への対策について考えてみましょう。
(b) 飢饉の歴史
飢饉を招く重要な要因として天災、地変によるものがあります。
キースの報告によるとエジプトで紀元前1700年に7年間続いて飢饉に見舞われたといいます。彼の記述にしたがって世界の主な飢饉を年代順に記載しました。
キースは世界の飢饉352回を記述していますが、上記のものはそのうちの一部を記載しただけです。しかも352回の飢饉には日本のものは全く記述されていません。また記述されている飢饉は、1900年初頭迄ですから、その後のものを加えるともっと多くの飢饉があったはずです。
キースは中国の飢饉については詳しい記述をしていませんが、飢饉が多いことで有名なのが中国、アフリカ、インドなどです。なかでも中国は飢饉が余りにも頻繁に起きるため『飢饉の国』とさえいわれています。中国・南京大学の調査では2千年の間に1829回の飢饉があったといいます。
殆ど毎年のように中国の何処かが飢饉に見舞われていることになります。
中村氏の調査によりますと、中国の最も大きな飢饉は旱魃によるものが多く、また洪水やイナゴの大群による被害などがそれに次ぐ原因だとされています。西暦620年から1620年までに2034回の大飢饉がありその前、610年の大飢饉は中国全域を襲ったと伝えられています。
仏教の影響によって東洋人は西洋人のように飢饉のときでも餓死した人の肉を喰うことはしない民族ですが、大飢饉のときには中国、インドでも人肉を食べたという記録が残っていました。
パール・バックの有名な小説、『大地』を読んだ人や映画を見た人は、イナゴの大群が襲来すると人々が溝を掘って防御しようとしますが、とても人力では抗することが出来ず、地上の緑は瞬く間にイナゴの大群によって食い尽くされていく光景に驚いたことでしょう。この小説の主人公、王龍の父は飢えた家族が木の根、草の根を掘って食べるのを見て、『まだ、ましだ。もっと悪い時があった。わしは大人が子供を食べているのを見たことがある』といっていました。このような悲惨な飢饉の原因は何処にあるのでしょうか。
天候の不順、害虫、洪水などが一般に原因として挙げられていますが、その他にもっと重要なことが見過ごされているのではないでしょうか。それは人民の無自覚と政治の貧困です。そしてもう一つは『世界は一つ、人間には平等の幸せを』という理念の不足があると思います。世界が一体にさえなっていれば、こうした地球上の局地的な飢饉は交通、運輸の便がなかった当時でも、ある程度は近隣諸国の援助によって救い得たのではないかと思われます。
これら日本の飢饉は主として天候不順(旱魃、多雨、水害、冷害、害虫大発生等)に起因する不作によるものですが、一方では当時の社会制度の不合理や交通、運輸の不便、また相互扶助精神の不足などによって痛ましい多くの餓死者を出したことも否定できません。
【2】飢餓による肉体組織の変化
飢餓は広い意味でいいますと食物を完全に絶つ完全飢餓と、食物量を一定の量まで節食する半飢餓(減食)が含まれますが、ふつうは前者を意味しています。しかし、両者には厳密な区別はなく、肉体的な変化も程度の差が生じるにすぎません。
(a) 体重の変化
内臓諸器官の重量変化については余り重要性はなく省略します。全体重の変化は冬眠する動物では20~25%を消失し、特に脂肪は93%も減少するとモーゲルはいっています。また、イヌでは93日間の絶食によって体重の65%を失って死亡したというブラノバの報告があります。
人間の餓死者については1887年、マドラスの飢饉で餓死した人は平均体重の28%を失っていたといわれ、1877年のインドの飢饉による餓死者は平均体重が男性は43キロ弱、女性は35キロ強だったとデイビーはいっていますが、元の体重は記述されていません。
第1次世界大戦中、食料不足によって体重が減少した率は男性は女性より、老人は壮年者よりも大きく、戦前に比べて平均21%弱の体重減だったといいます。ババリア地方で1914~1917年に体重の測定をした結果、250人の男性では平均72キロから65キロに減少し、170人の女性では平均57キロから53キロに減少していました。ニコラエフによると、戦争中における子供の体重は25~40%、ときには50%も減少した例があったといいます。
(b) 体温・呼吸・脈拍
キースがアメリカの大学生10名について食物摂取量と体温の変化を調べたところ、食物を半減(1日量を1400~1500カロリー)すると直腸体温は少し低下し、背部、手、額などの温度も少し低くなっていました。キースが特に注目したことは、寒さに対して非常に敏感になっていたことでした。呼吸の回数には変化がなく、脈拍数は3週間の半飢餓によって1分間56から48に、時には29~30に減少しました。運動によって脈拍が増加する割合は、正常な場合と大差はなかったと報告しています。
(c) 血液像その他
約6ケ月間、1日の食事摂取量を1500カロリーに減量する半飢餓によって、赤血球数は1立方ミリ中450万、血色素係数は76%になり、赤血球には僅かな異常型が現れ、軽い貧血の症状を示したといいます。白血球数は1立方ミリ中9500になり正常よりやや増加していました。握力は軽度に低下し、指の運動速度も鈍ってきましたが、眼の運動速度は反対に速くなり、歩行の力や活動力は低下したといっています。
(d) 水分とタンパク質の量
飢餓によって全身に浮腫が生じることはよく知られています。これとは反対に飢餓の末期になると下痢のために組織の脱水症状が起きます。
一般に飢餓の進行につれて浮腫が生じ、筋肉中の水分含有量が増してきます。ウサギでは栄養状態が正常なときには平均75.42%の水分を含みますが、飢餓によって体重が25%、36%、45%が減少した3匹では、筋肉中の水分がそれぞれ77.50%、79.24%、79.48%と次第に増加していたというメンデルの報告があります。モウグルは同様の傾向が魚類、鳥類又、他の哺乳類にも認められるといっています。
(e) 食塩と水
イヌで行った実験では多量の食塩を与えると水分を保留して体重が若干増加したが、塩分を減らすと軽度の体重減少が起きたというウエックの報告に、グラントもこの傾向を認めています。即ち、8人の健康な人に毎日30ミリグラムの食塩を食物に加えて与えたところ体重が5ポンド増加し、血漿量も増し血圧も上昇しました。また半飢餓の動物と人について同様の実験をした結果、水だけを少し余分に食物に加えると水分排出量が増加したが、この水分に食塩を加えて与えると、体重が急速に増加し間違いない浮腫の兆候が現れたといっています。そして2~3日後に余分だった食塩と水を止めたら体重は実験前の数値に戻りました。
ウエッチやリーブスもタンパク質の少ない飼料を与えていたイヌについて同様の事実を認めています。このように半飢餓やタンパク質不足の状態における急激な水分の減少がどうして起きるのか、その理由が解らないとキースはいっています。
浮腫がある人について皮膚の食塩代謝を研究したアナスタポロスは『健康な人の皮膚100ミリグラム中には115~379ミリグラムの塩分を含んでいたが、飢えのため浮腫を起こしている人の皮膚には424ミリグラム以上の塩分が含まれていた。これは全く驚くべき事実である』といい、中国のリーは『2人の年少浮腫患者に毎日12~20ミリグラムの炭酸ナトリウムを与えたところ、体重が急激に増加し3~4日後には最高に達し、その後もこのアルカリ療法を続けたら浮腫は減退した。また毎日8ミリグラムのクロームアンモニウムを5日ほど与えたところ、やはり浮腫も体重も減少した』と報告しています。
(f) 飢餓と脂肪代謝
体に蓄積されていた脂肪は飢餓によって次第に減少することは周知の事実ですが、この脂肪減少はエネルギー源として燃焼するために消失するのだというのが従来の栄養学で一致した考えになっています。しかし、これは正しい考えとはいえません。これまで、栄養不良により蓄積脂肪が減少、消失していく過程が組織学的、また細胞学的に正しく研究されたとはいえないようです。ただ漫然と、脂肪は溶解してカロリー源になるものだと考えられているだけで、組織学的な実証はありません。
脂肪組織を注意深く観察すれば、絶食や栄養不良のときには、脂肪球の外面から次第に赤血球母細胞に逆分化し、ついには脂肪球全体が赤血球に戻ってしまいます。これが千島学説の第2原理・『血球と組織の可逆的分化説』で説明する現象です。
脂肪層というものは栄養の良いときに赤血球の脂肪変成によってできたものですが、栄養が不足して消化管での造血が著しく不足したり、或いは造血が停止してしまうと、脂肪を始め体の組織中で今現在で余り重要性がない組織から赤血球に逆戻りして不足分の補充をする、体に備わった応急処置だといえるでしょう。逆分化の最優先対象は脂肪です。重い飢餓が続いた人では肝や心臓その他の器官に脂肪浸潤が見られますが、現代の既成学説ではこの原因が難解とされ解明されていません。
この脂肪浸潤は固定組織細胞が赤血球に逆戻りする際、一度リポイド性の物質に変わり、リポプロテインとなって赤血球に変化する過程での状態なのです。組織の可逆的分化の理論を理解できたとき脂肪浸潤の謎は容易に解明できる筈です。
アンダーソンは『人において飢餓は脂肪の消失、リンパ組織の顕著な減退、睾丸と卵巣の退行、精子形成の停止、筋肉細胞の萎縮などを現わせる。肝細胞索は細小となり、肝の重量は50%以上も減少する。脾の血色素沈着は常に見られる現象であり、副腎のリポイドは消失し、小児では骨の成長も停止する』といっています。この観察は正しい観方をしています。
脂肪は飢餓のときには体の組織中で最も早く赤血球に変えられるものです。脂肪の消失は『赤血球への逆分化』という過程によるものであることを1日も早く理解してほしいものです。
(g) 組織細胞の崩壊産物
飢餓によって体重や容積が減少するのは個々の細胞の萎縮と崩壊によるわけですが、このとき元の細胞内にあった物質はどうなるかという疑問が残ります。この点について、これまでの研究では殆ど解明できずお手上げの状態になっています。
飢餓のときには赤血球が組織中で崩壊したり、赤血球貪喰細胞に喰われたりして細胞内の物質も消失すると主張する学者もいますが、これは間違っているとしかいえません。正常体や飢餓の初期では赤血球から固定組織へ分化していますが、飢餓の程度が進みますと固定組織細胞から赤血球へ逆戻りを始めます。逆戻りの過程でも一見すると赤血球が破壊されているように見えますが、それは赤血球になる前の中間過程像なのです。もっとも、筋肉その他の細胞で完全に老化したものは、赤血球へ逆戻りする力を失っており、そのままゼラチン状物質に退行するものも少なくないでしょうが、その量からしたら例外といえるものです。
(h) 伝染病への感染性
栄養不良になると種々の病気や伝染性疾患に罹りやすくなると医学関係者の殆どが信じているようです。その理由として、
① 病原体の増殖に真に都合がいい組織の状態になっている。
② 栄養不良によって免疫力が衰退し、病原菌を殺す抗体形成が弱まる。
③ 病原菌を補食する作用やその他の防御作用が衰退する。
④ 病原菌を殺滅したり化学的に中和したりする自衛力が低下する。
などを挙げています。しかし、これらの考えは全く一面的であり、その分、半面の真理しか含んでいないようです。何故かといいますと、多くの病気が過食又は栄養過剰によるものが多いからです。
いわゆる生活程度が高いとされる欧米文明国や都会人が病気になったとき、一時的な飢餓である減食或いは一両日又は数日の絶食によって大抵の病気が治癒はともかくとして軽快するという事実があります。飢餓が伝染病やその他の疾患に対する抵抗力を弱めるという考えは判断の誤りからきているようです。戦争中、塹壕生活を強いられていた兵士に伝染病の流行がありました。その原因を飢餓ということに結論づけたようですが、果たしてそうだったでしょうか。こんな生活環境が極端に悪化したなかで攻撃される恐怖、住居や衣服の極端なまでの不清潔さがあっては、精神的にも肉体的にも重大な負担が生じる筈です。食料不足などよりも大きい発病要因になることでしょう。
第二次大戦中、栄養不足で痩せ細っていた日本人も、生活さえ合理的に保つことさえ出来れば、病気になる人間が著しく減少した事実が病気というものは栄養の状態よりも生活状態によるものであることを明確に示していると思います。
殆どの腫瘍や栄養過剰による疾患は僅かな日数の断食や減食、また水分摂取の制限などによって著しく症状を軽快方向へ向けることができます。ただ、摂取する食物に適量の塩分とミネラル類を加えるよう心掛けることも大切です。
(i) 各種機能の調整
飢餓によって各種器官の機能、特に内分泌器官の働きが低下して、関連する系統の調整がスムーズに行われなくなることは広く知られています。第二次大戦中、フランスでは飢えた人々の内分泌作用の異常、特に性機能の低下が注目されました。時には適応する変化に反するような事実も見られました。これは飢えた人たちが或る時期になると作用が衰退する筈の甲状腺作用が逆に作用の増進を示して性欲や性的活動の興奮状態も示しましたが、その原因は未解明のままになっています。
これは生物学的に考えるとき、痩せた土地の植物はよく実を結ぶ傾向があるのに対し、余りにも肥沃な土地の植物は実を結び難いという種属保存の理論に合致するようです。
上記対象者では一般に生殖腺は僅かしか退行の状態が見られなかったのに、極東から連行されてきた捕虜のなかには女性の乳房のように発育した乳房をもつ兵士が見られました。この現象はどうにも説明できないことだとキースはいっています。これも多分、飢餓による性腺異常というより、戦争、そして捕虜になったという強烈なストレスによって、性腺が異常な作用を示したものと考えるのが最も自然ではないでしょうか。
【3】減食(半飢餓)による一般的な体の状態
減食、いわゆる半飢餓の状態にある人は、一般に内分泌系障害に類似した症状を示します。脈拍数の減少、血圧の降下、貧血状態、痩身、物質代謝機能の低下(甲状腺機能低下と共通)などといった症状です。この兆候はシモンズ氏症(脳下垂体の内分泌異常による悪液質に起因する脱毛、脱歯、閉経、内臓萎縮などが起きるとされている)にも似ています。またアジソン氏病にも似ていて皮膚に色素沈着が生じることがあります。キースの報告によると半飢餓状態では男性は性欲衰退、女性は月経の停止が起き、半飢餓の終期に見られる浮腫は内分泌器官の障害と関連し、各種器官と同様に内分泌器官も栄養不足によって退行萎縮するといいます。
内分泌器官の変化についてジャクソンは『白ネズミが慢性飢餓によって体重が33%減少したのに対して、副腎は約9%減少し、副腎皮質は充血し中層の細胞はその容積の20%を減少した。髄質は比較的変化し難いが、長い期間栄養不良の状態にしておくと色素の出現と細胞の退行が起きる』といっています。報告にあるこの現象はどれも、〈組織細胞から赤血球への逆分化〉という千島学説・第2原理によるものでしょう。この過程においては必ずメラニン色素が合成されることからも明らかなことだといえます。
慢性の飢餓でも副腎の萎縮は起きないと主張するグループと、急性飢餓の場合は副腎が逆に肥大すると主張する研究グループがありますが、副腎という器官は神経系が緻密に分布している所ですから物質的、神経的刺激を受けることでこのような矛盾した結果が出たものと考えられます。
内分泌器官の変化についてジャクソンは『白ネズミが慢性飢餓によって体重が33%減少したのに対して、副腎は約9%減少し、副腎皮質は充血し中層の細胞はその容積の20%を減少した。髄質は比較的変化し難いが、長い期間栄養不良の状態にしておくと色素の出現と細胞の退行が起きる』といっています。報告にあるこの現象はどれも、〈組織細胞から赤血球への逆分化〉という千島学説・第2原理によるものでしょう。この過程においては必ずメラニン色素が合成されることからも明らかなことだといえます。
慢性の飢餓でも副腎の萎縮は起きないと主張するグループと、急性飢餓の場合は副腎が逆に肥大すると主張する研究グループがありますが、副腎という器官は神経系が緻密に分布している所ですから物質的、神経的刺激を受けることでこのような矛盾した結果が出たものと考えられます。
【4】飢餓による筋肉、心臓及び血液の変化
飢餓による各種器官や組織の重量、構造、細胞の変化について、今までに多くの研究がなされてきましたが、ここでは主として筋肉、心臓と血液の一般的変化についてキースの見解、千島喜久男とその研究グループ(松井・村田・万部・鵜飼)の観察結果を併せて紹介しましょう。
(a) 筋肉
飢餓によって筋肉が萎縮することはいうまでもありませんが、前述したようにジャクソンによると白ネズミでは体重が33%減少した際に筋肉は31%減少し、慢性的な栄養不良では体重が36%の減少に対し筋肉は41%も減少していたといっています。キャメロンも同じ材料を使って筋肉と体重との並行的な減少があることを認めており、カエルやネズミでは性による差異もあるが、ヒトについては明らかではないと報告しています。
メーヤーたちは飢餓によって筋肉線維自体が崩壊するほか、筋肉中に細胞核が多数出現し、横紋が消失するといっています。
千島喜久男らのグループはイヌ、ウサギ、ネコ、マウス、ニワトリ、カエル、イモリなどについて絶食により筋肉組織内に血球母細胞状の核をもった細胞が出現することを確認しています。これは栄養不足という状態によって筋肉組織から赤血球へ逆戻りしている証拠といえます。また老化した筋肉線維は赤血球への逆分化能力を失っていて、その場で退行し別のヒヤリン様物質に変成する現象も観察しています。このような傾向をステインはワルシャワでの餓死者で認めています。
一般の筋肉組織と比較して心筋の萎縮程度は軽いといわれていますが、千島喜久男らのグループがカエルやイモリについて観察したところでは、心室の壁は著しく薄くなっていて、多数の血球母細胞核が出現していた他、筋線維がゼラチン状物質へ退行変成していること、また消化管(胃・腸)壁にも核が多数出現し、筋線維の退行と赤血球母細胞への逆分化過程を確認しています。
飢餓状態にあるとき筋肉中に多数の核が現れることは広く認められていますが、これは栄養不良のために不足している赤血球の補充のために、筋肉組織から赤血球へ逆戻りしている過程なのです。
しかし、このことに誰も気づいていないことは誠に遺憾というほかありません。
(b) 心臓
現在の生理学や栄養学では『心臓は飢餓に対して強い抵抗性をもち、体は絶食によっていくら痩せても心臓は生きるために大切な働きをもつものだから、ほとんどその重量や大きさは減少しないものだ』とされています。しかし千島喜久男の研究グループは各種動物による飢餓実験を行った結果、心臓壁が著しく薄くなっているのを見て、従来の定説というものは訂正が必要だと考えていました。
ところがキースも千島と同様の見解をもっていたのです。飢餓に対して心臓は強い抵抗力をもっており、その重量は殆ど減少することがないという定説は日本だけのものではなく、世界共通の誤った説であったことを千島はキースの報告で知りました。
バークェは『結論としていうなら飢餓は心臓に対してなんら影響を与えるものではない』といい、レンドは『心臓や神経系は飢餓になっても僅かしか影響を受けない。何故ならこれらは他の組織の分解産物を利用して栄養をとるからである』とか、『心臓、脳、横隔膜や呼吸筋などのように生命維持のために大切な器官・組織は飢餓になると極めて僅かしか熱量を消費しない』といったエバンスの説などが世界の教科書に誤りと気づかず掲載されてきたのは多分、事実を確認することなく権威者の発表に逆らわず同調する意見を述べたものと思われます。
日本でも木村哲二氏が『心臓には認めるべき変化はない』と報告していますが、実際には昔から飢餓状態になると心臓の重量が減少することは、多くの学者が報告しており、最近ではキャメロンが『23匹の成体白ネズミが飢餓によって体重が平均約27%減少したのに対し、心臓重量は約20%減少していた』と報告しています。またキースはミネソタ大学で12~14週間を半飢餓においたヒト32人について透視レントゲンで調べた結果、心臓容積が縮小しているのを確認し、心筋の萎縮によって冠状動脈が著しく捻れていることも認めています。
千島喜久男の研究グループは各種飢餓動物の心筋には非常に多数のリンパ球様の核が現れ、これらが赤血球に逆分化する途中過程を観察しています。また筋線維が細くなって間隔が広くなった部分では、線維がバラバラになり、古い線維は赤血球へ逆戻りすることができず退化、崩壊してゼラチン状の物質に変わることも観察しています。
心筋は従来の説とは逆に、飢餓になると全体が著しく萎縮し心臓壁も薄くなるのが真の姿です。
(c) 心臓の働きと徐脈
栄養不良になるとヒトは徐脈または心拍緩徐が起きます。脈拍は1分間に60以下となり静止時でも運動時でも同じような緩徐になります。これは栄養不足により体の物質代謝が低下し、心筋も退行するため血流が緩やかになり、体が消耗するエネルギーを極力少なくするための適応現象とみるのが妥当だと思います。
キースはミネソタ大学での半飢餓実験で、体重が15%減少すると徐脈が現れ、その後脈拍数は徐々に増加しますが、半飢餓の後に十分な栄養を与えると、実験前の正常脈拍数を超えていわゆる心拍急速症に陥ることもあるといっています。
(d) 血管の変化
飢餓による血管の変化についての研究は、これまで余り多くはされていませんが、ジャクソンやキースによって概略は説明されています。それによると『飢餓による血管の変化は飢餓浮腫と関連しているが、①組織学的には飢餓組織の毛細血管には余り著明な変化は認められない。②飢餓浮腫中のタンパク質は非常に少ないという事実から、タンパク質は血管壁を透過しないと考える他ない』といっているだけで、はっきりとした考えは述べていません。
エリンガーは血管に血管炎の兆候はないが静脈内に血栓が往々にして認められるといっています。これは事実と一致しています。この現象は血流が緩やかになるためだろうと考えている人もありますが、これは飢餓のために固定組織から赤血球に逆戻りする際、毛細血管内に血栓に似た組織の溶解物(未分化赤血球)を見ているのでしょう。レミーは餓死者において大部分の血管外膜に浮腫が見られるといっています。千島喜久男の研究グループによる飢餓実験では各種固定組織、器官には新しい多数の毛細血管が出現し、元の組織との境界がはっきりしないことを確認しています。この新しい毛細血管群は、固定組織から逆戻りした赤血球を運び出すためのものなのです。
(e) 血液像の変化
飢えによって体重が減少したり、皮膚の色が蒼白或いはどす黒くなるのは、すべて血液の量や質の変化と密接に関連していることは確かなことです。
① 赤血球の変化……飢餓による赤血球の形態的変化について、古くはカーティスが40日間絶食させた人を調べて巨大赤血球、小型赤血球、鋸歯状赤血球や曲がった赤血球が現れていたと報告したという記録が残っています。また一方では14日間絶食させた人でも赤血球の形や染色性に変化がなかったという報告もあります。アッシュも人や動物の急性飢餓で赤血球には変化がないといい、変化するという従来の研究者たちの報告は標本製作の際の不手際によるものだと主張しています。
エンバーガーも断食指導家が27日間絶食した場合にも赤血球の容積には何の差異もなかったといっています。千島の研究グループによる飢餓実験でも赤血球の形態的変化は観察していません。
② 赤血球数の変化……飢餓による赤血球数の変化については、これまで種々異なった見解が発表されています。マレッツは1人の少年が異物の飲み込みによる食道閉塞によって餓死した例について餓死1週間前には赤血球数が1立方ミリ中260万に減少したといい、ブローデルはこれと同じような条件下で赤血球数は490万に増加したと逆の報告をしています。またアッシュは45日間絶食をした人では赤血球数もヘモグロビン量も減少していたと報じ、エンバーガーも27日の飢餓に耐えた人の赤血球数は490万から380万に減少しヘモグロビン量も90%から87%に減少したといっています。赤血球数が110万も減少しているのに、ヘモグロビン量は3%しか減少していないというのは少々理解し難いところですが、絶食者の血色はいいと記述されていることから、ヘモグロビンの量は事実余り減ってはいなかったのでしょう。
アッシュは自らの研究や他の研究者の報告を総合的に検討して『赤血球数やヘモグロビンの量は長期の飢餓に強く抵抗し僅かしか減少しなかった』と結論し、キースは『この僅かな減少は飢餓による血液中の水分減少によってカバーされたのだろう』といっています。飢餓によって脂肪組織、筋肉その他の組織が赤血球へ逆戻りするために体重は減少しますが、血液の組成はギリギリの所まで正常な状態を保持しようとする体の機能の現れであることは事実のようです。
しかし、アッシュやエンバーガー、またキースたちの見解はどれも血液全量を考慮に入れることなく、ただ単位容積中の赤血球数やヘモグロビン量を測定したものですから上記のような統一できない様々な結果が生じたものと思われます。造血器官は骨髄などではなく小腸の絨毛であるとする千島学説第5原理・腸造血説からみると、飢餓は赤血球造血の絶対量減少を生じさせ、それは当然にヘモグロビンの絶対量減少も招きます。その絶対量を考慮せず単位容積だけの測定では真の現象を捉える観察はできません。
アイルランドの大飢饉についてのドノバンの報告、インドの飢饉についてのポーター、イクロードなどの報告では、ひどい飢餓に陥った人たちは顔面蒼白、高度の貧血症状を示し、全血液量の減少は体重の減少よりも大きかったことが伝えられています。この状態は第一次世界大戦、第二次世界大戦中の捕虜にも共通していました。長期に亘る飢餓によって終期には強い貧血に陥ることが種々の記録に残されています。
③ 白血球数の変化……アッシュが1人の飢餓者について注意深く観察をした結果によると、観察3日目には白血球数が12400,4日目には8400となり16日間そのままの数値に留まり、その後に正常値の6000に回復したといい、この白血球数の変化は主として多核白血球に基づくもので、リンパ球には変化がなかったといっています。エンバーガーも27日間の飢餓者について白血球数は僅かに減少したが、なかでも多核白血球は飢餓の進行につれて次第に減少し観察19日目には正常値の80%になり21日目には60%に減少したと報告しています。
白血球数と飢餓との関係はアッシュがしたように時間的な経過を追って観察するのが理想的です。飢餓が始まった後一定期間、白血球数が増加するのは、固定組織から赤血球へ逆戻りするとき、まず必ず白血球の形を経ることと、もう一つは推測ですが飢餓によるストレスがこの過程に影響を与えるのではないかということも考慮する必要があることです。
④ 血液の全量……飢餓に陥ると血液の総量が減少するという推定は当然に必要なことです。特に水分を摂らないときはそれが著明に現れる筈です。キースがミネソタ大学での半飢餓実験で、学生を22週間に亘って食物を半減したところ、血漿の全量は約9%弱減少しましたが、体重1キロ当たりについては却って20%弱も増加していることがわかりました。血液総量についても同様の結果が見られました。体重と比較すれば血液の重量百分率は増加しても絶対量は減少することは疑えません。
【5】飢餓と性及び生殖巣
(a) 性的成熟と組織像の変化
初潮が飢餓によって遅れることについては多数の報告が残されています。飢餓によって乳房や生殖器官の退行萎縮が起きることは当然といえるでしょう。テフコフは飢えた20~30才代の女性の卵巣濾胞は退化して殆ど認められなかったといい、ニコレフも飢餓状態の子宮は萎縮しているといい、ジャクソンは男性でも睾丸が萎縮していたと報告しています。しかしニコレフはウクライナで餓死した1~16才の男子の睾丸を調べたところ、正常のものと殆ど差がなかったといい、睾丸は飢えによって影響を受けることが比較的小さいといっています。この考えは正しいものと思えますが、長期間の飢餓では著しい変化が生じ、睾丸の間質組織や間葉細胞が増加するというコルデスの意見もありますが、これは赤血球に逆戻りする過程は間質組織が増加しているような様相を示すためにそう考えたのでしょう。
ウクライナの大飢饉のときにも、成人の餓死者では睾丸の細精管が殆ど消失し、精子形成も止まり残留精子は退行し、副睾丸には精細胞の痕跡を示す塊を見たといいます。千島喜久男の研究観察では各種動物の飢餓状態では生殖巣、殊に卵巣濾胞や卵黄球が赤血球に逆分化する著明な像を確認しています。とりわけ両棲類では卵黄球→メラニン→間葉細胞→血球母細胞→赤血球という移行像をはっきり確認しています。
(b) 飢餓による性別の死亡率
男性と女性でどちらが飢餓という状態に耐える力が強いかは興味深い問題です。インドのベンガル地方で起きた1943年の大飢饉では、女性よりも男性のほうが早く餓死していました。当時の公的機関の調査ではその理由として、
① 男性は食物の量を多く必要とする。
② 男性は飢饉が始まってから一層長い間にわたって労働に従事しなければならない。
③ 女性は比較的早期に救助される。
といったようなことが理由だとしています。また調査で15才以下では男女の餓死率には差が認められないが15才以上になると、男性が女性の2倍以上もの餓死者を出しています。この原因として調査機関はインドでは飢饉になると男性が集団で食料を探しに妻子を残していくが、その途中に路傍で行き倒れになる者が多いからだと報じています。一般的に人間でも動物でも女性は男性よりも脂肪の蓄積が多いために、飢餓に耐える力が強いとされていることは事実です。ところが地方によっては逆に女性のほうが死亡する率が高い所もあるといいます。ちょっと不可解といえる話ですが、餓死者の率の差は主に社会的機構や救援物資の輸送などに影響されるものですから、性別と餓死者との関連をいちがいに論じることは適当ではなさそうです。
(c) 飢餓と性的活動
第一次大戦中のことですが飢餓によって浮腫を起こした人々には女性では月経停止、男性ではインポテンツの増加が見られたとランバーやナックが報告しています。もっとも戦争中における兵士のインポテンツは飢餓のためではなく精神的障害に起因しているものだとシーゲルやステッケルは推測しているようです。第二次大戦中にも女性の月経停止や不順は広く確認されており、成熟期の女性の70%にこれらの兆候が現れたとアノンはいっていますが、月経停止には精神的要素だけではなく、飢餓も要因の一つになっているというレイトンの報告もあります。このレイトンの考えは正しいものといえます。飢餓が性的活動を抑圧することはエバンスの動物実験で知られていますが、戦争という恐怖と不安にさいなまれるような場合は、精神的な抑圧から月経停止やインポテンツといった状態は当然に起きうることです。
(d) 飢餓と妊娠
飢餓によって妊娠と出産率が低下することは当然のことですが、1877年に起きたマドラスの大飢饉のときには、10万人を収容した救護所で1年間に生まれた子供は僅か39人でした。
しかし生物学的には痩せた土地の植物に対して或る程度の環境悪化(雨量の減少、温度の低下など)が生じたときに却って繁殖力が強まったり、肥えた土地より痩せた土地の植物のほうが繁殖力が強いという傾向があります。これは種属保存という自然法則の一つの現れといえます。
しかし、飢餓や環境悪化の程度がさらに進めば、動物の場合は卵巣や睾丸の組織が赤血球に逆戻りするため組織全体が萎縮し退化して生殖力が消失することは確かです。ただ睾丸や副睾丸は飢餓状態でも精子の形成はかなり長期間に亘って活発に行われていることも事実です。これもやはり、種属保存という自然の法則によるものでしょう。
(e) 飢餓による卵巣と睾丸の変化
飢餓によって卵巣は著しい変化を起こします。まず卵子の外側から内側に向かって赤血球への逆分化が進みますが、その過程は次のようになります。
卵黄中にメラニン色素が出現→赤血球母細胞の核原基を形成→赤血球母細胞→赤血球という過程です。卵子から逆分化した赤血球は新しく形成された血管によって運び去られ卵巣は次第に萎縮していきます。睾丸は飢餓の始めは却って精子形成が旺盛になります。睾丸の間質は血管や赤血球に逆分化し、往々にして血管内に精子形成の初期に似た像を見ることがあります。睾丸も飢餓の状態が進行すると遂には活動を止めて萎縮していきます。
44.がんと千鳥学説 no.19
飢餓と消化管、肝、膵、脾、肺の変化
飢餓によって消化器、殊に胃腸に起きる変化として下痢、疼痛、腸内のガス膨満感、下腹部の凸出などが一般的な症候とされています。しかし、これらの症状は実際に飢餓によるものなのか、飢餓に付随した他の環境悪化や精神的不安によるものなのかを判断するとき問題が生じます。
原因の主体は後者によるものではないかと思えます。しかし、一応は従来の諸説をキースの著述によって紹介してから千島学説から観た考えを述べることにしましょう。
原因の主体は後者によるものではないかと思えます。しかし、一応は従来の諸説をキースの著述によって紹介してから千島学説から観た考えを述べることにしましょう。
(a) 下痢
1877~1878年にインドを襲った大飢饉で死亡した人たちの死因は、下痢だったという記録が残されていたとポーターはいっています。第一次大戦中にも食糧不足によって多数の人々が消化器の痛みや下痢、胃腸カタルといった消化器障害を起こし、1922年のロシアにおける飢饉でも下痢が大流行したといわれています。またその後の戦争においても同様の症例が多く記録されています。下痢流行の原因として、①飢餓はタンパク質不足とビタミン欠乏をもたらす。②胃腸の抵抗力が衰退し正常なら病因とならない細菌が病原菌となってしまう。③イタリアライ菌による、等といった説がありますが、これらは直接の原因ではなく、飢饉や戦争などといった人々に恐怖や心理的動揺を与える環境下に置かれたこと、また兵士たちが塹壕生活や野宿といった最悪といえる生活環境によって、自律神経系の失調から消化器障害を起こしたこと、また不衛生な飲食物の摂取が消化器障害のさらなる悪化へ導いたのが主因だと考えられます。キースを始めどの研究者もこのことに全く触れていませんが、これを重視する必要があるのではないでしょうか。
千島喜久男は動物の飢餓実験によって消化管内の細菌や寄生虫又は共生微生物がすべて消化吸収されて胃腸の内部は空になって胃腸壁の結合組織は退行、萎縮はしているものの、内壁粘膜には炎症性の病変は起きていないことを確認しています。このことから、環境が良く、また強い精神的不安がなかったならば消化器は飢餓といえども、健康な状態を維持できた筈です。
下痢やその他の消化器障害を起こすのは不潔な水を多量に飲んだり、不衛生な生活を強いられた結果が主原因であって飢餓が原因であるとするには無理があるように思えます。
(b) 戦時飢餓による胃腸の潰瘍
戦争に伴う飢餓では、胃や腸に潰瘍が発生することが多いという報告が多数あります。第二次大戦中にフランスのモルチア、ベルギーのホーデンが調査したところでは、①戦争中においては胃腸の潰瘍が驚くべき増加を示した。②十二指腸より胃の潰瘍が多かった。③女性にも潰瘍の発生が増加した。④潰瘍は老人に多かった。⑤戦争中はタンパク質、脂肪、ビタミン、ミネラル類の欠乏が起きてそのことが潰瘍の原因の一つとなった。……と報告しています。この報告をした二人の研究者が共に『戦争中に胃腸の潰瘍が多発したのは戦争による緊張や恐怖による強いストレスが原因だ』と結論していることは注目すべきことです。千島学説の基本からいえば、飢餓は原則的に潰瘍を軽快させるものです。戦時中の潰瘍多発は上記の研究者たちが報告しているように、飢餓が原因ではなく精神的な抑圧や環境の不良が原因とみるのが妥当です。
(c) 飢餓からの回復と食事
第一次大戦中、激しい飢餓に陥った兵士やその他の人たちを病院に収容して食事を与え回復に努めた際、不適当な飢餓後患者に対する食事の与え方によって、多数の犠牲者を出したことがあります。前項で述べたように、飢餓によって消化管の壁は著しく薄くなり内腔粘膜も絨毛も殆どが退行しており、腸の口径も萎縮によって非常に細くなっています。このような状態になっているとき、急に不消化な食品を多量に与えることは腸管の破裂や閉塞を起こす危険が高く禁物です。
一般に飢餓にある人の胃腸は吸収力が衰退しているとされていますが、これは単に消化管の機能が衰弱しているというより、内面を被う粘膜や絨毛が退化しているためだということが、今においても理解されていないようです。飢餓患者の手当には日本で古来から経験的に伝えられている断食後の復食最初の『おもゆ』給食に習うのが適切です。
(d) 飢餓による肝臓の変化
飢餓による肝重量の減少は非常に顕著で、全体重の減少率よりも大きく、体重の減少は肝の萎縮を伴うことがわかります。肝細胞は飢餓によって萎縮、空胞形成、鉄色素沈着などの変化を起こすことが知られていますが鉄色素沈着は殊によく見られる現象です。また学界では肝細胞の脂肪変成が起きるか否か議論されていますが、飢餓時では脂肪が優先的に赤血球へ逆分化されますから、脂肪変成するということはまず考えられません。
ローソンは肺結核で飢餓に陥った患者の62%に肝細胞中への著明な脂肪浸潤が見られ、重い飢餓にある患者では肝細胞の脂肪変成が認められたといっています。しかしこれは多分、病的なものであるといわざるを得ません。正常な個体の飢餓では決して肝細胞が脂肪変成を起こして肝に蓄積されることは千島学説の第2原理、可逆的分化説からいってありえないことです。
(e) 飢餓による膵のランゲルハンス氏島の変化
キースは飢餓のために体重が41%減少したときに、膵臓は49%減少しランゲルハンス氏島の細胞は著しく萎縮して識別が困難になり、退行した細胞が融合して塊を形成していたが、正常な形態を残している細胞も僅かだが存在していたと報告しています。またチャクラバティもインドの飢饉による餓死者のランゲルハンス氏島細胞はその数が減り、空胞状を呈していたが血液中の糖度は高くなかったといい、他の研究者たちもこれを認めています。しかしその説明については皆が苦慮しているようです。それは血糖値を調整するとされるインスリンの分泌箇所がランゲルハンス氏島であると考えられていますが、飢餓にある人はこの細胞が退行し萎縮しているから、当然にインスリンの分泌は不可能なのに、事実は血糖値の上昇がないという理由が理解できないわけです。
この説明をメーヤーは『これは人体のグリコーゲンに対する要求が非常に強いことと、体内の蓄積糖分が殆ど消費されているために血糖値が上がるほどの糖分放出がないからだ』と尤もらしいことをいっていますが、これでは十分な説明とはいえません。
糖尿病はキースや他の多くの人たちの研究や実験によって食事や食品を制限することによって、軽快或いは回復することは明らかになっています。贅沢な過剰栄養を摂る人に糖尿病患者が多いという事実から考えるとき、低血糖症、また血糖値の上昇や糖尿病の原因をランゲルハンス氏島の内分泌異常だと結論づけることなく、全体の状況をよく観つめ、栄養過剰こそ糖尿病発症の重要な因子であることに早く気づいてほしいものです。
ランゲルハンス氏島細胞は赤血球が膵臓の分泌細胞になる直前の段階にあるものですから、飢餓のときにはまず第一に赤血球へ逆戻りします。飢餓動物の観察ではランゲルハンス氏島細胞が最初に赤血球へ逆分化するために消失し、膵腺部分もランゲルハンス氏島を経て赤血球へ逆分化します。
(f) 飢餓による脾臓の変化
脾臓もまた飢餓によって体重よりもさらに高い減少率を示します。ふつうは60%前後、時には80%以上の減少率を示すことも珍しくありません。しかし、マラリアや結核を合併しているようなものは純粋な飢餓によるものとは異なったものになります。
飢餓による脾の変化としてリンパ組織の萎縮、脾洞、色素の減少、鉄色素の増加、実質の減少などが知られています。エリンガーは『脾は飢餓に対して比較的抵抗力が強い』といっています。
千島とその研究グループの観察では、各種の飢餓動物の脾で最も顕著な変化は赤血球の増加と血管が完全に開放型になっており、赤血球と脾細胞が血管がない状態のなかに混在していることが確認され、脾細胞が赤血球に逆分化している移行像も確認されています。
(g) 飢餓による肺の変化
肺は飢餓によって組織学的な変化を受けることが最も少ない器官だと一般には考えられています。しかし、栄養不良になると肺結核や肺炎といった呼吸器疾患に罹り易くなるという奇妙な半面もあるようです。また慢性飢餓にある人には肺気腫が多発することや、肺に空洞が生じることも知られています。栄養不足になると気管支や気道の粘液分泌が減少することで飢餓になると気管支炎を起こし易いというミネソタ大学の研究報告があります。また一般に栄養不良になると肺結核になり易いと考えられていますが、一概にそうともいいきれないと思います。肺結核というものは栄養不良よりも蓄積した疲労、ストレス、偏った食生活、運動不足、環境不良などといったすべての慢性病に共通した用件が絡みあった結果だと考えるべきではないでしょうか。
【7】飢餓による脳、神経系と精神への影響
(a) 飢餓による脳組織の変化
脳の重量は飢餓になっても比較的少ししか減少しません。時には急性飢餓の場合には増加した例もあるとメーヤーはいっています。しかし、脳の組織学的な変化ははっきり起きてきます。脳細胞相互の間隔は広がり細胞中にはしばしば空胞が生じます。脳の重量が余り減らないのは組織が水分で置き換えられるためだろうとキースは推測しています。
千島喜久男はニワトリとシロネズミの飢餓実験において脳脊髄の組織中に多数のリンパ球状の赤血球母細胞が集積したり、メラニン色素が出現することを確認しています。これは脳脊髄の組織細胞が赤血球への逆分化を始めている証拠です。
飢餓による脳細胞の変成として一般に空胞形成と核の溶解が見られるとされていますが、他の組織にもよく見られる空胞はリボイド性の物質で、これは新しい細胞を形成する前段階にあって、核の溶解は実際に核が退化する場合と、リンパ球状の核が神経節細胞の内部や基質中に新生する場合との両方に進行するものだろうと千島喜久男はいっています。
(b) 飢餓と脳下垂体の変化
飢餓と脳下垂体との関係についての研究は大変少ないのですが、ジャクソンは餓死したネズミの下垂体はその重量が25%減少していたと報告しています。総合的に見ると脳下垂体も副腎と同様に萎縮退行し、部分によっては血液に置き換えられていたとメーヤーはいっていますが、これは千島学説の第2原理、いわゆる組織の可逆的分化による組織から赤血球へ逆戻りしている現象です。
(c) 飢餓による神経系と感覚・精神の変化
■感覚の変化……一般に飢えると感覚や行動が鈍くなると考えられ勝ちですが、キースは実験によって『飢えは感覚を鋭敏にし、視力や聴力は減退しない』と報告しています。同様に圧覚、味覚、臭覚も殆ど変化がないことから、飢えた人の行動の変化は神経系の変化に起因するものではないといっています。しかし、このキースの判断は構造上の変化を識別できなかっただけではないでしょうか。また末梢神経の圧覚は正常時より敏感になります。これは神経周辺の軟組織が減少したためだとキースは説明していますが、神経自身の感受性増加の問題も考える必要があると思えます。事実たる現象では膝蓋反射や筋肉運動は飢餓によって鈍くなります。
■意欲の消極性……千島喜久男は青年時代に行った断食体験について次のようにいっています。
『頭脳は明晰になるが、気分は非常に消極的になり野心的、冒険的な精神は減退する。それは恰も肉食動物の心から草食動物の心への転換に似ている。感覚は鋭敏になるが活動的精神は衰退する。
これは明らかに心身一如の法則の現れであり、肉体的な生理活動が衰退すれば、気力もまた衰えることを如実に示すものである』
【8】飢餓による骨、骨髄、皮膚への変化
(a) 骨の重量の変化
骨の重さは体重や他の器官、組織に比べて飢餓による減少率は小さいと一般に考えられています。たしかに、飢餓による骨組織の変化は他の組織より小さいかも知れませんが、骨組織自体も飢餓によって赤血球に逆分化しています。そのためカルシウムも減少して骨は有孔性になりますが、全重量が減少しないのは、有孔となった孔の部分を有機物や血液が満たしているからです。
(b) 骨髄の変化
慢性病で痩せて死亡した人たちの骨髄は黄色骨髄脂肪が減少し、脂肪がゼラチン状の物質に変成していることを多くの研究者が認めています。また赤血球造血の代わりにその破壊が見られたというリックリンの報告、60日間絶食した人の骨髄では赤血球造血は全く行われておらず、ただ一部にのみリンパ球や赤血球が存在する領域が見られたというメーヤーの報告、これとは逆に赤血球造血が盛んに行われていたというモリソンとか、動物の飢餓実験で赤色骨髄の増加を認めたというジャクソンなど種々雑多な報告がされています。これらの報告に対してキースは統一的な仮説を樹てるだけでも不完全な資料ばかりだといっています。
この骨髄での脂肪や骨髄系細胞と赤血球との関係は、栄養の良否によって可逆的変化が生じるという千島学説の第2原理によって容易に説明できます。飢餓などの栄養不良時には黄色骨髄脂肪や骨髄の諸細胞は他の組織と同様に赤血球へ逆分化しますが、飢餓がさらに続くと骨髄内は遂にゼラチン状の物質に変成します。前述した様々な報告はこのような逆分化の一段階を見ているだけで、全過程を総合的に観察していないために起きた混乱だといえます。
(c) 歯の変化
スティングの研究では第二次大戦中、栄養不足にも拘わらず一般に虫歯の増加はなかったから、飢餓と歯との関連は薄いと結論づけています。デハームは大戦中の1942~1945年の間にパリの児童で虫歯がないのは、それぞれ13%、26%、38%と増加して1945年には半数に近い45%の児童に虫歯が減少していたといいます。またキャレルは日本で捕虜になっていたヨーロッパ兵士が釈放されたとき、歯は驚くほど良い状態を保っていたといいます。
研究者たちは戦争による虫歯の減少や,捕虜の歯が意外に良い状態だったことについて、まったく説明していませんが戦時中には、虫歯も一般の病気も著しく減少したということは日本でも確認されています。
これは戦時中ということで菓子や蔗糖摂取の減少が第一の原因であり、過食になることがなかったことも病気の発生を抑止した大きな原因といえるでしょう。
(d) 皮膚と毛の変化
■組織学的変化……飢餓に陥ると毛嚢がケラチン(爪の成分である硬性タンパク質)状物質で満たされ毛嚢ケラチン化症を起こし、毛を引き抜くと皮膚に小さな孔が残ります。第二次大戦中、ベルギーの子供たちが栄養不良のため78%が毛嚢ケラチン症になったといいます。同様の現象はオランダのロッテルダムでも起きたそうです。ただ、日本にいたヨーロッパ人捕虜にはそれが認められなかったとキースはいっています。
■皮膚の着色……ジェレミーの悲嘆には『我々の皮膚は恐ろしい飢餓のために鍋底のように黒くなった』といっているように、飢餓状態が長く続くと皮膚に病的な褐色色素の沈着が起きます。特に口や目の周り歯茎などに著明に現れますが、キースの報告では、時に手や腕、胴にも及ぶこともあるようです。1847年にアイルランドで起きた飢饉では人々の皮膚が汚い褐色に変わったといいます。
このように飢餓で皮膚に色素が沈着する理由について誰も説明していません。これは千島学説でしか説明できないことです。栄養不良によって固定組織細胞から赤血球に逆戻りするとき、必ずメラニン顆粒が逆分化する組織内に現れ、このメラニンが有核赤血球の核や無核赤血球の原形質形成に参与したあと、色を失い赤血球に吸収されます。逆分化過程におけるメラニン発生が皮膚の色を変える原因ですが、千島学説を理解できない限りこの事実を知ることはできません。
【9】断食と長寿・若返り
慢性的に栄養が不足した人は、年令のわりに老けて見え、行動や気分までも老人くさくなると一般にいわれています。しかしこのような外観や性質の変化にも拘わらず、体の組織の硬化や石灰質沈着などといった老化現象特異の兆候は余り認められないものです。
生物学的にも或る種の動物では飢餓や慢性的栄養不良は却って恵まれた環境で生活するものよりも長生きをするというデータもあります。これについてキースは、老人医学の上で大きな問題だが、その長生きに至る理由が理解出来ないといっています。
飢餓や栄養不足は発育中の幼児や少年の成長に障害を与えることは明確ですが、それ以上の年令層にある人たちには飢餓の程度にもよりますが、ほどほどの飢餓なら体の組織を逆分化させることができ、体組織を一新させ、胃腸に休息を与え、体内の老廃物をすっかり清掃する大掃除ができることである程度の若返りが起きることは事実です。この現象は下等動物でも人間を含めた高等動物でも程度の差はあっても原則として共通しています。わたしたちが食糧不足による飢餓ではなく、意識的に食を断つ断食は専門家の指導のもとで実践すれば、健康長寿に大いに役立つと思います。
【10】社会問題としての飢餓
(a) 飢餓と人肉喰い(カンニバリズム)
人が人を喰うという奇習は今日の私たちには想像するだけでも忌まわしいことですが、歴史的には飢饉や戦争のときには意外に多く行われており、近代においても原始民族の間では見られることだといわれています。人肉喰いの事実は記録にも幾つか残されていますが、実際は比較的稀な現象だとソローキンはいっています。
人々は飢饉のときに家畜や愛玩動物は勿論のこと、草や木の葉、茎や根を食べたり、虫や泥さえ食べましたが、人肉を喰うということは余程苦しい場合に限られていました。ただ、戦争のときは負けた敵の死体や捕虜を殺してその肉を喰ったという記録はかなりあります。1316年のスコットランド戦争のとき、8人のスコットランド人が喰われたとアルフォードは報告しています。またマルノウスキーは第二次大戦中、ニュー・ブランデンブルグのキャンプでロシア人やポーランド人の捕虜はよく仲間の人肉を食べていたといいますが、一方、インドや中国では飢饉の回数が非常に多いにも拘わらず人肉喰いの記録は殆どありません。これは秘密裡に行われたのか、或いは宗教的な影響で行われなかったのか不明だが、多分後者の理由によるものだろうとキースはいっています。
1921~1922年のロシアの飢饉では人肉喰いが盛んに行われたという風説があり、フランクによるとこのとき至る所で人肉喰いがあり、人を殺してその肉を喰ったという例が26件も調べあげられているといいます。そのうち7件はソーセージにして人の目を欺き市場で販売していました。
事実を知り、慌てた市側は肉製品の販売を禁止し徹底的に押収した肉製品をすべて焼却しました。また同時に各地の共同墓地には警備員を置いて新しい墓が発掘されるのを防止する仕事に追われたということです。幸いにして日本には現在、世界の飢饉国ほど悲惨な飢餓は見られないとはいえ、これから予想される世界的な食糧不足が起きたとき、日本でも深刻な飢餓地獄に見舞われることは否定できないことなのです。世界が共に協力しあってその飢饉防止に努めたいものです。
(b) 飢餓の対策
世界に共通した飢餓の原因となるものに、戦争、飢饉、略奪農業、無秩序な森林伐採、旱魃、洪水や寒冷害、農業技術の未発達、食糧分配や輸入の不適正等々が直接、間接的な要素と一般に考えられていますが、日本でもこの幾つかに該当するものがある筈です。特に戦争による飢餓は私たちが身をもって体験したことであり最も忌むことです。日本の農業技術は幼稚とは逆に、近代化が度を過ごし化学肥料が蔓延し、農薬の濫用によって有毒食品を生産することが普通の農業だ……などと、もしそんなことになったとき、現代の私たちは食糧はありながら、食べることが出来ない飢餓に見舞われるかもしれません。これは私たちが最も警戒を必要とするように思えます。
飢餓という問題は農業の技術だけではなく。政治、経済、世界平和と最も深い関連があります。
飢えは人間の本質的な欲求が満たされない状態です。世界から飢餓と貧困をなくすために、私たちは人類愛を基調とした科学、政治、経済の実現とその発展を心から願わずにいられません。
その具体策は理想論というご意見があるかと思いますが次のようになるのではないでしょうか。
① 戦争のない世界にし、世界は一家、相通じる世界にする。
② 生産に関わらない戦争や軍備に費やす予算を貧困に苦しむ国々の救済資金にあてる。
③ 食物の種類や食べ方について、従来の栄養学から脱皮した、新しい栄養学の分野を開拓する。
④ 食糧の増産についての正しい科学的研究を速やかに開始する。特に山や川、海、太陽、地熱といった大自然の恵みやエネルギーを有効に利用する研究を優先する。
⑤ 飢餓について医学、生物学の誤らない研究を進める。
45、がんと千鳥学説 no.20
生命・細胞・血球の起源①
【はじめに】
一つの学説を理解し、また正しく批判するためには、その学説を提唱する研究者の、ものの観方と考え方を知る必要があります。『学説』というものはその提唱者の心理的構造を反映しているものだからです。学説はまた単なる事実の収集や記載だけではなく、正しい理論に基づいてそれが詳しく説明され、且つ体系づけられていなければなりません。真実なるものはただ一つだけです。しかし、学説を構成するものは人間です。同一現象に対する判断の相違は、その人の思考のなかに生じます。客観性と妥当性が強く要求される科学の世界でも常に論争が生まれるのは個々の判断の基準が異なるからです。
これから本編でお話することは、現代の医学・生物学の一般常識とかけ離れたものが多々あり、従って批判の渦が巻き起きることが予想されます。
そこで本編に入る前に、生命と細胞の起源に関する研究について、千島喜久男がもっていた研究への心構えを記すことにより、本編をよりご理解頂くための資になればと思います。
これから本編でお話することは、現代の医学・生物学の一般常識とかけ離れたものが多々あり、従って批判の渦が巻き起きることが予想されます。
そこで本編に入る前に、生命と細胞の起源に関する研究について、千島喜久男がもっていた研究への心構えを記すことにより、本編をよりご理解頂くための資になればと思います。
① 事実を第一義的に……これは実証性を重んじる生物科学界では何よりも大切であることはいうまでもありません。しかし、『事実』という事象は考えられているほど簡単でないことから、さまざまな問題が起きてきます。或る研究者が事実であるとして提示したことが、他の人には事実として認め難いものであることは少なからずあることです。殊に生命現象は常に変化するものであり、さらにミクロという極微の世界では、真相を捉えるには非常な困難を伴うものです。顕微鏡に映る画像を機械的に目で見るだけなら、カメラ撮影で事足ります。しかし、画像から真実を総合的に把握するためには、それを読み取ることができる訓練された心の眼、いわゆる『洞察力』が必要となります。
真実を正しく把握するためには、事実と観察者の洞察力が一体になりきらねばなりません。しかし殆どの人は従来の既成学説を、完全なもので誤りなどある筈がないと信じ込んでいる人は、たとえば『細胞は有糸分裂によってのみ増殖する』と考え、稀にしか見られない、そしてまた真の分裂像でもないものを探し当てて、「細胞の分裂増殖説は正しい。自分はその事実を確認した」と主張しますがその主張は、大きな矛盾を説明することはできません。
自然の状態で観察するとき、細胞分裂像はごく稀にしか見られないのに、細胞は著しい増加を見せているという理論と実際の矛盾をどう説明するのでしょうか。
顕微鏡下の細胞を観察するとき、細胞が分裂しているのか、融合状態にあるのか、また生まれつつあるのか、死につつあるのか解らないような像があり、しかも実際にはこれが極めて重要な意味をもっているにも拘わらずこれを見逃し、又は見て見ぬふりをして、明確な像のみを追う傾向があるのではないでしょうか。また自分には都合が悪い『事実』や『新説』に対して(見ザル・云わザル・聞かザル) をとる科学者はいないでしょうか。
本編でお話することは単に説明の相違として済まされない重要なことであり、半面、誰でも率直に注意深く観察すれば容易に理解できることでもあります。
事実は第一義的です。事実の前には研究者は謙虚になるべきだと考えます。
② 生物学の設計と構想……誰でも研究結果をまとめるとき、一応は考察を試みるのが常です。しかし理論生物学的な考えを入れると、たちまちそれを邪道視したり白眼視する傾向が、この日本では強く見られるようです。物理学では理論物理学と実験物理学とが互いに助け合ってその学の発展を示しています。理論生物学(考える生物学)が生まれ、実験観察結果を正しい理論(方法論)に照らし合わせることが悪いという理由は何処にもありません。時には正しい理論からの予見が事実と合致することもあり得ます。むしろ暗中模索といった研究よりも、そのほうが能率的だともいえます。
生物学の正しい体系を樹立するためには、単なる機械的な技術者であってはならないと思います。 一つ一つのブロックを全体的な構想もなく積み重ねるのではなく、それぞれのブロックのあるべき箇所を決め、そこへ置く設計と構想をもたないとその仕事の成果は生まれないでしょう。
植物の若芽を喰っているチョウの幼虫のように、眼前の分野が全世界だと考えることなく、自分の仕事が全体に占めている位置をもう一度、遠くから見直してみてはどうでしょうか。
このような設計や構想の基本となるのが理論生物学的な観方です。技術や機械に使われるのではなく、技術や機械を使う側になる必要があります。科学者は事実を第一義的とすると同時に、正しい理論と考察によって事実を合理的に体系づけしなければなりません。
③ 既成生物学説の矛盾と混迷……現代生物学説の分野を広く観つめるとき、一つの事象に対して矛盾する複数の説が仲良く同居している場合がある一方で、激しく論争されているものもあります。 前者の例としてはダーウイニズムと細胞分裂説を主体とするウイルヒョウ的細胞観があります。また後者の例としては、獲得性遺伝を主張するルイセンコ・ミチューリニズムと遺伝子不変を主張するメンデル・モルガニズムの論争があります。また既に解決済みとされているものの、大きな矛盾を残しているものに、パスツールのバクテリア自然発生の否定と自然発生を肯定するプーセとの対立と実験があります。生命論をめぐる機械論と生気論、生命の起源に関するオパーリンの説、さらにウイルスの起源や本性を中心としての学説の対立もあります。
このような対立が統一的に理解されない理由の第一は正しい科学方法論をもっていないことであり第二には生物学の出発点である細胞に対する正しい概念が把握されていないからでしょう。
④ 動的形態学の重要性……近来、内外の生物学界はその研究方法として物理・科学的、特に生化学的解析技法がその主体になっているようです。生物現象の解明には物理化学的技法が最終最善の決定者であるという思想は今に始まったことではありません。またいうまでもなく、物理化学的技法が生活現象解明のために重要な貢献をしていることは否定できません。ただ、深く考えねばならないことは、多くの研究者が形態学は過去の旧いものとして顧みず、ひたすら化学の先端的技術を競いあっている状況です。形相と現象とは不可分なものであるのに、その一方だけを分離して追求しようとしていることに問題があります。既に確定したものと考えられている形相(形態)が実は動的なものであるのに固定化されてしまったものが少なくありません。そのような正しくない形相に生化学的結果を当てはめようとするために無理が生じるのです。
形態と現象とを並行して研究すべきであると千島喜久男医博が主張するわけもそこにあります。
生命或いは細胞の示す形態と現象を、肯定と否定という二つの手法で割り切った考えをもって峻別する今の生物学のあり方は転換する時期が来ていると思います。自然、そして生物というものは時空を通して連続的なものだからです。生物は『過去』を負った歴史的所産なのです。不連続、突然などという言葉は人間の短絡的視点からきた逃避的なものといわざるを得ません。
千島は生物現象を一つの波動・螺旋的運動形態として捉えるべきで、別の言葉にすると弁証法的発展だといっています。個体の形態発生は系統発生との関係において、広く永い見地に立って究明されるべきものです。
⑤ 連続性…限界領域の生物学……現代、生物体の構成単位は細胞だとされています。しかし、はっきり『細胞』と見なしてよいものか解らないものがあります。哺乳類の無核赤血球や細菌がそれです。しかもこれらはその量においても質においても、極めて重要な位置を占めています。
また、注目されているウイルスやリケッチアの類もまた生物と見るべきか否かについて新しい課題になっています。このような細胞か否か、生物か否かについての分極、限界領域こそ最も重要な生物学的意義をもっているのです。そればかりではありません。細胞とその環境、細胞と細胞、細胞と組織等々の限界領域にこそ生命現象を解明する真の鍵が秘められているのです。
現代の生物学は、このような限界領域にある一見『もやもやしたもの』の存在を無視し、明瞭な像だけを追っています。このような生物学では正しい生命現象を捉えることは困難でしょう。
【1】細胞の定義
現代生物学では細胞は生物体の基本的構成単位であり、生命の本質もこれに宿り、従って細胞は生物科学の出発点であると同時に研究の基本的対象となっています。
もし従来の細胞概念や諸原理がまったく変換を要しないものなら、生物学の様々な分野における現在の研究方針は、そのまま継続されても差し支えはないでしょうが、変換を要するような内容だとしたらそのまま継続させることは大変な問題になります。
まずここで『細胞とは何か』という解りきったようで実はよく解っていない問題から考えてみましょう。しかし、ここでは細胞の構造や性質といった従来の説について考えるのではありません。
細胞についての今日の生物学が意味している本質的な性質を挙げてその問題をつきつめていきたいと思います。さて、現代生物学では『細胞』とは形態的、物理化学的、また生理、官能的な面からみて次のような共通した性質をもっていると考えられています。
もし従来の細胞概念や諸原理がまったく変換を要しないものなら、生物学の様々な分野における現在の研究方針は、そのまま継続されても差し支えはないでしょうが、変換を要するような内容だとしたらそのまま継続させることは大変な問題になります。
まずここで『細胞とは何か』という解りきったようで実はよく解っていない問題から考えてみましょう。しかし、ここでは細胞の構造や性質といった従来の説について考えるのではありません。
細胞についての今日の生物学が意味している本質的な性質を挙げてその問題をつきつめていきたいと思います。さて、現代生物学では『細胞』とは形態的、物理化学的、また生理、官能的な面からみて次のような共通した性質をもっていると考えられています。
① 形態学的な性質
(1) 生物体の単位を形成している。
(2) 1個(時にはそれ以上のこともある)の核を含んだ原形質の塊である。
(3) 核の周囲には細胞質があり、外面は細胞膜又は原形質膜で被われている。
② 物理化学的性質
細胞はDNAを含む核質とその周囲にあるDNAを含まない細胞質から成る。この両者を含めた原形質は主としてタンパク質相、脂肪相、水相からなるコロイド系ゲルである。
③ 生理学的、官能的性質
(1) 細胞は官能的には栄養、呼吸、排泄、刺激に対する反応や、成長、増殖など生命現象の諸相を示す。特に特記すべきは『細胞は細胞の分裂によってのみ増殖する』、『核は核の分裂によってのみ生ずる』というウイルヒョウのグループが提唱した誤った見解が今日の細胞学の基盤となり鉄則とされていることです。
(2) 遺伝因子は主として核中の染色体上に一定の順序で規則正しい線をなして配列されており、性細胞の分裂によって親の形質を子孫に伝える重要な担い手であるとしています。
④ 無核赤血球ははたして細胞か?
無核の赤血球を細胞とみなす細胞観は今日においても不動の真理とされています。しかしこれは、重要な部分で事実と一致しない点や、他にも多くの疑問があります。例えば哺乳動物の無核赤血球は細胞学の定義からしたら当然に『細胞』としての資格をもたないことになりますが、『赤色細胞』と称され今日においてもその正否の検討はされていません。細胞の増殖は分裂ではなく新生しているのです。
【2】細胞概念の移り変わり
① 細胞説の樹立
ドイツのシュライデンは植物について、スクワンが動物について、1838~1839年代に生物体は細胞から構成されていると提唱し、細胞学の基礎を樹立しました。この2人の学者の業績は、いま一般に考えられているよりもっと評価されるべきかもしれません。何故なら彼らは細胞新生説の提唱者でもあったからです。
② 細胞分裂説中心の時代
1870~1880年の間にウイルヒョウのほか多数の学者によって、細胞の内部構造についての詳しい研究がなされ、且つ細胞は細胞の分裂によってのみ生ずるという考えが支配的になりました。
ウイルヒョウは1858年に『細胞病理学』を著し、シュライデンたちの細胞新生説を否定し、有糸分裂による細胞連続説をたて、今もって信奉されている『細胞は細胞から』を主張しました。
またワイズマンは細胞や遺伝機構に関する論文や著書によって、ウイルヒョウ流の細胞説を強調しました。彼は遺伝と細胞の関連を基礎的に説明し、ワイズマンの生殖質連続説はその後における遺伝学説の主流となり現在に至っています。この説は遺伝学のみならず、生物学全般に対しても強い影響を与え、19世紀末から20世紀初頭にかけて細胞学はこの線に沿って異常な発展を遂げました。
③ 細胞遺伝学時代
1900年にメンデルの法則が再発見されてから、細胞学はますます細胞遺伝学に基礎を植えつける方向に進みました。モンゴメリーやボバリーなどによる研究はメンデルの法則を細胞分裂と細胞核の行動に結びつけ、ワイズマン流の染色体学説を正しいものとして説明する動機を与えることになったようです。一方、純細胞学的な面から、細胞形態学と並んで細胞生理学、細胞生化学の研究もようやく盛んになり、位相差顕微鏡の発明により生きた細胞の観察が可能になり、さらに電子顕微鏡の出現によって一段と細胞の超微細構造が明らかにされるようになります。
このようにして現在の細胞研究は形態的、生理生化学的、発生学、細胞遺伝学など各種分科的に活発な研究がなされています。しかし、ややもすると余りにも分析に偏りすぎて、各々が狭い分野の研究且つ部分的な面が強調されて、自然の現象を正しく捉えることが困難になったようです。
④ 細胞分裂万能説の再検討が必要
『日の下に全く新しいものはない』という諺があります。前世紀の半ばに唱えられたものの、その後窒息状態におかれているドイツのシュライデン、スクワンの細胞新生説を再発掘し改めて研究の目を向ける必要があるようです。
これはパスツールの狡猾な戦法に負けて、主張していたバクテリアの自然発生説を引っ込めざるをえなくなったプーセの蘇りともいえます。細胞新生説の再発掘という画期的な仕事は1936年から近代までの間になされたレペシンスカヤの細胞新生説、デュラン・ジョルダの赤血球分泌説、ボストロームの赤血球出芽説なども含まれることになるでしょう。
46。がんと千鳥学説 no.21
46。がんと千鳥学説 no.21
生命・細胞・血球の起源②
【3】動的な形態学の登場
① 形態や構造の軽視傾向
生物学の発展過程は収集、形態観察、命名、分類に始まり物理化学的分析、数学的処理などの順序で発達するといわれています。たしかに、近代における生物学の傾向をみるとき、生命現象の探求に物理的、特に化学的解析の技法を用いる研究者が増加し、この技法こそ生命問題解明の唯一、無比の強力な武器だと考えるようになっています。
生化学的に生命現象を探求することは確かに必要なことです。しかし、それを重視し過ぎる余り構造、形態の面を軽視する傾向が目立つように思えます。こういうのは極端な表現かもしれませんが、細胞の形態や構造を無視し、或いは忘れ試験管内での化学反応を殆どそのまま生体に当てはめることが誤りではないというような考えに傾くことは妥当とはいえません。
細胞の生化学を研究するからには、細胞についての正しい基礎的知識(それは決して既成学説をそのまま鵜呑みにして信奉することではない)をしっかり理解し、その基礎の上に立って判断を下す必要があります。形態と構造とは不可分の関係にあります。構造や形態は既に研究し尽くされたものとして放置し、化学的組成の分析や機能の探求のみに熱中していては、真の生命現象は何時になっても解明されないことでしょう。
② 動的形態学が意味するもの
前述したような傾向については形態学自体にも考慮を要することがあるようです。どちらかというと、形態学とは単に外形を分類し固定化し、他と選別するものだという考えをもつ人も少なくないからです。動的形態学は真の形態学ではありません。真の形態学というものは出来上がった形を分類し記載することではなく、形態形成の過程を動的に捉え、生成発展の姿を観るものです。
アメリカ生物学界の第一人者として知られるウエイスは『形態学は再び生物学の第一線に進出しようとしている。そして将来それは生物学のみならず医学、農学などと直接に繋がりをもつようになることだろう』といっています。
形態学は過去のもの、理化学的研究こそ最先端のものだとする考えは正しいものではありません。 その理由を一つ挙げてみますと、ウイルスの形態的研究は電子顕微鏡の発達とともに、急速な発展を遂げています。この分野では機能の研究が先に発達し、形態の研究が大幅に遅れています。
このことはウイルスに限らず細胞の起源や運命についてもいえることです。形態と機能は並行して研究されるべきことですが、多くの場合は交互、或いは前後になっているようです。これを一方的に順序づけしようするのは正しくありません。
生物学の研究は形と官能の両面について哲学的意味での統一、東洋的にいえば螺旋的な運動として広く永い目で考察されなければなりません。過去に執着しようとする心理は容易に消滅させることはできませんが、研究者が細胞の生化学重視という偏重から視点を変え、現れた細胞の構造、起源、分化、運命などの形態面に新たなる動向を認識されるなら、より一層に実り多き成果が得られ、生物学は形態と機能との総合的学問として新たな発展を遂げることでしょう。
もっとも、生化学を単に試験管的手法だけでなく形態学的研究と関連づけて、物質の性質とその局在性を究明しようとする組織化学、或いは細胞化学に専念する研究者も少なくないようです。
そして、これらの人々によって極めて重要な成果が挙げられているのは注目すべきことですが、化学的研究の結果が完全なものであり、最終決定を下し得るものだと誤解してはいけません。
生きた無核赤血球や脂肪組織は純粋なタンパク質でもなければ脂肪でもありません。両者を共に含み、さらに他の化学的要素も複雑に含んだものです。しかもそれは生体内で血液、或いは組織液という流体中に浸され、そのなかで自由な物質代謝を行うことができます。
これを試験管内に隔離された純粋なタンパク質や脂肪と同一視することはできません。自然界の現象は人工的な環境と自然の環境では、いくら自然の状態に近づけたとしても観察される像には大きな違いが生じるからです。
③ 形態と細胞、形相と質量
(1) トンプソンの名著とその影響……トンプソンはアンドリュウ大学で約半世紀に亘って生物学を学び且つ教壇に立った人ですが、彼の名著『成長と形態』において生物形態の数学的解釈、細胞の形態、分析と総合、又生物の形態的特徴について卓越した考えを述べ、文末は興味深い形態の移行説で結んでいます。この著書は今世紀最大の名著であると後世の学者たちが賞賛していることからも、その内容は非凡なものでした。
しかし、ケンブリッジ大学のニーダムは、自分が専門とする生化学の面からトンプソンの仕事について次のような批判をしています。『トンプソンは生物の外形を純数学的な面から探求しているが、内部的な物理化学的探求はしていない。形態の問題はおおまかな全態的外形と、生物体を構成する部分的分子構造との関係を究明する方法も必要である』と尤もな見解を述べています。しかし、現実としてただ一人の研究者がこの両面を正しく究明していくことは至難の業といえます。
(2) ニーダムの形態と生態学……ニーダムは『生物学はより大きな有機体を研究することであり、物理学はより小なるものを研究することである』といっています。
このように統一的生化学は当然に様々な体制化水準、たとえば生物個体、器官、組織、細胞、細胞核、コロイド粒子、物質分子等や、原子価、原子等の各段階とその相互移行関係を探求する必要が生じてきます。また形態学と生化学を総合的に研究するためには、生物の歴史性、とくに原形質の履歴反復性を十分に考慮に入れない限り形態形成の問題は到底、解明することは不可能でしょう。
【4】細胞起源論(第2の進化論)
① ダーウイニズムの現代的意義
1859年にダーウインがあの有名な『種の起源』を著してから百年余りが経ちます。進化論が19世紀から20世紀にかけて、生物学のみならず広く一般の思想界に及ぼした影響の偉大さは改めていうまでもありません。
ダーウインがこれによって私たちに教えてくれた本質的な点は、ひと言にしていえば生物の種は一定不変なものではなく、時々刻々また場所によって不断の変化をつづけ、単純から複雑へ、下等から高等へと変化するとしていることです。しかしこの進化思想が今日において、果たして生物学の諸分野に十分徹底しているでしょうか。残念ながら否というほかありません。
一般生物学における細胞の概念、とくにその起源と運命に関する諸説、核と細胞質との峻別、体細胞と生殖細胞との関係についてのワイズマン流の考え方など、何れも機械論的、固定的観念が主体であって、どう考えてもダーウインによる進化思想とは相入れないものになっています。さらに、その本質をあたかも調和しているが如く説き、また強いて調和させようとする試みの痕跡もあることを見逃してはいけません。このような考えはダーウイン以前の思想だといわざるをえません。
言葉のうえでのカラクリを排除し、明確な理論的考察を加え、今こそ私たちはダーウイニズムの本道に立ち戻る必要があります。しかしダーウインの進化論は単細胞生物をその出発点にしています。 そして、ダーウインは細胞の起源について『それは生命の起源と同意義をもつものであり、到底解明することは不可能である』と考えていました。当時の生物学の水準としてそれはやむをえない考えだったのでしょう。しかし、それでは進化論が十分徹底したものとはいえません。進化思想をさらに徹底させるためには細胞の起源を探求することが不可欠な要件です。すなわち、無機物から有機物、有機物から細胞への進化を究明しなければなりません。ロシアの生物学者、オパーリンが研究しているような無機物から複雑な有機物への進化を第1の進化論と仮に呼ぶとしたら、レペシンスカヤや千島喜久男が研究していた複雑な有機物から細胞(単細胞生物)の発生は第2の進化論、ダーウインの説いた単細胞生物から高等生物への進化は第3の進化論と呼ぶことができるでしょう。
また他方では一層高次な進化、たとえば生物の群としての行動と進化、種内、種間の生存競争と相互扶助、進化と退化の問題、進化の方向と要因、生物と地球環境との適応変化など、残されている問題は多々あります。これらのことは狭義の現代生物学の分野だけでは到底解明できることではないでしょう。
② 第2の進化論(細胞の起源論)
細胞はその分裂によってのみ増殖するという現代生物学の根本的鉄則は、最近ではこれに疑問をもつ人たちが少しずつではありますが現れています。これは細胞新生説を支持することにもなり、細胞分裂説の誤りが白日にさらされるときが来るという希望が生まれます。
レペシンスカヤの『鶏その他の卵黄から赤血球が自然発生的に新生するという説』また千島喜久男の『鶏やカエルの卵黄から赤芽球、間葉細胞などの新生』、さらに『消化管壁の食物性モネラから、或いは胎盤における赤血球性モネラ状物質からの赤血球新生』、『体の諸組織からの逆分化による赤血球新生』などの説や、スエーデンのボスロームや千島喜久男の研究による『栄養不良のとき1個の赤芽球から多数の赤血球が出芽或いは胞子形成様過程で形成される』という説、英国のデュラン・ジョルダが提唱する『1個の顆粒白血球から多数の赤血球を分泌する』等といった諸研究報告が、現代の狭義の生物学に新風を吹き込んでいます。
日本でも守山英雄氏の『ヒマシ油からの人工細胞形成』、東大の佐藤氏による『藻類の破片からモネラ状体の形成』という研究報告がなされています。このような注目すべき事実が多数指摘されているいま、もし研究者が率直にこれらの新しい発見と従来の細胞学とを比較し検討すれば、ウイルヒョウの流れを汲む現代細胞学観念の盲点に気づく筈です。
ゲーテが『古人が既にもっていた不十分な真理を探して、それをより以上に進めることは、学問にとって極めて功多きものである』と洞察しているように、細胞の起源の問題も正しい観方と考え方をもって、さらに深く探求していた学者も歴史の上で残されています。今からでも私たちはもう一度それを改めて検討する必要があるものと思われます。
【5】進化と細胞の履歴反復性
① モルガニズムによる進化要因の歪曲
生物進化の主要因はダーウインによれば自然淘汰であり、正統遺伝学では主として突然変異にあるとされています。ラマルクの「用不要説」は一般にはほとんど顧みられていません。ヘッケルの反復説すら今では多くの研究者から否定されようとしています。このような現状で進化要因を正しく理解しようとすることは木に登って魚を獲ようとする類といえるでしょう。
そもそも今日の進化要因論はメンデリズムの強い影響によって歪められすぎている観があります。 進化論はもともと生物学、古生物学その他の諸科学の正しい理論や事実と矛盾してはならない筈です。それにも拘わらずダーウイン以降に現れた多くの研究者たちによって、進化要因を機械論的なもに固定化しすぎた観があります。この点に関してはメンデリストもその責任の一半を負う必要があります。なぜならモルガニストたちはラマルクの用不要説を放棄し、獲得性遺伝を否定し、さらにヘッケルの反復説のもつ重要な意義をも理解しないで、進化論に対して誤ったデータと理論を与えたからに他なりません。生物はその内面性と環境との相互作用の結果として、保守的な面(遺伝)と進歩的な面(変化)という相反する二面をもっています。
生物進化は生物体と環境、遺伝と変化などの対極の統一、すなわち対立物の弁証法的発展の結果であるといえます。メンデリズム的進化論が妥当なものであるか否かを判断するには、獲得性遺伝の問題やヘッケルの反復説への深い理解が何よりも必要です。これは遺伝及び進化に関する学説を討議するために有力な助けになり得ると考えられるからです。
② 進化と環境及び履歴の反復性
内外の研究者たちによって活発な研究が進められているカビ、細菌、原生動物などの下等微生物の遺伝と変化に対する環境条件の影響について、正しく理解するためには、細胞原形質が過去において得た履歴を再び反復しようとする特性をもっていることを承認する必要があります。獲得性遺伝と進化の関係を正しく理解できるか否かの鍵はここにあるといえるでしょう。
細胞が何らかの内的(物理的、精神的)或いは外的条件による刺激に反応した場合、それがその生物体の細胞に対して快適な刺激であるときには勿論ですが、細胞に著明な有害作用を及ぼさない限り最初は多少好ましくない刺激であっても、その刺激を繰り返して受けているうちに、その刺激が快感となりそれを要求するようになります。またそのような刺激が受けられないときも、一定時間を経過するとリズミカルに以前の快感を得たときの履歴を反復しようとする傾向があることは、多くの心理的、生理的な現象にみることができます。たとえば、心理現象における習慣や記憶、条件反射などがそれに該当します。生理的、心理的な履歴反復性の存在は今日では誰も否定できない事実です。
しかしこれが、ひとたび遺伝形質の問題となると、メンデリストたちはたちまち獲得性遺伝の否定という立場に立ち、個体発生と系統発生はまったく別で無縁のものだという生理学上では考えられないような見解に固執することになります。
遺伝は生物の特性が原形質を通じて子孫に伝わる現象ですから、原形質が個体発生時に示した履歴反復性がそのままとはいえないまでも、何らかの方法で次代に特質を伝えることは当然にあり得ることだし、またこれを否定する理由もありません。原形質のこのような履歴反復性原理は、原形質を化学的に分析するだけでは到底わかることではありません。しかし、この原理こそ細胞、発生、遺伝及び進化の現象を統一的に説明するためには不可欠なものなのです。
46.がんと千鳥学説 no.21
【3】動的な形態学の登場
① 形態や構造の軽視傾向
生物学の発展過程は収集、形態観察、命名、分類に始まり物理化学的分析、数学的処理などの順序で発達するといわれています。たしかに、近代における生物学の傾向をみるとき、生命現象の探求に物理的、特に化学的解析の技法を用いる研究者が増加し、この技法こそ生命問題解明の唯一、無比の強力な武器だと考えるようになっています。
生化学的に生命現象を探求することは確かに必要なことです。しかし、それを重視し過ぎる余り構造、形態の面を軽視する傾向が目立つように思えます。こういうのは極端な表現かもしれませんが、細胞の形態や構造を無視し、或いは忘れ試験管内での化学反応を殆どそのまま生体に当てはめることが誤りではないというような考えに傾くことは妥当とはいえません。
細胞の生化学を研究するからには、細胞についての正しい基礎的知識(それは決して既成学説をそのまま鵜呑みにして信奉することではない)をしっかり理解し、その基礎の上に立って判断を下す必要があります。形態と構造とは不可分の関係にあります。構造や形態は既に研究し尽くされたものとして放置し、化学的組成の分析や機能の探求のみに熱中していては、真の生命現象は何時になっても解明されないことでしょう。
② 動的形態学が意味するもの
前述したような傾向については形態学自体にも考慮を要することがあるようです。どちらかというと、形態学とは単に外形を分類し固定化し、他と選別するものだという考えをもつ人も少なくないからです。動的形態学は真の形態学ではありません。真の形態学というものは出来上がった形を分類し記載することではなく、形態形成の過程を動的に捉え、生成発展の姿を観るものです。
アメリカ生物学界の第一人者として知られるウエイスは『形態学は再び生物学の第一線に進出しようとしている。そして将来それは生物学のみならず医学、農学などと直接に繋がりをもつようになることだろう』といっています。
形態学は過去のもの、理化学的研究こそ最先端のものだとする考えは正しいものではありません。 その理由を一つ挙げてみますと、ウイルスの形態的研究は電子顕微鏡の発達とともに、急速な発展を遂げています。この分野では機能の研究が先に発達し、形態の研究が大幅に遅れています。
このことはウイルスに限らず細胞の起源や運命についてもいえることです。形態と機能は並行して研究されるべきことですが、多くの場合は交互、或いは前後になっているようです。これを一方的に順序づけしようするのは正しくありません。
生物学の研究は形と官能の両面について哲学的意味での統一、東洋的にいえば螺旋的な運動として広く永い目で考察されなければなりません。過去に執着しようとする心理は容易に消滅させることはできませんが、研究者が細胞の生化学重視という偏重から視点を変え、現れた細胞の構造、起源、分化、運命などの形態面に新たなる動向を認識されるなら、より一層に実り多き成果が得られ、生物学は形態と機能との総合的学問として新たな発展を遂げることでしょう。
もっとも、生化学を単に試験管的手法だけでなく形態学的研究と関連づけて、物質の性質とその局在性を究明しようとする組織化学、或いは細胞化学に専念する研究者も少なくないようです。
そして、これらの人々によって極めて重要な成果が挙げられているのは注目すべきことですが、化学的研究の結果が完全なものであり、最終決定を下し得るものだと誤解してはいけません。
生きた無核赤血球や脂肪組織は純粋なタンパク質でもなければ脂肪でもありません。両者を共に含み、さらに他の化学的要素も複雑に含んだものです。しかもそれは生体内で血液、或いは組織液という流体中に浸され、そのなかで自由な物質代謝を行うことができます。
これを試験管内に隔離された純粋なタンパク質や脂肪と同一視することはできません。自然界の現象は人工的な環境と自然の環境では、いくら自然の状態に近づけたとしても観察される像には大きな違いが生じるからです。
③ 形態と細胞、形相と質量
(1) トンプソンの名著とその影響……トンプソンはアンドリュウ大学で約半世紀に亘って生物学を学び且つ教壇に立った人ですが、彼の名著『成長と形態』において生物形態の数学的解釈、細胞の形態、分析と総合、又生物の形態的特徴について卓越した考えを述べ、文末は興味深い形態の移行説で結んでいます。この著書は今世紀最大の名著であると後世の学者たちが賞賛していることからも、その内容は非凡なものでした。
しかし、ケンブリッジ大学のニーダムは、自分が専門とする生化学の面からトンプソンの仕事について次のような批判をしています。『トンプソンは生物の外形を純数学的な面から探求しているが、内部的な物理化学的探求はしていない。形態の問題はおおまかな全態的外形と、生物体を構成する部分的分子構造との関係を究明する方法も必要である』と尤もな見解を述べています。しかし、現実としてただ一人の研究者がこの両面を正しく究明していくことは至難の業といえます。
(2) ニーダムの形態と生態学……ニーダムは『生物学はより大きな有機体を研究することであり、物理学はより小なるものを研究することである』といっています。
このように統一的生化学は当然に様々な体制化水準、たとえば生物個体、器官、組織、細胞、細胞核、コロイド粒子、物質分子等や、原子価、原子等の各段階とその相互移行関係を探求する必要が生じてきます。また形態学と生化学を総合的に研究するためには、生物の歴史性、とくに原形質の履歴反復性を十分に考慮に入れない限り形態形成の問題は到底、解明することは不可能でしょう。
【4】細胞起源論(第2の進化論)
① ダーウイニズムの現代的意義
1859年にダーウインがあの有名な『種の起源』を著してから百年余りが経ちます。進化論が19世紀から20世紀にかけて、生物学のみならず広く一般の思想界に及ぼした影響の偉大さは改めていうまでもありません。
ダーウインがこれによって私たちに教えてくれた本質的な点は、ひと言にしていえば生物の種は一定不変なものではなく、時々刻々また場所によって不断の変化をつづけ、単純から複雑へ、下等から高等へと変化するとしていることです。しかしこの進化思想が今日において、果たして生物学の諸分野に十分徹底しているでしょうか。残念ながら否というほかありません。
一般生物学における細胞の概念、とくにその起源と運命に関する諸説、核と細胞質との峻別、体細胞と生殖細胞との関係についてのワイズマン流の考え方など、何れも機械論的、固定的観念が主体であって、どう考えてもダーウインによる進化思想とは相入れないものになっています。さらに、その本質をあたかも調和しているが如く説き、また強いて調和させようとする試みの痕跡もあることを見逃してはいけません。このような考えはダーウイン以前の思想だといわざるをえません。
言葉のうえでのカラクリを排除し、明確な理論的考察を加え、今こそ私たちはダーウイニズムの本道に立ち戻る必要があります。しかしダーウインの進化論は単細胞生物をその出発点にしています。 そして、ダーウインは細胞の起源について『それは生命の起源と同意義をもつものであり、到底解明することは不可能である』と考えていました。当時の生物学の水準としてそれはやむをえない考えだったのでしょう。しかし、それでは進化論が十分徹底したものとはいえません。進化思想をさらに徹底させるためには細胞の起源を探求することが不可欠な要件です。すなわち、無機物から有機物、有機物から細胞への進化を究明しなければなりません。ロシアの生物学者、オパーリンが研究しているような無機物から複雑な有機物への進化を第1の進化論と仮に呼ぶとしたら、レペシンスカヤや千島喜久男が研究していた複雑な有機物から細胞(単細胞生物)の発生は第2の進化論、ダーウインの説いた単細胞生物から高等生物への進化は第3の進化論と呼ぶことができるでしょう。
また他方では一層高次な進化、たとえば生物の群としての行動と進化、種内、種間の生存競争と相互扶助、進化と退化の問題、進化の方向と要因、生物と地球環境との適応変化など、残されている問題は多々あります。これらのことは狭義の現代生物学の分野だけでは到底解明できることではないでしょう。
② 第2の進化論(細胞の起源論)
細胞はその分裂によってのみ増殖するという現代生物学の根本的鉄則は、最近ではこれに疑問をもつ人たちが少しずつではありますが現れています。これは細胞新生説を支持することにもなり、細胞分裂説の誤りが白日にさらされるときが来るという希望が生まれます。
レペシンスカヤの『鶏その他の卵黄から赤血球が自然発生的に新生するという説』また千島喜久男の『鶏やカエルの卵黄から赤芽球、間葉細胞などの新生』、さらに『消化管壁の食物性モネラから、或いは胎盤における赤血球性モネラ状物質からの赤血球新生』、『体の諸組織からの逆分化による赤血球新生』などの説や、スエーデンのボスロームや千島喜久男の研究による『栄養不良のとき1個の赤芽球から多数の赤血球が出芽或いは胞子形成様過程で形成される』という説、英国のデュラン・ジョルダが提唱する『1個の顆粒白血球から多数の赤血球を分泌する』等といった諸研究報告が、現代の狭義の生物学に新風を吹き込んでいます。
日本でも守山英雄氏の『ヒマシ油からの人工細胞形成』、東大の佐藤氏による『藻類の破片からモネラ状体の形成』という研究報告がなされています。このような注目すべき事実が多数指摘されているいま、もし研究者が率直にこれらの新しい発見と従来の細胞学とを比較し検討すれば、ウイルヒョウの流れを汲む現代細胞学観念の盲点に気づく筈です。
ゲーテが『古人が既にもっていた不十分な真理を探して、それをより以上に進めることは、学問にとって極めて功多きものである』と洞察しているように、細胞の起源の問題も正しい観方と考え方をもって、さらに深く探求していた学者も歴史の上で残されています。今からでも私たちはもう一度それを改めて検討する必要があるものと思われます。
【5】進化と細胞の履歴反復性
① モルガニズムによる進化要因の歪曲
生物進化の主要因はダーウインによれば自然淘汰であり、正統遺伝学では主として突然変異にあるとされています。ラマルクの「用不要説」は一般にはほとんど顧みられていません。ヘッケルの反復説すら今では多くの研究者から否定されようとしています。このような現状で進化要因を正しく理解しようとすることは木に登って魚を獲ようとする類といえるでしょう。
そもそも今日の進化要因論はメンデリズムの強い影響によって歪められすぎている観があります。 進化論はもともと生物学、古生物学その他の諸科学の正しい理論や事実と矛盾してはならない筈です。それにも拘わらずダーウイン以降に現れた多くの研究者たちによって、進化要因を機械論的なもに固定化しすぎた観があります。この点に関してはメンデリストもその責任の一半を負う必要があります。なぜならモルガニストたちはラマルクの用不要説を放棄し、獲得性遺伝を否定し、さらにヘッケルの反復説のもつ重要な意義をも理解しないで、進化論に対して誤ったデータと理論を与えたからに他なりません。生物はその内面性と環境との相互作用の結果として、保守的な面(遺伝)と進歩的な面(変化)という相反する二面をもっています。
生物進化は生物体と環境、遺伝と変化などの対極の統一、すなわち対立物の弁証法的発展の結果であるといえます。メンデリズム的進化論が妥当なものであるか否かを判断するには、獲得性遺伝の問題やヘッケルの反復説への深い理解が何よりも必要です。これは遺伝及び進化に関する学説を討議するために有力な助けになり得ると考えられるからです。
② 進化と環境及び履歴の反復性
内外の研究者たちによって活発な研究が進められているカビ、細菌、原生動物などの下等微生物の遺伝と変化に対する環境条件の影響について、正しく理解するためには、細胞原形質が過去において得た履歴を再び反復しようとする特性をもっていることを承認する必要があります。獲得性遺伝と進化の関係を正しく理解できるか否かの鍵はここにあるといえるでしょう。
細胞が何らかの内的(物理的、精神的)或いは外的条件による刺激に反応した場合、それがその生物体の細胞に対して快適な刺激であるときには勿論ですが、細胞に著明な有害作用を及ぼさない限り最初は多少好ましくない刺激であっても、その刺激を繰り返して受けているうちに、その刺激が快感となりそれを要求するようになります。またそのような刺激が受けられないときも、一定時間を経過するとリズミカルに以前の快感を得たときの履歴を反復しようとする傾向があることは、多くの心理的、生理的な現象にみることができます。たとえば、心理現象における習慣や記憶、条件反射などがそれに該当します。生理的、心理的な履歴反復性の存在は今日では誰も否定できない事実です。
しかしこれが、ひとたび遺伝形質の問題となると、メンデリストたちはたちまち獲得性遺伝の否定という立場に立ち、個体発生と系統発生はまったく別で無縁のものだという生理学上では考えられないような見解に固執することになります。
遺伝は生物の特性が原形質を通じて子孫に伝わる現象ですから、原形質が個体発生時に示した履歴反復性がそのままとはいえないまでも、何らかの方法で次代に特質を伝えることは当然にあり得ることだし、またこれを否定する理由もありません。原形質のこのような履歴反復性原理は、原形質を化学的に分析するだけでは到底わかることではありません。しかし、この原理こそ細胞、発生、遺伝及び進化の現象を統一的に説明するためには不可欠なものなのです。
47.がんと千鳥学説 no.21
(ア) 生物学の専門化 …研究者は分科に分科を重ねた狭い専門的な分野にたてこもり、自分の研究領域を明確に区分し狭く局限された自分の分野を一歩も出ないことが、立派な研究者の態度であると考えている向きが感じられます。
(イ) 既成学説に疑問をもたない …既成学説、いわゆる定説に疑問をもつことなくそれを信頼していることも挙げられます。たとえば細胞は分裂によってのみ増殖するという法則に合わない、当然に疑問をもたなければならない現象が目前にあるのに、研究者たちはそれを回避、或いは事実を無理に定説に当てはめようと努力したり、事実をぼかして記述したりする形跡が残されています。
(ウ) 形式論理が中心の科学方法論 …科学的法則の樹立には正しい論理的な方法論による考察が必要です。研究者たちは形式論理に従って物事をはっきりと峻別し、固定化しようとしていますが、それでは実際の生命現象を正しく促えることはできません。
◎シュライデンの細胞遊離形成説
47.がんと千鳥学説 no.21
生命・細胞・血球の起源③
【6】細胞には精神があるか(合目的性、合終局性)
① 細胞の精神とシュペーマンの見解
両棲類の初期発生について偉大な業績を残したシュペーマンは非凡な着想をもっていました。
『生物の世界に対する関係は精神にあり』という彼の信念から出発した着想でした。彼はその著、(思い出)に次のような記述をしています。『私の心のなかに私に実に似つかわしい、そしてもうずっと以前から身についた根本的な確信がだんだん強くなってきた。それは全て生物にはその生命のある全ての部分の一つ一つに至るまで精神があるということである。たとえその精神の現れ方が我々自身においてその機能をよく知っている脳という器官におけるのとは異なっていようとも、それだからといって決して劣ることなく現れる精神……私は今日、自分でなした実験的研究によって、私たちの皮膚を形成すべき運命にあると思われたその同じ細胞群が、発生初期に将来脳になるべき領域に誘導されると、間違いなく脳の神経組織になる……このことを知って以来、およそ生命過程の間には、こういった基本的な連関性が、以前よりも確固とした信念として得ることができた』
細胞に精神ありというシュペーマンの確信は、さらに彼の非常に効果のある問題提起にあたり、また彼が実験結果を記述し、解釈する場合に応用した類推策の究極的な基盤となっています。
② エーゲルの細胞知能説
エーゲルは新しい生物学説に関する著書で、目的論的弁証法を唱えています。彼の根本的な仮定は『全ての細胞は知能をもっている』という主張です。胚の発生過程は体の全ての部分を構成している細胞の知的行動が成体を形成するような方向に向かって働いていると説明しています。かれのこの説は推測ですがシュペーマンの細胞観に影響を受けたものかと考えられます。
③ 本項についての考察
細胞に知能があるとか、精神があるとかいうと言葉の意味が心理学上の問題となってくるかもしれません。高等動物の心理過程と同一だとは到底いえないまでも、これと類似した特性が個々の細胞にあることは決して考えられないことではありません。生物学者のなかには、生命現象を探求する場合は、生物学として生物の心理現象を離れて、物理化学的方法によってのみ探求が可能だと考える人が少なくありません。たしかに心理学と生物学とは独立した別個の科学であるから、それぞれ専門の枠から出ないようにするということも肯けることです。しかし研究対象である生物、ことに高等動物の行動は心理現象を伴い、しかも生理現象と心理現象とは密接であり不可分の関係にあります。それなのに心理学と生物学とが別々の立場からそれを研究しているのは、研究の便宜のためといっても、原理的には正しいこととはいえません。分かち得ないものを分けようとすることに無理が生じます。
シュペーマンがいう細胞の精神について、その行動は合終極性をもち、全態と緊密、且つ有機的なつながりをもっていることは否定できません。シュペーマンの説を機械論的にあっさり割り切った考えで生物現象を捉えることは、正しいこととはいえないのではないでしょうか。
【7】細胞生物学の提唱
① 細胞と生物学
細胞は生物体の構成単位であることは周知の事実です。しかし、生物学研究者のなかには細胞の構造や機能をほとんど考慮することなく、非常に狭い分野の研究に専念する人や、従来の細胞学を鵜呑みにして、その上に自らの研究をむやみに積み重ね、いわゆる定説に当てはめようと努力している人が余りにも多いようです。誤らない生物学は正しい細胞観を基盤としなければならないのに、どうしても前述したような生物学的傾向が多くなっている理由には次の3項目が考えられます。
科学の進歩とともに研究者の範囲や研究方法が拡大し複雑になり、研究の専門化は実際上のこととしてやむを得ないことでしょう。しかしそれが行き過ぎとなり、またそれが正しい方法だとされ、他を顧みることがなくなると、部分にとらわれ全体との繋がりを忘れがちになります。
限られた専門分野のなかで単に事実を記載するには余り問題はないかもしれませんが、生命現象の神秘を探求しようとするならば、生物学の諸分科はもちろん、さらに諸科学との繋がり、及び方法論への再検討が行われない限り、妥当な判断を下すことはできません。
生物学の出発点は細胞です。この細胞に関する正しい概念をもち、生物諸科学を有機的に関連づけ新しい生物学を構成すべき時はもう来ています。
自然現象というものは絶えず変化し、対極の統一、換言すれば2極の不安定状態における安定という弁証法的運動として把握する必要がある場合が少なくありません。細胞の種類に関する多元説や赤血球分化能の否定といったことは、生命現象の動的見解が不足している結果といえるでしょう。
だから生命現象を正しく理解するためには生命現象を時間、空間の枠を通した一つの運動形態として促えなければなりません。
② 細胞生物学の提唱
細胞は形態、官能、物理化学的性質など、どの面から観ても生物体構成の単位であるとされる細胞は細胞学を始め、組織、解剖、分類、形態、生態、生理、生化学、生物理学、病理、心理、発生、遺伝、進化などの諸科学、さらに医学、農学その他の応用生物諸科学等の基礎であり出発点でもあるわけです。しかし、生物に関するこれら諸科学の研究が常に細胞の機能や構造と密接な関連があることを考慮しつつ進められているでしょうか。正しい細胞学が生物科学の全ての分野に徹底され浸透しているでしょうか。冷静に生物学の諸分野を見渡すとき、生物学のどの分野においても全く行き詰まりは生じていないと自信をもって断言できる人は、まずいないでしょう。
もしあるとしたら、それらの人は多分、生物学の細胞というものを従来の定説に従って固定化したまま理解し、真実の現象で定説に合致しない部分は見過ごすか、意識的に見ないようにしている人だといっても過言ではない筈です。このような表現は学者といわれる諸氏からお叱りを受けると思いますが、千島喜久男の長年の研究結果からの根拠によって僭越な言葉を使わせて頂いたわけです。
現代の発生学は受精卵の卵分割、いわゆる発生初期の細胞分裂像が生涯にわたって続くものと仮定し、それが真実の現象だと信じています。しかし、胎生6ケ月以降、さらに出生後は細胞分裂は全くなしに体細胞は増殖していることは一つの常識になっていますが、生後も体細胞が分裂増殖をしていると主張する学者諸氏はいるでしょうか。細胞分裂説に疑問はもっているが、それを追及することを訳あって控えているのかもしれません。これからは生科学のあらゆる分科に正しい細胞概念を浸透させるため、また細胞を基礎とした生命現象の統一的把握のために、新しい細胞生物学の必要性を千島は提唱しています。
③ 細胞分裂説を過大評価している現代科学
新しい細胞生物学の樹立のために最も必要なことは、従来のような細胞分裂に対する過大評価を早急に再検討することといわざるを得ません。それには先ず、定型的な細胞核が凡ての細胞に存在するという考えから脱皮しなければなりません。高等動物の細胞はともかくとして、バクテリア、単細胞藻類、酵母などに定型的な細胞核が存在するか否かについて、現在においても諸説が入り乱れ一致した意見に統一されていません。千島喜久男も観察の結果として大きな疑問が残ると述べています。
高等生物の細胞においても細胞発生の一定段階では核の存在が明確でない場合があります。さらに核分裂が細胞増殖の唯一の方法だという考えには大変な無理が伴っているものと考えられます。
多くの場合、正常状態では細胞分裂像が見られる機会が余りにも稀なため、種々の細胞分裂誘発剤(ナイトロジェンマスタード、カイネチン、その他)や物理的処置(放射線照射)によって、またカラー顕微鏡写真用の非常に強い光源の照射によって分裂像を観察できたと報告するものが多いというのが現況です。上記のような化学物質や放射線、光などが細胞分裂を誘発することは確かです。しかし生命体の自然状態における活動を研究するというのが本来の科学であって、人為的に自然の現象を従来の定説に当てはまるよう操作するのでは研究の意味が失せてしまいます。これからの生物学は、いわゆる細胞分裂に対する固定観念を改め、根本的な再検討を加えなければ、一層の行き詰まりに至ることは必定といえます。
【8】初期細胞新生説時代
① ウオルフの細胞新生説
17世紀にフックが細胞を発見した当時には、まだ細胞の起源について誰も知る人間はいませんでした。細胞形成に関し最初に考えを述べたのはウオルフ氏体の発見者として有名なウオルフだと云われています。彼は1759年にその著で『凡ての器官は最初、透明、粘着性、無構造の液体であるがその内部に空胞が現れ、それが栄養物質を堆積して成長し、遂に細胞となる』と述べています。
このような現象は千島喜久男の観察、即ち赤芽球から出芽様形態で無核赤血球が形成される過程とよく似ています。彼は細胞を独立実体であるとは考えず、細胞の形成は生活物質に含まれる形成力による受動的な結果だと考えました。ウオルフの細胞説の主要点は、
▼細胞は偶発的に発生する
▼均質的な生活物質中に分化によって各種の部分が体制化される
▼この体制化(有機的組織化)に際して細胞は能動的であるより受動的である
という3点に要約されています。このウオルフの説は1801年にマーベルによっても支持されています。
② スペンガルとキースの細胞新生説
スペンガルは細胞は他の細胞中に含まれている顆粒又は胞状体が液体を吸収して成長し、発生すると主張しました。その後、トレビアナスは1806年にこの説を支持し、カイザーもまたこの説をさらに進め植物の乳液中の微小顆粒は後に細胞の間隙で孵化して新しい細胞になると説いています。
カイザーの説は、もし1個の顆粒が1個の細胞になるのではなく、植物液汁の極小分子が多数集合して細胞形成に役立つ働きをするというような考察ならさらに多くの賛同者ができることでしょう。 というのは、ムラサキツユクサの雄芯の毛の細胞や多くの植物細胞、或いは昆虫の体液から、血球を新生する過程に似た現象をよく見ることができるからです。
シャープはスペンガルが『澱粉粒は後に新しい細胞になる胞状体である』と考えたのは誤りだと云っています。たしかに澱粉粒は細胞構造をもたない一種の貯蔵物質ですが、その形成方法は発芽に際してこれらの澱粉粒が細胞新生の母体となることは否定できません。だからスペンガルの見解は大局的には現代の細胞学より細胞の本質を洞察した考えだといえます。
③ マーベルの細胞新生説
彼はマーチルトに関する研究の結果、細胞形成には次の3つの方法があると提唱しました。
▼他の細胞の表面からの出芽状細胞新生
▼旧い成熟細胞中における新生(これは赤芽球の内部に胞子形成状に赤血球を新生するのと似ている)
▼成熟細胞相互間での新生
このマーベルの説に対し、シャープは出芽状の新生は一致するが、他のものは細胞分裂による増殖過程を見誤ったものだと反論しています。これは今日の生物学者と同じ一般的な見解です。しかし、植物や動物の細胞を観察していると、細胞分裂や核分裂をすることなく母細胞内に新細胞が自然発生的に生ずることを千島は幾度も確認しています。血液中に細菌が自然発生する場合も同じ形をとります。
④ モウルの細胞新生説
彼は1835年に藻類の生長に関する研究の結果、マーベルのいう細胞新生説と一致する結論を得ました。モウルが植物細胞学樹立のため、数多くの貢献をしたことを多くの人々は認め乍らも、彼の細胞新生説は誤りだったとして顧みられない現状です。これは疑いもなくウイルヒョウの細胞観に追随しているための誤謬だといえるでしょう。
メイヤンは細胞分裂は広く見られる現象だといっています。彼は細胞分裂と上述したような細胞新生説とを区別しました。賢明にも注意深い見解をとって細胞新生説というものを完全に否定することをしていません。サウスは『もしモウルの説がはっきり理解されていたなら、その後になってシュライデンのあの奇妙な細胞新生説が唱えられることはなかっただろう』と云いました。
しかし、このサウスの言に対して千島喜久男は『シュライデンたちの細胞新生説が、率直に理解されていたなら今日のような誤った細胞分裂中心の説を防ぐことになり、生物学は余程変わったものになっていただろう』と批判を加えています。
⑤ シュライデンとスクアンの細胞説樹立と細胞新生説
ドイツのこの著明な二人の学者が、1838年に近代細胞学の基礎ともなる業績を発表したことは細胞学だけではなく、一般生物学に新しい風を吹き込む契機になったことは広く認められています。 この説は『凡ての生物体は細胞と細胞の産物から構成されている。細胞は生物の構造及び官能の単位であり体制化の第一義的要素である』と云い、これと関連して細胞新生説を提唱しました。
しかし、細胞の自然発生説を極度に軽視する現在の生物学者や細胞学者はシュライデンたちの説を完全に棄却してしまいました。如何にも残念というほかありません。自然科学者を以て任ずる人々でも、いわゆるその道の権威者と称される人が提唱した説を、追試また批判することなく、権威には追随しようとする弱い一面があるようです。そのため千島喜久男は、この両学者の人柄について少し触れておくことが必要だと考えそれを紹介しています。
シュライデンはハイデルベルヒで法学を、ゲッチンゲンで医学、そしてベルリンで植物学を学び、当時第一級の植物学者となりイエナ大学の植物学教授を23年間務めました。彼は植物学における研究で有名だっただけでなく、猛烈ともいえる研究意欲でも有名でした。植物学を物理学、化学と等しく科学的基礎のうえにおくべきだと考え、また正確な観察と形態学の基礎に立って発生論的に研究することの必要性を強調しました。サウスは彼を評して『闘争することを余りにも好み、相手から傷つけられることをものともせず、ペンを以て武装し何時如何なるときでも敵を打ち破る体勢の準備を整えていた。彼はまた非常に物事を誇張する傾向があり、当時の植物学の状態においてはその時代の要求にピッタリと合った人だった』と述べています。
またスクアンは偉大な生理学者、ミューラーと共にヴルブルグとベルリンで医学を学び、ルーヴァインの大学で9年間大学教授として過ごした後、リーグに移っています。彼の性格はシュライデンとは正反対で極めて温厚でゆったりした人だったと云われています。シュライデンがスクアンと食事中、植物細胞に関する彼らの意見を交換し、スクアンが動物についてこの問題を研究していたので食後一緒にスクアンの研究室へ行き、そこで二人は植物体でも動物体でも細胞は根本的によく似たものだという結論に至ったといいます。
当時ブラウンが細胞核の存在を発見していたので、シュライデンはそれをもとにして、細胞の遊離形成説を提唱しました。それは『一般に細胞内容又は母液はその凝集過程によって小顆粒が形成されてその周囲に多数の顆粒が蓄積して核を生ずる。やがてこの核が十分に大きくなるとその表面に透明な胞体を形成する。この胞体はさらに増大して新たな細胞になる。しかし、新生細胞は細胞の内部に存在する核の表面にできるのだから細胞分裂によるものではない』と主張しています。
彼は細胞説の主要点として『或る一定度に成長した凡ての植物は十分個体化し独立した個々の、それは細胞も含めて一つの集合体である。各細胞は二重生活を営む。即ち独立生活と付随的な生活の部分である。しかし個々の細胞の生活過程は植物生理学や比較生理学の何れにおいても、個々の細胞が絶対不可欠の基礎を形成する必要がある……』といい、シュライデンも同様の見解を述べ、ともに細胞の新生を強調し、核は基本顆粒の凝集によって新生するとしたことは注目に値します。
細胞新生に関する諸説は他にレペシンスカヤと千島学説の細胞新生説に対する様々な論争がありますがそれは別の機会にご紹介します。
48. がんと千鳥学説 ,no22
(1) 細菌に細胞的構造はあるか?
(2) 細菌に核はあるのか?
(1) 地球上の最初の生物
(2) 藻類が地球上に最初に発生したという説
(3) 細菌が地球上に最初に現れた生命体だとする説
48. がんと千鳥学説 ,no22
起源④
【9】細菌の起源
① 原生物界と前生物界
ミンチンは植物界と動物界との共同祖先を、ヘッケルにならって原生物界とし、これにバクテリアや単細胞藻類、菌類、原生動物を含めています。動物と植物とを究極的にまた明確に区別することは困難ですからこの分類は意義あるものといえます。ミドリムシ、粘菌類のような植物鞭毛虫類は植物と動物の両方に分類されており、これらを総括して原生界に含ませるのも妙案といえます。
もともとが葉緑素の有無、栄養摂取の方法によって植物と動物に区別しようとすることは実際として不可能なことは、あとで述べます淡水海綿のように、組織の大部分が葉緑素からなるクロレラから構成されていることからも分かります。
だいたいが連続的である自然や生物を分類して考えることは、人為的な無理が生じてしまいます。そこで千島喜久男は定型的な細胞構造をもっていない、バクテリアや菌類、単細胞藻類などを一括して動物界、植物界に対する一つの界として原生物界とするヘッケルの提案に賛同しています。そして、もし必要とすればバクテリア界の下次段階として前生物界を設け、リケッチアやウイルスをこれに含めるのも一方法ではないかと提案しています。
② 細菌は細胞か?
生命というものは生物がもつ特性であり、また構成単位は細胞であることは現在の生物学における常識になっています。そして細菌は生物であるとされていますが、生物だとしたら細菌というものは果たして細胞なのかという疑問が生じてきます。この問題から考えてみましょう。
細菌は一見して核のような物質を含んでいることは一般に知られています。ウイリアムは或る細菌は他の細胞と同様な構造と官能をもっていると考え次のようにいっています。
『大部分の細胞学者は細菌は核様体をもっているということに意見が一致している。そしてレバーグは細菌中で遺伝子が線状に配列し、遺伝子の分離や高等生物とは異なるが性的結合などが起きると報じている。もっともこれは或る種の細菌にのみ見られたことである』といい、さらに『実験結果から細菌に核構造があること、形質分離の現象が見られ、細菌がより高等な生物に進化するものである』といってレバーグの説に賛同しています。レバーグはその後多くの研究者の仕事や自分の研究を総合して『細菌は有性生殖を行うほかの生物と同じような遺伝的現象を示す』として細菌の細胞としての条件を充たしているとしています。細菌が定型的な細胞構造をもつということは多くの疑問があると千島喜久男はその著書に述べていますが、ウイリアムがいうような、より高等な生物に分化するという可能性については認めたいといっています。
この件については、古来から異論が氾濫し今日においても結論は出ていません。或るものは核の存在を否定し、また或る研究者は細胞核の存在を主張しています。
ブラドフイールドは研究の結果、細菌の核と動植物の細胞核とは著しい相違があることを知り、核の進化について次の様な段階があるのではないかと考え報告しています。
a……DNAとRNAとを共に含んでいるが、染色体構造、核、核小体などはまだ存在しない状態、即ち小又は中等大のウイルスの段階。
b……DNA及びRNAがほぼ形成された核内の特殊構造中(染色体及び核小体)に位置し、その核は直接分裂で増殖する細菌又は大型ウイルス。
c……動植物細胞の核であり、完全に分化し且つ有糸分裂によって増殖する核の状態。
という段階です。これは一応はもっともな考えだと思われますが、千島喜久男はつぎのような批判をしています。即ち……
『①は、まったく核酸の存在しない所に先ずRNA、次にDNAが現れ、次いで主としてDNAを含む核に変化すると考えるのが妥当。②細菌増殖は分裂によってのみ起きるということを基礎にしているが、これは間違った考え。③動植物細胞は凡てDNAを含む定型的な核ばかりだと考えることは妥当だといえない。鳥類、哺乳類、両棲類、昆虫その他の動物でも、また高等植物の細胞でも、いつも定型的(化学的にも形態的にも)な核をもつとは限らないことは、私の研究結果からはっきり云えることである。言い換えれば、生理的ウイルス→細菌→動植物細胞という過程をたどる核合成過程は、細胞の核質を形成する過程として動植物に共通の現象である』と。
多くの研究者が動植物の細胞核に共通した核の存在を主張していますが、これについても千島喜久男は彼らが提示している図を見ても『いわゆる分散核の域を出ないものであり、また細胞分裂像だとしている図も両端染色性菌の範囲を出ないもので、当然に紡錘糸や染色体などは示されていない』としてその妥当性を否定しています。
正統派の研究者たちは細菌の核は一般の細胞核と同様に分裂すると強く主張していますが、それは疑いなくウイルヒョウの正統細胞学の原理を細菌の世界にまで適用しようとしているためでしょう。なぜなら、自然状態では決して細胞は分裂するものではないことを千島喜久男が確認しているからです。細菌は有機物質から自然に発生し、また細菌はいつまでも細菌のまま存在するのではなく、融合と分化によってより高次の生物へと進化するのが通常の発育過程なのです。
③ 原生物はバクテリアか、それとも藻類か?
生命の起源、いわゆる地球上へ最初に出現した生物を探求するとき、私たちはこれを二つの点から考える必要があります。一つはその生物が細菌か藻類かということ、次はその生物が栄養摂取をしているかということです。この二つは最終的に一つに帰すべきことですが、どれも主として現在の地上における最下等生物から推測するほかありません。微生物の化石はまず見つからない筈。生理学、生化学的研究にしても、今から何億年も前の地球の状態と現在とはまったく異なっていますから、推測自体が雲を掴むようなことになるのは当然です。ならばどのような方法で推測すればよいのか……? 千島喜久男はこのように云っています。
『生物の進化過程には履歴反復性がある。生命は歴史的所産であり、その歴史は反復して繰り返されるという重要な根本原理を基礎として研究するとき、生命の起源の探求に対しても大いに役立つものだと確信する……』 地球上に初めて出現した生物が、葉緑素をもち自ら養分を合成する現在のような植物だったか、或いは自然に合成される有機物が存在し、その上に発生してその有機物を摂取し成育する他養性のものであったかはまだ解明されていません。しかし、支持者の数からいくと他養説が現在は優勢になっているようです。また、最初の生物がバクテリアであったか、それとも藻類であったかも大きな問題です。オズボーンは細菌だったと主張し、オパーリンは藻類だったと云っています。バーナルは光合成を行う生物の前に、既に生命は出現していたと考えていましたから、藻類よりバクテリアを先行者と見ていたようです。結論についての千島喜久男の判断は、物質代謝の方法についてはオパーリンの有機物上に藻類が発生したという他養説を、また生命形態については藻類よりバクテリアが先に発生したというオズボーンのバクテリア説に賛同しています。
オズボーン(細菌先行説)とオパーリン(藻類先行説)の考えは次のようなものです。
ユーラーは『マレー群島中のクラカタウ島の火山が1883年に大噴火を起こし、この島の生物は絶滅した。噴火の2ケ月後に調べた結果、島全体が噴石で覆われ、火山灰は平均30米、場所によっては60米の厚さに堆積していた。その後1886年にトラブが島を訪れたとき、山腹の渓谷に露出している岩石の表面に初めて青緑藻が繁茂していた。検索した結果それは藻類とバクテリア及び珪藻が一緒になったものだということが分かった……』と報告しています。
これらは胞子が風によって運ばれてきたものと推測されます。この藻類は念珠藻類に属するものだったといいます。念珠藻は空気中の炭酸ガス化合物から葉緑素の作用で糖質を合成します。またこれは空気中の窒素を同化する働きをもっています。この観察結果と岩上に最初に現れたのが念珠藻だったことから類推すると、地球上に最初に出現したのは分裂藻類だろうとユーラーはオパーリンの藻類先行説を支持しています。しかし、千島はこの藻類が現れる前に、肉眼では観察できなかったバクテリアのほうがずっと先に発生していた筈だといっています。
a……オズボーンはその著のなかで『地球上に最初に発生した生命形態は細菌であり、藻類はそれが進化した高次のものである』といっています。この点、ユーラーやオパーリンの説より一層に妥当な見解だと千島はこの説に賛同しました。オズボーンはまた『地上又は海中に最初に細菌様生物が現れ、それが動植物進化の先駆となり基礎となった。その数は無数である。細菌というものは栄養摂取の方法が最も原始的であるばかりでなく、生命化学の原始状態を現在ももっている残存者である。これらの細菌は栄養やエネルギーを無機物から直接摂取する。(この部分について千島はこの摂取法は一種の自養説であるとして批判している)このような細菌は地球上にまだ他に生物がいなかったとき、いわゆる葉緑素をもつ藻類が繁茂する前に発生し繁殖していた。この種の細菌のなかには多分、始世代から残存している原始的食性のヨーロッパ産のニトロソモナスがあり、それは鉄、マンガン、燐などの存在の下で酸化酵素の相互作用によって酸素をとって呼吸する。個々の細胞(細菌)は、こういったことから有力な小化学工場といえる。この細菌はもっと原始的な時期には硫酸アンモニウムを食べ、アンモニウムから窒素を摂取し亜硝酸塩を形成する。この細菌は自らが合成した亜硝酸塩を食って生きている硝化バクテリアと共存生活をする。この二つの種は生物とその生活環境との相互作用の最も単純な型である』と先行細菌のことを詳しく説明しています。
また硝化バクテリアについて『この細菌はアンモニア化合物から窒素を摂取するので硝化バクテリアと呼ばれている。この硝化バクテリアが土壌中で作用することによって、アンモニアと炭酸ガスをエネルギー源とする前葉緑素的微生物を発育せしめることができることを、初めてヘラウスが発見した。この種の細菌は生物がまだ発生していない地表や水に作用して、下等植物が出現しやすいような化学的変化を与えた……』と地球上に初めて発生したと思われる硝化バクテリアについて詳しい説明をしています。この説明で細菌が有機物を摂取して増殖するといっていますが、むしろ有機物を母体として細菌が自然発生すると観るのが妥当だと千島喜久男は述べています。
b……化石細菌と藻類についてオズボーンは次のような事実をその著に記載しています。
『化石細菌はモンタナの始生代地層の石灰岩中に発見された葉緑素をもった藻類の切片から見出されたものである。この細菌は炭酸ガスを含む単純塩を摂取して生きている、他の硝化バクテリアと関係がある……』と。このことは細菌が藻類よりも一層原始的であるという千島の説を支持する証拠ともいえるでしょう。なぜなら、藻類の化石中に細菌が含まれているということは、細菌→藻類へ進化するという千島の主張が正しいということを暗示しているからです。
④ 藻類が原始生物だとするオパーリンの説
オパーリンは栄養物の吸収及び同化ということから、地上に最初に現れた原生物は一般に考えられているような細菌ではなく、下等藻類だったと主張しています。
『如何なる生物の種類でも、過去の一時期に無機物を栄養源として摂取することが可能であったことを示す器官の萌芽は見られない。現存生物の大部分は有機物栄養生活、即ち栄養源として有機化合物のみを利用できるしくみになっている。凡ての下等及び高等動物、ほとんどのバクテリアや細菌がこれに属する。しかるに典型的な無機栄養生活をする緑色植物は有機物を利用する能力も十分に保有している。特にジュズ藻、珪藻類、アオミドロにおいては無機質利用能力があるにも拘わらず、汚水中の有機物が多い所では成長が著しく良好になる』といっています。この有機物が豊富な所では藻類の成長が非常に活発になることにオパーリンが疑問を抱いていることへ、千島は次のような批評を加えています。『オパーリンは汚水中のバクテリア或いは珪藻が他の藻類に有機物栄養源として摂取(合体)される事実を観察したことがないようである』と。
オパーリンはこれらの緑色下等植物は最初、有機物(原始水圏に多量に存在していた)を摂取する能力をもっていたが、その後の進化過程において新しい組織形態が付与され、2次的に無機物を利用しうる能力を獲得したのだと説明しています。その結果、無機物栄養生活ができる硝化バクテリア、硫黄バクテリア、鉄バクテリアなどが最初に現れた生命形態だと主張するオズボーンの説を否定してこれらの生物は進化の本道からわかれた単なる側技的なものだと述べており、ベルナールもこのオパーリンの考えに賛同しています。
⑤ 上述した2説に対する千島喜久男の意見
地球上に出現した生物として、バクテリアが先か藻類が先かという問題はオパーリンのように生化学的な見方によってだけでは解明されることではない。少なくとも私は生物学の立場から見た限り、次の理由からオパーリンの見解をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
(1) バクテリアと藻類の構造、大きさの点……藻類は核様体をもちより大きく、構造においても一層に複雑である。バクテリアは分散核をもっているが凡ての点でより原始的である。私の観察によればクロレラはまだ定型的な核はもっていないが、バクテリアから進化する可能性があるものと考えている。
(2) アオミドロその他の緑藻類はバクテリア、珪藻を合体して自らを成長せしめる事実を私は観察している。その他、進化論的見地から見て、藻類がバクテリアよりも原始的なものであるという証拠は何処にも見あたらない。
(3) オパーリンは『最初のエネルギー代謝形式は全く嫌気的過程であり、もっぱら水の分子と有機物質との相互作用に依存したのである』といっている。このことは水中における藻類の発生や私の観察した空気を遮断したスライドカバー方式においてのバクテリア自然発生の事実とも矛盾せず、従って藻類がバクテリアより原始的だという理由にはならない。
緑藻類は既に葉緑素をもち、光合成を行うがバクテリアにはそれがない。しかも生物誕生の創始期には今日のように強い太陽光線は地上に達していなかったということから考えても、バクテリアがより原始的な生物で、藻類発生のずっと以前から地球上に発生していたと考えるのが妥当だろう。最近はオパーリンも最初の生物は藻類であったという主張はしていない。
この『細胞と生物』の項で千島喜久男はウイルスの起源と本性についても述べていますが、次々と変身を重ねているウイルスには、種族保存の本能という生物特有の特質がないのではないか。生物ではないとしたらこれは何なのか……と編者は考えており後に折りを見てこの問題を取り上げたいと考えています。
48.がんと千鳥学説 no.22
(1) 共食生活
(2) 共生
(1) 豆科植物と根瘤菌
(2) 菌根
(3) ランと共生菌
(1) クロレラの細胞内共生
(2) クロレラ共生の意義
(1) ホタル及び頭足類
(2) 発光ホヤ類
(3) 魚類
(4) 千島喜久男の見解
(1) 菌節と共生微生物
(2) 共生者の融合と細胞新生
(1) 昆虫の消化管内細菌
(2) 昆虫の細菌発酵室
(3) 昆虫の消化生理と細菌
(4) 外傷治癒とハエの幼虫
温度による法 …クリーブランはシロアリを36度に設定した所で24時間生活させておくと、その腸内に共生している鞭毛虫のほとんどが死滅するが、少数のものは生存していました。ある種のシロアリにおいては、腸内共生菌は35度では2日で死滅するが、他種のシロアリに共生する菌は8~10日、生存することを確認しました。そして各種シロアリとも腸内共生菌のすべてが死滅すると、シロアリ自体も3週間前後で死んでしまうといっています。
飢餓による法 …またシロアリを飢餓の状態にしておくと、やはり腸内共生菌は死にます。この場合も共生菌が死ぬとアリ自体も死にます。そのおり、アリの腸内に棲息する共生菌のうち大型の菌のほうが小さな菌よりも速く死滅するといっています。
酸素による法 …クリーブランは食餌のほかに酸素供給の量や方式による腸内細菌除去の実験もしています。これは前述したような高温環境法や飢餓法よりも一層完全な実験法といえます。まず、高い酸素圧の下にシロアリをおくと、酸素の混合値や共生細菌の種類などによって、現れる結果が異なったものになります。
48.がんと千鳥学説 no.22
生命・細胞・血球の起源⑤
【10】細胞の起源と微生物との共生現象
① 生殖細胞と原生生物との類似
細胞の起源と微生物との共生現象をお話するまえに、まず生物体中で最も根本的な存在である赤血球と生殖細胞とが原生生物その他の下等生物に似た性格をもっていることを述べておきたいと思います。生殖細胞は非常に原始的な形質をもっていることは周知の事実となっています。
卵子はアメーバの休止期に、精子は鞭毛虫或いは帽針状腐敗菌に似た形をもっており、生殖細胞は分化した多細胞生物が再び原始の状態に戻ったものと解することができます。
このように考えるとき、生殖細胞と下等微生物との形態や習性に類似点があることは単なる偶然の一致ではなくて、生殖細胞は多細胞生物発生という原始状態に戻り、過去の歴史を反復する段階にあるものということもできる筈です。
② 赤血球と原生生物との類似
現代の血液学では赤血球は最高度に分化した細胞だと定義づけしています。このことについて千島喜久男は『赤血球は生殖細胞より一層に原始的で細胞以前のもの』といっています。
赤血球がまだ原生生物的形質を多分にもっているという証拠は、カバースライド法で両棲類、鳥類や哺乳類などの生きた赤血球を観察することで理解できることでしょう。
(1) カエルの赤血球は一部が細長く延長し、その先端は鞭毛状になって緩やかな鞭毛運動を示します。また赤血球の表面にはしばしば鞭毛状の突起を生ずることがあります。ニワトリやウサギ、ヒトといった哺乳類の赤血球を体外に取り出すと、ときに飴の金平糖のように変化します。浸透圧が異なった状態が加わるとこのような変化は一層はっきりしますが、全血液そのままでも往々にしてこのような現象を見ることができます。突起は鞭毛虫の鞭毛に相当するものだと千島は述べています。ミンティンは原生生物の繊毛は進化論的に鞭毛に先行するものだといっていますが、金平糖状赤血球の突起が鞭毛に該当し、アメーバ状運動をする白血球はその後から現れるという千島の観察はミンティンの説にも合致しているようです。しかも、このような変化は血管内を流れている赤血球では生じません。血流の停止、或いは体外に取り出したとき始めて見られる現象です。しかし、オタマジャクシの尾部毛細管を生きたまま観察していると、赤血球が毛細管壁を通過する際に、鞭毛状の突起を出して管壁を穿孔し赤血球内容がこの小さな孔を通って血管外に出ると、それは白血球に変わるという不思議な現象を見せてくれます。
赤血球が原生生物に似た行動を示すのは、赤血球が白血球に分化する途中及び白血球に変わってからです。
(2) 各種動物の赤血球は始め円盤状ですが血流が停止すると同時に球形に姿を変えます。これは卵子やアメーバの保護嚢に似て一種の原始状態への復帰と考えられます。哺乳類の赤血球の球形化と金平糖状変化はあい伴って起きます。
(3) 白血球が偽足を出してバクテリアその他を貪喰するかのような行動を示したり、アメーバ状の運動をすることは周知のことですが、これは形態、機能ともにアメーバと同じだといえます。生体内のアメーバといえるでしょう。
③ 共生現象
『共生』という語は1879年にバリーが用いたもので、2種類の生物が常に密接な形態的、生理的関係を保ち、また互いに利益を与えあって永続的な共存共栄の生活をしている現象をいいます。
バリーはその最もよい例として地衣類の生活を挙げています。一般に共生現象は案外、割り切った考えで見過ごされているものも少なくないようですが、詳細に研究すると共生と共食生活、そして寄生との間に区別をつけることが困難な場合もあります。場合によっては共生を広義に解して共食生活を含ませ、また相互に生理的な意義をもたないで共に生活している場合を含ませる場合もあります。 生物界を広く、そして深く観察するとき、前述したような共生現象は動的なものであり、時間の経過とともに共生関係が一見すると寄生ではないかと思われる関係もあり、しかもその実は2種の生物の融合によって新しい細胞や新種の生物に進化することもあることは、これまで余り知られていませんでした。ここではこの重要な意義をもつ共生現象と細胞の起源ついて概略を述べておきましょう。
これは『食卓を共にする』という語からきています。2種の生物が互いに食べ物を分けあって食べつつ生活する場合をいいます。この例としてヤドカリとイソギンチャクとの関係を範疇に含めたり、スズメの一種がアフリカのサイやゾウの背にとまってその皮膚に寄生している害虫を喰う例、またこれに似た現象として英国のムクドリとヒツジとの関係も挙げられます。
また海中生物ではある種のカイメン内部には小エビが隠れて生活していたり、サメとコバンザメの関係、さらにある種のカイメン体内には二万種近い他種生物が生活しているのを観察した学者は、このカイメンを『生活用ホテル』…Living hotel…と命名しています。千島も長良川産の淡水カイメン体内に数十種の微生物が生活しているのを観察しています。このような例を共生生活と呼んでいますが、多くの場合が偏利生活(共生者の一方だけが利益を得ている生活)だといえそうです。
この語源は『共に生きる』の意からきた術語であり、自然界においては共生と共食生活との間に厳密な境界を設けることは不可能でしょう。両者の間には中間的なゾーンがあるのが当然だからです。
寄生虫と宿主とが長い進化史のなかで相互に抵抗性と適応性を獲得し一定の平衡関係を保って共存し、外観的には宿主生物が大きな被害を受けることもなく健康を保持している場合もあります。
こんな場合は寄生と共生との間に明解な限界を引くことはできません。
共生現象は2種生物中の一方が他の生物個体の組織中或いは細胞内に入り込んでいる場合を内部共生、個体の外側に付着するものを外部共生といいこの二つに分けられています。
後者の例としてはアメリカ産のアリが、植物の葉を巣に運び込み堆積させその中に生ずる菌糸を食べて生活する例や、白アリが排泄物で作った団子のなかに生ずる菌糸を食べて生活する例がありますが、このような共生は2種の生物体の細胞や本質的な働きには直接の関係は余りないようです。
一方前者の内部共生は細胞の成長、進化などと直接に重要な関係をもっています。これについては機会があったときお話しましょう。
④ 地衣類における共生現象
すべての地衣類は菌類と藻類との共生によって生じ、地衣類の白色の部分は菌糸でこれが緑顆層を構成しています。菌類の芽胞は発芽しますがその若い葉状体は、適当な藻類との遭遇がなければ発育を中止してしまいます。これは藻類が炭素同化作用によって有機物を合成し菌に与え、菌は水分及び水に溶解している無機塩類を吸収しその一部を藻類に与えるという共生生活ができないからです。
地衣類の種類によって共生する菌と藻の種類は大体が一定ですが時には、同一の菌が種々異なる他種の藻類と適応して共生し、別種の地衣類を形成することもあるという報告があります。
2種の地衣類が同一葉状体のように並んで生育し、或いは反対に同一藻類が種々な菌糸とともに別の地衣類を形成することも知られています。また地衣類は菌糸を従来のものと取り替えることにより他種の地衣類に種の転換を起こすこともあります。
地衣類を構成している菌類と藻類が共生体の特性だとされる『相互に等しい利益を受けあっている』か否かは、一般に考えられている程はっきりしてはいません。今日においても、次の4説があって未解決のまま残されています。
① 菌類は藻類を喰って生きていて一種の寄生性がうかがえる。
② 藻類が菌類に寄生している。
③ 両者は互いに共生生活をしている。
④ 同等の利益交換はない。
①説を主張しているスゥエンドナーは菌類が主人であり、藻類は従者だといっています。クモがその巣で虫を捕らえるように、菌類が藻類を取り囲み、その栄養を吸い取るため藻類は数代後にはもはやその存在が認められなくなるといっています。ウオーニングも藻類は独立の生活を営むことができるが、菌類は藻類を必要とします。だから菌類と藻類は特殊な寄生であるとし、ダニロフも菌糸は藻類の内部に侵入して内容を吸収し藻類を死に至らしめるから寄生だと考えています。
②説は①説とは反対に藻類こそ寄生性をもち菌類は宿主だとするものです。ベジェリックは地衣類から分離した藻類を硝酸と糖分とで培養を試みましたが成功しませんでしたが、有機性のペプトンを加えたところ始めて培養に成功しました。このことから藻類は菌類から栄養を受けているから藻類こそ寄生性のものだと主張しました。
③説は前2説の中間説でバリーやリンクたちによって支持されている説です。リンクは藻類と菌類との関係は緑色植物における葉と根の関係に等しいもの、即ち藻類は自養性で空気中の炭酸ガスから炭水化物を光合成し、菌類からはナトリウムやアルブミン、水分、無機物などを与えられます。
菌類は藻類の合成した炭水化物の助けをかりてアルブミンその他の物質を合成するから両者は正に共生であると主張しています。
④説はコーレイの主張する説で、菌類と藻類とは地衣類において相互に密接に適応していて独立性は失っていますがそのような場合でも藻類は菌類よりも独立生活をしやすい性質をもっています。
コダッツやその弟子は研究結果から『藻類がペプトンを要求するということで、必ずしもそれを寄生虫のものだと判断することはできない。なぜなら他の下等藻類でも同様の性質をもっているから……。有機的栄養分を要求することは場合によって菌類にも藻類にもある。要するに地衣類における菌類と藻類との関係は長い間の相互適応の結果生じたものであり、両種生物はその結果、本来の性質が変更され最初の特性を失ったものである』と述べています。
前述した4つの説に対し、千島喜久男は次のような意見を述べています。
『私は地衣類を深く研究したことはないが、菌類その他についてはこれまでの自己の研究を総合して判断するとき、この4つの説は何れも一面の真理を語るものではあるが、どれも不十分な点があると考える。まず第一に共生現象はこれまでかなり固定的に考えられがちだった。なるほど地衣類の生活段階の一定時期においては、菌と藻は互いに等しい利益を交換している時もあっただろう。いわゆる定型的な共生の時代がそれである。…①説…しかし、環境の変化や時間の経過によって一方が他方を消費することで何れかが比較的優位を示すこともあるだろう。それは①や②説に該当する。
④説はかなり動的な見解であり、私の考えに近いものだが、コーレイは他の一般生物学者と等しく菌類と藻類とはまったく別種のものであるとしている。たしかにそれは今日の生物学的常識からはもっともなことである。しかし、『種』の概念には今日まだ多くの疑義が残されており、地衣類それ自体が種の転換を起こす場合もあるという説も唱えられている。そのうえ、菌類と藻類との関係は菌糸と胞子との関係に似ている。現に私はある種のカビにおいて、菌糸から生じたいわゆる胞子は藻類と近似的なものではないかと推測している。菌糸が膨大して生じた胞子または芽胞様体が地衣類の組織内では、いわゆる藻類になるのではないかということも推測できる。『菌糸が藻類を取り巻き或いはその内部に侵入している状態』と考えられているものは実は、菌糸の一端から藻類を形成しつつある状態だと考えられないこともない。地衣類において菌類と藻類が常に共存している理由を、両者が偶然に遭遇した結果であると考えるより、一定の環境条件と基質の存在とによって、その場所にバクテリアの発生を先駆として菌類や藻類の発生が可能であろうと私は考える。コーレイの主張する菌類と藻類とを純粋培養することがこの問題の解決策だという考えには賛同できない。なぜなら、地衣類の生育する自然的環境とはまったく異なる人工培地での実験結果は、この場合、正しい意味をもたないことになるからである。
第二には、現代生物学では生物の発生、成長、進化をすべて細胞分裂を基調としているが、地衣類の場合、細胞分裂がその発生、成長、増殖の基礎となっいることを実証した人があることを私は知らない。恐らくそれは不可能であろう。私の主張している微生物の新生と、それらの融合と分化による新しい細胞、個体、新種への発展進化という観方からすれば、地衣類を構成する2種の生物の関係は時に共生と見られ、時には寄生と考えられる面があっても、それらは凡て時間、環境の諸条件を通じて生物が下次段階の単位からより高次の生物に進化する動的変化の一つの相を示しているものと解するのが妥当だろう。』
49.がんと千鳥学説 no.23
【10】細胞の起源と微生物との共生現象
⑤ 豆科植物と細菌との共生、融合と細胞の起源
土壌バクテリアが豆科植物の根瘤を形成且つ共生し、空中窒素を固定して植物に栄養として与えることは1888年にウイラートによって発見されました。こんにち一般に土中の根瘤菌は始め根毛中に入り、根はその刺激によって表皮の一部が膨大して根瘤となり根瘤菌は後には老化変形して大型叉状の仮細菌となり豆科植物に吸収されると考えられています。
ボースによると、スカンジナビアのあるクローバーに共生する細菌は抗生物質を分泌して根がカビに侵されるのを防止する役割をもっていると報告しています。これらの報告に対して千島は、その研究と観察結果から『土中の細菌が根毛の内部へ自分の運動によって侵入するといった過程は見ることができない。根に接する土中の有機物中に発生したバクテリア集団が、根毛部と融合して遂には根瘤の形成にいたるものと考えられる。しかもバクテリアは根瘤内で分裂によって増殖するなどといった証拠はまったくない。有機物を母体とて自然発生した細菌は遂には退行して仮細菌となり、最後には植物の栄養として同化吸収されるものと判断される。従ってこの場合にも、細菌は共生体というよりは寧ろ集団的に根毛と融合して一体となるもので、寄生とか捕食と解すべきではなく、下等生物の根本的性質の一つと観るべき集団の形成→融合→同化と有機体制化という現象だと私は考える』と述べています。また、インドのバカランは、エジプトのクローバーの根瘤細胞を研究中、そこに根瘤菌以外の緑藻類の一種も共生していることを発見しました。これは多分、豆科植物の根瘤中に藻類の共生を見出した最初のものでしょう。この緑藻類は最初、根瘤細胞の細胞間隙に現れていたが、次第に細胞内へ侵入して球状のコロニーを形成するといっています。
大部分の多年生植物、樹木その他の根に菌類が絡みついて菌根を形成する現象は一種の共生と考えられ、広く植物界に見られる現象です。19世紀の初め以来この現象について多くの例が知られています。フランクは『森林の樹木の多くは根の周囲を菌糸がもつれるように根を囲み、根の細胞中にも侵入して共生し、いわゆる菌根を形成する。これらの菌類は根毛の組成部分であり、菌類は土中から有機物を摂り、根に運び、根は炭水化物を生成して菌類に与えるが、最後には菌類は根に吸収され窒素源になる』と考えました。
またコーレイは菌根の作用はフランクが説くほど明解な共生現象ではなく、根毛に対して発育を抑制するほどの害もなく、根も根毛への付着を黙認している程度のものだといっています。しかし、マキの菌根では根瘤内の細胞は菌糸で充満していて空中窒素の固定を行うといわれています。
根の周囲の菌糸は本質的には根毛の母体であるか、根毛と不可分な関係にあると考えるのが妥当かもしれません。従って根瘤菌等の根に寄生しているかのように見える細菌は、植物体の栄養吸収に役立つことから共生といえます。ただし植物体が病的であるときには、菌類は植物にとって寄生的な存在になる可能性は否定できません。
ランの根に菌糸が共生していることは古くから知られています。そしてこの共生菌が種子の発芽にとって不可欠なものであるとベナードはいっています。即ち『ランの種子は非常に小さく、数も無数にあってなかなか発芽させることは困難だと考えられていましたが、自然の状態ではこのランの花の柄が地面に向かって曲がり、種子が地面に接すると土中にいる共生菌類が種子の内部に侵入して始めて発芽することが分かった』といい又『種子の内部に侵入した菌糸は種子中の食細胞によって捕食され細胞内で完全に消化されてしまう』と述べ、同様のことをマグナスも確認したといっています。
これに対してコーレイは『食菌作用は生物体の自己防御作用であるから菌糸が侵入したものを捕食し、その免疫性を働かせて菌糸を細胞内でコイルのようにして発育を抑制し、消化してしまう。
結局ランとその菌根中の菌類とは固定的な共生関係でもなく、また相互扶助的な関係でもない一種の寄生現象であり、慢性的な疾病がランにとって不可欠なものとなったのだ』と説明しています。
コーレイが共生現象を動的に観ていることについて千島は『共生現象を動的に観ていることには賛同する。しかし彼は植物の根が細菌や菌類その他の微生物と生理的に深い関係をもち、むしろ不可欠な相互関係を保っているものであることを理解していない。私はこの場合、決して病的原因だとは考えない。コーレイは菌糸がランの種子に入り、食細胞に捕食されていると解しているが、これは種子内部で菌糸の塊が種子細胞に分化し発展している状態であると判断する。このような見解はウイルヒョウ的細胞観に固執する人々からは奇怪の説と見なされるかも知れないが、近き将来、かならず私の見解の妥当性が認められるときが来るだろう』と見解を述べています。
⑥ クロレラと動物細胞の共生と融合
各種の無脊椎動物の細胞内にクロレラが共生していることはよく知られていることです。この現象は今日においてもその真の意義が十分に理解されていないようです。古典的な説の一つに共生しているクロレラが下等動物の赤血球の起源だとする説がありましたが、今は既に忘れられ顧みられなくなっています。ここでは千島の観察を基礎として内外の研究者たちの成果も総合して、新しくそして重要な千島の見解を述べることにします。
クロレラは原藻類に属する単細胞緑藻類の一種とされていますが、主として淡水中に棲み動物細胞中に共生している藻類です。クロレラは共生生活に入る前の自由生活のある相では鞭毛をもっていて活発に水中を運動する時代があります。そのため、時には鞭毛虫に分類されたりすることがありますが、今日では一般に緑藻類であると考えられています。
シェンコスキーは放射虫類の細胞質中にクロレラが共生しているのを発見しましたが、クロレラの動物細胞との共生の意義や細胞への進化に関連する報告は残念ながらありません。
コーレイによると、元来クロレラは単細胞でセルローズの被膜に被われ、細胞質の大部分は有色体で占められ1-10ミクロンと大きさには変動がある球体です。葉緑素を含むものは緑色ですが、黄褐色のものもあります。クロレラ細胞中に核があるという説とないという説があり今も統一されていないようです。千島はクロレラに定型的な核が常に存在するという証拠も、また分裂によって増殖するという証拠も確認していないと述べています。
このようなクロレラが腔腸動物や繊毛虫類、その他の原生動物細胞内にほとんど常に共存していることは確かであり、アメーバやミドリムシがクロレラで充満しているのを千島は観察しているといっています。コーレイの記載では、諸原生動物とクロレラが常に共生いるとは限らず、インド産の夜光虫にはいるが、フランス海岸のものにはなく、ノルマンディ海岸近くのラッパ虫には存在しても、十数キロ離れた地域のものには見られないという。しかし、細胞内のクロレラは時間の経過とともに融合して変化するから、全生活史を調査し観察しなければ、誤った判断を下す虞があると千島は注意を促しています。
クロレラと共生動物細胞との栄養的関係は、クロレラが太陽光によって炭素同化作用を行い、酸素を遊離させて動物細胞に与え、動物細胞からは炭酸ガスを与えられて相互に共生するものだと考えられています。このことについて千島は『クロレラの共生動物細胞は元来、クロレラ集団から発生したものだから或る時代は動物細胞とクロレラ集団とは区別できない一体のものだと考えねばならない。 随ってこの場合、これまでの意味での共生という語をそのまま適用することは妥当ではない』といっています。
⑦ 共生発光菌
各種発光動物の発光が発光バクテリアによるものであることは古来から知られています。しかしそれらの発光が凡て共生菌によるわけではなく、腐敗を始めた魚の発光や、或る種の昆虫が発光菌の寄生により発光する場合等は偶発的な寄生によるもので、生理的な発光ではないとされています。
一方、ホタルや頭足類の或る種のものなどのように発光器官をもっているが、発光菌の共生なのか或いは単なる化学的作用の結果であるのか未解決のまま残されているものもあります。
ここでは共生菌の働きだと考えられている主なものだけを紹介しましょう。
発光現象の共生菌説主張の第一人者であるイタリアのペラントニはホタルの発光器官がアリマキの細菌器官と構造的に酷似していること、また発光器官も細菌(球菌・桿菌)と全く等しい形態と染色性をもつもので充満した細胞から構成されていることなどから、ホタルの発光現象は共生菌によるものだと考えました。しかし、ノビコフは化学作用による発光だとしてペラントニの説に反対しています。ペラントニは又頭足類のマイカの発光器官細胞内に発光細菌が共生し、卵子を通して次世代への移転をしており、その発光菌の培養に成功したと述べています。さらにメッシナ海の深海頭足類の発光現象も共生菌によるものと主張していますが、同じイタリアのパントニやモルトーラはこれに反対しており、頭足類やホタルの発光体についてはまだまだ論争が続きそうです。
ホヤは海洋性の被嚢動物で間歇的に明るい光を発する生物です。発光器は鰓の両側にあり、発生学上では卵の周囲を包む特殊な細胞に由来し、この細胞は内部に多数のソーセージ型をした小体で充満しています。ジュリンはこれをミトコンドリアと考えましたが、ペラントニは発光菌を含んだ細菌でありこれは細胞を形成し、血液によって体の各部に運ばれると発光菌の共生説を主張しています。
大洋の珊瑚礁に棲む魚の発光器は眼の周囲にあり連続的に発光します。発光器は腺様の構造になっており、管腔内には細菌が連鎖状になって充満しており、これは外部で培養することができます。
ジャバの或る魚も同様に発光器をもっており、この発光器は胃の入口及び食道の周囲を取り巻いていて反射装置もついているといい腺腔には桿菌が充満しているといいます。日本のマツカサウオもこれと同様の発光共生菌をもっていると岡田要氏が報告しています。
『上記のような様々な説に対し反対、疑問視、又賛同といった論争が続いているが、発光菌様細菌は細胞内で変化してミトコンドリア様体に変化する可能性もあり、又化学的発光物質を生成する可能性も十分にあるから、細胞内共生菌が発光に関与し、時には細胞質に全く同化してしまう場合もあることだろう。だから発光菌の共生を完全に否定することは妥当でない』
⑧ 昆虫における菌節と共生菌
多くの昆虫において、その消化管壁その他に細菌を含んだ細胞があり、それらが集まり菌節又は細菌器官を形成しています。1858年、ハックリイがアリマキの卵巣の両側、腹面に卵黄球に似た球形体を含む細胞の塊を発見しこれを偽卵黄と称しました。次いでバルビニが仮卵巣、メチニコフは第二次卵黄と呼びました。後にペラントニらは研究によって偽卵黄の内容は酵母菌で、アリマキと常に共生的関係にあると主張しました。
細菌細胞に含まれているものは、研究者によって酵母、菌糸、細菌などと様々な主張になっています。アリマキの幼生では消化管や卵巣細胞内に共生菌が存在し発育の早期には共生菌の活動は休止状態で、成体となって卵子の形成が開始されると卵黄に接するようになり、盛んに増殖しやがて細胞を破って卵子の後端から内部に侵入するといわれ、このようにして、共生菌は卵を通して次世代に移転するものと考えられており、また菌節細胞塊の間にアメーバ状白血球が入り込み、細菌細胞に幾つかの血球を含むようになり核は膨大するといわれています。
上記のような変化過程について千島は次のような見解を述べています。
『私が淡水カイメンで見出したこと、即ちアメーバ状白血球や細胞がクロレラの融合と分化によって新生する過程と類似している。恐らく菌節細胞中の数個の血球は外部から侵入したのではなく、新生した血球と細菌とが融合して菌節細胞を形成しているのだろう。また有糸分裂によってこの細胞が増殖することもないだろう。細菌の融合分化諸段階において糸状菌から芽胞、酵母様体への移行像を種々な場合で観察しているが、細胞内にアメーバ様血球が出現するのも『微生物集団からの細胞新生』の一証拠になるはずである』
⑨ 昆虫の消化管内細菌と消化
昆虫の消化管内に細菌が生息して消化を助けている事実は、高等動物より遙かによく知られていることですが、一般に胃には細菌は少なく中腸に最も多く、後腸はこれに次いで多いようです。
ある種の昆虫では中腸の後端付近に開口する盲腸があり、その内部には多数の小球菌から巨大な螺旋菌に至るまでの各種細菌が宿っているとステインハウスは報告しています。
また、彼はカメムシの胃の後方にも細菌で充満した嚢があり、産卵の際、その細菌が卵の表面に付着して孵化した幼虫はその菌を食して成長しますが、この細菌が卵に付着していないと1週間ほどで幼虫は死んでしまうといっています。カオはハエの幼虫は人間の病原菌やその他無害の細菌を食物と共に摂取し、細菌は幼虫の腸内で増殖し体外にそのまま排出されるといいます。
ロビンソンはヒロズキンバエの蛆が摂取した細菌を長い管状の胃を通過する間に殺菌すると報告しています。ウイルスワースによると、各種昆虫の遺伝的微生物は主として腸に局限して存在し、カメムシの多くは中腸の内部に、カミキリムシの一種では腸壁細胞内に存在し、腸内腔に絶えず遊離してくるといっていますが、このことについて千島は『遊離と見ることは恐らく誤りで腸内腔から腸壁細胞内へ埋没される過程を見たのだろう。これは私の消化管造血に関する研究から判断できる。微生物は昆虫の栄養保持に不可欠なものであり、共生的なものであることは疑えないが、微生物が最後には昆虫に消化吸収される場合が多いから、共生生活もある一定の時期までと考えたほうが妥当である』と述べています。
種々の昆虫幼虫の腸後部には細菌発酵室といわれる場所があります。その内部には無数の細菌がいて、摂取した木質のセルローズを発酵分解し吸収させているといわれています。
ハナムグリ、オオクロガタなどの幼虫がこの例に該当します。
『私はカイコの幼虫腸内でクワの葉は次第に圧偏され消化管に付着し、腸壁組織に変化したり、腸壁内に埋没し組織内消化が行われている過程を観察している。この際、ポルティアがいうように細菌の助けをかりるものと思われるが、私が観察した限りでは余り定型的な細菌は見られなかった。しかし、この点については今後、なお研究の必要がある』と千島は消化と細菌の関連を述べています。
クサガメの腸内細菌はビタミンを合成し、ドロソフィラというハエの一種のそれは眼の色素を変化させるホルモンを分泌することも知られており、また昆虫の幼生が共生菌の有無によって発育が著しく異なることもしられている事実です。
化膿性外傷に肉バイが産卵するとその傷は異常ともいえる早さで、回復することは以前から知られていました。ナポレオンの主治医として有名な外科医、レーリーはシリヤ戦争のとき、負傷兵の傷にハエの蛆がいることによって傷が早く治ることを事実確認しています。この他昔の医師たちもこのような傷と蛆との関係を知っていました。そしてこの事実を科学的に詳しく研究したのが第一次大戦の折りにおけるベアです。彼は傷ついた兵士が手当されることもなく野戦で放置されているうちに、ハエの蛆が傷口に発生しているにも拘わらず早期に手当した者と同様に、発熱も化膿もせず、そして傷の経過もよいことに着眼しました。そこでベアは蛆が発生していた兵士たちの傷をきれいに洗ってみると、創傷部はピンク色の肉芽組織で充たされているのを知り『この蛆は骨髄炎の外科的治療に驚くべき有効な働きをするものだ。蛆がその消化作用で組織を清掃して創傷治療の効果を高めてくれる上に、創傷部をアルカリ性にしてこれによって細菌の発育を抑制してくれる』と報告しています。
1935年にはシモンズがハエの蛆の分泌物から耐熱性の殺菌性物質を抽出することに成功しています。同じ年にロビンソンは蛆とは関係がないが尿素も創傷の回復を助ける作用があるといっています。ハエの蛆が膿や細菌を喰うことは当然にあり得ることです。昆虫の幼虫が創傷治癒に貢献する結果は高等動物と、昆虫の幼生との一種の共生とみることもできるでしょう。
50。がんと千鳥学説 no.24
革新の生命医学情報 No.25
生命・細胞・血球の起源⑦
○昆虫消化管内の共生原生動物及び酵母
① 鞭毛虫、オーチストなどとの共生
木材を食べるシロアリやアリマキの腸内には鞭毛虫が、木材のセルローズを分解するために共生しています。千島もイエシロアリの中腸内に数種の鞭毛虫、螺旋菌、桿菌が多数共生しているのを観察しています。シラミバイの中腸内には胞子虫網プラスモジュムのオーチストに酷似する小体が検査個体の85%に見られ、この小体は中腸壁のまわりを取り巻き、小体内には多数の桿状またはソーセイジ型の微生物を含んでいます。この小体はケーナーはマラリア病原体の媒介役ではなく共生者であるといっていますが、千島はこれは恐らく細菌集団の融合と分化によるものだろうと推定しています。栄養が不十分な場合は、これは栄養源となることでしょう。
② 酵母
中島氏は毒アサリの肝に球形をした酵母状の細胞を見出しています。これは寄生性のものか共生者であるかについては明らかにしていませんが、彼が示している写真では共生者と考えられます。
あの小さなノミの胃壁や直腸内面に繊毛虫が付着していることもよく観察されます。なぜそのような状態が生じるのか明らかにされていませんが、千島は細菌→原生動物→退行変性による消化管壁への分化過程をしめしている像をシロアリで観察したことがあります。ただし、この経過は病的状態でないことが条件です。病的な場合には全く違う分化方向があるように思えます。昆虫の菌節は必ずしも細菌だけを含むものではなく、シバンムシのように腸壁に多数の酵母を有する菌節細胞から構成されているものもあります。このことは細菌から酵母への発展が考えられるという千島の考えからすれば、多分、細菌から酵母様芽胞に移行中の状態であると思われます。
また、パイロットはアリマキの菌節に酵母が充満しているのは、アリマキに見られる普通の細菌に由来するものだと考えています。これもまた千島の説に賛同する結果だといえそうです。酵母には核があるというもの、ないというもの等があり、諸説には一致がありませんが、千島は定型的な核は存在していないといっています。そして細菌の観察中に細菌から酵母に移行している経過を見ています。
③ 共生者の実験的駆除と昆虫の栄養
ライズは共生体を含む菌節を実験的に切除したり、或いは遠心力によって除去したりすると昆虫のメスの場合は産卵しなくなったり、術後死んでしまうことを観察しています。またアリマキにペニシリンを混ぜたエサを与えると、脂肪体中にある共生菌が著しく減少し、または完全に消失し、処理後ニ、三日で死んでしまったとブルースたちはいっています。
ウイギースは吸血昆虫やカブトムシの消化管内にいる共生菌はビタミンを合成してその共生体の消化作用を助けているという報告をしています。
一方、コーチはカブトムシについて次のような面白い実験を行なっています。生活環境の気温を摂氏36度に高めると、体内にある4個の菌節中にいる細菌状の共生者は退行萎縮し遂には消失してしまうといいます。このカブトムシの生存可能限度は摂氏38度であるのに共生菌のそれは32~33度だから36度まで上昇しては生きていけないわけです。しかしこのように、共生菌を失くした菌節をもつ個体は食性や繁殖に何の支障もないようだったが、このことが共生菌の有用性を否定することはできないと結果について付記しています。
さらに興味ある実験はクリーブランとハングレイの次のような実験です。
実験の経過では大型の菌は6日以内に消滅し、8日目には次に大きいものが死に、続いて小さい細菌が著しく減少していました。しかし、シロアリが餓死する限度と考えられる25日になるまえに、すべての腸内共生菌が死滅してしまうようなことは飢餓の状態においては起きないといっています。クリーブランはこの他にも興味ある実験をしています。それはシロアリを6日間絶食させ、腸内共生菌である鞭毛虫を死滅させたあとで、そのシロアリに普通の食餌(木材)を与えても一定の期間は生き永らえることができました。この場合、最も多かった鞭毛虫が消滅すると、他の共生菌が盛んに増殖して鞭毛虫の代わりをしていました。このような共生菌の交替によってシロアリは60~70日間生存しましたが、この交替していた細菌も死滅すると、シロアリは3日から4週間で死にました。この実験結果から、シロアリは2~3種の細菌と共生することで生活しているとクリーブランはいっています。
普通の大気圧下では約20%の酸素があります。ある種のシロアリはこの状態から95%~98%という高濃度の酸素を含む所に移すと、シロアリの腸内共生菌はたちどころに消滅してしまいました。酸素張力をさらに高め、3~4気圧にすると死滅速度は一層に速まるといっています。これ以上に数値を上げても効果には変わりが出ませんでした。クリーブランによると、共生菌を殺す最適酸素張力は上記の3~4気圧であり、これは温度とも関係するといい、山崎氏もシロアリに行なった酸素張力と共生菌除去の実験で、クリーブランと似た結果を得たと報告しています。
別の研究者の報告によると、シロアリは木材を食べているあいだは、消化管内に常に共生細菌をもっているが、木材を食べないときには全く共生菌の姿はなくなるといいます。これは腸内の消化吸収と、腸内鞭毛虫たちの密接な関連があることは改めていうまでもないといいます。飢餓によって共生細菌が死滅するのは、多分これらの鞭毛虫は、消化管壁から吸収され、消化管壁細胞に分化したものと千島は推測しています。グレーサーはアリマキの成虫に若干の処理をしたあと、1ケ月間39度に保った所におくと、メスの卵巣が退行することを観察しています。
このほかの昆虫の共生菌が含窒素物の廃棄産物からタンパク質を合成したり、無菌的刺激によって昆虫の発育停止や死に至らしめることは周知のことです。
④ 吸血昆虫やダニの共生微生物
脊椎動物の血液を吸って生きている昆虫、たとえばツェツェバエの腸に酵母が、またその成虫の中腸の一部の上皮が厚くなって肉眼でも見えるような灰色を帯びた斑点ができ、この部分を切片にして調べてみると、普通の細胞より3~5倍も大きい細胞が観察されます。その内部は長さ3~5ミクロンほどの細菌状のもので充満していて、細胞が壊れると腸内に遊離します。標本をつくってよく観察すると、それは酵母のような出芽によって増殖していく様子が見られ、これは細菌を含む真の細菌器官であるとラウバウはいっています。しかし、この腸壁にある細菌細胞内の細菌や酵母はラウバウと違って、千島は、腸内細菌が腸壁細胞を新生するとき、一緒に細胞内に埋没してしまったものだと考えています。
これは前述したステインハスが観察した腸壁から菌節が形成されて分離する状態からも、また千島が昆虫の消化管を調べた結果からも推定することができます。
ラウバウは吸血昆虫の腸内に細菌や酵母が共生しているのは、酵母から分泌される酵素によって、吸った血球やタンパク質を消化吸収するために必要だからだといっています。またカレリイはダニ類も腸上皮細胞内に共生細菌が存在し、それらが共生体へメリットばかりではなく、デメリットである病原体の媒介をしているともいっています。昆虫や下等無脊椎動物では、いわゆる共生細菌は比較的その個性をよく保存しまた融合と分化による完全な細胞新生の段階に進行しない状態(いわゆる細菌細胞)を保つために、血液と共に病原菌を吸い込んだとき、その媒介をなす危険が生じるのだと思います。
シラミは雌雄ともに終生、中腸に共生細菌を含んでいて、フローレンスの観察によると、陰性菌を含む菌節があって、それは腸壁から腹腔へ露出した形で付着しているので、これは消化に役立っているものだと推測していますが、千島はこれは、消化管内の細菌集団→腸壁組織→菌節であろうと推測しています。もちろんこれは、栄養摂取の役割を演じていることは疑いないことでしょう。
バウチャーはメスシラミの腸壁にある菌節は体の背側脂肪体中に菌節を形成するようになるといっていますが、これも千島は昆虫の脂肪体は血球及び血液から形成されるものであるから、腸壁で吸収された食物性モネラや細胞から形成された腸壁組織から脂肪に変化したものだと考えています。
⑤ 軟体動物その他の共生菌
軟体動物、腹足類、前鰓類の腺細胞内に共生菌が存在することは知られています。
また腹足類の一種や貧毛類には共生菌が、ホヤ類の腎臓内には菌糸が共生していることがあります。これらの菌が培養できる、できないということを問題にして共生菌であるか否かが論議されていますが、細胞内に細菌又は細菌状のものがあることは確かであり、軟体動物からホヤ類に至るまでそれが認められるということは、細胞と細菌の密接な関係を示すものとして注目に値します。
○リケッチアと細胞との共生
① リケッチア
リケッチアとは非常に小さい、桿状、楕円形、球形をした一群の微生物に与えられた名称です。このリケッチアは一般に生きた細胞内でのみ増殖し特別に微小なものでない限り、濾過性はないとされています。
ステインハウスによると、ある研究者はリケッチアをウイルスと細菌の中間に位置する微生物だと考えているといいます。しかし最近、リケッチアは細菌の一種であるとする説が有力になりかけているようです。ピンカートンは定型的なリケッチアは形態的にも、非濾過性であるという点でも細菌に似ていることを指摘し、さらに細菌と最小のウイルスとの間に多数の中間的生物小体があることから、リケッチアは節足動物の細胞組織内の生活に適応した一種の細菌であると考えるのが妥当だといっています。
電子顕微鏡で調べた結果によると、リケッチアは細菌と等しく原形質は膜で包まれていて、一定の顆粒をそのなかに含んでいるとプロッツは報告しています。
マシャベロもリケッチアの細菌説に賛同しています。学者たちの意見を総合すると
リケッチアは「特殊濾過性ウイルスを伴う非特異性生物」と位置づけられているようです。また一定の可視的形態をもっていて、昆虫のウンカの中腸内にこのようなリケッチア様の共生体が存在することが知られています。
② 病的リケッチアの進化
病原性をもったリケッチアが寄生的生活をするに至った過程は、一般に独立生活から次第に寄生生活に移ったのだろうと推測されていますが、バーネットによれば、リケッチアは太古時代に共生体であったものから2次的に進化したものだと主張しています。彼は「その第1期は推測として死物寄生菌が原始昆虫の消化管内に移住した時期であり、続いて昆虫の消化管内で栄養を得て、さらに消化管粘膜の上皮細胞中に入って寄生し宿主である昆虫を栄養失調にさせ斃したのであろう。しかし長い年月の間に、宿主は寄生細菌の栄養搾取に耐え、遂には細胞内の共生体になった。細菌時代の潜在的病毒性は、異なる種の生細胞に触れることによって活性を帯びてくるのだろう。この種の接触は吸血昆虫が脊椎動物の血液を吸うことによって起こり、それによって細菌が寄生化する可能性もある。たとえば或る種のリケッチアはダニの体内では無害な共生体だが、人間や他の脊椎動物の体内に移ると致命的なロッキー山斑点熱を発症させる。発疹チフスもまたこの例である」と報告で述べています。
千島は、リケッチアの起源についてはやはり、バーネットのように進化論的見地から考えることは必要だといっていますが、もともと自動性をもっていないリケッチアは細胞内に侵入する過程も実証されていないし、また発生の状況から考えても、これは細胞が病的ウイルスの影響を受けて、生化学的な連鎖反応または自己触媒反応によって、その原形質の病的変化を誘発して、健康体の原形質中に自然発生的に形成されるもの、即ち、リケッチアは細胞が病的に原始状態(細菌)へ解体される一つの段階であると考えられます。だからリケッチアはウイルスと細菌との中間的位置にあるという意見に千島も賛同しています。また病原性リケッチアが正常体の細胞と共生するなどということはまず考えられないことだといっています。
○昆虫の生殖細胞内の共生菌とその遺伝的転位
昆虫卵にある細孔を通して細菌がその内部に侵入したり、卵の表面に付着した細菌が孵化を助け、卵巣内の卵子中に共生菌が存在し、子孫へ転位することなどが知られています。
① 生殖細胞を通じて微生物の世代から次世代への転位
南京虫、シラミ、またコクゾウムシの一種では、共生菌が卵子の栄養細胞内にあって、それが卵細胞内に入り子孫に転位することも知られています。殊に卵巣内卵細胞の周囲には、共生菌が2~3層になるまで増加し、産卵前に卵膜が破れて共生菌が卵細胞質中に侵入し、続いてそれが胚子の生殖腺に入り、しばらくは休止の状態になります。そして胚子が成長して卵が発育を始めると、再び急速に増加を始めます。
このように共生菌は卵を通じて次の世代へと連続的に転位するといわれています。
トコジラミ、ゾームシ、ゴキブリ、オオアリなどでも同様の状態が観察されています。原始的シロアリでは卵巣周囲の脂肪体の中にある共生菌が、後に卵巣中へ侵入することをコーチは観察して報告しています。このことは千島と共同研究者の細野が、カイコやバッタの卵巣がその周囲にある脂肪体、卵巣組織や卵細胞に変化することによって成長していくのを観察したことと合い通じる点があります。
ノコギリヒラタムシ、ヒラタキクイムシ、シラミ類などでは卵膜が形成される少し前に共生菌が卵の後端から侵入するというライズの研究や、ペラントニのワタフキカイガラムシについての同様の研究があって、これも卵子の成長が単に液状の栄養分だけを吸収して成長するものではなく、千島が主張するように周囲の脂肪組織や卵子の上皮細胞が卵黄に変化することを物語るものだといえます。この際、共生菌が卵の周囲の組織と共に卵内に他動的に転位することが考えられます。
多くの研究者は細菌が卵内へ自動的に侵入するのか、他動的のものなのかについて明らかにしていませんが、多分自ら侵入するのではなく、若い卵の周囲にある細菌を含む組織や細胞が卵子と融合するという他動的なものと千島は推測しています。
もっともハムシ類やシバンムシのように腸からメスの生殖管内へ侵入した細菌や酵母が卵表面に付着し、幼虫の孵化後にそれをエサにしたり、ツェツェバエの幼虫のように親の子宮内で十分に成長するまで養われるものでは、乳腺を通じて共生菌が幼虫体内に転位することもあるとウイグスワースは述べています。
② 昆虫の遺伝的微生物の意義
前に述べたように、卵巣内で発育中の卵子内に共生微生物が埋没され、次世代に転位する現象は染色体を通してではないため、モルガニズム的な意味では遺伝とはいえません。胎内伝染ともいうべきものでしょう。しかし細胞質中に含まれるとすれば広義の意味において遺伝だといっても差し支えないと思います。
孵化後の幼生が卵殻表面に付着した微生物をエサとして食う場合は、もちろん遺伝などとはいえませんが、親の体内で幼虫になるツェツェバエのような場合は、一種の胎内伝染といえます。
○ミトコンドリアの共生菌由来説
ミトコンドリアとは細胞の常在成分の一つであり、小さい顆粒が集まって糸の形を構成している「糸粒体」のことをいいます。このミトコンドリアが共生菌に由来するという説はかなり古くからあったものです。今日に至ってもまだ未解決のまま論議が続いている状態です。
① ミトコンドリアの性質
ミトコンドリアという語は、1897年、ベンダによって命名されたもので、ギリシャ語の「糸と粒子」の意味からきています。ミトコンドリアはすべての動物細胞に含まれ、外形は糸状、顆粒状で長さが40~100mμのものです。形状は桿菌に酷似しています。一般に増殖は既成説に追従し分裂によると考えられています。アルコール、エーテル、クロロフォルムなどに溶解します。ミトコンドリアの働きは細胞内の酸化還元作用に関与したり、脂肪の合成にも働きかけをしていると考えられていますが、千島はむしろ脂肪との間で変化、即ち細胞内に脂肪が蓄積するにつれてミトコンドリアは減少するという過程はミトコンドリアが脂肪に変化しているということを物語っていると捉えています。
② ミトコンドリアとゴルジー氏体
ゴルジー氏体は細胞核の付近にある網状体をいいます。ミトコンドリアにかなり似た性質をもつ物質から成り立っているとされています。最近これは一種の人工産物だとベーカーが主張しています。彼はゴルジー氏体は細胞内で自己増殖するという既成説はそれを裏付ける証拠はなく、むしろ細胞内に新生するものだとし、それは常に一定の構造をもっているものではなく、生のままでは空胞又は球状で、標本固定や染色により生じた人工産物だと解しているわけです。いわゆるゴルジー氏体の網状構造と考えられているのは、ミトコンドリア中に固定剤や染色剤として添加した水銀化オスミュームや銀が浸透したことで生じた産物だと主張しているのです。
このベーカーの主張は妥当な見解だと千島は賛同しています。ゴルジー氏体が管状構造をもち、分泌作用があるなどという説もありますが、このような説はナンセンスなものであることが分かるときは必ず来ると千島は予言しています。
ミトコンドリアが現在は細菌と直接な関連がないとしても、細胞が微生物の融合体から進化してきたということは間違いないことだと思います。
③ ミトコンドリアの共生菌由来説をめぐる論議
ミトコンドリアは細胞内の生活によく適応した共生菌だという説は、1890年頃にアルトマンの他多くの病理学者によって信じられていました。その後、ヘネゲイ、ポーターといった有名な研究者の間でこの説が支持されるようになります。しかし現在では殆どの学者がこの説を放棄してしまいました。
ウオーリンはロッキー山熱病原体は細胞内でミトコンドリアに変化するといっています。またミルドフは昆虫の菌節細胞内に共生菌とミトコンドリアとが混在しているのを観察したと報告しています。オリシキイやコーディーといった研究者は染色やリポイド溶剤を使用することでミトコンドリアと細菌とは区別が可能であるというのに対し、ウオーリンやミラーは普通のテクニックで両者を直ちに判断することは困難だと慎重な態度を示しています。)
○ミトコンドリアの共生菌由来説とその論議
① 染色性によりミトコンドリアと細菌は区別できるか?
ミトコンドリアが形態的に球菌、桿菌、或いは糸状菌に似ているばかりではなく、結核菌や癩菌と等しい染色性を示すことはよく知られています。これらの細菌は石炭酸溶液で数分間処理すると完全に染色することができます。そして一度染まると塩酸アルコールによる染色に対しては抵抗することから、一般にこれらの細菌を抗酸性菌と呼ばれています。ただ、ここで注意しなければならないことは、ミトコンドリアがいつもそのような染色性をもっているという固定的な考えをもってはいけないということです。「万物流転」という言葉通り、この物質もまた他のすべての細胞要素と同じように、時とともに変化するものです。事実、血球のミトコンドリアをヤーヌス緑によって染色すると、30分後にはよく染まりますが、後にはそれが消えていきます。
ミトコンドリアは細胞の種類や環境によって遂には中性脂肪に変化することもあり、また前述したようなゴルジー物質や核質に変化する可能性もあります。
千島がいうように、ミトコンドリアが系統発生史上において、細胞内共生菌の名残りであるとはいえ、多くの場合は細菌そのものではなく、或いはまたアメーバの場合におけるように直接にバクテリア自体である場合でも、細胞内で同化され、細菌本来の染色性と異なるものになることは当然に考えられることです。
② バクテリア中にはミトコンドリアは存在するか
ミトコンドリアはほとんどすべての細胞に見られ、アメーバにも認められますが、バクテリアにもこれがあるか否かについてはまだ意見の一致を見ていません。
これについて千島はアメーバ内にあるミトコンドリアは多分バクテリアに由来するもので、そのバクテリアは大きさ、形、性質などから推測すると、それ自体がミトコンドリアの先駆的物質だと考えられるといっています。このような千島の考えを一笑に付す人が多いかもしれませんが、化学的分析のみに捉われず、細胞の起源をもっと徹底的に追求しようとする人には肯定されることだと思います。
③ ミトコンドリアの共生菌由来説をめぐる論争
コーリーはその著のなかでポーターのミトコンドリア共生菌由来説を批判しています。コーリーは批判する理由として、地衣類、菌根、根瘤、クロレラ、酵母、細菌、発光バクテリアやその他の細胞内共生体は、生物の全態からみれば例外的なもので正常体からの変異にすぎないからだといっています。
しかし以前から、細胞内の共生微生物は生命体の根本的な特性であるという説があります。その代表的なものはイタリアのペラントニの説です。ペラントニは昆虫の共生菌や共生酵母、頭足類の共生発光菌などについての詳細な研究結果から“細胞は生物体にとって根本的な単位ではない。細胞は共生微生物の複合体である。だから共生体は細胞にとって有機的合成に不可欠なものであり、それらの共生菌はミトコンドリアにすぎない。換言すればミトコンドリアは細胞内生活に適応したバクテリアである”というものです。
このペラントニの主張に対してコーリーは「このような説はおかしいと、先験的に言うわけにはいかないが、すべての生物学者にそのままには受け入れられないだろう。
もっと確固とした証拠を必要とする。誰でもこの説は誤りだということに躊躇しないはずだ」と反論しています。ペラントニの説をすべての高等動物にもそのまま適用することはコーリーがいうように妥当ではありませんが、下等な生物においてはペラントニの説が正しいと千島は自分の研究成果をもとに述べています。
ポーターは哺乳類のオスの睾丸周囲にある脂肪組織で厳密な無菌的方法で培養して得た細菌はミトコンドリアであるといっていますが、これについてコーリーは温度やその他の点からいってポーターの説は正しいとはいえないと反対しました。
このコーリーの見解は誤ったものとはいえないでしょう。如何に細心の注意の払ったつもりでも、往々にして雑菌が混入してしまうことはよくあることです。また細菌の混入がなくても、一定の有機物と適当な条件が整えば、細菌やその他の芽胞が自然に発生してくることを千島は確認しています。バクテリアや細菌は一定条件のもとでいつも自然発生しているのです。
コーリーはポーターの実験を取り上げ「ポーターは正常な原始的細胞内にあるミトコンドリアを共生微生物だと説いているが、これは細胞学説や、厳密な実験によって裏づけられた説ではない。細胞の二元論や細胞内微生物存在説を根底から否定するわけではないが、彼の説はもっと十分に完成されなくてはならない。細胞は細菌の仲介なくては同化ができないような無力なものと考えるより、自主的な機能を営めるものだと考えるほうがより自然的であろう。共生は多細胞生物や孤立した細胞における例外的な現象である。非常に広範囲に見られる細胞内共生は、生物学の現状では細胞の根本的形態とはいえない」と述べています。
このコーリーの見解に対し千島は『彼は細胞内共生微生物の重要性について深い理解を示してはいるが、これを生物全般に機械的に普遍化することに対し、かなり懐疑的になっている。これは惜しいかな、高等生物の一般細胞と、下等生物の細胞における細胞内共生とミトコンドリアの問題を混同している。彼が系統発生的な見地にたって細胞の起源を探究したならば、私の見解をよく理解できるだろう』と述べています。
④ 共生菌由来説についてのピコの新説
チェコスロバキアのピコが次のような要旨の論文を発表して、ミトコンドリアの共生菌由来説を支持しています。「アリマキの菌節内共生菌といわれているものは、単なる顆粒に過ぎないと主張するランハムに対して、トレジャーがそれに反論しているが、自分はリンゴワタムシのミトコンドリアも共生菌であると確信している。現にアリマキの共生菌はこの虫から分離した球菌を混ぜた培養基でよく生育する」
また彼は「最近マウスの腹膜腫瘍から分離された物質が、ミトコンドリアであるという研究者、ワタナベがいるが、彼が描いているものはミトコンドリアではなく菌類の一種である。その大きさも形も自分が昆虫から分離して培養したものと一致している。ドロソフィラの脂肪体中やマウスの菌節細胞中に細かい粒子の存在を見たが、それが非常に細かいものなのでミトコンドリアと誤認されやすい。これは一定の微生物からミトコンドリアになるという説の最初の例になるかもしれない。このことはツースが唾液腺の主細胞中に多数の微粒子が存在しているらしいということや、ラグレーがラッテの肝細胞中に見ている封入体などと同様の形に属すると思われる」と述べて共生菌からミトコンドリアへの変化を確信をもって主張しています。
このピコの見解に関し千島は次のように述べています。
「ピコの主張に私は賛同したい。高等動物のミトコンドリアを直ちに共生菌と考えることはできないとしても、下等無脊椎動物の菌節細胞中のミトコンドリアは共生菌に由来するものであると考えることは、「細菌集団から細胞が新生する」という私の説からすれば、敢えて怪しむに足りないことである。下等生物の細胞内では、細胞内共生菌がある程度変化し、独立性を失いかけた場合にミトコンドリアとしての性質を示すものと判断される。高等動物のミトコンドリアはおそらく系統発生の名残を正直に反復しているものと解することは決して無理なことではないだろう。ミトコンドリアの共生菌由来説を支持する他の一つの論拠は、私の観察した結果、すなわち枯草菌が水面に薄い膜を形成し、それらが一定の集団を形成してアメーバ様体になる前の菌の配列様相が、ロバーツが膵臓細胞を電子顕微鏡写真で示したミトコンドリアのものと酷似していることである。
元来、ミトコンドリアというものは常に一定の形態をもつものではなく、時とともに変化することが知られているし、顆粒状→桿菌状→糸状への移行型が見られる。
他方、腐敗の過程について見られる細菌も球菌→桿菌→糸状菌への移行が認められる。血球の腐敗過程でもこのような変化が見られ、細菌の配列もまたミトコンドリアとの類似がある。このように細菌とミトコンドリアとの類似は単なる偶然とは考えられないことである。前述したように細菌の集合と融合、そして体制化によって核や空胞を新生してアメーバ、すなわち細胞への進化が見られるほか、ミミズ血液中でも糸状菌様体の集合と分化によって含糸細胞を形成する状態を観察することができる。
このように細胞は系統発生的に細菌集団からも新生することを、下等動物では常に反復していると私は判断する。このことは下等植物細胞にも適用可能だろう」と。
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